こんにちわ。
メールマガジン「死ぬまでに聴きたいエルヴィス・プレスリー100曲」のお知らせです。と、いうわけで・・・「死ぬまでに聴きたいエルヴィス・プレスリー100曲」から「ラブ・ミー・テンダー」を転載します。
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やさしく愛して/Love Me Tender(ラブ・ミー・テンダー)
2004年はエルヴィス・プレスリーがサンレコードからデビューして、丁度50年にあたる記念年です。
すなわちロック誕生50周年記念の年です。
みなさんはエルヴィス・プレスリーを聴いたことがありますか?
地球上の先進国、それに続く国に住んでいる方なら、
意識しなくても知らず知らずの間に、かなりの楽曲に接しているはずです。
まだ日本が戦後をひきずっていた1954年、エルヴィスがデビュー。
56年には前代未聞の人気を浴びました。
日本人にとって、エルヴィス・プレスリーがどういう存在だったのか?
どういう影響を与えたのか、いまとなっては「分からない人」の数の方が多いのでしょう。
でも言えることは、日本でまだテレビが普及していなかった時代、大半の人はエルヴィスを見たのは映画館で上映されていたニュース映画でした。
あるいはエルヴィス・プレスリー初の出演映画「やさしく愛して/Love Me Tender(ラブ・ミー・テンダー)」でしょう。
シンプルで美しい永遠の愛の歌/ラブ・ミー・テンダー
新人歌手が、恐ろしくシンプルな愛の歌を、ギター一本で3コーラス目まで歌うというのは神業でしょう。(神ですけど)
1968カムバックスペシャルでオーケストラで歌い、進むほどの盛り上げていくのを聞くと「だよね」と納得してしまいます。
サウンドトラックでは、音楽監督の考えで、スコティ・ムーア、D.J.フォンタナ、ビル・ブラックが参加していません。理由はヒルビリー感が弱いということで、原因は楽器にあったようです。エルヴィスは、ヒルビリー感が弱いということで引き下がりましたが、バンジョーなど楽器のことだと知った時に、それならそう言えばいいじゃないかと怒ったそうです。
一通のメール
ボクはウェブで「愛ピのエルヴィス・プレスリー コレクション」を主宰しています。
もう5年になりますが、
立ち上げ早々そこで起こった、もっとも素晴らしいことは、
ボクによせられた一通のメールでした。
ある方が、自殺を考えておられました。
そして何気なくテレビに映った『エルヴィス・オン・ステージ』で
初めてエルヴィスを観て、彼女は生きようと気持ちを変えました。
エルヴィス・プレスリーの音楽が彼女の命を魂から揺さぶり救ったのです。
同じようなことは、ボクのサイトの拙い文章でも起こりました。
ボクの文章というより、
ボクの文章から飛び出したエルヴィス・プレスリーが
たまたま読んでいただいた方の魂を揺さぶったのです。
人心が荒れる時代にこそ、聴いてもらいたい曲があります。
ジョン・レノン、キース・リチャーズ、E・クラプトン、B.スプリングスティーン、ボン・ジョヴィ、ジム・モリソン・・・
その他数えきれないミュージシャンが、エルヴィス・プレスリーの音楽によって人生を変えました。
是非聴いていただきたい100の曲を通して、エルヴィス・プレスリーの音楽とは何か?
ロックンロールとは何か?エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか?
