エルヴィスはテキサスで、エルヴィスの熱烈なフォロワーであり、ビートルズが真似をしたバディ・ホリー(クリケット)と一緒に歌っている。
その後、1956年1月10日、21才になったばかりのエルヴィス・プレスリーがナッシュビル・Bスタジオで録音したR&Bの大ヒット曲<マネー・ハニー>はドリフターズのオリジナルだった。
1953年にヒットチャートナンバー1になっているだけあって、エルヴィス・バージョンも脚の動きが目に浮かぶ快調な仕上がり、甘さとニヒルさが荒削りの中で見事に融合、若々しいヒーカップ唱法とウッフンフンの声が永遠に忘れられないナンバーだ。
多くのヒットを放ちドゥー・ワップのルーツとして、べン・E ・キングらのスターを雛出しているザ・ドリフターズ。彼らは53年にR& Bチャートのナンバー・ワンにこの作品を送り込んて’いる。
その時のリード・ボーカリストは<A Lover’s Question>など、ソロとしてもたくさんのベスト・セラーを発表しているクライド・マクファーターで、エルヴィスが彼を意識して歌っているところが聴きどころにもなっている。それにしても、デビューしたばっかりのエルヴィスの色っぽさには見事としかいいようがない。
音楽に精通しているファンにとって「ザ・ドリフターズ」とはクライド・マクファターを意味するが、彼がそのグループと一緒だったのはわずか1年間である。マクファターは1950年から3年間、ビリー・ワード&ザ・ドミノスのリードテナーだった。ザ・ドミノスの成功の大部分を担っていたのがマクファターの甲高いテナーだった。エディ・コクラン、ワンダ・ジャクソン、ライ・クーダーほかがレコーデインクしている。
エルヴィス・プレスリー3つの顔
エルヴィス・プレスリーには3つの顔がある。あなたの好きなエルヴィシはどれですか?
- ロックンロールを発明したロックンローラーとしてのエルヴィス。
- 映画スターとしてのエルヴィス。
- エンターテイナーとしてのエルヴィス。
- 一貫していたのは「キング・オブ・ロックンローラー」だった、
日本では日本文化の諸般の事情から映画スター、エルヴィスの顔が一番強い。
なぜエルヴィスは死んでも生きているように愛されているのだろう。
エルヴィスとは何者だったのか
エルヴィス・プレスリーは、1935年1月8日午前4時35分、ミシシッピ州イースト・テュペロの小さな家で生まれた。そして42年後の夏、1977年8月16日テネシー州メンフィスグレイスランドで亡くなった。42才だった。今年生きていたら89歳だった。つまり死んでからの方が長い。
なぜ死んでもエルヴィスは忘れられないだろう。そこにエルヴィスが愛された本質がある。
「星の王子さま」という作品をご存知でしょうか。この童話は200以上の国と地域の言葉に翻訳され、世界中で総販売部数1億5千万冊を超えており、今もなお読まれ続けていいます。そこに作中で幾度となくつづられる言葉があります。
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」
おとなたちは、お金や経歴、数字など表面的なもので何が大事かを判断します。でも王子さまは、どんな秘密が隠れているのか、その人とどんな関係を結んでいるのか、そのものにどれだけ時間を費やしたか、といったことにたいせつなものは隠れていると考えます。
みんなが無意識にそのことを知っているからです。エルヴィスはことさらメッセージを主張したり、作詞作曲することなく、ひとが大切にするべきことやものを訴えています。ミュージシャンになる前はトラックに乗って運搬していました。死んでもエルヴィスはせっせと目に見えないものを運び続けています。
レコードが商品として社会に出回る前、音楽は音符で販売されていました。レコードが商品化されるとプロの歌い手が誕生しました。同じ音符をどう歌うかが競うようになりました。エルヴィスは黒人の歌い手が歌っていたものを誰でも聞くことができるように歌いました。たとえば<トウッティ・フルッティ>や<のっぽのサリー>は黒人シンガー、リトル・リチャードのオリジナルですが、白人シンガー、パート・ブーンのバージョンとエルヴィスのバージョンでは随分違います。リトル・リチャードは白人らしさ溢れるパット・ブーンを毛嫌いしましたが、エルヴィスとどう違ったのでしょう?
