ブルー・スウェード・シューズ/Blue Suede Shoes:1956

エルヴィスがいた。

「エルヴィスがいなかったら、我々はパティ・ペイジと訣別することはできなかっただろう」という有名な言葉がアメリカにある。
ジョン・レノンは「エルヴィスがいなかったらビートルズはなかった」と言い、ポール・マッカートニーは「われわれは遂にエルヴィスを超えることができなかった」と言った。

先駆者エルヴィスを賞賛する言葉だが、もっとすごいのは、白人と黒人が同じバスに乗ったのはエルヴィスが全米に大ブームを起こした6年後の出来事だということだ。

1896年、アメリカ最高裁が下した「分離すれども平等」という考え方は人種差別待遇は憲法に違反しないと判決を下した。

この判決によって白人と黒人が同じバスに乗ったり、学校へ行ったり、レストランで食事したりすることができなかった。

エルヴィス・プレスリーを「ロカビリー」と表現するのは正しくない。「ロカビリー」と言うなら<<ブルー・スウェード・シューズ>を作ったカール・パーキンスに言うべきだろう。

カール・パーキンスとエルヴィス・プレスリーの<ブルー・スウェード・シューズ>を聞き比べると即座にわかるはずだ、エルヴィスはロカビリーもやったかも知れないが、<ブルー・スウェード・シューズ>をやったとき、次に行く扉は、すでに開いていた。
エルヴィス・プレスリーはもっと壮大で捉えようのない開拓者だった。

エルヴィス・プレスリーはアメリカそのものだった。
過大評価だというならアメリカの愛だった。

ブルー・スウェード・シューズ/Blue Suede Shoes

エルヴィスと同じメンフィスのサンレコード所属のシンガー、カール・パーキンスのBlue Suede Shoesという曲は、エルヴィス・プレスリーによってロック魂そのものになった。

♪ well you can do anything but lay off my blue suede shoes♪

ロックの黎明期のこと。ふたりのパフォーマンスを聞き比べると同じ曲なのに解釈の違いが歴然だ。
エルヴィスは「あんたが何をしたって構わない。 だけど俺のBlue Suede Shoesは踏まないでくれ」と歌った。
この曲がロックンロールとは何かをすべて表現している。

その前に資金難から、エルヴィスを手放すことを余儀なくされたサン・スタジオのオーナー、サム・フィリップスの言葉に耳を傾けよう。
「エルヴィスにしてやれた最大は<ミステリー・トレイン>を録音してやれたことだった」

エルヴィスは<ミステリー・トレイン>をラスベガスのショーでも歌い続けた。
<ミステリー・トレイン>のタイトルでジム・ジャームッシュ監督が映画化した。
この映画は、1989年のカンヌ国際映画祭最優秀芸術貢献賞をが受賞した。

<ミステリー・トレイン>は、サンで録音した楽曲のなかでも優れたもので、エルヴィスの生涯でももっとも優れた刺激的な曲だった。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか。

大スターで女にモテる億万長者に対する妬みや羨望のまなざしで描くステレオタイプのイメージとかなり違ったと想像できる。ドラッグを嫌い、色仕掛けの女を嫌った。
エルヴィスは自らの子どもの天真爛漫さを愛した。素朴な情感をこよなく愛する。誤解が事実だったとしたら、自分を喜ばせるものを好み、そうでないものを嫌ったからだ。グレイスランドのジャングルルームが物語っているそれは、アートとは無縁の南部の貧しい白人のスタイルだ。

リトル・ジュニア・パーカーの原曲バージョン<ミステリー・トレイン>と違い、エルヴィス・バージョンでは大胆な解釈が施されている。彼女を連れ去ったミステリー・トレインを支配下において、Uターンさせたエルヴィスは勝利の雄叫びをあげている。
これこそ、南部の貧しい青年の生への意欲が、若い女性のこころを鷲づかみにした開放感だった。

その魂は、<ブルー・スウェード・シューズ>にもキラキラと輝いている。

三で用意ができたら、さあ、いくぜ!

♪ well you can do anything but lay off my blue suede shoes♪ 

*一つめは金のため
二つめはショーのため
三で用意ができたなら、さあ行くぜ
でも俺のブルー・スエード・シューズを踏まないで
なにをしたっていいけれど
ブルー・スエード・シューズだけは踏まないで

俺のことを突き倒し
顔を踏んづけたって構わない
町中に悪口を言いふらしてもいいさ
でもどんなことをしようとも
俺の靴だけには近寄るな
俺のブルー・スエードシューズを踏まないで
なにをしたていいけれど
ブルースエード・シューズだけは踏まないで
(よし、行ぐせ!)
(一発キメてやれ!)

