やさしく愛して/Love Me Tender(ラブ・ミー・テンダー)

特選ソングス

エルヴィス・プレスリーの「やさしく愛して/Love Me Tender(ラブ・ミー・テンダー)」を語るには三度のチャンスが必要です。
オリジナル盤がリリースされたタイミング。つまり映画「やさしく愛して」が公開された時。
2度目は、TV SPECIAL(1969年)
3度目は、映画「ELVIS ON STAGE」、その天衣無縫、ラブ・ミー・テンダーな「魂のおもてなし」です。
ここでは、「ELVIS ON STAGE」での、客席に降りて、歌いながら、キスして歩き回る。天衣無縫な「やさしく愛して/Love Me Tender(ラブ・ミー・テンダー)」を語ります。

 

「行けなくてゴメン」にエルヴィスを知る。

予定にない行動にバンド、コーラスさらに客席も仰天、騒然とする中、エルヴィスの動きに合わせて即座に対応するのには、流石のひとこと。

さらにエンディングの締め方の鮮やかさ。

それにしても衝撃的なシーンには、いろんな感じ方があると思います。

「お客とはなにか」も含めて、私なりの感じ方をお話します。日本に於けるお客様とたとえば店の関係性がよくわかりません。

 

たとえばEVERYDAY LOWPRICEをコンセプトにしている店での関係性はどうなんでしょう?

ここでも「お客様は神様です」といった演歌界の大御所の思いは通じるのでしょうか

そもそも「お客様は神様です」はどんな気持ちから出たのでしょうか?

少なくともお金を払って歌を聴いてくださるから「神様」と言ったと思うのは勘違いでしかありません。

「お客様が私に芸の道、人の道を精進する機会を与えてくださる」そういう思いから出た言葉だと想像します。

「一見さんお断り」の意味

余談ですが、マイ・フェア・レディを下敷きにした「舞妓はレディ」って大好きな映画です。主演の上白石萌音さんがかわいいし、歌も素敵です。

京都の舞妓さん、芸妓さんが働くお茶屋さんでは、「一見さんお断り」としてお客様にしないのは有名です。
ここでは「顧客」はいても「お客様」という概念はないのでしょう。

顧客=お客様ではありません。お客様は英語でカスタマーにあたりますが、顧客はクライアントに該当するでしょう。
税理士事務所ではお客様ではなく顧客、クライアントです。

ディズニーランドではお客様と呼ばず「ゲスト」と呼びます。
「ホテル」もそうですね。

スーパーや小売店のような場合、全般に「お客様(=カスタマー)」ですね。

つまり相手をどう扱うかは、サービスを提供する側が決めることであって、受ける側が主体的に決めることではないことがわかります。

だから「サービスが悪い、土下座して謝れ」という論理は間違いでしかなく、根本的に「あんたに言われる道理はない」と言い返して自然なのです。「二度と来るか」と言われても「どうぞ、ご自由に」と我関せずが正しい態度なのです。

主体性を持っているのは提供側

お客側は「オレはお客様」「顧客」「クライアント」「ゲスト」「オーディエンス(聴衆)」「観客」だと自ら分けることなく、どんな場合も「お客さん」だと思っていたとしても、提供者にすれば決めるのはこっちだと思って自然なのです。

いちいち使い分けるのが面倒なので、税理士事務所が顧客のことをお客様と呼んだとしてもそれは便宜上使ったにすぎない。

さすがにドクターや看護士あるいはお坊さんが「またのご来店をお待ちしています」というとおかしいし、お客様とは言いませんよね。

肝心なことは、お茶屋さんのように、主体性は「こっちにある」というのが正しいわけで、それぞれに理由があります。

たとえばお茶屋さんが「一見さんお断り」というのは、初めての方の場合、情報がなにもないので店の基準をクリアできないという前提があります。
呼び名の違いには、相手との関係性の違いがあり、仕事の仕方の違いがあるわけです。

呼び名が変わるのには、それぞれの仕事の基準をクリアするために、扱い方も変わるという事情があるのは、世界基準なのでしょう。

「お客様は神様です」という裏にも、同じように事情があって、神様と思わないと自分の基準がクリアできないという自分との約束を果たす切実さがあったと考えるのです。

さて、通常、ミュージシャンとオーディエンスは、ポジション(役割)を定めて、進行します。

以前、アメリカの有名コラムニストが書いていたことに、あるロックバンド演奏中にステージに手をかけるが熱くなったファンに対してハンマーで叩いているのには驚いたというようなことが書いてあり、さすがにびっくりしました。これもそれぞれの間で違うようです。

