ライク・ア・ベイビー/Like A Baby

リコンシダ・ベイビー/エルヴィス・イズ・バック エルヴィスとは何者だったのか。

時は2024年。レコーディングは1960年。エルヴィスが宇宙に帰ったのは42歳の時だった。宇宙に帰ってすでに47年が過ぎた。エルヴィスは依然としてキングである。

ライク・ア・ベイビー/Like A Baby

エルヴィス・プレスリ0ライク・ア・ベイビー/Like A Baby』は、50年代にR&Rの名曲を数多く作っているジェーシー・ストーンズがエルヴィスのために作詞作曲したブルースナンバー。ミディアムアップなエルヴィスの歌唱スタイルと相性も抜群のノリノリで雰囲気を盛り上げ絶好調。名曲「リコンシダ・ベイビー(考えなおして)」に続いてブーツ・ランドルフのサックスも絶好調。

人種の壁も、音楽の壁も取り除いた懲罰的な2年間のドイツの兵隊暮らしのナンのソノ、1960年3月の除隊後3月20〜30、4月3〜4日という2度のレコーディングで4月に超スピードで店頭に並ぶという神技を発揮してミリオンセラーを記録。なかでも本曲は、ジェームス・ブラウンが63年にカヴァーしてヒットさせている。それを聴いたエルヴィスがジェームス・ブラウンのグループと一緒にやりたいと熱望したというのも微笑ましい。

YOU TUBEで詳しく解説されているので、ぜひご見物していただきたい。

イントロからただならぬ雰囲気を予感させたかと思うと、妖しのアブノーマル的なカッコ良さを出せるエルヴィスのパフォーマンスは異次元の天才としか言いようがなく、なんといってもエルヴィスのヴォーカルが、エキセントリックにセクシーでマックス、艶やかでヌレッヌレに濡れた声が全開で、オーラに圧倒させられる。深夜にラジオから聴こえる声に、無我夢中で車を走らせた女の子の気持ちがわかる気がします。

この凄まじい美声は、入隊中の休暇を利用して録音した「ア・フール・サッチ・アズ・アイ」と双璧と言ってよく、とろけてしまいそうになる。それにしてもブルースと言えば決まって同じ表現になる我が国のミュージシャンと違い、常に我が道を征くエルヴィスの潔さがカッコイイ。この潔さこそロックンロールを世に送り出した原動力です。

つまりエルヴィスなしにロックンロールは誕生しなかったのです。それを知っていたのはサム・フィリップスであり、白人のロックンローラーたち、黒人のR&Bマンだった。サム・フィリップスが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を聴いた瞬間、「これは違う」と思ったはずだし、「火の玉ロック」で世に出たジェリー・リー・ルイスもなに食わぬ顔をしていたものの、自分の思い描いていた音楽と違うと思ったはずだ。黒人ミュージシャンたちは、エルヴィスが自分の歌をカヴァーしても「取った」とは言わなかったし、自分たちも白人の世界に進出できると思ったが、パット・ブーンらが歌うと文句を言った。自分たちへの畏敬の念が感じられなかったからだ。

次回は「群衆の中のストレンジャー/Stranger In My Own Home Town 」でより多彩でブラッキーなエルヴィスを聴きましょう。もうどうしたらいいのかわからなくなります。

エルヴィス・オン・ステージ(デラックスエヂション)
エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか
1.Make Me Know It /きみの気持を教えてネ
2. Fever /胸がもえたぜ
3. Girl of My Best Friend, The /奴の彼女に首ったけ
4. I Will Be Home Again /キット帰ってくるからね
5. Dirty, Dirty Feeling /すさんだ気持
6. Thrill Of Your Love /恋のスリルに比べれば
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7. Soldier Boy /固い枕の兵隊暮らし
8. Such A Night /キッスにしびれた
9. It Feels So Right /いかすぜ!この恋
10. Girl Next Door Went A’Walking /隣のあの娘
11. Like A Baby /ライク・ア・ベイビー
12. Reconsider Baby/考えなおして

エルヴィスとは何者だったのか

エルヴィスが世の中に発信したロックンロールは黒人の間で流通していたR&Bとは異質のもので白人による全く別物である。
戦後に登場したエルヴィスの音楽とはカントリー&ウェスタンとR&Bをごちゃ混ぜにしたものである。というと黒人からR&Bを盗んだ、コピーしたというかもしれないが、エルヴィスの身体に脈々と流れていたのは幼い頃から親しんできた教会音楽、ゴズペルである。その意味でカントリー&ウェスタンも同じである。事実、黒人のR&Bでは白人の間での成功は難しかった。エルヴィスがしたこと
上の図はエルヴィスがやってのけた一部です。エルヴィスは歌うことで、境界の垣根を乗り越えたのです。
映画「天使にラブ・ソングを2」で、黒人の生徒が白人の同級生に、「お前らは何でも真似しやがる、少しは自分で何か創ってみやがれ」とケンかを売るシーンがあるが、この台詞の背景には、黒人は「発明」はするが、大衆的成功は「真似した」白人がかっさらってしまうという皮肉な構図に対する憤りがある。しかしその憤りは広大なアメリカのごく一部しか捉えていないのです。
もしも黒人からR&Bを盗んだものをロックンロールと呼んでいたにすぎなかったとしたら、アメリカの家庭にエルヴィスのレコードが最低一枚はあるというようなことが起きただろうか。実際に私は自分の目で確かめたことがある。
Perfect Elvis Presley: The Movie Soundtracks 20 Original Albums [Box Set]
アメリカの家庭にあるエルヴィスのレコードとは「さらばふるさと」であったり、「サレンダー」であったり、「ラブ・ミー・テンダー」であったりするのだ。ビートルズが言うようなエルヴィスは英国人の勝手な思い込みであり、エルヴィスは、ギターひとつで、楽天的な風土が根強いアメリカの地方からアメリカンドリームを実現した稀有な若者であり、それはまさしくアメリカという新天地にやってきたよそ者たちの代々受け継いてきた悲願の体現者だったのだ。ヒット曲を連発したからアメリカンドリームを具現化しわわけではなく、アメリカにいくつものあった境界を超えたからなのです。
この図では産業に触れていませんが『産業+労働力』でも果たした役割は大きかった。
エルヴィスに、ジャンルも人種も地域も関係なく、音楽はいのちをキラキラしてくれるものだと言いたかったのです。それはサン・テグジュペリが描いた『星の王子さま』に出てくるキツネにと王子のエピソードによく似ています。
小麦に縁のないキツネにとって星の王子さまと過ごした時間の想い出によって小麦畑に吹く風の音が音楽のように聴こえることでした。エルヴィスは自分の歌がそういうものになって欲しいと思ったのです。エルヴィスはロックが批判された時、「音楽にいいも悪いもないし、僕はそんな教育を受けたことはない」と真っ向から対抗したものです。

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