どうか私の言っていないことを聞いて(チャールズ・C・フィン)

不器用女子

ポエム「どうか私の言っていないことを聞いて」をご紹介します。
実践するために、心に刻んで忘れないようしたいポエム。
こんなポエムもあるんだと知ったところで、誰の役にも立たないポエムです。

気づく、つまり実践するためのポエムです。

安全基地という切実さ

人は、人生初期に安全基地を求めます。
幸運にして得られる人もいるし、不幸にして得られない人もいます。

人生初期に得られなかっら人は、得られるまで求め続けることになります。
ポエム「どうか私の言っていないことを聞いて」に応えてくれる人と出会うと収束するかと言うと、そう簡単な話になりません。

探すことが「癖」になってしまう場合があるからです。
生涯、探し続けることが人生のメインテーマになると、人生は複雑になります。

「もう吐きそうに満腹です」というほど、愛されないと落ち着けないかもしれません。
そこまで愛されても、落ち着かないかもしれません。

傾聴

「傾聴」といいます。

傾聴とは、「耳」「目」「心」を傾けて真摯に相手の伝えたいを聴くことです。

一般に聞く場合のことは、聞こえないことは聞こうとしません。
見えないものは見ないと同じです。

1912年当時世界最大の客船タイタニックは、氷山に衝突した。、1,513人が亡くなった事故。氷山の下に巨大な氷が潜んでいました。

人の心も同じです。顕在化している部分、潜在意識にある部分。
潜在意識にある部分は言葉になりません。それを聞くのが「傾聴」です。

傾聴とは実践

聞くことは、知ることではないと思います。
傾聴とは、実践することではないでしょうか?

たとえば次のポエム、どうか私の言っていないことを聞いて
聞くことで安全基地を持たない人の苦しみを知ります。

それでは傾聴にならないと思います。
どうか私の言っていないことを聞いて」とは、「私の言っていないことを実践して」という意味です。言いたくてもバカにされるのが怖くて、無視されるのが怖くて言えない。
聞いてもらうだけなら、バカにされる、無視されることが、そこまで怖くないでしょう。
実践してほしいから言葉にできない。

つまり「もうそれ以上言わなくていい、行動で示すから」と応えて、聞いたことになります。

 

「どうか私の言っていないことを聞いて」

私に騙されないで。
私がつくろう顔に騙されないで。
私は仮面を干の仮面を被っているから、
それを外すのは怖くて
どれひとつとして私じゃない。
うわべを飾るのは、第二の習性となった技巧。
でも騙されないで、

お願いだから騙されないで。
あなたに、私は大丈夫という印象を与える
すべては順調で、私の内も外も静かに落ち着いているという、
自信が私の名前で、クールなのが私のゲームといった、
水面は穏やかで、私は指揮権を握っているといった、
私は誰も必要としないといった。

でも私を信じないで。表面は穏やかに見えても、表面は私の仮面、
つねに変化し、つねに姿を隠す仮面。
その下に安心の字はない。
その下には混乱と恐れと孤独が居座っている。
でも私はそれを隠す。誰にも知られたくない。

私の弱みや恐れが、むき出しにされると考えるだけで、
私はうろたえる。
だから私は、血迷ったように隠れ蓑をつける
何気ないふうな、洗練された見せかけの仮面を、
うわべを飾る手間けをしてくれる
見按いているといった眼差しから私を守ってくれる仮面を。

でも、そんな眼差しこそが私の救済。
私の知る唯一の希望。
つまり、もしその後に私が受け入れられるのであれば、
もしその後に愛があるのであれば。
それは、私を私自身から解放してくれる唯一のもの
私の自分で築き上げた牢獄の壁から
私があんなにも丹精込めて作った砦から。
それこそが、私が自分自身に確証できないものを、
確証してくれる唯一のもの
私にも実のところ、何らかの価値があるのだと。

