エルヴィス・プレスリーの「マイウェイ」 / My Way:1973

エルヴィスがいた。

エルヴィス・プレスリーが「マイウェイ」を披露したのは、1973月1月14日、15億人が鑑賞したといわれるホノルルから人類初の宇宙ライブ中継をした時です。
シンガーソングライター、ポール・アンカがシャンソンに英語の歌詞をつけた「MY WAY 」は”私の道”ではない。”わたしのやり方”だ。もっというなら「わたしのあり方」であり、エルヴィス・プレスリーは「やり方」には関心が弱く「あり方」こそ、すべてだった。だから「やり方」にはノーガードで生きたヒトである。と、ぼくはそう思っています。

マイウェイ / My Way

MY WAY

And now the end is near
So I face the final curtain
My friend l’ll sav it clear
l’ll state my case of which l’m certain

l’ve lived a ife that,s full
l’ve traveled each and every highway
And mare much more than this
l did it my way

Regretsi I’ve had a few
But then again, too few to mention
l did what I had to do
And saw it through without exemptian

l planned each charted course
Each careful step along the byway
Oh, clnd more, much more thon this
l did it my way

Yes there were times, l’m sure you knew
When ! bit off more than I could chew
But throvgh it all when there was doubt
l ate it up yeah and spit it out
l faced it a:1 and I stood tall
And did it my way

l’ve loved. I’ve laughed and cried
l’ve had my fill,my share of losing
And now as tears subside
l find it all so amusing

To think I did all that
And may I say, not in a shy way
Oh no, no not me
l did it my way

For what is a man, what has he got?
If not himself, then he has not
To say the words he truly feels
And not the words the world reveals

The record shows I took the blows
And dld It my way
The rocord shows I took the blows
And dis it my way

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

ニューズを聞いたあとでロックンロールを聞くと、ニュースとロックは、聞き手の心のなかでひとつに溶けあうのだ。

音楽が音策だけで心に入るということは、当時のロックンロールに関しては、まずなかった。自分が身を置いている世界の、ほとんどあらゆることが、ロックンロールと練りあわされて聞き手の心にぶつけられた。トータル・インヴォルヴメントの先がけが、ここにみられる。 ラジオやレコードをと怨して、ティーンエージャーは、さまざまなものからマッサージをうけた。

レコードがオリジナルだから、歌手が生ま身であらわれる公演は、逆に複製だった。レコードは電気的な助けをかりてつくられるが、公演ではそれがない。

聞く人それぞれがレコードによってつくりあげたその音のイメージに勝つためには、歌手は、エルヴィス・プレスリー やリトル・リチャードのような、すさまじいステージ・プレゼシスを持っていなければならなかった。

ロックンロールが社会にあたえた影は、こうして考えてくると、音楽的なものよりもそうではないもののほうが大きかった事実が、わかるのだ。まず、ポピュラー音楽のなかで忠実に守られていた、ポプ、カントリー・アンド・ウエスタン、リズム・アンド・ブルースなどのカテゴリーが、ロックンロールによってとり払われた。とこでは、エルヴイス・プレスリーが、大きな役割を果たした。たとえば彼は、自分の好きな歌手として、アーサー・ビッグボーイ・クラダップ、インク・スポッツ、フランク・シナトラ、そしてハンク・スノウを、あげている。

彼自身、幼少のときから少年時代にかけて、いろんな音楽にさらされてきたわけで、その音楽的な体験を、いく人かの好きな歌手として逆に具体化していくと、この三人の歌手とひとつのグループになるのだ。そしてこの選択は、アメリカのポピュラー音楽の、ほぽ全域をカヴァーしている。インク・スポッツはたしかに黒人のグループだが、正確にはリズム・アンド・ブルースではないだろう。しかし、リズム・アンド・ブルース・アーティストの選択としては、ジョー・ターナー 、クライド・マクファター、フアツツ・ドミノ、ウイリー・メイ・ソー ントンなどよりは、白人世間一般の人に対する戦術としてはまさっている。アーサー・クラダップはエルヴィスのヴォーカル・スタイルとショーマンシップの源流だ。初期のエルヴィスに対する、質の高いブルース・シンガーとしての評価は、アーサー・クラダップの真似にある。フランク・シナトラは、極限ちかくまで普通化されたポップスのシンボルとしての選択だろう。

