ニューオーリンズ/New Orleans:1958

闇に響く声 エルヴィスがいた。

エルヴィスがいた1956

エルヴィス・プレスリーは、1956年1月『ハートブレイク・ホテル』でRCAビクターからメジャーデビューし、チャートを寡占状態にした。

デビューの翌年、最高の人気を博していた1957年末、アメリカ中を驚かせたデビューから2年を待たずして徴集令状を受け取ったエルヴィスは、翌年3月24日、髪を切って入隊した。

1958年3月24日、エルヴィス・プレスリーは陸軍の起床ラッパで起きることになった。その日エルヴィスはGIカットにした。

その頃、アメリカ本土のファンは、ロックンロールの歴史において地上最強のコンビだったジェリー・リーバーバとマイク・ストーラーの「トラブル」が収録された
『闇に響く声』の公開を待っていた。エルヴィス・プレスリーは1958年1月15日「トラブル」に続き「ニュー・オーリンズ」を録音している。

ニューオーリンズ」は「トラブル」と違い、シド・テッパーとロイ・c・ベネットの共作。『闇に響く声』で印象に残る作品に仕上がっている、

映画ではスコティ・ムーアがバンジョーを弾いてニューオーリンズ・ジャズの雰囲気を盛り上げている。テイク5が完成版としてレコードに収録オンされた、

1958年4月8日「エルヴィスのゴールデンレコード」発売

エルヴィスのゴールデン・レコード第1集

その翌月4月8日、ミリオンセラー&チャートNO.1になったシングル盤ヒット曲を集めたエルヴィスのゴールデン・レコード第 l集が発売される。
半年以上もアルパム・チャートにランキングされるというロング・セラーになる。

収録曲

  1. ハウンド・ドッグ
  2. ラビング・ユー
  3. 恋にしびれて
  4. ハート・ブレイク・ホテル
  5. 監獄ロック
  6. ラブ・ミー
  7. トゥー・マッチ
  8. 冷たくしないで
  9. 心のうずくとき
  10. テディ・ベアー
  11. ラブ・ミー・テンダー
  12. やさしくしてね
  13. どっちみち俺のもの
  14. アイ・ウォント・ユー, アイ・ニード・ユー, アイ・ラブ・ユー

1958年 8月14日 母、グラディス急死

母、急死に泣き崩れるエルヴィシ・プレスリー

エルヴィスが入隊して間もない1958 年 8 月14 日。おそらく4本目の映画『闇に響く声』を劇場で観た後に、エルヴィスの無事を祈りながら、エルヴィスの母親グラディスが悲劇的に亡くなりました。死因は心臓発作であり、後にアルコール中毒による肝不全が彼女の早すぎる死の一因であることが発見された。


エルヴィスは母親のために生きてきたと言って過言でないほど、大事にしていました。そのグラディスは「エルヴィス依存症」といえる状態で、エルヴィスの入隊による寂しさが死を早めたといえます。 入隊の日、両親のヴァーノンとグラディスはエルヴィスを徴兵センターまで見送っています。

エルヴィスとサム・フィリップス(サンスタジオ前で)

失意のエルヴィスを支えて朝までエルヴィスと共にしたのは、グラディスが信頼していたサンレコードのオーナー、サム・フイッリプスでした。

サンレコード(サム・フィリップス)とエルヴィス・プレスリー

グラディスは貧乏だった頃に戻りたいと何度も言った。
贅沢は、エルヴィスがいないことや、夢中になったファンや怒りに駆られた両親たちや、凶悪なハリウッドの人種など、エルヴィスを脅かしているとしか思えない危険の埋め合わせにはならなかった。

彼女はひたすらエルヴィスのことを思い、心配した。酒を飲んで、体重が増えた。ひどく神経過敏になった。しかも慢性の肝炎だった。気分がすぐれなくても、適切な医療を受けようとはしなかった。

         ――ボビー・アン・メイソン著/外岡尚美訳
        『エルヴィス・プレスリー』より。岩波書店刊

エルヴィス ・プレスリーと母グラディスの幸せなひととき

それは母グラディスの命日と2日違いの1977年8月16日, アメリカ合衆国 テネシー州 メンフィス グレイスランドで急死したエルヴィス・プレスリー本人とそのまま重なります。