でも私は、このことをあなたに言わない。
あえて言わない。怖いから。
私はあなたの眼差しの後に受け入れが、
その後に愛が伴わないのではと恐れる。
あなたが私を劣っていると思うのでは、あなたが笑うのではと恐れる。
あなたの醐笑は私を殺すのだから。
私は、結局のところ何者でもなく、ただ駄目な人間であることを恐れる。
あなたがそれに気づいて、私を拒否することを恐れる。

だから私は私のゲームをプレイする。命がけの、扮装ゲーム。
表に確信のうわべをつくろい、内なる子どもは震えている。
そうしてきらびやかな、けれど空虚な仮面のパレードが始まる。
私の人生は前線となる。
私は無為に、口あたりのよいうわぺだけのおしゃべりをする。
本当のところどうでもいいことは、全部あなたに話す。
本当に大切なこと、私のなかで泣いているものについては、
何ひとつ話さない。

だから私が、私の決まりきった私を演ずるとき、
私の言っていることに騙されないで。
どうか注意深く聞いて、私が言っていないことを聞いて
私が言ってみたいことを、生き延びるために
言わなくちゃならないのに、
私が言えないでいることを闇いて。

私は隠れたくない。
うわべだけのいんちきゲームはしたくない。
そんなゲームはやめてしまいたい。
私は本物で、自然で、私でありたい、
でもあなたが助けてくれなくちゃ。
あなたの手を差し伸べてくれなくちゃ、
だとえそれが、私が一番嫌うことのように見えても、
私の目から生ける屍のうつろな凝視を拭えるのは
あなただけ。

私を生に呼び戻せるのは、
あなただけ。
あなたが親切で寛容で励ましてくれる時、いつも
あなたが本当の気遣いから理解しようとしてくれる時、いつも、
私のこころに翼が生え始める。
とっても小さな翼、
とってもかよわい翼、
でも、それは翼!
私の感情に触れるあなたのパワーで、
あなたは私に命を吹き込める。
あなたにそのことを知って欲しい。

あなたが私にとってどんなに大切か、知って欲しい。
あなたは私という人聞の創造者。
そう、真面目な話、
創造者になりうることを、
もしあなたがそうしたいのならば。

あなただけが、私がその後ろで震えている壁を取り崩せる。
あなただけが、私の仮面を取り払える。
あなただけが、うろたえと半信半疑の私の影の世界から、
私の孤独な牢獄から、私を解放できる。
もしあなたがそうしたいのならば。
どうかそうして。私をやり過ごさないで。
あなたにとってやさしいことではないはず。

自分は役立たずとの久しい確信は強大な壁を築く。
あなたが私に近づくほど私はより盲目的に
はね返すかもしれない。
それは不合理なこと、だけど本に書かれている人間とは違って、
しばしば私は不合理。

私は欲しくてたまらない、まさにそのものに対して闘いを挑む。
でも愛は、強大な壁よりも強いと人は言う。
そしてそこに私の希望はある。
どうかその壁を打ち壊して、
堅固な手で、
でも優しい手で、
子どもはとても敏感だから。

私は誰、とあなたはいぶかるかもしれない。
私はあなたがよく知っている人。
私はあなたが出会う、あらゆる男たち、
あなたが出会う、すべての女たちなのだから。

チャールズ・C・フィン 作

 

特別な一日のために

見えないもの見ようとし、聞こえない言葉を聞こうとする人がいても、
時の移ろいの早さに気にかけなくなりやり過ごす。
やがて見てほしいもの、聞いてほしいことは気後れという闇に隠れたままになり、こんなものだと、人生をあきらめ、生ける屍になる。

幸か不幸か、先進国と言われる国々には、あきらめても過ごしていける「どうでもいいもの」が山ほど用意されていて、生ける屍になることさえ大した痛みを伴わない。

チャールズ・C・フィンの詩には、人間の真実があります。
ここに綴られている人は、特別な人のようでありながら、実は私が、あなたが、業績を語り合う職場で、ふと心通わせる場で、出会うあらゆる男たち、女たちなのです。

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