そしてなにより、もっとも重要なこと
「生きるうえで生じることあれこれ」を探りたいと思います。
もちろん初歩的な誰でも知っていることも多々ありますが、初心を大事にしたいという思いから
何かのお役にたてるのではと考え配信しています。
主旨に賛同して、
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死ぬまでに聴きたいエルヴィス・プレスリー名曲選
「死ぬまでに聴きたいエルヴィス・プレスリー名曲選」と言っても、ハズレのないエルヴィスですから、聴く側の音楽センスが問われます。
「おしゃべりはやめて(リトルレス・カンヴァセーション)というシングル盤がリリースされたとき、こんなのどこがいいと思いましたが、死後世界的大ヒットになり、オールスター映画のサントラにもなり、2021年のいまもCM(吉永小百合さんとエルヴィスというすごいCM)に使用されています。
Love me tender love me sweet
Never let me go
You have made my life complete
And I Iove you so
* Love me tender love me true
All my dreams fulfill
For my darlin’, I Iove you
And I always will
Love me tender, Iove me long
Take me to your heart
For it’s there that I belong
And we’ll never part
* Repeat
Love me tender love me dear
Tell me you are mine
I’ll be yours through all the years
Till the end of t’me
* Repeat
やさしく愛して、甘く愛して
決して僕を放さないで
人生を満たしてくれた君をとても愛してる
*やさしく愛して、誠実に愛して
夢はすべて叶えられた
僕のダーリン、愛しているよ
いつまでも変わらずに、優しく愛して、
いつまでも愛して僕を心の中に入れておくれ
そこが僕の居場所なのだから
そうすれば二人永遠に一緒
*くりかえし
やさしく愛して、心から愛して
僕のものだと言ってくれ
これからの年月、僕は君のもの時の終わりまで
*くりかえし
★★★LOVE ME TENDER
これは涙ものです!↓
■エルヴィスNBC・TVスペシャル [LIMITED EDITION]
★★ご存知でしたか?
ド派手の裏側、寡黙な男のさりげないやさしさ
米国レコード工業会(RIAA)では、更新され続けているエルヴィス・プレスリーのレコード(CD)売上記録を改めて正式に認定するための厳格な監査が行われていました。
2004年1月8日。
エルヴィス・プレスリーが眠るエルヴィスの自宅。
グレイスランドにおいて、米国レコード工業会(RIAA)は、エルヴィスの誕生日に合わせて
歴史的な偉業を証明するための公式発表を執り行いました。
RIAAは、エルヴィスは米国内において1億枚のレコード(CD)セールスを記録した米国史上最高売上ソロ・アーチ-ストであると公式発表を行いました。
米国内においてエルヴィス・プレスリーは
97枚のアルバムがゴールド・レコード認定、
うちの55アルバムがプラチナを獲得。
そのプラチナのうち25アルバムはマルチ・プラチナを受賞しています。
なかでもRIAA認定によれば「Elvis’ Christmas Album」は700万枚を超える
セールスによってエルヴィスの最多売上アルバムに認定されています。
シングルにおいても、
51のゴールド、うち27枚がプラチナ、7枚がマルチ・プラチナの偉業を達成、
公式認定されています。
以上は米国内のセールスに限定したことですが、
世界中を対象とすれば、10億枚(アルバムとシングル両方を含む)を
超えるセールスを記録していて、全セールスの約60%が米国、40%が外国
であるとコメントしています。
新しいものでは、
昨年チャートナンバー1になった最新アルバム「2nd TO NONE」がゴールド、
2002年世界17カ国でナンバー1になった「ELV1S:30 #1 HITS」がプラチナに
昨年11月認定されています。
アメリカ家庭に1枚はあるエルヴィス・プレスリーのレコード
デビューしたのが50年前。
1977年、暑い夏の日に他界して、すでに27年を迎えようとしています。
アメリカでは今年もイベントが行われます。
日本でも「エルヴィス・オン・ステージ」が命日である8月16日にあわせて
東京は東劇、大阪は梅田ブルクなどでロードショー公開されます。
懐かしのミュージシャンではなく、いつの時代もエルヴィス・プレスリーは、いまを共に生きるアーティストです。
ボクは1999年、アメリカの友人宅で過ごしていました。
実家のある中流のホームタウンでは、
7月4日の独立記念日を祝い、めいめいの家庭の庭先では、家族の花火大会が行われていました。
花火自慢から始まった雑談に興じていたのですが、エルヴィスの話になって、そこに居合わせたどの家庭にもエルヴィスのレコードが少なくとも1枚はあることをその時知りました。
その内の数軒は遠い国からきた奇妙な異邦人であるボクに、所有するエルヴィスのレコードをわざわざ見せてくれました。RIAAの公式発表を裏付ける話ですね。
人種差別の厳しいアメリカ南部、
ワーカークラスでも最下層の生活保護を受けなければならない家庭で
育った白人の若者が、どのようにしてここに辿りついたのでしょうか?
