2022-05

エルヴィスがいた。

ワン・ナイト/ONE NIGHT:1957

シンガーソングライターに関心のなかったエルヴィスらしさが際立つ<ワン・ナイト>はファッツ・ドミノの名作を数多く手がけたデイヴ・バーソロミューがパール・キングと共作したニューオーリンズR&B。B面に<アイ・ガッタ・スタング>でシングルリリース、両面ヒットでミリオンセラーを記録。
エルヴィスがいた。

マイ・ハッピネス/My Happiness:1953

嫌われたってヒトは誰でも好きなことは得意になれるという特長は、すべての生きる人々への大きな励ましになりました。 エルヴィスからのメッセージを感じ取れたヒトは、もっとも早く反応しました。エルヴィスが3ドル98セントを支払って録音した「マイ・ハッピネス」はエルヴィス自身の幸せになりました。
エルヴィスがいた。

横町を下って/Down In The Alley:1966

エルヴィス・プレスリー、心の旅は、リズム&ブルースで横町を下った先にあった。Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,超絶!エルヴィス・ブルースが闇夜を切り裂きます!
エルヴィスがいた。

明日は遠く/Tomorrow Is A Long Time:1966

「明日は遠く」はボブ・ディランの作品。エルヴィス・プレスリーが1966年に発表した当時、 ボブ・ディランのレコードは発売されておらず、エルヴィスはフォーク歌手のオデッタのレコードをよく聴いていたと言われています。アコースティックギターをバックに5分を超える味わい深いパフォーマンスには強く惹かれる点は、ディランが称賛するのも当然の曲。
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エルヴィス・プレスリーの悲しき街角/Runaway:1970

「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれることをエルヴィスは好まずとも、この名曲が印象を深めます。孤独な男の心中を語る神の声のようにスイートインスピレーションのコーラスが響きます。エルヴィスの解釈と力のある声が、抗っても抗っても堕ちていく無力感を強調、舞台劇を見るようなダイナミックさを称賛するオーディエンスの拍手喝采が共感を生みます。
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愛していると言ったっけ/Have I Told You Lately That I Love You:1957

「愛していると言ったっけ」は映画「さまよう青春/Loving You」のアルバムに収録されていたエルヴィスならではのロカバラードで、最初は「打ち明けるのが遅かったかい」というタイトルでした。 告った喜びを胸に、足は彼女のハートをつかんで、龍...
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やさしく愛して/Love Me Tender(ラブ・ミー・テンダー)

やさしく愛して、甘く愛して、決して僕を放さないで。人生を満たしてくれた君をとても愛してる。キング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーの名曲バラード「ラブ・ミー・テンダー」です。
特選ソングス

美しきアメリカ/America the Beautiful

1977.11月、エルヴィスの死後に「美しきアメリカ」が、「マイウェイ」とのカップリングで両A面扱いでシングルリリースされたのは、9.11に傷ついたアメリカ人を癒し対応したからです。エルヴィスは75年からコンサートのレパートリーに加えていました。
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エルヴィス・プレスリーの「Hurt / 心の痛手」

エルヴィス・プレスリー70年代の名曲「心の痛手」は、ナットキングコールが歌った「If I Give My Heart To You」の作者ジミー・クレインとアル・ジェイコブスが1953年に共作、「ユール・ナヴァー・ウオーク・アローロン」「アンチェイド・メロディー」などR&Bヒットで知られるロイ・ハミルトンが、1954年にヒットさせた楽曲をカヴァーした。
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ブルームーン・オブ・ケンタッキー/Blue Moon of Kentucky

1954年7月7日、サムは「That's All Right /Blue Moon Of Kentucky」のシングル・アセテート盤を持ってラジオ局を回った。その夜9時30分頃、ラジオで放送された。その日エルヴィスは自分の歌がラジオから流れることの恥ずかしさから映画館に逃げ込んでいた。結局5000本のリクエスト電話が殺到した。
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ラスベガス万才/ Viva LasVegas

「ラスベガス万才」はアン=マーグレットのエルヴィス・プレスリー入隊騒ぎを映画化した「バイバイ・バーディ」を撮ったジョージ・シドニー監督の作品。エルヴィス・プレスリー主演映画の15作品目にあたる。エルヴィスが主演した全31作品中、ベスト3に入れたい傑作であっという間に終わってしまう面白さだ。
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ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogie:1955

1955年1月にエルヴィス20歳の誕生日にリリースされたサンレコードから3枚目のシングルが、ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogieでした。B面にはユーアー・ハートブレイカーというミディアムアップのカントリーナンバーでした。両面ともスコティ・ムーア、ビル・ブラックがバック。
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ビートな言葉|シ

『きみの生を生きぬけ、と人は言う。僕はきみの生を愛しぬけ、と言おう。』ジャック・ケルアックらビートジェネレーションが発した言葉の数々を筆頭にSOUL電波ビリビリのロックンロールな言葉、ビートな言葉を集めました。元気の源になる言葉があなたを応援します。
エルヴィスがいた。

ロックンロールで爆破された壁の向こう側

カウンターカルチャーとしてのロックンロールは、1935.1.8.に誕生したエルヴィス・プレスリーの両親がそうであったように、心優しい 人たちが自分たちの土地から追い出され、路上で放浪させられて、飢えに迫られていく。故郷を捨て自分達の進む道をカリフォルニアに見出そうとする。30年代の悲しみと不安を描いたスタインベックの小説「怒りの葡萄」の時代に遡る。