そしてハンク・スノウは、エルヴィスの底に深く流れているカントリー・アンド・ウエスタンの表現だ。エルヴィスは、すべての人たちにとって非常に幸福なことに、南部での生活のなかで自然につくりあげられていった、音楽的にトータルな複合体だった。

音楽の世界での、黒人と白人との差別も、かなりとりはらわれた。おたがいにおたがいを利用し、ともに得をするという、ちょっとした民主主義のかたちで、黒人でもスターになれる時代がきたのだ。

音楽というインヴォルヴメントをいくつかのカテゴリーに分けることの無意味さを、プレスリーは身をもって証明している。プレスリーのシングル盤が、AB 両面とも、ふたつ以上のカテゴリーにまたがってヒットするという、すでになん度も実現されてきた事実がその証明だ。音楽的にトータルな複合体といっても、マネジャーのトム・パーカーがやらせたように、エディ・アーノルドのヒット「キャトル・コール」を、ヒューゴ・ウインターハルタ のパックでエルヴィスにうたわせる、ということではないのだ。プレスリー版「キャトル・コール」は、さすがに評判はわるかった。

すぐれたロックンロールは、ビートによって切迫感をあたえられた日常生活のリアリズムが、聞き手の心にトータルな衡濯をあたえる音楽だった。心のなかにつくりあげられるその衝撃は、聞き手の全存在にかかわりを持ってくるだけに、スピリチュアルな体験であると同時に、日常的でリアルだった。

ロックは、基本的には、現実との対決だった。たとえば、夕食後の一時間をロックを聞いですごすというような、そんな部分的なつまらないことではなかった。ロックは、生き方だった。

45回転シングル・レコードは、ティーンエージャー専用だった。
1950年代の終りにトータルな体験と目覚めはアメリカにはジューク・ボックスが50万台ちかくあり、シングル盤売り上げの大半がジューク・ボックスに依存していた事実をみても、45回転レコードがいかにティーンに対して強く向けられていたか、わかるのだ。

アメリカのなかに、ティーンというまたべつの国が、ひとつできた。1955年、ジェームズ・ディーンが主演した映画「理由なき反抗」によって、アメリカのなかのティーンは、理由なき反抗の世代とされてしまった。彼らの反抗に、理由がないというのは、まちがいだ。理由(正しくは〔目的〕と訳すべきだった)は、あった。しかしその反抗は、大人の世界との境界線上にいる両親に向けられていて、結局、その両親をこえるととはできなかった。逆に考えれば、両親たちが、それぞれの子供たちの反抗を、とりあえずまだ押えることができていた。

ティーンの世界と、両親に象徴される大人の世界とは、変化していく社会が生んだ、対立するふたつの異なった価値だった。ロックンロールにも、このふたつの価値は、持ちこまれていた。1950年代の後半、特に56年から59年にかけて、この事実が目立った。

エルヴィス・プレスリー、ロイド・プライス、リトル・アンソニー、エヴァリー・ブラザーズ、エディ・コクラン、ジーン・ヴィンセント、バディ・ホリー、リッチー ・ヴアレンス、ザ・ドリフターズ、ザ・シルエッツ、フィル・スベクターたちがひとつの価値だとすると、これに対立する、従来どおりの、なんの変化も改革もない、つまらない大人の世界の価値として。コニー・フランシス、ニール・セダカ、ボビー・ライデル、ボビー・ヴィー、リッキー・ネルソン、フランキー・アヴァロン、フェビアン、ポール・アンカ、パット・ブーンたちがいて、彼らの少しもすぐれてはいないロックンロールは優れたものと同じように、そして時にはそれ以上に、売れていた。

