100年時代のパートナー資産、ひとりで豊かに生きられる無形資産を育むライフデザイナー、ゲンキポリタン、ミノルさんです。こんにちは。
好き避けを超える旅を、一緒にしませんか。
ご意見を交換し、好き避けが終わる日を一緒に迎えましょう。
その日まで、お互いに支え合いませんか。ただいま仲間募集中です。
仮想空間に生きるのをやめる日
好き避けする人を「可愛いっ」と評する人がいる。
照れて好きな人を避けている光景を見たらそう思うのも頷けます。
頷いた瞬間、豊かになったはずの社会が見せかけだと直感する。
自分たちは「マトリックス」(仮想空間)に生きていると思うのだ。
好き避けは、魂の殺人に至る病
生きづらさを抱える人が増え続けている。
好き避けもその一種だ。誰が好き好んで好きな人を避けるというのだ。
本当なら誰よりも仲良くできるチャンスなのに、いざとなると逆になる。
心も身体も苦しい
心も身体も苦しく、死んでしまいたいと思う。好き避けは死に至る病。
少なくとも心が死んでしまう可能性は少なくない。
それを頑張って生きているのだ。
コントロールされたコミュニケーション
好き避けは、対人関係のストレスから生じる病だ。
対人関係の悩みは、知らず知らず、はっきりを判らないコントロールされたことにはじまる。
親が望んでいることをはっきり言わず、正面から抵抗できないやり方で、それでいて意のままに望むように動かす人と動かされる人の間で行われてきたコントロールゲームの連続で生じてきた結果だ。
智慧が凶器に変わるとき
誰でも自分の気持ちや希望を遠回しに伝えることはある。
言いにくい、気遅れすることは誰にでもある。
それをコントロールとは言わない。営業マンならかなりの頻度でやっている。相手方も意向を汲んで対応する。それは人間関係を円滑にする智慧の範囲でもある。
ところが智慧の範囲を超えると有害物質になり、魂の殺人に至る凶器になる。
アサーティブが変だと感じる人たち
直接的、間接的にコントロールされ続けると幼い子供は混乱してきて、率直・誠実・対等で責任あるコミュニケーションは難しくなる。
自分が何も悪いことをしていないのに、悪いことをしたような気にさせられる。
どんどん自信がなくなり、率直・誠実・対等で責任あるアサーティブなコミュニケーションをしてはいけないと思い込むようになる。
美しく成人した女性は知らず知らず好き避けをしてしまう。
結果には原因がある
好き避けしている感覚さえない。
ただ抑圧が積もって表現しない我慢が怒りになっていく。
避けられている側は、怒りを持たれる理由も原因もわからない。ないからわからない。
表現を抑圧することに慣れ、怒りを我慢することに慣れ、突然怒りだけが表現される。ただ習性が表現されただけだ。
相手はなにが起こっているのか判らない。でも負けない。すべての結果には原因があるからだ。
因果関係を探るのも慈悲、慈愛。
特別な一日のために
慈悲。慈愛は施しではない。まずは自分のため。
自分のためにしていることが、他人のためにつながっていく。
繋がって人のためになる。自他の垣根が崩れる。やっとひとつになれる。
ひとつになれる日が来るまで、ひとり旅が続く。
特別な一日のために、ひとり旅は絶望しない旅。
特別な一日とは、完全な自由と本性が認識できる慈悲に向かって行動している日。
まとめ
聞こえない言葉を聞き、見えないものを見る。
好き避けされることは存在を肯定も否定もされない。存在しないのと同じ立場に置かれる。
存在しない者の旅に終わりはないが、痛めつけられ傷ついた人を守る救済の旅はそれを続けるしかない。第三者の目から見れば「狂気」「危険」に見える。信用を失い社会から抹殺される可能性もある。
それだけの価値がどこにあるのかとさえ思う時もしばしば。
厳しい岩山を登るのにも似ている。
慈悲。慈愛は施しではない。まずは自分のため。
やがて、他人のためにつながっていく。繋がって人のためになる。
自他の垣根が崩れる。やっとひとつになれる。
好き避けを超える旅を、一緒にしませんか。
コメント