1958年 9月22日 西ドイツに出発

失意のなか、1958年 9月22日、基礎訓練の後、ドイツのフリートベルクの米軍基地で小銃手として服務するため、エルヴィスは1000人の仲間と共に兵員輸送船で駐屯地となる西ドイツに向けて出発した。

その際に行われた記者会見の模様とニュース映画のインタビューを収めたレコードがチャート2位にランキングされた。もちろん楽曲は1曲も収録されていないが、ファン必携の一枚である。ジュークボックスには入っていないだろうから全米のジュークボックスに入っていないコトをカウントしたらチャート2位に入ったことは奇跡的だ。(1958年12月に発売)

10月から駐屯地で生活します。月給は78ドルでした。人気のある俳優や歌手は徴兵されても、公債や志願兵募集の宣伝に協力すれば厳しい訓練を免除してもらうことができたが、エルヴィスは一切の特別待遇を望まず、軍の行事で一切歌うこともせずに、一般の若者と同じように任務を全うした。

1958年11月 クリスマスアルバム新ジャケットで再販

エルヴィス・プレスリーのクリスマスアルバム

この年の11月。前年に発売され問題となったクリスマスアルバムがジャケットを変えて再販された。もちろんアルバムチャートにランキングされ、ミリオンセラーになったが僕もその一員に加えてほしかった。当時レコード店の店先で、このアルバムが欲しかった自分が懐かしい。しかし、高校生の身分でクリスマスアルバムに手を出すことはできなかった。以後ずっと欲しかったが、そのうちアルバムジャケットも変わってしまった。メンフィスに訪問したことをきっかけに、ウェブでエルヴィスサイトをはじめてからありがたいことに、鈴木喜久雄氏からプレゼントされた。

もちろん、いまでもレコードコレクションの特等席にならんでいるが、色などの変質を避けて光の当たらない場所で「宝物」は光り輝いている。「僕の死んだ時の遺品コレクション」になっている。

1958年10月21日 入隊後初のシングル『ワン・ナイト』リリース

ワンナイト(エルヴィス・プレスリー)

この年、1958年10月に前年2月に録音してあったR&Bナンバー『ワン・ナイト』と入隊後初の休暇を利用して録音したロックンロールナンバー『アイ・ガット・スタング』が入隊後最初のシングルとしてリリースされている。両A面扱いでミリオンセラーを記録している。

エルヴィスが聴こえる

『ワン・ナイト』は映画『エルヴィス・オン・ステージ』をはじめラスベガスライブでも再三取り上げているのでよく認知されているが、この曲には、『ワン・ナイト』に先駆けて同じ曲で歌詞が違う『One Night of Sin』もあり、1983年になってアルバムの一曲として世に出た。

1958年7月2日 『闇に響く声』全米公開

闇に響く声(エルヴィス・プレスリー主演映画)

この年の1958年入隊前に、エルヴィス4作目の映画でエルヴィスお気に入りの『闇に響く声(KING CREOL)』が入隊スケジュールを遅らせて制作された。公開は独立記念日直前の7月2日でした。監督は名作『カサブランカ』でアカデミー賞を受賞しているマイケル・カーティスがメガホンをとった。

エルヴィス・プレスリー4本目の主演映画、監督は「カサブランカ」のマイケル・カーティス

King Creole, poster, Elvis Presley, Carolyn Jones, 1958

サウンドトラックアルバム発売前に2枚に分けてEP盤がリリースされヒット。
アルバムには、白眉の出来である11曲が収録された。

A
1 KINGCREOLE/キング・クレオール
2 ASLONGASIHAVEYOU/君と生きる限り
3 HARDHEADEDWOMAN/冷たい女
4 TROUBLE/ トラブル
5 DIXELANDROCK/ディキシーランド・ロック

B
1 DON’TASKMEWHY/訳はゆるして
2 LOVERDOLL/ラパー・ドール
3 CRAWFISH/ぎりがに
4 YOUNGDREAMS/ヤング・ドリームス
5 STEADFAST, LOYALANDTRUE/さらばハイスクール
6 NEWORLEANS/ニュー・オーリンズ

