アップルコンピュータのiPodという携帯プレーヤーを手に入れた我が輩はエルヴィス・プレスリーといつも一緒、現在3000曲を持ち歩いていて、内2000曲〜がエルヴィス(アルバムごと入れているので重複している)の楽曲。まだ3000曲ほど収録できる余裕があるが、いまでさえエルヴィスだけでも全部聴くには4日かかる。
ランダムにも聴けるし、エルヴィスだけでも聴けるし、
アルファベルト順にも、アルバム単位でも聴ける、その便利さは音楽をいままで以上に一層BGMとして聴いてしまう。
何かをしてるとそれだけに集中しがちなので、どちらかというとBGMにしない性質なのだが、公衆の場で雑音に耐えられなくなったりすると、iPodの出番、ひきこもりへGO!となる。
それにしてもこれは驚異のツール、コンピュータと併せてこの便利さを知ったらCDをひっぱり出すことはなくなる。
で、こういうものを使ってカントリーなどを聴くと奇妙な感じがしないわけでもない。
ニューヨークではiPodの大きな看板が目をひくが、最新の機能とカントリーから漂う土の匂いはなんとなくミスマッチのように思える。
と、いっても現在のカントリー・シーンは、ほとんどロックと言っても過言ではないようだ。
スタイルは変わってもカントリーの基盤に流れているのはスーツ姿の大都会のアメリカではなく、ジーンズにカラーシャツという地方のアメリカ、実は一番多いアメリカだ。
自分たちはアメリカに行ったことがある、ないにかかわらず、アメリカを随分近くに感じる。
しかし本当のところ主に都会のアメリカを見たり聞いたりしているだけで、実は一番多いアメリカには触れていないのではないかと思う。その上、国民性も違う。
大雑把だけど、日本は体制に対しては従順、コミニティでは個人主義。一方アメリカは体制に対しては個人主義だけど、コミニティでは共有の思想があるように思う。
それは各地のホームタウンであれ、ビジネス街であれ、随所に見受けられる。
自分は何者か?というアイデンティティの違いだろう。
”ルーツ・オブ・ロックンロール”------
メンフィスから車を飛ばせばテュペロに行くのと同じくらいの時間を要する南部アラバマ生まれのハンク・ウィリアムスの音楽とは共有することから疎外された男のもので、人間不信、慟哭の祭典だ。
共有するシンボリックな音楽として存在価値が高いカントリーの外側にいながらにして第一人者となったのも、外側にいたからこそ、カントリーを超えて飾りのない人間の歌として支持されているのだろう。
ボブ・ディラン、キース・リチャーズ、ジェフ・ベックらがトリビュートした『TIMELESS』も記憶に新しい。
シンガー・ソングライターにしてヒルビリー・ブルースの最高峰であるこの人の音楽はそのブルージーなサウンドと歌詞でも分かるように、恨みつらみ、痛みに満ちている。
その点からも若きエルヴィスの心にしみ込んでいったのは、ゴスペルと併せて偶然の必然なのか。
エルヴィスはラジオで覚えたはずだ。1949年8月録音の<バケツに穴があいたなら>などはサン・エルヴィス・ロカビリーへの道標のようでもある。
エルヴィス・プレスリーの映画『監獄ロック』ではエルヴィスの監獄の壁にハンクの写真が貼ってあるのもお楽しみだ。
ブルーなハンク・ウィリアムスをカヴァーした<偽りの心/ユア・チーティン・ハート><泣きたいほどの淋しさ>あるいはハンク・スノウのカヴァー<ア・フール・サッチ・アズ・アイ>などは、カントリー嫌いの人の心を揺り動かすほどに見事にエルヴィスらしい表現を聴かせてくれる。
<ア・フール・サッチ・アズ・アイ>は出色の出来、グラミー・ノミネートになるのは当然。BMG入魂のアルバム『ELVIS
〜30#1ヒッツ』には忌わしい海賊盤対策のために出回っていない没テイクが使用されたのが残念。