大人の世界の価値の方がティーンたちのそれよりまだ力がはるかに勝っていたからであるのだが、ロックンロールのいまだ力のたらない部分、社会的な広がりを持った影響力が欠けていた部分にテレビの力が、ものをダメにする力として働いたからでもある。

「ぼくはエルヴィスが大好き」より抜粋

この時代、売れないロックンロールでもテレビにさらされると途端にヒットしたのだ。
この傾向は1954年から顕著に始まった。
つまりテレビがあらゆるアメリカの物質社会に大きく寄与した。

さらにあらゆる商品にエルヴィスが施され、エルヴィスは物質社会の権化のように映った。

はたしてエルヴィス・プレスリー自身はどうだっただろうか?

エルヴィスが求めてやまないものは母グラディスの安心と安全だけだった気がするのは私だけではないだろう。その思いが「エルヴィスは幸せだったのか?」という言葉に宿る。

その実像がどうであれ自分の支えになったミュージシャンの「わたしのやり方」とは思えない死は、ぽっかりと穴のあいた悲しみに通じる。
もう待ちわびるものがない空虚が悲しい。

特に突然に、予期しない形で、しかもあり得ないと思うミステリアスな別れ方は、痛みも大きくその分支えの大きさもより大きく感じる。

記者たちを前にしたインタビューで「イメージのようには生きていけない」と語っていたエルヴィスの健全さが懐かしい。
だから派手なジャンプスーツを着てステージで躍動を可能にした。
そして、自身の唄にあるように、TOO MUCH なにかにつけてやり過ぎた。

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エルヴィス、あなたの”あり方”

死後作られた映画「THIS IS ELVIS」の最後に死が押し迫ったエルヴィスのコンサート風景が映し出される。
太ったエルヴィスにはいつ見ても驚かされる。しかし誤解のないように断っておくが、エルヴィスが太ったというだけのことだ。つまり世に心ない人がおもしろおかしくいうような太り方ではない。もちろんアメリカにあふれている体型ではない。
だからファンもそのままのエルヴィスを受け入れて同じように支援し、励まされている。

驚きのまま映像のエルヴィスは「マイウェイ」を歌う。 映像はそのままモノクロの若いエルヴィスに転調する。
音は「マイウェイ」が続いている。時の経過をいやでも感じさせる。

それはエルヴィス、あなたのやり方だった。
そして受け入れられないことを受け入れる覚悟をして、受け入れるすべてを受け入れて立っている姿こそ最も美しいエルヴィスのように思える。

それは奇異であり、慈愛であり、献身であり、感謝だ。
人生の外的な要素をいじるだけでは人は幸福になれない。
エルヴィスは叡智の必要にひとりでたどりつき最後に知っていた。
エルヴィス、あなたのやり方で。

クロージングに歌われた「マイ・ウェイ」・・・総立ちの観衆の熱狂的な歓声と鳴り止まぬ拍手を最後にステージを去った。

エルヴィス・プレスリーには野心がなかったという声がある。
世界一のセールス枚数が野心そのものではないのか。
音楽は頭で考えるものではなかったか。
野心とはなんだろう?
疑問は、疑問は・・・「わたしの”あり方”」の歌声のなかに消えていく・・・。

再現不可能だった葬儀シーン

映画『ELVIS(エルヴィス)』のクライマックス、葬儀のシーンが実写と映画用に撮影したものが混在して挿入されている。
エルヴィスの名誉のために修正を加えるなら、実際の葬儀の規模は映画の比ではない。

1977年8月16日エルヴィスは不整脈により、ほぼ即死であったが、発見後すぐにバプテスト記念病院(現在のエルヴィス・プレスリー記念病院)へ搬送。医師は午後2時30分、エルヴィス・プレスリーの死亡を確認した。42歳没。
検視後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。

