私は誰? /WHO AM l
なぜ、神は栄光の国から
私達のような下々の者と
共に苦しむために来られたのだろう
そして、私の代わりに苦しんで下さった
私は、自分自身に問う私は何者なのか?
私は何者なのか?
神は私のために傷つき、死なれた
私は何者なのか?
神は私のために祈り、
「私の御子は永遠に死なず」と言われた
答えなどきっとわからない
なぜ、私をこんなにも愛して下さり
なぜ、私のために自ら十字架にはりつけられたのか
一体、私は何者なのか?
「汝が私に誠意をあらわすなら私は汝から去ることはない、永遠の命を与えよう」
神のこんな言葉を思い浮がべ
私が彼の御子にしていただけるような
何をしたのかを考える
なぜ、私に戦いを乗り越える力を与えられたのか
一体、私は何者なのか?.
(くり返し)
なせ、私のために自ら十字架にはりつけられたのか
翻訳:川越由佳氏
(ピース・イン・ザ・ヴァリー~コンプリート・ゴスペル・コレクションより)
”私は何者なのか?”とエルヴィスは歌います。
これはエルヴィス、魂の歌のひとつ。
「私」とはいったいなんだろう?
宇宙に繋がる「私」
よく言いますよね。
「自分のことも分からないのに、人のことなんか分からんわ」って。
「自分はなにか?」って質問されたら困ってしまいますよね。
うまく説明できません。
みんな、なかなか自分のことは分からない。
結局、自分を知る作業は、一生かけて追求することのようです。
自分が分かるために、パートナーが必要です。
人は社会の中で生きるもの。他者がいてこそ自分がいる。
自分を知るには、他者と交わらなければなりません。
なかでもパートナーは、深く関わる重要な他人です。
自分がどういう人間なのか、はっきりとはわからないかも知れませんが、
自分自身である自由を許されていないときは、はっきりわかります。
相手が自分を批判的に見ている感じも、はっきりわかりますよね?
相手の機嫌をそこねないように、なにか間違ったことをしてしまわないかと
心配になるときは、はっきりわかります。
なぜでしょう?
ハラハラしてしまう原因となる正体は、
相手が持っている人間世界への怒り、憎しみなのです。
それが自分の胸を突き刺す。
ハラハラは魂から血が流れているようなものです。
自分自身である自由を許されていないと感じる恋愛や仕事は
絶対に避けるべきです。
いつか変わるだろうと考えたりせずに、Uターンするのが正しい。
エルヴィス・プレスリー 愛と励まし、そして祈り
考えてみてください。
寒い日であれ、身体が不調であれ、真夜中に泣き叫んだ幼い子のために、
親は身を起しミルクを与えたり、肌着を交換したりします。
自分のことはあと回し、物を買うにも自分のものは後回し。
親はそんなふうにして子どものことを優先します。
親をはじめ対人関係において力関係は自然発生的に生じます。
そこで励まし、または支配が起こります。
励ましは、ありのままに人を受け入れ勇気を与えてくれますが、
支配は人を拒絶し、ありのままを認めず、勇気を奪います。
親であれ、パートナーであれ、愛という名のもとに、
時にその見分けがつきません。
赤ん坊が夜中に泣いても文句も言わずに「よしよし」とあやすのは
そのまま受け入れ、育てる態度です。
赤ん坊が泣いていたら、うるさいと叩くのは支配です。
私たちは成人同士であっても、これと同じ場面に頻繁に出会います。
どんな行動をするべきか選択は自分でしています。
自分が自由を許されていると感じる時が幸福になれる可能性のある時です。
でも、時に人は正しい、間違っているとは関係なく、
あるいは幸福になる、不幸になるに関係なく
自分の慣れ親しんだ感情にぴったりすることを選んでしまいます。
どういうことかというと、親に気を使って過ごす生活になれた人は、
成長しても気を使って暮らすことが馴染みやすい。
つまり自分が自由でいることを許されない状態がしっくりしてしまうことが
起こってしまいます。 意識の上では、束縛を嫌っているのに、
無意識に自分から束縛されるような関係を望んでしまいます。
すると願望と反対の行動を選択してしまうようになる。
「自分で自分が分からない」という言葉はこうして生まれてます。
自分を知ることはとっても大切なのです。
自分は無神論者ですが、「私は誰?」にある
”私の代わりに苦しんで下さった”の一節には鳥肌が立ちます。
♪ 共に苦しむために来られたのだろう
そして、私の代わりに苦しんで下さった
私は、自分自身に問う私は何者なのか?
私は何者なのか?
神は私のために傷つき、死なれた
私は何者なのか ? ♪
歌詞以前に、なによりエルヴィスの柔らかさに心奪われます。
なにか作業中のBGMにしていても「私は誰?」が聴こえてきたら、
必ず作業は止まってしまいます。
伴奏もコーラスも、でしゃばることもなく、引きすぎることもなく絶妙です。
それは、夜中に泣く赤ん坊を「よしよし」とあやす姿が浮かぶような
穏やかな愛情が満ちた雰囲気です。
おかげで、iTunesのよく聴く楽曲ランキング、ベスト1をずっと保っています。
「私は誰?」に出てくる神は、親でもあり、愛する人、愛してくれた人も
含んでいると思っています。
エルヴィスの柔らかさは、
自分のために死んでいった者、傷ついた者への
限りない畏敬と親愛の想いがしみこんでいるように思います。
エルヴィスが幸福だったのか、不幸だったのかは
本人の判断でしかありませんが、
こんなふうに歌う人が幸福でない社会は、
間違っていることだけは自分の気持ちとしてはっきり言えます。
しかし、私は何者なのだと考える機会を持つ者は、
一番幸福なのかも知れません。
そして、愛する人に私は誰?と考える機会を与えることができた人は、
それ以上に幸福なのかも知れません。
そう考えないと説明できないエルヴィスの柔らかさです。
WHO AM l?
When I think of how he came so far from glory
Came to dwell among the lowly such as l
To suffer shame and such disgrace
On my account did take my place
Did I ask myself this question
Who am l?
* Who am l?
Then the king would bleed and die for
Who am l?
That he would pray “Not mine will die, Lord”
The answer I may never know
Why he ever loved me so
That to an old ragged cross he’d go
For who am l?
When I’m reminded of his words
“I’ll leave never
If you’ll be true, l’ll give to you life forever”
Oh wonder what I could have done
To deserve God’s only son
To fight my batties until they’re won
For who am l?
(Repeat)
That to an old ragged cross he’d go
For who am l?
コメント
ELVISのヒム 最高ですよね。クリスチャンだけあってコールデンヒム全集など聞きがいがあります。今はなくなりましたが私のおばさんもファンで賛美歌が好きだといつていました。