できれば『ELVIS 〜30#1ヒッツ』の<ア・フール・サッチ・アズ・アイ>でなく、シングルリリースされたテイクのもの、つまり『ゴールデンアルバム第2集』に収録されたものを聴いてほしい。
数あるレコードの中でも最高!と太鼓判を押せる声と躍動感にうっとりすること間違いない。
<偽りの心/ユア・チーティン・ハート>の
スウィング感はさすがにエルヴィスだ。
エルヴィスは泣き節ハンクのように痛みは感じても、もっと強い。
共同体にくい込む野心がある。アウトローで終わろうとしていない、カントリーであってもパンクしている、
つまりロックンロールしているのだ。
キング・オブ・ロックンロール、エルヴィスの素敵であり、決定的に違う点だろう。
ハンク・ウィリアムス生涯最後のセッションから生まれた傑作<偽りの心/ユア・チーティン・ハート>は勿論ハンク・ウィリアムス自身の作詞作曲だ。1952年6月録音のハンク盤にはギャロッピング奏法の名手チェット・アトキンス(ギター)が参加。
チェットはエルヴィスの<ア・フール・サッチ・アズ・アイ>でも恍惚のナッシュビルサウンドを響かせている
エルヴィスは陸軍入隊直前の1958年2月にハリウッド・ラジオ・レコーダーズで録音、
ギターは勿論スコティ・ムーア。チェットよりワイルドなギャロッピング奏法はロックンロールの”ルーツ・オブ・ロックンロール・ギター”。
余談だがエルヴィス盤の<泣きたいほどの淋しさ>では必殺!チキン・ピッキングでお馴染みジェームズ・バートンがピンク・ベイズリーのテレキャスターを響かせている。
こう並べると男ごころの点と線が引き裂かれたハートの上に描かれているようで感慨深い。
<偽りの心/ユア・チーティン・ハート>ではハンクの仇討ちをするかのようにゲンキにスウィングしているエルヴィスを楽しもう。
カントリーというとなにかと目の仇にして受け付けなかったイギリス人の友人が、「素晴らしい!」と叫んだ代物だ。
愛ピエロのネット仲間、京都で商売を営んでおられる知人は、カントリーの愛好家でコレクションしたレコードは1万枚を有に超える。
ハンク・ウィリアムスが大好き。日常聴くのは勿体無いと、聴くのは毎年12月31日、年に1度だけ。
どうにもやりきれないブルーな楽曲が多いハンクの歌を年末に聴くというのは抵抗がないわけではないという。
しかしエルヴィス・プレスリー登場前夜の1953年1月1日未明、新年のコンサート出演のために移動中のキャデラックの後部座席で空のウィスキーボトルを抱いて29才の若さで他界したハンク・ウィリアムスへの愛。
アルコールとドラッグのロストウェイ、アウトローの慟哭をBGMにしないのが氏の礼儀なのだろう。
「音楽は素敵なもんやろ」と優しい視線で語る氏のこだわりはセクシーで素敵。年1度のイベント、大晦日は朝から1日の未明に向かってひたすらハンク・シャワーを浴びる。
その光景は想像するにハンクとの戦いでありセックスのようだ、命がけで聴いているかのようである。ダンディズムが香る。本気の素敵である。
「プレスリーは晩年、薬物やってたやろ。それはテンションが上がらない自分に苛立ち、薬の力を借りたんやろうな。くやしかったやろうと思う。
プレスリーってテンションあげておいてバ〜ンといくタイプやから。没になったテイク聴いてるとそれが分かる。乗れない時は全然で、自分でもアカン、アカンという感じでーーー」と語る。
話を聞いていると「音楽は素敵なもんやろ」と語った氏の言葉が頭のなかでリフレインする。
人にはそれぞれにいろんな解釈がある。解釈は自分の鏡であるように思う。
京で人気の町家に対しては「京都人は、あんな景観観たいと思わへん。ちょこちょこっと料理して出してーーー、それより京都駅の方がおもろい」。生と死への慈愛。
イントロなしでバーンといくエルヴィス、あるいはスウィングしているエルヴィスは素敵です。
すべてが簡単になっていく時代にあって、本気の素敵に本気でつきあえる心を持ちたいと☆に願い自分に願う。