死亡の速報が流れた当日の夕方には、メンフィスのグレイスランドに集まったファンだけで2000人〜3000人を超えていた。

速報を受けたカーター大統領が300人の国家警備隊の兵士に秩序を維持するよう命令しました。メンフィスのすべての建物はすぐにフラグを降ろしました。

キャリアのスタートからの仲間であり友人であったスコティ・ムーアは、葬儀は見世物ショーになると出席を断念。多くのスターが同じ判断をしたため、葬儀そのものは比較的質素になりました。アン・マーグレット、ジェームス・ブラウン、ジョージ・ハミルトンらが参列したものの、30,000人以上のファンが別れを惜しむために参加しました。

翌日8月17日、エルヴィスはバプテスト記念病院(現在のエルヴィス・プレスリー記念病院)からグレイスランドに戻った。
そこでは、エルヴィスの父ヴァーノンによって注文された棺が玄関に設置された。

道路に溢れ埋め尽くしたファンの悲哀と絶叫、暑さで現場は異様な雰囲気になり倒れるものが続出。収拾がつかなくなりました。
映画がこの状況を再現するのは不可能でした。

バズ・ラーマン監督の想い

もっとも売れたソロ・アーティストと、クレジットされる。
記録はいまも更新され続けていることへのバズ・ラーマン監督の対応だろう。

バズ・ラーマン監督は、映画『ELVIS(エルヴィス)』で、ロックンロールのルーツとエルヴィスの真実に迫ろうとしてブルースに対して丁寧に描いている。何度観てもビールストリートの場面は素晴らしい。
さらに映画『ELVIS(エルヴィス)』に取り組むことで、エルヴィスへの理解ができていなかったことを思い知ったと語っています。

尚、映画『ELVIS(エルヴィス)』の上映時間は2時間39分だが、4時間バーションもあるらしい。いつか完全版が見られるかも知れない。

マイ・ウェイ

そしていま終焉も近づき
私は最後の幕に向かう
友よ、君に伝えたい
自信珪もって伝わせてもらおう

充実した生涯をおくり
どんな道も通ってきた私だが
けれど何よりも、それ以上に
自分なりのやり方で生きてぎたと

後悔、もちろんいくつかある
しかしあえて言葉にするほどはない
やるべき裏は全て
誰の力も借りずにやりとげた
一つ一つ計画をたて
一捗づつ慎重に歩んでぎた
けれど何よりも、それ以上に
自分なりのやり方で生きてきたと