ハリウッド ラジオ・レコーダーズで録音され、ニューオーリンズのジャズ・ミュージシャンと思われるパラマウント・オーケストラの伴奏が、映画の舞台であるニューオーリンズの味わいをたっぷり聴かせ、エルヴィスも信じられないほど見事に応えている。
白眉の出来とは、このことで、まさに「僕はなんでも歌えます。僕は誰にも似ていない。」とサンレコードで語ったことを実証しています。

この映画から「トラブル」と「ざりがに」が特に有名だが、実は全部素晴らしい。そして真の意味でエルヴィス初のオリジナルサウンドトラックアルバムでもあります。

11曲、全部同じ曲調の歌はない。

なかでも「ニューオーリンズ」は完全にミュージカルです。この一曲でエルヴィスが『ウェストサイド物語』のようなミュージカルをやれることが実証されています。

嵐のような超多忙な日々を過ごしながら、ロックンロールのはるか先までエルヴィスはたった一人で誰の手も借りずに旅していたのです。しかも入隊前だというのにです。

エルヴィスの入隊は単なる入隊と違っていました。そこにはアメリカの良識派と呼ばれる人達の悪意があります。いうことを聞かなければ監獄か軍隊か?自分で選べ。いずれにしてもお前を世間から抹殺する。

映画「エルヴィス」は敵意のある保安官のまなざしで描いています。黒人差別の裏側には単純に奴隷制度を肯定するか、しないかではない、複雑すぎる南北戦争前からのいざこざが潜んでいたのです。

貧しい生い立ちから出発して、一切、気にすることなく、社会を根底から変えていくエルヴィスの存在は彼らにとって脅威そのものでしかなったのです。

すでに「キング・オブ・ロックンロール」という冠は音楽というカテゴリーを超えて、免罪符として機能していたのです。しかしその反動をエルヴィス自身も受け止めなければなりませんでした。

軍隊から帰ってきたエルヴィスにジョン・レノンが不満げに「エルヴィスは軍隊で死んだのか」と言ったように、トム・パーカーの保身と搾取のために約10年間、映画という世界に幽閉されたのです。

闇に響く声」からは、遂に生涯、使われなかった才能が爆発する青春のうめき声が聴こえてきます。

エルヴィスとは何者だったのか

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

エルヴィスのマネージャーのパーカー大佐を母グラディスは信用していませんでした。
パーカー大佐のおかげで大スターになったとしたら、グラディスは好意的に接したはずですが、父ヴァーノンと違い、利用されていると感じていました。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

さらにもうひとつ嫌う理由がありました。パーカー大佐は、大スターエルヴィス・プレスリーの母親を良いイメージで演出しようとして、出かけるときに彼女の服装にまでいちいち口を出してくることでした。グラディスの死をきっかけに失意のエルヴィスを操ろうとする雰囲気が映画『エルヴィス』ではしっかり描かれていました。

母親が息子に執着するのは当然のことですが、しっかり者のグラディスのエルヴィスに対する思い入れは尋常ではありませんでした。小さいときからいつも一緒であり、まるで母ひとり子ひとりの家庭のようであり、父のヴァーノンはエルヴィスにとって遠い存在であったといえます。

それには理由がありました。エルヴィスの双子の兄弟となるはずだった子・・・ジェシ
ー・ギャロン・プレスリーを死産で失っていた罪悪感がグラディスにあり、そのトラウマによって、エルヴィスとグラディスの関係は「マザコン」で片付けられない特異な関係を築いていました。

テュペロの生家で(エルヴィス・プレスリー)

それはエルヴィスにとっても同じでした。エルヴィスは会ったことのない、兄の話をグラディスによって繰り返し聞かされ、エルヴィスは幼い頃から、自分が二人分の息子の役割を務めなければならないといつも責任を感じていたのです。

母グラディスに生きて

グラディスはしっかりした女性でしたが、奔放な一面も持っていました。彼女は「バック・ダンス」の名手であり、「牡鹿の求愛のダンス」といわれるこのダンスは、ジャズのジルバとタップダンスに似た「グロッグ」というカントリーダンスを混ぜたような挑発的なソロダンスです。グラディスはこのダンスを得意としたのです。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

