世間では「好き避け」が可愛いと言いますが、他人事ならいざ知らず、重症化した「好き避け」は、社会的に非常識です。
エスカレートすると見えない犯罪です。増える原因は「間違った子育て」。
親が必要十分な愛情を与えず、無用なコンプレックスを子どもに与えています。
しかも子どもは愛情不足を認識していなくて、悩みの種になっていて「好き避け」から抜け出せません。
ここでは自分も相手も不幸にする「好き避け」から脱出する方法を探ります。
絶対間違っている好き避け女子(男子)
「好き避け女子」というのは、人間的、社会的にしてはいけないことをしてしまう「劣等人間」です。その劣等というのは、謂れなきコンプレックスを抱え込んでしまった不幸な仕打ちで生じたコンプレックスとは違います。
謂れなきコンプレックスとは、親があなたを支配するために、親から持たされてしまった劣等感です。主に「禁止令」によって、知らない間に言いなりになってしまったのです。
幸せになってはいけない。女(男)であってはいけない。賢くてはいけない・・・など、禁止令のメッセージの内容は人によって違いますが、どれをとっても理不尽な内容です。
焼印のような劣等感で、あなたは持っていいはずの自信を失ってしまいました。
その点ではあなたはとても気の毒です。
問題は、自分の罪深い行為に気がついていない点です。
加害者であることに気がつかないまま、人として、社会人として、してはいけない行為を平然と行う罪深い行為をしているのです。
ここがおかしい!好き避け女子
好き避け女子の最大の問題は「自分を欺いている」点です。
好きなのが相手にバレるのが恥ずかしい。怖い。周囲の目が気になる。など理由をあげますが、怖いのは支配を恐れて用心深くなるのはOKとしても、バレるのは好都合です。
遅かれ早かれバレないと恋になりません。
だから、「自分を欺く」必要はないのです。しかし彼女たちはずっと「自分を欺いています」
すでにバレている「好き避け」にどんな意味があるのでしょう?
- 気を引こうとしている
- 周囲にバレることを恐れている
- 恋愛が怖い
- 恥ずかしい
- どうすればいいかわからない
5つの内、「気を引こうとしている」を除けば相手を傷つけるようなことはないはずです。
あるいは気配りができずに、「傷つけてしまう」場合があるかも知れませんが、少ないでしょう。
私の人生から退場して
欺いた結果、好きで好きで毎日、考えずにいられない人に対して、自分が「好き避け」を通じて発信しているメッセージは、「私の人生から退場して」なのです。
同じように、あなたのことを好きで好きで毎日、考えずにいられない人は、どう受け止めればいいのでしょう。
守ってあげたいと思いながら、なにひとつできない「無力感」を持たされるだけになります。
この無力感は、幼い頃から、あなたが感じてきたものです。
あなたを愛した人は、試され、傷つけられた挙句、謂れのない無力感を持たされるのです。
あなたにとって「ゴミ箱」でしかないのです。
謂れなきコンプレックスと罪深い行為の狭間で、相手は「所有物」
正確ではないですが、わかりやすくするためにいうと、謂れなきコンプレックスへの怒りや不安に気をとられて、罪深い行為まで気が回らないのです。
そして罪深い行為の理由をすべて、謂れなきコンプレックスのせいだと勘違いしています。
好き避けと言えばかわいく聞こえますが、実際の好き避け行為というのは、恥ずかしさや照れ隠しを隠れ蓑にした「自分だけが愛されたい」という傲慢な心理からくるものです。
だから嫉妬心はフツーではなく、絶対に許そうとはしません。
相手にばかり愛情を求めはするものの、自分から愛する気持ちが不足しています。
自分が最低だと感じていても抑えることも、止めることもできません。
相手は「所有物」だからです。
親の生き写しだから愛してくれた「貴重」な人を傷つける「復讐劇」
愛が絡んだ関係において、あなたは、親の生き写し、コピーなのです。
だって、原本こそ愛情と思い込んでしまうのは仕方がないことだからです。
人は模倣して暮らしながら、わずかに自分らしさを混ぜていくことができます。
一方、あなたを愛した人は、親の生き写しだから愛してしまった「貴重」な人です。
こんな人は、そうそういるものではありませんが、普通でないあなただから愛したのです。
あなたにとっても、普通でないから離れられないのです。
このままの関係が続くと、SMの世界です。
でも、親の生き写しだから愛してしまった「貴重」な人は、SMにつきあっても、限界に達したら理不尽に耐えられなくなり、去ります。
共依存に見えて、そうでない人の場合はそうです。
共依存な人は、追いかけ続けて、壊れてしまいます。
好きな人に追いかけてもらいたくて仕方がないので、傲慢な気持ちが、好き避け行動に拍車をかけ続けて、壊れてしまうのです。
親子の関係も同じです。
幼い頃の調子で成人しても支配を続けると、社会人として通用しなくなってくるので、破綻が生じてきて、親子の関係性も壊れます。
マインドフルネスが解決する
現在の結果には原因があります。原因があるのと同様に結果もすでにあったのです。
さて、大切なのは結果を変える(作り直す)には、原因を作る以外に方法はありません。
原因はあなたが気づかない要因も含めて多くの要因があるので、慎重に注意深く原因を設計しなければいけません。
これがマインドフルネスです。
恋愛は思いやる心になりきること
そもそも恋愛というものは思いやる心になりきって、思いやりを最上のものに高めて、相思相愛で、幸せなスパイラルを創造する価値あるものです。
どんなに相思相愛なふたりでも、人間である以上はデコボコ道を進んでいくプロセスで様々な出来事に出会い、傷つけることもあれば、すれ違いも起こります。
ところが、自分を理解してくれたことを幸いに、自分だけが愛されるために相手に鞭打つというのは、神を踏みにじるようなものです。
デコボコ道を進んでいくプロセスで人がすることではありません。
これは全く次元が違う単なる憎悪です。
憎悪を原因にすれば結果は負のスパイラルになります。
なぜ、こんなことになるのでしょう。
愛は愛だけでできていないのは、生命そのものだから
愛を与えられなかった悲しみが、愛を貪るのです。
愛を貪るあなたを助けたくて、愛を与えることはできません。
してあげたくても、できないのです。
愛は愛だけでできているものではなく、生命そのものです。
死んだ愛を食べたら食中毒になってしまいます。
愛は健康な人しか食べることができません。
自分の中にある溢れた愛を人に与えてあげられるようになって健康体です。
健康になって、初めて本当の愛を好きな人にも与えられるようになります。
まとめ
愛を与えられなかった悲しみが、愛を貪ります。
あなたは、それに気づいているので、「自分に愛はふさわしくない」という間違ったコンプレックスを持っています。
それは間違いです。あなたには権利があります。
しかし・・・・
愛を貪るあなたを助けたくて、愛を与えることはできません。
してあげたくてもできないのです。
愛は健康な人しか食べることができません。
自分の中にある溢れた愛を人に与えてあげれるようになって健康体です。
健康になって、初めて本当の愛を好きな人にも与えられるようになります。
そして受け取ることもできます。
健康になるまでは、自分で自分に愛を注いであげてください。
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