あるいはなぜそうなったのでしょうか?
この夏、公開される記録映画「エルヴィス・オン・ステージ」に
ひとつの答えを見ることができます。
「エルヴィス・オン・ステージ」に、「ラブ・ミー・テンダー」を歌う場面があります。
エルヴィスは女性ファンにキスのサービスを始めます。
ついにはスタッフの制止をふりきってホールに下りてしまい、
混乱のなかをラウンドします。
ボクはこのシーンが嫌いでした。
多くの人が「キモい」と思ってしまう場面かも知れません。
でも近頃エルヴィスの気持ちがようやくわかったような気がするのです。
■エルヴィス・オン・ステージ スペシャル・エディションDVD
1970年「エルヴィス・オン・ステージ」の舞台となったヒルトン・インターナショナル・ホテルは、
古いダウンタウンから離れた場所に建てられた当時話題の大型ホテルです。
いまでこそヒルトン・インターナショナルを凌駕する人気ホテルが続々
と作られ、中心地が変わってしまったため、ダウンタウンと現在の中心地
の狭間にあり、いまではいい場所にあるとはいえません。
つまり、ドレッシーな大人の遊び場だったラスベガスから家族で楽しむラスベガスに変わろうとする始まりだったのです。
「すべてはエルヴィスから始まった」は、ここでも適用されるのではないでしょうか?
「エルヴィス・オン・ステージ」の客席には、ニューヨーカーのような人は少なく貯金を下ろして精一杯のお洒落をして遠くからやってきた「田舎者」らしい人が多く見られます。
エルヴィスのキスは、その人たちの”やりくりして過ごすつつましい日常”に向けられた頑張れよのキスだったと思うのです。
その暮らしが、どんなものなのか物心つく以前に身体で知っているエルヴィスならでは共感なのです。
ファンサービスという表現で片付けられない人間への思い、いたわりが、派手な衣装と笑顔と女たらしなポーズに隠されたまま、何食わぬ顔で淡々と繰り広げられます。
来たこともない見たこともない自分の日常にはないゴージャスな場。
その緊張を汗と熱唱で興奮に変えることで、粉々に打ち砕き、ありのままの自分になれるように場を作り、それでも恥かしい女性の気持ちを自分が全部引き受けて、君はボクにキスしてくれないのと言わんばかりに手をさしのべる。
男ですよね、愛される理由です。
自分のことなら引っ込み思案になったけれど、人のためなら、誤解を恐れず、ただの一度も言い訳も説明もしなかったエルヴィス。
寡黙なままに行われた偉業。
それこそが、「エルヴィス・プレスリーのロックンロール」でした。
印税生活をしていたエルヴィスにとって、RIAAの公式発表は、お金をどれだけ稼いだかということと同義語です。
エルヴィスは稼いだお金をどう使っていいのか分からないまま、寄付やプレゼントは別にしても、ムダ使いをしました。
しかし一方では、冒頭「このメルマガの主旨」でもお分かりのように、RIAAの公式発表は「魂の救済の数」でもあります。年月が過ぎて、こちらは利息を生んでいるようです。
ゴールデンウィークのある日のひととき。
窓をあけて一度、エルヴィスを聴いてみませんか?
まとめ
いやな部分は男が引き受ける。
安心できる人だから愛したくなる。
安心させるから愛される人になれる。
やさしく愛するからやさしく愛される。
<ラブ・ミー・テンダー>
お母さんが幼子につぶやく「よし、よし」の気持ちを失わないで。
若き日のエルヴィス・プレスリーとソフィア・ローレン『よしよし』の図
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