全米を震撼させた「ハウンドドッグ」の収録を終えたエルヴィス・プレスリーは、列車でニューヨークからメンフィスまで戻ってきた。
エルヴィスが途中下車した日
列車がメンフィスに着こうとするとき、エルヴィスは駅まで行くより家が近くで、ここで降ろしてもらえたら助かると運転士に伝えた。
運転士は最徐行にして、エルヴィスは線路に降りた。サインを送って感謝の気持ちを伝えた。
あれは誰だ。
通りを歩いている若者を見かけたトラックドライバーは、「乗せていこうか」と若者に声をかけた。
エルヴィスは、「ありがとう、すぐそこなので、大丈夫です」と返した。
ドラーバーは声をかける前に「あれは誰だ」と思ったという。
全く普通の若者と違うと感じたという。
言葉を交わした後も、同じ印象だった。他の人と違っていた。
「あれは誰だ」と思ったという。
こうしてエルヴィス・プレスリーの物語は始まった。
ハウンドドックを録音した日
メンフィスの小さなレコード会社「サンレコード」から1954年にデビューして、次々と地方でのヒット曲を連発。この動きに目をつけたRCAレコードはエルヴィスを欲しがり、サンレコードのオーナーはわずかな金で移籍を承諾した。
そして1956年1月に「ハートブレーク・ホテル」で全米でデビュー。
全米ナンバーワンのヒット曲となった。日本でプレスリーというとこの曲が有名だ。
日本のフォロワーも「ハートブレーク・ホテル」ばかり歌っていた。
しかし、エルヴィスの全収録曲を聴いても、この曲だけが異質だ。
RCAレコードもなにを歌わせればいいのかよく解らなかったのだろう。
音楽会社でありながら、まだロックンロールというものさえ解っていなかった。
そしてこの日。
列車でニューヨークから帰える前、エルヴィスは「ハウンドドッグ」をRCAのスタジオで100回ほど歌い続けてバンドにネをあげさせた。
B面には「冷たくしないで」を収録したこのシングルレコードは空前の大ヒット曲になった。
全米を震撼させた。
エルヴィス・プレスリー登場は、芸能界の出来事ではなく、社会問題になり、全米を揺るがす事件になった。
あれは誰だったのだろう。
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