クリスマスは我が家で
待っていて必ず帰るから
たくさんの雪にヤドリギ
ツリーにはプレゼントを用意して
イブの夜がボクを導いてくれる
二人の愛がほのかに光を放つ場所へ
クリスマスは我が家で、そうさ
たとえ夢の中だけでも
「ホワイト・クリスマス コンプリート・クリスマス・シングス
/ エルヴィス・プレスリー」
BMGファンハウス BVCM-31058 より
● クリスマスのこころ
どんなアーティストであっても、クリスマス・アルバムというと幕の内弁当の ように軽く扱われそうな一面もあります。
しかし、ここでは、見事なエルヴィス節が雪の光が反射する白い夜空に美しく輝 きます。
クリスマスが、どれだけ大切な時間なのかを緻密な歌唱力で歌い上げ、 最後の衝撃的な歌詞”たとえ夢の中だけでも/If only in my dreams”至る、
「クリスマスは我が家で / I’ll BE HOME FOR CHRISMAS」
ドラマチック以上にドラマチックな歌声は、エルヴィスのクリスマス・ソングのなかでもひときわ際立った名唱として知られていますね。
エルヴィスのクリスマス・ソングを総括したようなアルバム「ホワイト・クリスマス」では、この曲に続いて「ブルー・クリスマス」が収録されていて、「もう涙なしには聴けないわ」という女性ファンも多いことだと思います。
それにしてもクリスマス・アルバムひとつとっても、エルヴィスは色彩豊かな パフォーマンスを聴かせます。
エルヴィス・プレスリーがいかにミュージシャンとして優れているかを証明する ものでしょう。
黙って聴けばすべてが分かる、それで分からんものには、ナニを言っても分から ない。
エルヴィスの貴重な作品について、いちいち説明することに何の意味があるのか、常に疑問を持ちながら、サイトやメルマガを運営している矛盾だらけの身としては、「クリスマスは我が家で / I’ll BE HOME FOR CHRISMAS」のような楽曲にぶつかると、ますます矛盾に苛まれる次第なのです。
昨今のCMや映画に使用されることで、映像の力を得て、突然リバイバル・ヒッツ するのを見ても分かるように、好まれる条件はかなり曖昧。
自分が聴いて何も感じなかった曲でも、愛する人が気に入っていると知ったら、 感じ方も全く違ったりするもの。
アーティスト側の問題もあるだろうけど、むしろ聴く側の状態の方が大きいわけ で、結構いい加減なものだと思うのです。
ましてこんなに丹念に心こめて歌い、最後の一行で、トドメをさすようなものに なると、歌詞がリアルに感じ取れないと、シェフが魂で作った料理も、コンビニ 的合理性の追求で作った料理も、分別つかない味覚しか持ちあわせていないのと,
同じ状況になっているわけで、ますますおそろしくて何も語れないのが本当の気持ち。
「クリスマスは我が家で / I’ll BE HOME FOR CHRISMAS」も恋の歌なのですが、 それで留まっていないところがスゴイでしょう。
ここで溢れている感覚って、神を信じているとか、いないとかではなくて、食事 の都度の感謝とか、日常的に「神」に寄り添いながら暮らしていないと出てこな いと思ったりします。
人を思い気遣うことも、愛することも、それと同じように、 神聖なものだということが、溢れんばかりの率直さで伝わってきます。
見返りも、お返しもいらない。ただ安心して、手渡し、受け取ることが、人への 思い。すなわち「愛」と呼ぶことが出来るもの。それゆえの神聖。
「エゴを捨てる」ことを考えることすらない世界。 湧き出る泉のような思いのことではないでしょうか?
この楽曲のエルヴィスを通して溢れるクリスマスと人間への思い。
世代を問わず、こういう曲をきちんと聴いてほしいですよね。
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