エルヴィス・プレスリーは、いつも同じというわけでなく、その都度、エルヴィスが自由に関係性を決めていたようです。
自身の体調、オーディエンスの反応などもあってか、乗れば時間も気にしない、逆にさっさと切り上げてしまうこともあったようです。みんなの顔を見せてほしいと客席のライトをオンにすることも。

オーディエンスからすればコストパフォーマンスがステージによって決まっていなかったようです。
そこから垣間見えるのは、「純真」と「天衣無縫」です。

ステージのエルヴィスは「純真」「天衣無縫」

純真とは、不純なもの、特に邪念や私欲がないこと。無垢。

天衣無縫とは、技巧をこらしたあともなく、自然で、しかも完全で美しいこと。

純真、天衣無縫を体感するのは難しくない。

純真さが光った楽曲といえば1956年に初出演した映画のテーマソング「ラブ・ミー・テンダー(やさしく愛して)」でしょう。オリジナルでは、ほとんどアカペラ(a cappella)で歌っています。

ラブ・ミー・テンダー

優しく愛して、甘く愛して

決して僕を放さないで

 人生を満たしてくれた君をとても愛してる

   

   *優しく愛して、まごころで愛して

   夢はすべて叶えられた

   愛しい人よ、愛しているよ

   いつまでも変わらずに、優しく愛して、

   いつまでも愛して僕を心の中に入れておくれ

   そこが僕の居場所だから

   二人は永遠に一緒

   

*くりかえし

   

優しく愛して、心から愛して

僕のものだと言ってくれ

これからの歳月、僕は君のもの、

時が終わるまで

*くりかえし

エルヴィス・オン・ステージ スペシャル・エディション

  

テネシー州メンフィスの小さなレコード会社「サンレコード」からデビューしたのが1954年。
瞬く間に地元でブレイクして1956年RCAからメジャーデビュー。

1977年、暑い夏の日に他界して、43年。1954年のデビューから66年。

アメリカでは毎年もイベントが行われます。

日本でも同じ。
過去にも日本で「エルヴィス・オン・ステージ」が命日である8月16日にあわせて東京、大阪などでロードショー公開されました。

懐かしのミュージシャンではなく、いつの時代もエルヴィス・プレスリーは、人々と共に生きるアーティストです。

アメリカ人の心の生きるエルヴィス・プレスリー

ボクはある年、アメリカの友人宅で過ごしていました。

中流の家庭が並んだホームタウンでは、7月4日の独立記念日を祝い、めいめいの家庭の庭先では、家族の花火大会が行われていました。

花火自慢から始まった雑談に興じていたのですが、エルヴィスの話になって、そこに居合わせたどの家庭にも、エルヴィスのレコードが少なくとも1枚はあることをその時知りました。

その内の数軒は遠い国からきた奇妙な異邦人であるボクに、所有する古いエルヴィスのレコードをわざわざ見せてくれました。

  RIAA(アメリカレコード協会)の公式発表を裏付ける話ですね。  
https://genkipolitan.com/elvis/tender/

南部で育ったエルヴィスが見た世界をラスベガスに投影

  

エルヴィス・オン・ステージ 没後30周年メモリアル・エディション (2枚組) [DVD]

人種差別の厳しいアメリカ南部、

ワーカークラスでも最下層の生活保護を受けなければならない家庭で育った白人の若者が、どのようにしてキングになり、ラスベガスのステージに辿りついたのでしょうか?

あるいはなぜそうなったのでしょうか?

記録映画「エルビス・オン・ステージ」に、ひとつの答えを見ることができます。

     

「エルビス・オン・ステージ」に、「ラブ・ミー・テンダー」を歌う場面があります。

エルヴィスの魂

エルヴィスは女性ファンにキスのサービスを始めます。

 ついにはスタッフの制止をふりきってホールに下りてしまい、混乱のなかをラウンドします。

  ボクはこのシーンが嫌いでした。

  多くの人が「キモい」と思ってしまう場面かも知れません。

 でも近頃エルヴィスの気持ちがようやくわかったような気がするのです。 

ヒルトンホテルのオープンに出演したエルヴィス

 1970年「エルビス・オン・ステージ」の舞台となったヒルトン・インターナショナル・ホテルは、古いダウンタウンから離れた場所に建てられた当時話題の大型ホテルです。

 いまでこそヒルトン・インターナショナルを凌駕する人気ホテルが続々と作られ、中心地が変わってしまったため、ダウンタウンと現在の中心地の狭間にあり、いまではいい場所にあるとはいえません。

