心のうずく時 /That’s When Your Heartaches Begin

エルヴィスがいた。

1953年にサンレコードでアセテート盤を自費制作、1957年B面ながらも全米チャートインした<心のうずく時>をご紹介します。夜のアメリカでバンバーがとれかかったトラックの後についていったら、凸凹の道を超えるとスーパーで、なんと銃売り場だった。アメリカは広い。ヒトもいろいろ、ライフスタイルも50ほどに分類される。「マディソン郡の橋」と「風と共に去りぬ」が生まれた風土はまるで違うのだ。ハンバーガーひとつにしても好みも様々だ。その国でレコードが焼き払われステージから引き下ろされながらも、真の国民的ヒーローになりわずか1年の間に「ザ・キング」と呼ばれるに至ったエルヴィス・プレスリーのような人は違いを認めるアメリカだったから成功したのだと思う。しかも死後が生存期間を越えているのに、いま持ってアメリカのアイコンだ。毎年ホワイトハウスに次ぐ人口がエルヴィス邸に訪れる。

心のうずく時 /That’s When Your Heartaches Begin

もしも恋人が
自分の友達と付き合っていたら
それが心のうずく時
生涯をかけた
夢がくずれてしまったら
それが心のうずく時
愛は決して友達とは分け合えない
恋人との関係は終わり
友情も終わる
それが心のうずく時

もしも恋人が自分の友達と付き合っていたら
そう、それが心のうずく時
生涯をかけた夢の全て、全てがくずれてしまったら
そう、それが心のうずく時さ
なぜって愛は決して
決して友達とは分け合えないから

恋人との関係は終わり
友情も終わる
それが心のうずく時

エルヴィスはサンスタジオに赴き「母親の誕生日にレコードをつくりたいんです」と嘘の理由を添えてレコーディングの申し込みをした。あいにくサム・フィリップスはいなかったけど、インパクトを感じた秘書の女性マリオン・カイスカーは特別にメモした。

<マイ・ハッピネス><心のうずく時>の2曲をレコーディンブした。

<心のうずく時>は、エルヴイスのパラード・シンガーとしての魅力をダイレクトに証明している作品です。セリフ・パートのところも何と心のこもったことか 1944年に、ウィリアム・ J ・ラスキン、フレッド・ フイツシャ一、ジョージ・ブラウンの 3 人が共作した。<恋にしびれて>のB面として正式にリリースされミリオンセラーを記録した。

その後、売れるものはないかと思ったオーナーのサム・フィリップスは、エルヴィスに連絡をとり二人の伴奏者(スコティ・ムーアとビル・ブラック)を紹介してテストした、テストといってもぶっつけ本番に近い、歌の大半は、エディ・アーノルドやビング・クロスビーが当時ヒットさせていた楽曲だった。サムの視線を気にしながら歌うエルヴィス。しかし、どの歌もパッとしない。サムが探していたのは黒人のように歌えるシンガーだった。

正確な情報がないが、運命の日。レコーディングを試みたが。やがて休憩が告げられ、重い空気が室内にたれこめた。オーディションが不首尾に終わりそうなことを悟ったエルヴィスは、気分転換をしようと、咄嗟の判断で。黒人の歌をたわむれにいくつか歌いはじめる。その一曲が動きながら歌ったミシシッピ出身の黒人ブルーズマン、アーサー・クルーダップ(Arthur Crudup, 1905-74)の<ザッツ・オール・ライト・ママ>だった。
エルヴィスは、スコティ・ムーアとビル・ブラックも雰囲気に載せようと踊り出したのだ。エルヴィスはその空間を支配しょようしたのだ。スコティ・ムーアとビル・ブラックも乗って演奏していた。

それを見ていたサム・フィリップスは、ずっと探し求めたいたものをの発見した。<ロック・アラウンド・ザ・クロック>のようなまがい物のロックンロールでないロックン・ロールとの初めての出会いだった。「おい!それはなんだ!ポップスだ。」
その瞬間、その瞬間、エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935-77)の伝説が生まれたのだ。

グレイスランドの外から庭園を覗く親子。母親は夜になって祖母とふたたび訪問した、

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

それはフランク・シナトラの言葉に表れている。最初はエルヴィスのことをボロクソの言っていたがやがて「俺はただの歌い手にすぎないけれど、エルヴィス・プレスリーはアメリカ文化の象徴だ」と語っているのだ、それは歴史学者のダグラス・ブリンクリィが「エルヴィスを嫌うこと、彼の音楽と黄金の声をしりぞけることは、アメリカそのものを理解しないことであり、エルヴィスはアメリカに革命を起こした存在であるという決定的な点を見逃すことだ」に通じる。