エルヴィスは、カヴァーしても誰の真似もしないシンガーです。その点ではレコード会社の依頼で、白人盤に執着したパット・ブーン盤も同じですが、エルヴィス盤は、ロックンロールが溢れていることが一瞬でわかります。エルヴィスには原曲を尊重しながら、自分のスタイルがあるだけでなく、畏敬の念が溢れています。その延長にエルヴィスは、人間はみんな同じだと言わんばかりに、黒人の音楽を白人の音楽と融合しました。
肌の色も階級も関係ないんだ。やりたいことをやればいいんだと、エルヴィスは歌うことが好きだったので、サンレコードのサム・フィリップスの夢を手伝うように、自分の夢を追いかけて歌手になりました。エルヴィスは作詞作曲もしませんでしたが、エルヴィスのセンスで、ブルース、バラード、どの曲もエルヴィスが考える最高になるように、自分でアレンジしました。<ミステリー・トレイン>はリトル・ジュニアズ・パーカーのものとは同じ曲だと思えないほど違います。
エルヴィスは音楽のルーツを大切に、自分ができないことを歌うのではなく、自分にできることを自然体で現実的に実行したのです。
あなたが街を歩くとき、傷んだとことがあれば修復するように、ゴミが落ちていたら拾うように、できることをただ実行したのです。傷ついて凹んでいる人がいたら癒して元気にしたのです。おそらくエルヴィスは母グラディスから学んだことだったのでしょう。なので、エルヴィスから「執着」というものがほとんど探ることができません。
エルヴィス・プレスリー出現以前にエルヴィスはなく、エルヴィスがやりたいことをやったら、「もう、これ以上、お前の思い通りにさせない。指一本でも動かしたら監獄に収監する脅し」もエルヴィスには通じず、軍隊に召集され西ドイツに送られました。法に抵触しない体裁の良い監獄送りです。
ビートルズに対しエリザベス女王が勲章を授与するとしたのと真逆の評価だ。わずか10年ほどの間にロックンロールへ評価がすっかり変わったのも、アメリカの於いて「公民権運動」が成立したことにある。それも「執着」しないことが世の中を変えたのです。
「執着」しないことが世の中を変えたというと、信じない人がたくさんいるでしょう。
大事なことは自分にできることをすればいいのです。
Money Honey:エルヴィス・プレスリー登場!
<ブルー・スエード・シューズ>で始まって<マネー・ハニー>で終わる全12曲。RCA第1作の記念すべきアルバム『エルヴィス・プレスリー登場!』に収録されていた。
エルヴィスの記念すべきファースト・アルバムにして「キング・オブ・ロックンロール」を決定的にしたアルバム「エルヴィス・プレスリー登場!」には、54年にサンで録音した<アイ・ラブ・ユー・ビコーズ>も収録されている。1954年~1956年1月までのまさにエルヴィスが地方のインディーズ・レーベルからメジャー・デビューを果たしたその瞬間が収録されている。
シングルカットはなく、EP盤で<ハートブレイク.ホテル><ただひとりの男><忘れじの人>と併せて収録されトップ100にチャートインしただけでなく、永遠のアイコンにした。
日本ではエルヴィス10周年記念も兼ねたのか「ゴールデン・スタンダード・シリーズ」として1965年12月と1966年1月の2回に分けて12枚のシングル、65年早々から66年にかけて「プレスリー・ゴールデン・コンパクト・シリーズ」として21枚のEP盤がリリースされた。
<マネー・ハニー>は1966年1月15日に、B面にはやはりアルバム『エルヴィス・プレスリー登場!』から、同アルバム中、エルヴィスが一番好きだったという<ワンサイド・サイデッド・ラブ・アフェア>を収録してシングル(SS-1665)リリースされた。
つまりこのシングルは中も外もエルヴィスのいい味が存分に発揮されているお宝シングルである。
大家が玄関のベルを鳴らしたが
しばらく返事をしなかった
カーテンの隙間から覗いて聞いたのさ
一体俺に何の用かってね
そしたらこうさ、money honey,money honey,money honey
わしと上手くやっていきたいんならね
憂轡な気分で廊下を戻り
そして彼女に電話した
やっと連絡ついたのが3時半頃さ
何の用かって聞かれて
俺はこう言った、money honey,money honey,money honey
俺と上手くやっていきたいんならね
どうかしたのって彼女に聞いたら
俺たちの仲は終わりだって言う
はっきり答えてくれよ、ベイビー
なんで他の男が俺の代わりをしてるのか
そしたらこうさ、money honey,money honey,money honey
あたしと上手くやっていきたいんならね
これでよくわかったさ太陽は輝き、風は吹く
彼女も次々変わってく
でも”愛してる”なんて言う前に
俺の欲しいのは、money honey,money horey,money honey
俺と上手くやっていきたいんならね
文化的アイコン〜存在そのものがエルヴィス
エルヴィス・プレスリー、マリリン・モンローはミッキー・マウス、ジョン・ウェインと並ぶアメリカを語るCultural iconである。存在そのものが国を語っている。
You know the landlord rong my front door bell
l let him ring for a long long spell
l went to the wlndow and peeped through the blind
And asked him to tell me what was on his mind
He said money honey, money honey, money, honey
If you wanna get along with me
Well, I streamed down the hall and I was so hard pressed
l called the woman that I Iove the best
