7月4日はアメリカの独立記念日です。
ベトナム戦争後、「強いアメリカ」を求め続けて50年近くすぎました。
レーガン大統領とトランプ大統領は似てますが、トランプさんの場合、破れかぶれ感がありました。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は1985年の映画ですが、タイムスリップして50年代に戻りました。いちばん強くて元気に輝いていたアメリカです。70年も前の時代になります。
その間ロシアはずっと悪役ですね。バブリーな日本は、すっかりその座を中国に譲りましたね。
思えば50年代にデビューしたエルヴィス・プレスリーは強くて無邪気なアメリカ代表でした。
60年台、70年代と光の時代と影の時代がありましたが、アメリカの求心力の低下と重なって気の毒に責任とらされた感があります。『ロック対ディスコの時代』もありました。ホワイトアメリカンには我慢できないんですね、強いアメリカにはロックが心のふるさとなんです。
アメリカ魂/U.S.Male
エルヴイス・プレスリー26作目の主演映画<ステイ・アウェイ・ジョー/Stay Away>のサウンドトラックのための、67年10月2日に続く2度目のレコーデイング・セッション(1968年1 月15日〜17 日)を行った。<アメリカ魂/U.S.Male>は、その中から、映画とは関係なくシングルとしてリリースされた。
オリジナルはエルヴィスのお気に入りだった<ギターマン>以来、つきあいが深まったジェリー・リードが67年の自身のアルバム<Guitar and Voice of Jerry Reed>の中で取り上げた自作曲
「オレはミシシッピーが合衆国になった日曜の朝に生まれたんだ。だからU . S. メイル、アメリカの男だ」というセリフではじまる南部風の気取りのない感じがエルヴィスにぴったりのカントリー・ロック・ナンバー。南部育ちのエルヴイスの個性を見事に出し切っている。
1965〜75年は、ベトナム戦争に疲弊したアメリカが根底から揺れた時代。保守派と反体制派の衝突が目立ち始めた。1969年に公開された映画<イージーライダー/Easy Rider)では、反体制的な若者2人がコカイン密売で儲けた大金をタンクに隠しオートバイで放浪の旅を続けるが衝撃的なクライマックスに当時の殺伐としたアメリカの雰囲気が映し出された。
音楽の世界でも変化が起こっていたが、艶っぽいエルヴィスらしく愛国的な印象の曲である。
ベトナム帰還兵が就職に苦しむという苦い歌詞に反して、レーガン大統領の応援歌的な認知が拡大、純粋な愛国主義の歌として誤解されたブルース・スプリングスティーンの<ボーン・イン・ザ・U.S.A./Born in the U.S.A.>がリリースされたのは1984年だった。(ビルボードHot100シングルチャート最高位9位)
<アメリカ魂/U.S.Male>は、カントリー・チャートでも55位までランク・アップしている。1 月レコーデイングのミュージシャンは、ギター/スコッティ・ムーア、ジエリー・リードにリズム・ギター/チップ・ヤング、ベース/ホプ・ムーア、ドラムス/バディ ・ハーマン、D.J .フォンタナ、オルガン&ハーモニカ/チャーリー・マツコイ、ピアノ/フロイド・クレーマ一、スティール・ギター/ビート・ドレイク、コーラス/ザ・ジョーダネアーズ。
アメリカ魂/U.S.Male
オレは正真正銘のアメリカ男
ミシシッピー州の田舎町、ある日曜の朝に生まれた
ご存じの通りミシシッピー州ってのはこのアメリカの南東にあるんだ
だからこそ、お前さんよ、わかるだろ
オレは自分をアメリカ男って呼んでんのさ
性別はM・A・L・E、そう、オレのことさ
こんな話をしたのは、これが言いたかったからなのさ
お前がオレの女を見てるってことぐらい、ちゃんとお見通しさ
この三週間ってものの、ずいぷんご熱心なこったなあ
このアメリカ男はずいぶん頭に来てるんだぜ
もしその脂きった手で彼女に触ったら
おまえの首を長い輪ゴムみたいに伸ばしてやる
あの娘の指にゃセールで買ってやった指輪がはまってんだ
ってことは彼女は、このアメリカ男のものなのさ
アメリ力男にゃちょっかい出さねえほうが身のためさ
アメリカ男を怒らせたら、こてんぱんにやられるぜ
坊や、お前のために一つ忠告してやるよ
誰か別の女を探しなよ、甘く見るんじゃないぜ、
オレはアメリカ男だからな
雨だろうが、暑かろうが、みぞれだろうが、雪だろうが
アメリカ男はいつでも準備万端さ
だからそんな目でオレの女を見るんじゃねえ
この目をごまかそうったってそうはいかねえからな
あの娘の回りをウロついてるのを見つけたら
頭を切手ぐらいの大きさに叩き切ってやる
ペッタンコにな、そうすりゃお前だって
このオレ様をからかう気にもならなくなるだろう
アメリ力男にゃちょっかい出さねえほうが身のためさ
アメリカ男を怒らせたら、こてんぱんにやられるぜ
坊や、お前のために一つ忠告してやるよ
誰か別の女を探しなよ、甘く見るんじゃないぜ、
オレはアメリカ男だからな
オレがどうするか正直に教えてやるよ
オレの女の回りをチョロチョロしやがったら
一発かましてやるからな
誰に口きいてるつもりなんだ、オレはアメリカ男