俺の家を燃やそうが
大事な車を盗もうが
酒を飲んじまっても構わない
どんなことをしようとも
俺の靴だけには近寄るな
俺のブルー・スエード・シューズを踏まないで
なにをしたていいけれど
ブルー・スエード・シューズだけは踏まないで

(ロックしな!)

*アドリブでくり返し

ブルー、ブルー、ブルー・スエード・シューズ
ブルー、ブルー、ブルー・スエード・シューズ
ブルー、ブルー、ブルー・スエード・シューズ
ブルー、ブルー、ブルー・スエード・シューズ
なにをしたっていいけれど
ブルー・スエード・シューズだけは踏まないで

すべてはここからはじまった

誰もが見たことも聴いたこともないその過激さゆえに悪魔か殺人鬼のように世間から袋叩きにされたアメリカ南部メンフィスの貧しい青年エルヴィス・プレスリー。

当時のライバルで優等生のイメ-ジのパットブーンが白で固めたコスチュームに対峙して歌った<ブルー・スウェード・シューズ

エルヴィスと同じサンレコード所属のカール・パーキンス のオリジナルだが、当時のエルヴィスの状況を映し出した曲として、エルヴィス・プレスリーのシンボリックな曲として扱われている。

カール・パーキンスのオリジナルとは違いエルヴィス・プレスリーは最初からたたみかける。
一気に突っ走る。ロック魂がストレートに伝わってくるワイルドさが爽快だ、

ロック魂とは、つぶれそうになりながらも、あるいは潰されそうになりながらも、泣きたい、降参したい、それでも自分の道を貫き通そうとする。追い込まれてもがむしゃらにやる、カッコ悪さではないだろうか?ロックンロールとは生きる姿勢のことだ。そこにブルースでもなく、R&Bでもないロックの面目がある。

カッコ悪いというのも、第三者に言わせればの話で、実はそう言う本人にやり通す自信がないだけのこと。
つまりコンプレックスの裏返しでしかない。
ロック魂とはこの裏返ってハスに構えた状態ではなく,もっとストレートでがむしゃらで変化を恐れないことだ。

たとえば、60年代の映画「恋のK・Oパンチ」に使用された「広い世界のチャンピオン」を聴くたびに、エルヴィス・プレスリーの声の活動に圧倒される。エルヴィスによるロックンロールのパロディであったにしても、初期エルヴィスの魂は脈づいている。

重い声が軽々とコントロールされ、強い声が、羽根が風に舞うようにビブラートする。

「ジョニー・B・グッド」をチャック・ベリーと聴きくらべると分かる。その声が対極にあること。

そして、1956年リリースのアルバム。
「エルヴィス・プレスリー登場!」のオープニング!
イントロなしで突然始まる疾走する声<ブルー・スウェード・シューズ

それは、もう青春を超えていのちのバイブル。
1955年12月録音、56年3月に白人としてはじめてR&B部門にチャート・インさせた作者自身であるカール・パーキンズと聴き比べても分かるリアリティー。

他の誰とも違うエルヴィス・プレスリーの音楽。

エルヴィス・オン・ステージ

さらに「エルヴィス・オン・ステージ」が、エルヴィス自身が他の誰とも違うことを知らせてくれます。

1970年のオリジナル版「エルヴィス・オン・ステージ」には、そのことを適確に表現したとっても重要な年配の女性ファンのコメントがあります。

「エルヴィスが全力で歌うと、場内に愛があふれる」
それこそが「エルヴィス・オン・ステージ」を貫いている明確。

エルヴィス・プレスリーの音楽の本質にして、
エルヴィス・プレスリーその人。でもそれはきっと人間の普遍性。

全力で行えば愛がにじみでて、人に愛が塗り染められていく。
その素敵を「エルヴィス・オン・ステージ」が教えてくれます。

そして「エルヴィス・オン・ステージ」が見るものを圧倒するのも、愛があふれるほど、全力で行う機会が、ボクたちの日常に多くないから。
日常の多さより日常の深さこそが重要なのかも。

それも「ブルー・スエード・シューズ」なんですよね。
つまり、ひとつの意見です。

全力で行えば、潰れてしまう心配もないではないけれど、エルヴィスの「ブルー・スエード・シューズ」は速いですよね。

踏まれないようにするには、このくらいのスピードが必要なんでしょうね。

なにをしたっていいけれどブルー・スエード・シューズだけは踏まないで。

エルヴィス・プレスリー登場!
△全曲シングルカットした伝説のアルバム。これこそ”キング”の原点!

エルヴィス・オン・ステージVol.1 [LIMITED EDITION] [LIVE]
△ベストセラーを続けたサントラ盤が映画公開にあわせて記念のリリース

 

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