美しきアメリカ/America the Beautiful;1977

エルヴィスがいた。

トランプ大統領の二度目の就任式で歌われた「美しきアメリカ(アメリカ・ザ・ビューティフル)」は、時節柄「美しきウクライナ」と変えても良さそうな内容の曲です。

「美しきアメリカ」は、1977.11月、エルヴィスの死後に「マイウェイ」とのカップリングで両A面扱いでシングルリリースされました。2001年に緊急再リリースされたのは、9.11同時多発テロ事件に傷ついたアメリカ人への癒しと(本土を攻撃されたことのない)折れそうになった誇りを元気付けることを目的としたものでした。
エルヴィス・プレスリーは75年からコンサートのレパートリーに加えていました。

美しきアメリカ/America the Beautiful

美しきアメリカ
おお、美しきは広き空
琥珀色に波うつ麦畑
実り多き大地の上にそびえたつ
荘厳たる紫色の山々よ
アメリカ、アメリカ

神よ、この国に恵みを与え給え
そして人類は兄弟愛で結ばれる
輝く海から海へと

おお、美しきは広き空
琉珀色に波うつ麦畑
実り多き大地の上にそぴえたつ
荘厳たる紫色の山々よ
アメリカ、アメリカ

神よ、この国に恵みを与え給え
そして人類は兄弟愛で結ばれる
輝く海から海へと
アメリカ、アメリカ
神よ、この国に恵みを与え給え
そして人類兄弟愛で結ばれる
輝く海から海へと
アメリカ

準国歌扱いの「美しきアメリカ」

南北戦争時代に歌われたこの曲がニューヨーク、ワシントンをはじめ全米で歌われました。
無念に散ったかけがえのない命を惜しみ、傷ついた心を癒し、新しい勇気を育むために。

1888年に作曲された「Materna」という曲に、パイクス・ピークからの景色に感動したキャスリン・ベイツが1893年に書いた詩「America the Beautiful」をつけて歌われた曲です。

エルヴィスは準国歌扱いとなっているこの楽曲を建国200年を祝ってコンサートで歌いましたが、
やはりエルヴィスが神に召された後、1977.11月にエルヴィスを追悼する意味でアメリカでは「MY WAY」とカップリングでシングル・リリースされました。
1975年12月13日ラスベガス・ヒルトンでのコンサートのものが音源になっています。
アルバムは『エルヴィス・アーロン・プレスリー』に収録されました。

ブランコから見た「アメリカ」

「美しきアメリカ」は、1977.11月、エルヴィスの死後に「マイウェイ」とのカップリングで両A面扱いでシングルリリースされました。2001年に緊急再リリースされたのは、9.11同時多発テロ事件に傷ついたアメリカ人への癒しを目的としたものでした。エルヴィスは75年からコンサートのレパートリーに加えていました。

世間的にはロックンローラーとしてデビューし、「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれたエルヴィスが軍隊から帰還した頃、すでにロックンロール前線が壊滅的な状態にあり、軽いポップスが人気を博していました。エルヴィスはロックンロール曲を中心とした『エルヴィス・イズ・バック』をリリースしました。よく考えられたアルバムでした。

その後「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」「サレンダー」などの特大ヒットで、それまでのイメージチェンジに対して「裏切り者」のような印象を与えたことで否定的な意見を浴びることになります。

そもそもロックンロールは、反抗のシンボル的なニュアンスを秘めていましたが、それ以上に実際は黒人に対する人種問題で、エルヴィスが「音楽が若者を非行に走らすなんて考えられない」と言っていたいうに「若者の反抗」というのは作られたイメージでした。その方が「商売になる」と考えた人々が業界に集まってきていました。

エルヴィスは、エルヴィスらしく生きたのです。エルヴィスはホワイトアメリカンでしたが、黒人エリアすれすれの地域で育ち、音楽も黒人から学んだものだと自然体でした。

つまり世界の音楽界の本当のロックンロール騒動は、エルヴィスがサンレコードからデビューして、やがてRCAから全米デビューする物語なのです。その以降の物語は極めて人工的なものだと断言してもいいのではないでしょうか。

エルヴィス・アーロン・プレスリーは、アメリカンドリームを実現し、兵役を全うして、すぐに消えて無くなると言っていたフランク・シナトラからもシナトラの冠番組にゲスト出演を依頼され、ホワイトアメリカンとして自分の脚で歩けるようになったのです。それを批判する方がおかしいと思います。

エルヴィスは、「ウォーク・イン・マイ・シューズ/Walking In My Shoes」というその人の靴で歩いてみないとわからないという内容の曲を愛していました。

俺はわかりやすい良心を探しているわけじゃない
色々経験してきた後の心の落ち着きを探しているわけじゃない
そして俺たちが後悔を抱えて話す前に、
俺の靴で歩いてみろよ
俺の靴で歩いてみろよ

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか。

エルヴィス・プレスリーの人生は彼の功績にふさわしいものだったのかと言えば、トムパーカートいう詐欺時のようなマネジャーに搾取された悲惨なものだった。

エルヴィスの母親グラディスはいい印象を持っていなかったがその通りだった。
その華麗なキャリアを大半をたった一人でやり遂げのが事実だ。

エルヴィスの凄さは、単なるスローガンではなくすべて行動に表れていることだ。
音楽を統合したように、人種の壁も軽々と乗り越えた。

本人は自分がなにをしたのか、わかっていなかっただろう。気にもしていなかったのだ。

意図的だったビートルズと決定的に違う。
ポール・マッカトニーの「結局、俺たちはエルヴィスを超えることはできなかった」という言葉に集約されるだろう。エルヴィスにとって「人種差別のない世界」はカントリーとブルースが音楽だったように当たり前だったのだ。


アメリカの祈り / An American Trilogy:1971
エルヴィス・プレスリーは、生涯を「南部」で暮らしました。 アメリカ合衆国・南部といえば「南北戦争」「風と共に去りぬ」が有名です。 アメリカンドリームを体現し巨額の富を手に入れながら決して生易しい地域ではない南部から生涯離れなかったのはどう...

 

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