1977年8月16日テネシー州メンフィス/Good Rockin’ Tonight!

エルヴィスがいた。

エルヴィス・プレスリーが、サンレコードで録音した曲を分類すれば主にロカビリーでしたが、キャリアを重ねるうちに、ロックンロールに比重を移していきました。ロックンロールに対して当時は明確な基準がなかったのでしょう。サンレコードでの音源がカラフルなのは、いろいろ混ざって楽しいからです。

「今夜は快調!」と邦題がついた、Good Rockin’ Tonightこそは、正真正銘の世界初のロックンロールでした。

エルヴィス以前には何もなかった

「エルヴィス・プレスリー以前には何もなかった」という言葉はジョン・レノンの有名な言葉ですが、その意味をジョン・レノン自身が理解していたか疑問です。当たり前ですが、なにもなかったのです。エルヴィス自身にとってもです。

エルヴィス・プレスリーは最初カントリーミュージックを歌うことが本当の野心であるとカントリーの先人たちに話しており、最初のナンバーワン・ヒットは「忘れじの人」でした。初期のエルヴィスは、社会情勢、音楽的環境からカントリーパフォーマーとツアーをやっていました。

この時期にエルヴィスは、カントリーパフォーマーから「歌手を辞めてトラックドライバーになった方が良い」と忠告もされました。

エルヴィスのバンド、スコティ・ムーアとビル・ブラックはThe Starlite Wranglersと呼ばれるヒルビリーバンドで演奏していました。当時、スコティ・ムーアはメルル・トラビスとチェット・アトキンスの影響を受けており、ビル・ブラックは、ヒルビリーバンド、マドックス・ブラザーズ&ローズのベーシスト、フレッド・マドックスの影響を受けていました。

つまり一部から「エルヴィスは黒人の音楽を盗んだ」と言われますが、全く当たらないのです。事実、1956年にジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュと一緒にジャムし、お気に入りの曲のいくつかを歌ったとき、エルヴィスは主にアーネスト・タブ、ビル・モンロー、ハンク・スノウなどのカントリーソングを歌っています。(有名なミリオンダラーカルテットです)

全く新しいなにかが誕生するとき、人は言葉で考え、言葉で表現します。つまり既成の価値観に縛り付けようとします。既成の価値観に収まらないものが誕生したらどうすれば良いのでしょう。

ユニークな事例があります。エルヴィスの音楽をラジオで聴いた時、得体の知れないなにかに突き動かされて、深夜に夢中で車を走らせていた女性の話があります。

1977年8月16日テネシー州メンフィス

1977年8月16日テネシー州メンフィス エルヴィス・プレスリー通りにあるグレイスランドと呼ばれる邸宅。火曜日午後2時すぎ浴室に倒れているエルヴィス・プレスリーを恋人が発見、救急車が駆け付け、現在のメンフィス・エルヴィス・プレスリー・メモリアル病院に移送された。
特別編成された緊急医療チームが心臓機能回復チームが蘇生を試みたが、午後3時30分、無情にも死が宣告された。「死因は心臓の不整脈、一般には心臓マヒと呼ばれている」と発表された。43歳の死だった。

エルヴィスの急死の報道が全世界に流された午後5時には、グレイスランドには1000人が集まっていた。
6時には3000人、7時前には数万人に達していた。

翌日には推定13万人がグレイスランドを取り囲んでいた。
200名の警官が群集の整理のために、120名の医療チームが暑さと悲哀、疲労で倒れる人々の手当てのために、グレイスランドに配備された。
葬儀にはジャクリーン・ケネディ元大統領夫人、ジョン・ウェインらアメリカを代表する顔ぶれが参列したが、人々は泊まるところもなく、アスファルトの路上で夜を明かした。

富と名声を獲得しながら、原因は自身にあったにせよ、妻の不貞に苦しみ、心のよりどころを失い、聴衆に命を見い出し、ひたすら歌うことを自分の使命として、無防備なまでに、こころのおもむくままに最後の最後まで魂を燃焼しつくして散っていったキングの死に世界は泣いた。

何が彼女をそうさせた?

いまほど女性の権利が認められていない時代、1954年にラジオからエルヴィス・プレスリーの音源が流れた夜、アメリカの若い女性が深夜に行くあてもなく、車を走らせたということが起こりました。彼女は動かずにいられなくなったと言います。こんなことが誰にも起こったわけではありません。つまりラジオから流れたエルヴィス・プレスリーの音源は同じでも、耳に入ってきた音楽は、ひとりひとり違ったのです。

なぜならひとりひとりの内で、阿頼耶識が表層心との間で創り出した音楽だからです。2年後の1956年にメジャーデビューするとレコードの生産が追いつかず競争他社の工場を借りて生産する事態になりました。聴こえてくる音源はひとりひとり違うが、受け手の阿頼耶識を揺さぶり再現させる強い力が自分の内部に、あるいは内部を高める力が音楽にあったことになります。
阿頼耶識に蓄えられた記憶はひとりひとり違い、聴こえる音色もそれぞれですが、なにかを解き放ちたい、なにかをしなければ、なにかが「阿頼耶識縁起」として届き、再現する力を引き出したのです。