エルヴィスの激しいステージアクションは、黒人教会に出入りする内に自然に身についたと語っていましたが、グラディスの心には、その激しさは、お気に入りのダンスと通じるものがあったのでしょう。

父のヴァーノンはハンサムでよくモテたそうですが、中身は薄っぺらな行き当たりばったりのヒトでした。やがて、その距離感が成功したエルヴィスを追い詰める要因になりますが、それがグラディスの女ごころには響いたのでしょう。

ヴァーノンはただ毎日が安直に流れ去っていくにまかせる、その場しのぎの生き方しかできなかった。彼には知られていないトラウマがあったと推測できます。いつも人の尻馬に乗り、運命に従属するようについていったため、入獄させられ損をするだけでなく、妻と子を苦しめるというタイプでした。

夫として不甲斐なく、父親としても頼りなかった。むしろ家族や家庭というものから、一歩退いた姿勢でいようとしていた。
そのあり方が、エルヴィスの成功を挫き、エルヴィスの死を早めることになることを映画「エルヴィス」では見事にわずかな場面に埋め込んでいます。

死産のあと、グラディスは非常に神経質な性格になり、過干渉になりストレスを自ら生み出す性格になったのでしょう。まるで恋人をケアするように母親に対処する冷静なエルヴィスを映画「エルヴィス」は絶妙に描いています。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

エルヴィスは晩年、頭痛、視力の低下、体重の増加に悩まされており、不整脈、疲労、失神、高血圧など肥大型心筋症に見られる症状を併発していた。そして1977年の夏、自宅のバスルームで死亡しているところを発見された。

ブルームーン・オブ・ケンタッキー

つまり諸行無我、すべては繋がっているのです。エルヴィスの成功も早すぎる死も、エルヴィスに寄ってくるヒト、エルヴィスを叩くヒト、すべては大宇宙のネットワークなのです。その大宇宙で、こころを許せる唯一の存在だったのが妻、プリシラだったのでししょう。エルヴィスの愛の歌は愛そのものだったのです。宇宙を空飛ぶ円盤はいまも飛び続けて愛の喜びと苦悩を歌っています。

愛さずにいられない、エルヴィスとプリシラ

イギリスのキングズモア博士は、エルヴィスの毛髪によるDNA解析の結果によって、エルヴィスの死を彼自身の不摂生によるものだと非難することはできないことが証明されたとコメントしました。

「長い間、エルヴィスの死は、彼の過食や処方箋ドラッグの乱用に原因があるとされてきました。そうした傾向が健康にいいわけはないが、彼は遺伝子の変異に問題を抱えていたようです」と説明した。

エルヴィスはその短い生涯の時間をほとんど自分のために使わずに宇宙に帰りました。
いつの日か、ふたたびやってきたときは全部自分のために使ってほしいと願うのは、ほとんどのファンの願いです。

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まとめ

デビューの翌年、最高の人気を博していた1957年末、デビューから2年を待たずして徴集令状を受け取ったエルヴィスは入隊スケジュールを延期させてバタバタの中で急遽、制作となったエルヴィス・プレスリー4本目の主演映画「闇に響く声」からは、遂に生涯、使われなかった才能が爆発する青春のうめき声が聴こえてきます。

坂本九が歌って日本でも人気だったという「トラブル」や「ざりがに」「キングクレオール」は特に有名。他の8曲にもそれぞれ違った味わいがあり、ニューオリンズのジャズサウンドと融合したエルヴィス・ロックが画面狭しとみなぎっています。

アメリカ映画ベスト100の2位に選出され、アカデミー作品賞、監督賞に輝く名作「カサブランカ」のコンビ、制作・ハル・B・ウォリス、監督、マイケル・カーティスは、ここでも「君の声に乾杯」と祝杯をあげたのです。尚、この作品にはのちに「ダーティ・ハリーシリーズで成功したドン・シーゲルが助監督で付き、除隊後のエルヴィスとは「燃える平原児」でコンビを組んだ。

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