そう、確かに時には
己れの力以上の事をこころ みた
しかし迷いがあっても
もがき、苦しみ
立ち向がい、誇りを失わず
目分なりのやり方で乗り越えた

人を愛し、笑い、泣きもした
みたされ、別れも味わった
悲しみも癒えたいま
目分目身に驚いている

たくさんの事を経験してきたのだと
恥ずかしがらずに
私らしく堂々と云おう
自分なりのやり方で生きてきたと

男とは何を持っているのだろう?
自分以外には何もない
他人の言葉ではなく
己れの感じるがままを述べるべき

軌跡が証明する、私は正しかったのだと
自分なりのやり方で生きてきたと
軌跡が証明する、私は正しかったのだと
自分なりのやり方で生きてきたと

▼メルマガ死ぬまでに聴きたいエルヴィス・プレスリー100曲」発行済み作品

愛はやさしく
アイル・ビー・バック/i’ll Be Back
愛なき女/Woman Without Love
アイ・ガット・ラッキー/ I Got Lucky
アイ・ガット・ア・ウーマン / I Got A Woman
アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラブ・ユー / I want you, I need you, I love you
アイ・ベグ・オブ・ユー/I Beg Of You
愛しているのに
愛さずにはいられない / I Can’t Stop Loving You
ア・フール・サッチ・アズ・アイ/ (Now And Then There’s) A Fool Such As I
アメリカの祈り /An American Trilogy
アカプルコの海/ FUN IN ACAPULCO
明日への願い / If I Can Dream
明日に架ける橋/Bridge Over Troubled Water
アダムと悪魔/Adam and Evil
アンチェインド・メロディ/Unchained Melody
アメイジング・グレイス/Amazing Grace
イエスのみ許へ/Reach out to Jesus
偉大なるかな神 / HOW GREAT THOU ART
イン・ザ・ゲットー / In The Getto
イージー・クエスチョン /(SUCH AN) EASY QUESTION
イン・マイ・ウェイ / In My Way
イズ・イット・ソー・ストレンジ
内気な打ち明け / Just Tell Her Jim Said Hello
ウォーク・ア・マイル・イン・マイ・シューズ
エンジェル(僕の天使)/ ANGEL
想い出のバラ/Mama Liked The Roses
お日様なんかでなくてもかまわない/I don’t care if sun don’t shine
ガールハッピー(フロリダ万才)/GIRL HAPPY
ザ・ガール・アイ・ネパー・ラブド
神の手に導かれ/He TouchHed Me
悲しき悪魔 / (You’re The) Devil In Disguise
考えなおして/リコンシーダー・ベイビー/Reconsider Baby
監獄ロック/Jailhouse Rock
グッドラック・チャーム/ Good Luck Charm
クリーン・アップ・ユア・オウン・パックヤード/CLEAN UP YOUR OWN BACKYARD
恋の大穴/A Big Hunk O’Love
恋のトラブル/T-R-O-B-L-E
恋にしびれて / All Shook Up
この愛をいつまでも/ゼアズ・オールウェイズ・ミー/THERE’S ALWAYS ME
恋の讃歌/Today, Tomorrow And Forever
心のとどかぬラヴ・レタ- / Return To Sender
恋のルーレット/THE LOVE MACHINE
サッチ・ア・ナイト/Such A Night
サンタが町に来る/ Santa Claus Is Back In Town
ザッツ・オール・ライト / That’s All Right
シェイク・ラトル・アンド・ロール/SHAKE, RATTLE AND ROLL
G.I.ブルース
ジャスト・プリテンド / Just Pretend
好きにならずにいられない / Can’t Help Falling in Love
好きだよベイビー(カモン・エブリバディ/ C’mon Everybody
その気でいこう/LET YOURSELF GO
冷たくしないで/ Don’t Be Cruel
テデイ・ベア/(LET ME BE YOUR) TEDDY BEAR
テル・ミー・ホワイ
天の主を信じて/I BELIEVE IN THE MAN IN THF SKY
トゥ・マッチ/Too Much
泣きたいほどの淋しさ/I’m So Lonesome I Could Cry
夏に開いた恋なのに/SUMMER KISSES, WlNTER TEARS
悩まされて/Paralyzed
何でもないのに / She Thinks I Still Care
ハウンド・ドッグ
激しい恋には深い痛手/Big Love Big Heartache
はてなきハイウェイ/
(It’s a)Long Lonely highway
バラに降る雪
ハートブレイク・ホテル / Heartbreak Hotel
ブルー・ムーン/ Blue Moon
ブルー・スエード・シューズ / Blue Suede Shoes
ブルー・クリスマス/blue Christmas
ホワッド・アイ・セイ/What’d I say
ボサ・ノヴァ・ベイビー/Bossa Nova Baby
マイ・ボーイ / My Boy
マイ・ウェイ/My Way
マネー・ハニー/Money Honey
ミステリー・トレイン /  Mystery Train
ミルクカウ・ブルース・ブギー / Milkcow Blues Boogie
胸に来ちゃった/It’s Hurts Me
ムーディ・ブルー/Moody Blue
メス・オブ・ブルース/Ness of Blues
破れたハートを売り物に/ONE BROKEN HEART FOR SALE
広い世界のチャンピオン/ King Of The Whole Wide World
別離の歌 (わかれのうた) / Separate Ways
僕はあやつり人形/PUPPET ON A STRING
約束の地/PROMISED LAND
ユー・ゲイプ・ミー・ア・マウンテン/ You Gave Me A Mountain
夢の渚/Follow That Dream
ラスベガス万才/Viva LasVegas
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ワン・ナイト / One Night
ワン・サイデッド・ラヴ・アフェア/ONE SIDED LOVE AFFAIR
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◎クリスマス特別号
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クリスマスに帰れたら /If I Get Home On Christmas Day
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