生粋のアメリカ男だぜ
I’m a U.S.male’cause I was born
In a Mississippi town on a Sunday morn’
Now,Mississippi just happens to occupy a place
In the southeastern portion of this here United States
Now,that’s a matter of fact, buddy, you know it well
So l just call my self the U.S.male
That Is M-A-L-E son,that’s me
Now I said all that, to say all this
I lve been watching the way you’ve been watching my miss
For the Iast three weeks you’ve been hot on her trail You’re kindaI up settin’ this U.S.male
You to uchheronce with your greasy hand
I’mg onna’ strech your neck Iike a Iong rubberband
She’s wearing a ring that I bought her on saIe
That makes her the property of this U.S.maIe
You better not mess with a U.S.maIe, my friend
If a U.S. maIe gets mad he’s gonna do you in
You know what Is good for your seIf,son
You better find somebody eIse,son
Don’t taIk over a cup of tea,I’m a U.S.maIe
Through the rain and the heat and the sIeet and the snow
The U.S.maIe is on his toes
So quit watching my woman ‘cos that ain’t wise
You ain’t puIIing no wooI over this boy’s eyes
I catch you ‘round my woman, champ
I’m gonna’ Ieave your head ‘bout the shape of a stamp
Kinda’ fIattened out, so you’II do weII
To quit pIaying games with this U.S.maIe
You better not mess with a U.S.maIe, my friend
If a U.S. maIe gets mad he’s gonna do you in
You know what Is good for your seIf,son
You better find somebody eIse,son
Don’t taIk over a cup of tea,I’m a U.S.maIe
I’m gonna’ teII it Iike it is, son
I catch you messin”round that woman of mine
I’m gonna’ Iay one on you, man
You’re taIking to the U.S.maIe
The American U.S.maIe
エルヴィス・プレスリーはこの歌を収録した後、ミュージシャンとしての復活を賭けて進んで行った。
エルヴィスがナンバー1
エルヴィス・プレスリーほどいわれのない中傷の的になった存在はないのではないか。
大袈裟に語られる崇高さに比例して、大袈裟に語られるゴジップ。
ゴールドディスクの枚数ほど積み上げらえたドーナツ。
エルヴィスが自分のために用意した個人的な文化が人々の妬みから刑罰を受けようとするとき、誇張された崇高さはベールを脱ぎ、正真正銘になる。
結局、ゲームは我らの文化のどんなものとも違うエルヴィスの勝ちになる。
エルヴィスはアメリカ自体より巨大なのだ。どうしてそんなものが存在するのか、誰にもわからない。エルヴィスがどんなものより優れているとき、エルヴィスの愛はアメリカを包み込む。
エルヴィスがどんなものより安っぽい芸能でしかないとき、エルヴィスへの愛は民主主義の大衆文化に包まれる。
エルヴィスは天気予報のようにコロコロ変わるそれらの光景を見て「自分が何を手にしていたのか、考えたこともなかったね。好きな歌を歌っているだけだよ」と。
「ところで教えてくれないか、どれがいちばん良かったのか」
キャプテン・アメリカ
破壊されたビル——
非情なテロ犯罪に、これ以上なく痛々しく崩れた「世界の自由」
めげそうになった志気、