一体エルヴィスのどこがそんなに凄いのか。革命というと人種差別の壁を壊した。公民権運動の原動力になったことが浮かぶが、それにとどまらない。

俺がキングだと言っていた黒人ミュージシャン、リトル・リチャードは「エルヴィスは音楽をひとつにした。彼は神の恵みだ。白人は黒人の音楽を閉じこめていたけれど、エルヴィスがその扉を開いてくれたんだ」と語っている。エルヴィスが取っ払うことでひとつにしたのは、音楽だけでない。文化をまとめたのだ。このように言う感覚は日本人に理解できないのはなぜだろう。

野性味あふれるファルセット、官能的なヴィブラート、荒々しいシャウト、エルヴィスから放たれるそれらは、文字や言葉で伝えることができない、アメリカ人の胸の底にある感情ではないだろうか。

エルヴィスの凄みは、破竹の勢いでヒットを連発していたときに現れた。南北戦争が始まる前に、当時大流行のステージで上演されていた「ミンストレルショー」のために作られた曲が「ラブ・ミー・テンダー」の原曲である「オーラリー」であり、そこで歌われて評判となって、世間一般にヒットしていた曲です。映画初出演となった「やさしく愛して」で、バラード<ラブ・ミー・テンダー>で勝負をかけたことだ。バラードといっても原曲は何郡の愛唱歌、映画の内容にピッタリですが、このあたりの事情も南北戦争に無縁な日本人にはわかりずらい。

同じようなことは、軍隊から帰っての最初のアルバム「Such A Night」を放った後にも、イタリア民謡「帰れソレント」をアレンジした<サレンダー>や映画『G.Iブルース』では、<さらばふるさと>のタイトルでドイツ民謡「別れの曲」を歌っています、あり得ないことを平然とやってのけているのです。

リトル・リチャードやジェリー・リー・ルイスのように「俺がキング」だということなく、ジョン・レノンのように超える標的にすることもなく、エルヴィスは一度も自らを「キング」と呼ぶこともなく黙々と自分の道を歩みキングであり続けています。
エルヴィスはロックロールに閉じ込められたくなかったのでしょう。

1960年代はじめに、指揮者で作曲家であるクラシックの大御所レナード・バーンスタインは、エルヴィスと社会革命を結びつけて、「エルヴィスは20世紀におけるもっとも偉大な立役者だ」と言い切っています。エルヴィスは音楽でも、ファッションでも、政治に対しても、まったくあたらしいビート(至福)を与えたのです。

エルヴィスが宇宙に帰った1977年にジミー・カーター大統領は「エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪いとったようなものだ。彼の音楽とその個性は白人のカントリー音楽と、黒人のリズム・アンド・ブルースのスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。彼は、祖国アメリカの活力、自由、気質を世界の人々に植え付けるシンボルだった。」と語った。エルヴィスを危険分子だと認識していた政府の手のひらがえしにエルヴィスも宇宙で笑うしかないだろう。

エルヴィスが遺したギネスの数々

  • 世界で最も成功したソロ・アーティスト
  • 全米No.1シングル18曲(歴代3位)/全英18曲(歴代1位)
  • 最多ゴールド、プラチナ、マルチ・プラチナレコード獲得数:140タイトル
  • 全米No.1アルバム9作/全英6作
  • 全米チャート入りレコード149作/全英98作
  • シングル発売133枚
  • 最も長期に渡ってNo.1アルバムをチャートに送り込んだアーティスト(1956〜2002年)初のNo.1アルバム「エルヴィス・プレスリー登場!(1956)」から「ELVIS(2002年)」まで。
  • 最多ヒットシングル記録(151曲)ビルボードtop100へのエントリー回数151回は最多。
  • 1日で最もレコードを売ったアーティスト(エルヴィス・プレスリー/死の翌日、1977年8月17日) 2,000万枚以上の売り上げ。プレスリーの死の衝撃が物語れる。
  • 世界に最もファンクラブが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー)世界で(死後にもかかわらず)625のファンクラブが現在活動中である。
  • 世界で最も訪問される墓(グレイスランド) エルヴィスの墓であるグレイスランドは、年間約70万人が訪れる墓。死後18年にあたる1995年には、歴代最多の753,965人が訪れた。アメリカの国定史跡。

ジェームズ・ブラウンは「彼は白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えた」という言葉を書き残している。

アメリカ内務省のゲイル・ノートン長官は2006年3月27日、エルヴィスが母グラディスのために購入し、自身も生涯を過ごした、テネシー州メンフィスの邸宅「グレイスランド」を国の国定史跡に認定した。
認定の式典は一般公開で行われ、娘であるリサ・マリー・プレスリーも出席した。

エルヴィスは、いま世界にすでにあるものを使って、大したものでなくても、こんなふうにやると楽しいだろうと投げかけたのです。

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