このとき、一部の地方を除きエルヴィス・プレスリーは初登場ですからリスナーに過去の記憶はありません。音源を再現する力はないリスナーの内面に縁(きっかけ)となるもの、つまり阿頼耶識が先にあり、水のように隅々まで浸透する力のある音源の刺激が縁になり、リスナーひとりひとりが過去の宇宙を再生して行動を引き起こしたことになります。
さらにコンサート会場に女性は集まり、スローガンもなく連帯しました。いまではありきたりな光景になりましたが、実際には大きな違いがあるように思います。

スローガンもなく連帯する

スローガンもなく連帯した「エルヴィス現象」は予期せぬできごとでした。
ウッドストックのコンサートも同じです。一度起これば味をしめて再現を願うのは世の常、しかし現実は仕掛けがないと起こらないのも世の常。スローガンもなく連帯することは、ウッドストック・フェスティバルを別にすればないでしょう。

この話は裏返すと、すべてを生じる可能性が自分にあるという証明であり、祈りとはなにかという問いのヒントです。祈りの正体は、可能性を引き出す選択をし行動することです。
神頼みなんかくだらないと、否定することで、自分を見下すことは、絶対にやってはいけません。神頼み(外界)を縁(モチベーション)にして、内面で選択と行動を生起するしかありません。心すべきはそのときの可能性が無限大だということです。

エルヴィス・プレスリー、世界を解放したアルバム

とっても大事なことです。
一つ残らずすべての選択(=思考)が、阿頼耶識に影響を与えるのです。思考が散漫になっていると可能性はどんどん小さくなります。集中が足りないと思考は乱反射して方向が定まりません。自分の欲しいものがはっきりわかっていないからです。望みがかなえられないのは、阿頼耶識が働いてくれないからではなく、阿頼耶識が方向を見つけられないのです。それは私たちの問題です。一度にたくさんのことを「望んで」いるのが問題なのです。少ないほど深くなるという約束を度外視しているからです。

人間は平均して、一日に6万の物事を考える。このうち、98パーセントは前日のくり返しだといいます。つまり、6万個の思考のうち、新しい思考は1200個程度で、それ以外はすべて前日とまったく同じ思考だというのです。

つまり脳は、自動思考、マインドトーク(マインドワンダリング)という雑念に乗っ取られた状態で、無限大の可能性にチャレンジすることなど不可能に近いことを表しています。

動物園で暮らすライオンのようです。つまり機械に支配され仮想空間に過ごす人類を描いた映画「マトリックス」と同じ状況なのです。

支配されているとは、空中を縦横無尽に飛び回っているテレビの電波のように、他人の思考もまた否応なしにあなたのところへ押し寄せてくきます。大量のCMによる洗脳アプローチが最たる事例です。あなたは無意識のうちに、文化、宗教などに影響されている。たとえ意識的に取り入れているつもりがなくても、影響は避けられません。

エルヴィス・プレスリーはエルヴィス・プレスリー

人には、無限大の可能性があるのに気づいていない。信じられないかもしれませんが、阿頼耶識によってもたらされる思考は強力です。望みのものを手に入れる力はまだ弱いかもしれないが、力そのものはとても大きい。疑いは一つも持たずに、すべての思考を使って、自分はできると信じることです。身の回り品から医療・宇宙開発に及ぶあらゆる事象でニュートンの運動3法則がアプローチするように、すべての作用には、同じ力の反作用があります。

「祈り」を送り出すときも、まったく同じものが返ってきます。
祝福を送れば、自分も祝福される。

それは決して簡単なことではありません。

事実半数以上が、ネガティブな発想にとらわれ過ぎています。

エルヴィス映画の他愛のなさも自然現象

エルヴィス自身がエルヴィスをパロディ化した「エルヴィス映画」の他愛のなさはどうでしょう、美空ひばりの映画もそうですね。
お姫さまと町娘の二役、助けるイケメンというパターンは、美空ひばりを見るための装置として大いに貢献したのです。エルヴィス映画もエルヴィス・プレスリーを見るための装置として大いに貢献したのです。

むしろ問題は冒頭に話したように、デビューしたばっかりのエルヴィスに「君は歌手を辞めてトラック運転手になった方が良いよ」ともっともらしく言ったミュージシャンがいたことです。

人は自分が得た情報で培った価値観でしか話せない事実に背いて、もっともらしく語る生き物なのです。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

エルヴィスの音楽が最初にどのように説明されたかのいくつかの例。

1955年5月13日のインタビューでエルヴィス・プレスリー自身「まあ、私は自分自身の音楽に名前を付けたことがありませんが、多くのディスクジョッキーは私をボッピン・ヒルビリーと呼んでいます」

American Statesman 1955:「エルヴィス・プレスリーはヒルビリー音楽、ハーフバップハーフウエスタンへのアプローチを持っています」

1955年5月26日の公演前に紹介されたとき、
「エルヴィス・プレスリーがどのような音楽を歌うのか、はっきりと決着したことはありません。カントリーミュージックと呼んでいますが、確かなことは活気のあるカントリーだということです。」

1954年10月14日:「エルヴィス・プレスリー、私たちの自家製ヒルビリー歌手」
今夜は快調!」と邦題がついた、Good Rockin’ Tonightが、自然体で答えを出していたのです。

 

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