標的にされた傷ついたアメリカの精神は体を張って支えているのは、消防士、警官、小学校の先生たち、看護婦たち、名もない男たち、女たち、バケツリレーに象徴されるアナログな力だ。
救出された男が、その日のうちに、埋もれている仲間を助けにいく
傷つけられ、埋められた「ボクのヒーロー」「私のシンデレラ」を見つけるために
掘り起こし探し出すアメリカ男も女も最悪の中で、奇跡を見つけ、「新しい精神」を見つけている。
広い世界、大きな地球で、ボクが認識できることはそのくらいだ。
戦争は分からない。でも、コミュニティーなら少しくらいは考えられる。
ニューヨークで起こった痛ましい事件は「個人の尊厳」「人間の誇り」とは何かを突き付けている。
世界は4つの自由から成り立っている、
「表現の自由、信仰の自由、不足からの自由、恐れからの自由」はルーズベルトの言葉だが、
人類の歴史は「個人の尊厳」の実現への道のり、人が人であることの追求。
不自由という試練に耐えよという文化もあれば、自由は自分の力で切り開くという文化もある。
主義主張は自由だが、個人つまり人間の魂を認めない、守ろうともしないコミュ二ティや国家などコミニティーでも国家でもない。
コントロールされた情報が「電気ニュース箱」から流れてくる。いつだって情報はコントロールされている。平和を唱えることは大切、「戦争はよくない」「戦争の原因を解明し対策を講じることが重要。」さらには「欺瞞がある」という欺瞞。
いつだって戦争がいいはずがない。特殊部隊はハリウッドの映画ほどロマンティックではない。それにしても人はパンだけでは生きていけない。愛の歌が世界中に溢れているようにコミュ二ティがないと人は生きていけないのが性。
コミュ二ティ——-恋人、兄弟、親子、家族、地域社会、団体、国家、主義。
コミュニティに属さない者は不安。段ボールで暮らす人だってコミュニティを持っている。
一方では性(さが)を利用してコミュニティを支配する狂信者がいる。無力な子供が非情な親に殺されるように。
わが国のテレビの中ではアメリカの攻撃支援を論議する。アメリカ支援ではあるまい。テロと戦うことに賛成しますか?テロを支援しますか?中立でいますか?問題は自国つまり自分の選択だ。どれを選ぼうが自由だ。選ぶのは国民だ。
「報復」ーーー報復なの?問題解決ではないのか?無力な子供が親の暴力に対抗して暴力で返そうとするのか?そういうことではないだろう。暴力をふるわれて傷だらけになる子供、そんな家庭を放置しますか?それとも子供達を守るために行動しますか?傍観しますか?と問いかけられているのと変わらない。暴力をふるう親にも、そうなった経緯が必ずある。その原因を追求し、親を苦悩から解放し、改心すれば家庭は平和になる。しかし子供はそれまでに死んでしまう。あるいは傷つき心が歪められる。被害者はやがて加害者に変わる。簡単に解決できる問題ではない。だからこそ放置できない。平和は行動で獲得するしかない。
平和ボケした頭は欲ボケした頭と表裏一体。征服欲、金銭欲、知識欲、権利欲、肉欲、食欲———。欲は自分を愛するために必要なのか?自分が愛せないから欲が必要でないのか?自分を愛することができない者には他者を愛せない。
戦争はそこから起こる。
狂信者が支配し、闘争が絶えない世界の一角で、誰も責任をとろうとしない、とらなくていいような主義主張が語られる。自分の問題でない識者が「この戦いはなんのため」という。隣のこどもが傷だらけになっていても気にもしないのだろう。
事件からわずか10日、全米ネットワーク『テロ被害追悼番組』にハリウッドのスターやミュージシャンは集結し、身を挺して被害者を守った無名の人々をひとりひとり讃え、今度はみんなの番ですと、ジュリア・ロバーツは被害者への寄付を呼びかけた。ブルース・スプリングスティーンが幕をあけ、ポール・サイモンは<明日に架ける橋>を歌った。ウィリー・ネルソンは<美しきアメリカ>を、横にはロビン・ウィリアムスが、マライア・キャリーが、トム・クルーズが、アル・パシーノが——スティービー・ワンダーがハーモニカを。
事件からわずか10日だった。賞賛も傷ついた心を癒すのも、少しでも早いほうがいい。
戦争を語る前に「コミュニティ」を考えよう。「コミュニティ」は自分を愛することから始まる。
焦げた瓦礫を握る消防士の手は職業としての「義務」なのか?消防士に、警官に、拍手し、サンドウィッチを運ぶ手は市民の「ルール」なのか?コミュ二ティの真の姿がそこにある。身と心を忘れた愛のない頭デッカチな議論にはは捜索犬だって「FUCK YOU!」
人が空から降ってくる、倒壊するビルを背景に、小学校の先生が、小さなこどもたちを避難させるために「思いきり走って!」と叫んだ。「転んだら私が起こしてあげる!だから思いきり走るのよ!」と絶叫した。
女の先生は「思いきり走りなさい、転んだら自分で起きなさい」と言ったんじゃない。
「思いきり走りなさい、転んだら私が起こしてあげる」と言ったのだ。
これが個人の尊厳を守るということ、コミュニティ、デモクラシーの本質なのだ。きっと。
—–そして
—-こどもたちは
その瞬間「人生の宝もの」をもらった。
このアメリカ男はずいぶん頭に来てるんだぜ
もしその脂きった手で彼女に触ったら——
人生の宝ものが戦争によってムダにならないことを祈ろう。
コメント