エルヴィスの純真

 

エルヴィスが出演した時期は、ドレッシーな大人の遊び場だったラスベガスの色合いがまだまだ強く、家族で楽しむラスベガスに変わろうとする転換点でした。

ジョン・レノンが言った 「すべてはエルヴィスから始まった」は、ここでも適用されるのではないでしょうか?  

エルヴィスのオーディエンス 

「エルビス・オン・ステージ」の客席には、ニューヨーカーのような人は少なく貯金を下ろして精一杯のお洒落をして遠くからやってきた「田舎者」らしい人が多く見られます。8月に開催される「キャンドルサービス(お墓まいり)」でも同じです。
そもそもエルヴィスのロックロールはカントリーとR&Bを融合したものです。

ロックンロール誕生はエルヴィスの生い立ちと深い関係があります。

ロックンロールはエルヴィス登場前に「ロック・アラウンド・ザ・ロック」のような曲がありました。人によってはこれをロックの最初の曲という人がいます。しかし曲を聞くとすぐにわかります。

日本人には、エルヴィスの「ザッツ・オールライト」の方が、ロックに聴こえないと思います。しかしこれこそエルヴィスらしさです。
エルヴィスは模擬しているのではなく、自分の血と肉と魂で歌っているのです。それはキャッチコピーでも、理屈でもなく、自然なすがた、エルヴィスの純真なのです。

エルヴィスは裕福ではなくショットガンハウスと呼ばれる家で育ちました。
玄関からショットガンをぶっ放すとそのもの裏口まで弾丸が通過するという意味です。

お風呂もなく近隣住人には黒人が多く住んでいました。エルヴィスがなんら違和感を持たなくても不思議ではありません、

のちに、ブルースの王者BBキングが黒人の集まりにエルヴィスはたったひとりで、やてきたのには驚いたと話しています。

エルヴィス・プレスリー魂のおもてなし

 

  

  エルヴィスのキスは、

  オーディエンスの”やりくりして過ごすつつましい日常”に向けられた

  頑張れよのキスだったと思うのです。

  

  その暮らしが、どんなものなのか物心つく以前に身体で知っている

そこには自分を守ってくれた母の姿がある。

  エルヴィスならでは共感なのです。

  ファンサービスという表現で片付けられない人間への思い、いたわりが、

  派手な衣装と笑顔と女たらしなポーズに隠されたまま、

  何食わぬ顔で淡々と繰り広げられます。

  来たこともない見たこともない自分の日常にはないゴージャスな場。

  その緊張を汗と熱唱で興奮に変えることで、粉々に打ち砕き、

  ありのままの自分になれるように場を作り、

  それでも恥かしい女性の気持ちを自分が全部引き受けて、

  君はボクにキスしてくれないのと言わんばかりに手をさしのべる。

  

  男ですよね、男。。

  愛される理由です。  

  自分のことなら引っ込み思案になったけれど、人のためなら

  誤解を恐れず、ただの一度も言い訳も説明もしなかったエルヴィス。

  

寡黙なままに行われた偉業。

  それこそが、「エルビス・プレスリーのロックンロール」でした。  

  印税生活をしていたエルヴィスにとって、

  RIAA(アメリカレコード協会)の公式発表は、お金をどれだけ稼いだかということと同義語です。

  エルヴィスは稼いだお金をどう使っていいのか分からないまま、

  寄付やプレゼントは別にしても、ムダ使いをしました。

RIAA(アメリカレコード協会)の公式発表は「魂の救済の数」でもあります。

年月が過ぎて、こちらは利息を生んでいるようです。

 まとめ

いやな部分は男が引き受ける。

安心できる人だから愛したくなる。

安心させるから愛される人になれる。

やさしく愛するからやさしく愛される。
純真で天衣無縫だから、愛される。

「ラブ・ミー・テンダー」
純真とは、不純なもの、特に邪念や私欲がないこと。無垢。

天衣無縫とは、、技巧をこらしたあともなく、自然で、しかも完全で美しいこと。

Live 1969 -Box Set

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