1961年10月15日に録音した<エニーシング・ザッツ・パート・オブ・ユー/Anything That’s Part Of You>は1962年4月に<グッド・ラック・チャーム>のB面に収録されてヒットした。ミディアムテンポなエモーシュナルな<グッド・ラック・チャーム>はビルボードトップのミリオンヒット、B面はフロイド・フレーマンのピアノが涙のようにキラリとヒカルなかでエルヴィスは切々と歌い上げる素晴らしいバラードだ。
まだこの頃はドイツにいたプリシラにエルヴィスの心は歌に託したのかも知れない。
Anything That’s Part Of You
I memorize the notes you sent
Go all the places that we went
I seem to search the whole day through
For anything that’s part of you
I kept a ribbon from your hair
A breath of perfume lingers there
It helps to cheer me when I’m blue
Anything that’s part of you
Oh, how it hurts to miss you so
When I know you don’t love me anymore
To go on needing you
Knowing you don’t need me
No reason left for me to live
What can I take, what can I give
When I’d give all of someone new
For anything that’s part of you?
覚えています あなたの手紙
たどっています 思い出の場所
さがしています 一日中
何でもいい あなたのものなら
残しています あなたのリボン
染みついている あなたの香り
元気にさせる 悲しむ僕を
何でもいい あなたのものなら
ああ 胸が痛い あなたが恋しい
もう 僕のこと 嫌いなんだね
あなたを 求めるほどに
あなたは 遠ざかって行く
理由がないんだ 僕が生きてく
どうすれば 受け入れてくれるの
もう 新しい恋なんていらない
何でもいい あなたのものになれるなら
エルヴィスとは何者だったのか
大ヒット映画『ブルー、ハワイ』のサントラとしてリリスースされ、20週連続チャートナンバーワンを記録したアルバムに続いてリリースされたシングルは、<この愛をいつまでも /There’s Always Me>と同じくドン・ロバートソンの作詞・作曲のロマンチックなラブソング。
エルヴィスのバラードは聞き手に優しい。シャーマン的なシナトラのように高いところからリスナーを見下ろすような歌い方をしない。大衆に寄り添って個人の美意識を引き出すように歌う。そこに「アメリカン・ポップス」の真髄があるのではないか、それはゴスペルの神様を賞賛する、讃め称える(ほめたたえる)あり方に通じる。50年代前半は、アメリカンポップスは閉塞感に苦しんでいた、そこに風穴を開けたのがエルヴィスだ。目の前にある見えない仕切りを取っ払えばいいんだと、自由にサンスタジオで取っ払った。
仕切りの前で何度やってもうまく行かないエルヴィスが行き詰まっていたからだが、そこで咄嗟に浮かんだのが「自由」だった。エルヴィスに閃きが舞い降りた。エルヴィスはサン・レコドスタジオ内を身体を動かし走り出した。その瞬間に立ち会っていたサム・フィリップスが驚いて飛び出してきた。目の前で起こっている革命は「もう一回やってくれ」「もっとアップテンポにしてくれ」とエルヴィスに言ったことから始まった。すでにビル・ヘイリーの<ロックアラウンド・ザ・クロック>が仕切りのなかで演奏していたことにサムは気づいていた。
ポップスの世界をロックの世界に塗りつぶした。しかしエルヴィスはロックやR&Bだけを見ていたわけではない。ニューヨークに支持されるだけの音楽に関心があったわけではない。エルヴィスにとって歌は生きるエネルギーだった。白人も黒人もない。男でも女でもない、都会も田舎もない。ロックもバラードもない。人間が後付けで作った仕来りなんか関係なかった。アメリカという国が南北戦争でも越えられなかった垣根をエルヴィスはたった一人で越えたのだ。遠い異国の駐屯所で暮らす14歳の女の子だったプリシラが惹かれたのも無理はない。ボブ・ディランも、ジョンやポール、キースも同じだった、
シングルカットされたオリジナル・レコードの伴奏によるテイク
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