仕事でトルコ/イスタンブールに着いて、荷物をホテルに預けて、行動開始。タクシーに乗り込み、ドアを閉めた途端、ラジオから聴こえてきたのが、<イッツ・ナウ・オア・ネヴァー>のイントロ、シートに身体を埋めるとエルヴィスの声が聴こえ出して!オー!なんと幸先の良い時間が始まった!60年8月1日から9月18日まで連続5週ヒットチャート・トップになったこの曲はエルヴィスが西ドイツに駐屯中に歌詞を変更してレコード化を決めていたお気に入りだった。
イッツ・ナウ・オア・ネヴァー/It’s Now Or Never
* It’s now or never
Corne hold rne tight
Kiss me, rnv dariing
Be rnine tonight
Tarnarrow will be too late
It’s now or never
My Iove won’t wait
When I first saw you
W!th your srnile so tender
My heart was captured
My soul surrendered
l’ve spent a lifetirne
Waiting fof the night tirne
Now that youre near
The tirne is here at last
* Repeat
Just like a wlllow
We would crYy an oceen
if we lost true love and sweet devotiorn
Your lips excite me
Let your arrns invite me
For who knows when
We’ll rneet again this way
It’s now or never
My Iove won’t wait
It’s now or never
My Iove won’t wait
It’s now or never
My Iove won’t wait
60年第2弾シングルメガヒット
イッツ・ナウ・オア・ネヴァー
* 今を逃したらチャンスは二度とない
ここへ釆て、抱きしめて
ダーリン、キスをして
今夜.僕のものになっておくれ
明日では遅ずぎるから
今を逃したらチャンスは二度とない
この愛はもう待ち告れない
君との初めての出会い
その優しいほほ笑みに
心はとらわれ
魂は降参した
この時のために
今まで生吉てきた
そして君がここにいる今
やっとチャンスがめぐってきた
* くり返し
まるで柳の木のように
二人はすすり泣くだろう
もしもこの大切な愛を失ったら
その唇で僕をときめかせ
その腕で僕を誘っておくれ
いつまたこんな出会いが
あるとは知れないのだから
今を逃したらチャンスは二度とない
この愛はもう待ち告れない
今を逃したらチャンスは二度とない
この愛はもう待ち告れない
今を逃したらチャンスは二度とない
この愛はもう待ち告れない
除隊後60年3月のメガ・ヒット<本命はお前だ>に続く第2弾シングルとして60年7月にリリース。8月1日から9月18日まで連続5週ヒットチャート・トップになったこの曲は、成長著しいパフォーマンスを披露。華麗なる変身をリアルタイムで聴いた人には相当な衝撃だったと想像するのは容易だ。
すでに駐屯中の西ドイツで、歌詞を新しくしたものをレコード化したいと希望していたエルヴィスの望みが叶ったものだけに、気合い十分、ニュー・エルヴィスをアピールする野心も十分だっただろう。
エルヴイスお気に入りの作品のひとつで、除隊後アーロン・シュローダー/ ウォリー・ゴーリー共同改作によるこのナンバーが待っていた。デヴイツト・ヒル(デヴイッド・へス)の、チャ・チャ・チャのリズムを取り入れたアレンジにのって、エルヴィスはとても悩熱的に散っている。70年代に入ってからのコンサートてもよく取り上げ、自ら「オー・ソレ・ミオ」をタリア誘て散ったり、晩年のライブて‘はシエリー・ニールソンにイタリア語で歌わせ、そのあとにエルヴイスが<イッツ・ナウ・オア・ネヴァー>を歌う構成を楽しんでいた。
80年代にはジョン・シェナイダーが、HOTI00 とカントリー・チャートでリバイヴァル・ヒットさせている。その他、アル・マルティーノ、ラル・ドナー、コニー・スミス、ロジャー・ホイッテッカ一、ポール・マツカートニーなどがレコーデイングしている。
除隊したエルヴィスはこの曲をグラディス・ママに聴かせたかっただろう。おそらく地上で一番喜んだと思われるグラディス・ママ。元気でいたなら、いや例え病気で床に臥していても飛び上がった喜んだろうと想像するのは容易だ。一方エルヴィスはグラディス・ママがRCAビクターのワンちゃんのように、レコードに耳を傾ける幻影を何度となく想像しただろう。
そういう意味で、エルヴィスがこの後歌った民族音楽をベースにした名曲やバラードの数々はグラディス・ママへの思いがファンに投影されていたような思いもするのだ。エルヴィスが愛されるのは、やはりその人間性によるのだろう。
時代が変わり、急にシンガーソング・ライターの時代が訪れ、作品イコール自己主張というロジックの中で、そのような意味での自己主張のなさと作品の質の低下というダブル・パンチによって急速にエルヴィスの音楽が色褪せたように見えた。しかし人に世にあって変わらないのは人間の心である。
いまなお愛され、RCAといえばエルヴィスというほどのブランドを、トラウマに苦悩しながらも、たったひとりの人間の心に宿った思いが守り続けたというのは芸術そのものである。まさしくArtist of the centuryと呼ぶにふさわしいことだ。
エルヴィスはこの曲が余程気に入っていたのか、あるいは心の中に深く浸透していたのか、70年代のコンサートでも熱の入った歌唱を披露している。サウスダコタでのコンサートで演奏されたシェリー・ニールソンの歌う原曲<オー・ソレ・ミオ>とリレーで歌っている模様は『エルヴィス・イン・コンサート’77』に収録されている。おそらく西ドイツでこの曲を歌いたいと思った時の気持ちが忘れられなかったのではないかと推測する。除隊後のカムバックへの不安、ヒットチャートに蠢くポップスーーーエルヴィスは新たな挑戦として、この曲を受け止め、そして成功が嬉しかったのだろう。
世界にはいろんなレーベルが存在する。たとえばだが、デッカとエルヴィスというのは、ピッタシこない、それがCBSでも同じだ。犬のマークとエルヴィス。粋な似合いのカップルだった。
コメント