好き避けは緊張から起こるものだと思っていました。
しかし、必ずしも、そうではないようです。
時折、自信の裏返しで、大胆なこともしてくるので、驚いて、ついていけなくなることもあります。
それが難しくしている。
好き避けは「甘え」
拗ねているのに、似ています。
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甘え方の一種
「甘えらえないことへの怒り」の矛先が自身に向かい、
自分で受け止められず「怒り」を投げ込んできます。
「甘えられない裏返しの甘え。甘えの一種。」
天邪鬼は意識的だ。
普通に考えてすごく失礼な態度を、好きな人にとる。
こんな事がしょっちゅうできるのは、よほど意識している相手にしかできません。
うれしくて絶叫するように「うれしい」と叫んだ後に、
さらにおおきな喜びの波がきたとき、予期せぬよろこびに声が出なかった。
絶句。
目が合えば、確実に照れとの闘いが起こります。
プレッシャーとの闘いを過剰反応で抑え込んでいるのです。
でも、どうして、そこまで照れてしまうのか。
知られたら恥ずかしいと思う何かを隠しているから。
大好きだから側にいるのに
大好きで、いっぱい、いっぱいに愛しているから、
どんな無理もして側にいる時間を作っているのに、
忘れているのか、知らないれど、
ケンカをふっかけるように、
イライラすることを平気でしてくる。
感情的にならないように、落ち着いて客観的に考えると、
「まあ、そうなのかな」と一応の納得をしながら、思うけどれど、
やっぱりムカついてくる。
大好きだから、そばにいるということに意味はないのか?
ある外国女の繰り返し
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ある女が昔。
「好き」ということを言ってくれという。
言うと喜んで、もう一回言ってという。
それが壊れたテープのように、延々と続く。
こっちはヤブ医者の手にかかり歯を抜いた後だった。
バケツ半分に血が溜まっていた。
気に留める様子もなく、言ってくれという。
普通なら心配してくれて良さそうだと思うが。
「気が狂うほど、うれしい」という切なさ
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気が狂うほど、うれしくて、好きだから。
それだけでは説明がつかない。
もっと、もっと、というのは、実感がないからだろう。
もうすでに、
どんな無理もして側にいる時間を作っているのに、
それ以上を求められても、どうにもできない。
だから、嫌がることをして、
それでも見捨てないことを確かめて、安心する。
保育園に通う子どもが、お母さんが嫌がることをしても続けるのと同じだ。
「髪を切った日に、私は自分を隠した。」
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いや、安心なんかない。
「自分に自信がない」と言葉ではそう表現するしかないのかもしれない。
それよりも、自分の態度や言動に関係なく、まっすぐに来てくれたら安心できる。
つまり感情的になるなということでもある。
まっすぐに来てほしいという願いは、「私がいる場所に」という意味だ。
そこは秘密の場所。私がかくれんぼした場所だ。
隠していることが、バレるのが恥ずかしい。
だから何をしたって怒らない、離れないという確証がほしい。
そのために私はあなたを傷つける。
「長い髪を切った日に、私は自分を隠した。」
と、君が大きな瞳をクルリとさせて、そう言った。
まとめ
「好き避け」はとっても不思議な現象です。
フツーに考えたら、好きなら側にいきたい、嫌いなら離れる。
それが逆になります。嫌われたくない、恥ずかしいから。
それがずっと続くと何を基準にしていいのか、解らなくなります。
安心したら、いつか、治ります。だから杓子定規に考えない、伸縮自在の心で受け止めてあげてください。
その間、感情的にならず、悩まずに落ち着いて、スキルアップを心がけましょう。
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