l flnoliy got my baby ‘bout a half post three
She sald l’d like to know what you want with me
I sald money honey, money honey, money honey
If you wanna get along with me
Well I said tell me baby what,s wrong with you
From this day on our romance is through
l said tell me baby face to face
How could another man take my place
She said money honey, money honey, money honey
If you wanna get along with me
Well, l’ve learned my lesson and now, I know
The sun may shlne and the winds may blow
Women may come ond women may go
But before i’ll say I Iove ‘em so
l want money honey, money honey, money honey
If you wanna get along with me
オリジナルアルバムから、カットする、逆に増やすの違いはあれど、CDショップに並んでいるアップグレード盤とは、それと同じである。売るためには12曲では弱いとして本来のアルバムに関係のないものが収録されている。このため新しいファンは意識することなくオリジナルのアルバムの性質から遠のいているのだ。
<ハートブレイク・ホテル>はシングル盤であった。それがなぜ『エルヴィス・プレスリー登場!』に収録されているのだ。<本命はおまえだ>はシングル盤であった。それがなぜ『エルヴィス・イズ・バック』に収録されているのだ。それらは『ゴールデン・レコード』に収録されていたし、それゆえ『ゴールデン・レコード』も特別な意味を持っていた。世界を変えたアルバム『エルヴィス・プレスリー登場!』の価値はどこに行ったのだ。
トム・パーカー大佐は悪の権化のように語られるが、悪玉にしても悪女にしても水戸黄門の悪玉のように簡単ではない。money honey,money honey 一途の大家にしても、時にお裾分けと言ってはベルを鳴らす。
シングル・リリースしたものはアルバムに入れないのがトム・パーカー大佐が貫いた主義である。後になってサントラ盤こそ”シングルカット”して”シングル・リリース”したが、この方針は50~60年代一貫していた。
したがって『ゴールデン・ヒム』に収録された<クライング・イン・ザ・チャペル>の場合には例外の扱いが施されているのはジャケットが語っている。
そこには「シングル盤」の重みがあった。そして間違いなくエルヴィス・プレスリーは「シングル盤」を核にしてきたミュージシャンだったし、だからこそ若いファンが自分で買うことができた。
世の中は便利になった。『スターウォーズ』をはじめDVDにはメイキングも収録されている。どちらから先に観るかはユーザ次第である。しかし本編より先にメイキングを観るというのは、映画を観ているとは言いがたい。
同じことがアウトテイクを集めたアルバムにもいえる。
正式に作品としてリリースされたものを聴かずにアウトテイクを聴くとうのはおかしくないか?
アップグレード盤、アウトテイク集、ブート盤、中古CD、ビデオにDVD。便利の使い方が問われていないだろうか。映画『監獄ロック』のカラー・バージョンなんてコレクター向けの余計なお世話でしかない。
<ブルー・スエード・シューズ>はその出だしにこそ、エルヴィスの奇跡とも呼びたい素晴らしさがある。盤が回り、針が精霊を削るように走るその瞬間にエルヴィスの感情の大噴出がある。それが<ハートブレイク・ホテル>によって弱められていないか?それはリスナーの責任でもないし、リスナーも被害者である。money honey,money honey,money honey、売ることと鑑賞の狭間でエルヴィスが雑に扱われるのはつらいし、なによりリスナーの損失なのだ。敢えて言うなら、アップグレイド盤は叩き割ろう。(冗談です!)
少しキツすぎるが、ジャケットとタイトルだけ引用したまがい物である。紙ジャケ盤を探そう。通常のCDでは出せなかった、あのジャケットの質感、色、エルヴィス・プレスリーがアメリカ人であること伝えてくれる。紙ジャケ盤が入手できなければ中古店を回って、アップグレード盤でないものを探そう。こんなに便利になったのだから、便利さを使おう。なぜ『歌の贈り物』の始まりが<サレンダー>なのだ!どうして『ポットラック』の途中に<あの娘が君なら>が出てくるのだ。まったく聴く気が失せる、それは感傷ではない。理由はひとつ、エルヴィス・プレスリーの遺したものではないからだ。
エルヴィスを見失わないために、エルヴィスが選んだ正式リリース盤を聴かない間はアウトテイクは押し入れに隠しておこう。
2003年1月4日から8日のクライマックスまでグレイスランド及びエルヴィスゆかりの場所ではバースディ・セレブレーションが開催されている。
1月7日には故カール・パーキンスの息子スタン・パーキンスがビール・ストリートのレストラン「エルヴィス・プレスリー・メンフィス」でライブを行う。
<ブルー・スエード・シューズ>に愛を、カール・パーキンスとロカビリーに愛を、世界を変えたアルバム『エルヴィス・プレスリー登場!』に愛を、底の抜けたジャケットに入った擦り切れたレコードに愛を、そしてエルヴィス・プレスリーに”ハッピー・バースディ、ビー・ハッピー!”を
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