エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか|誰もひとりでは立てない所

エルヴィスとは何者だったのか 特選ソングス

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか。エルヴィス・プレスリーはなにがすごいのか。
エルヴィス・プレスリーの凄さが解らない人は少なくありません。ビートルズと比べる人も少なくありません。事実ビートルスが人気絶頂のとき、日本の音楽雑誌社は両者をライバルのように扱いました。いま思えば全く音楽雑誌社らしくない報道の仕方でした。
音楽業界にいながら両者は全く違ったのです。
エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか。エルヴィス・プレスリーはなにがすごいのか。エルヴィスの行動から解き明かしましょう。

エルヴィス・プレスリーの「私は誰?」
私は誰? /WHO AM l なぜ、神は栄光の国から 私達のような下々の者と 共に苦しむために来られたのだろう そして、私の代わりに苦しんで下さった 私は、自分自身に問う私は何者なのか? 私は何者なのか? 神は私のため...

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

奴隷解放宣言以後も続いた、南部諸州では黒人に対する差別を具体化した黒人分離政策が続いていました。1890年代から南部諸州で立法化され、交通機関、学校など公共の場での分離が通念化した。同時に反発する黒人に対するリンチなどが激しくなりました。第二次世界大戦後の1950年代から黒人の差別撤廃を求める公民権運動がおこり、1964年に公民権法が成立、人種による分離は違憲とされ、法の下では平等となったが、実際の黒人差別が続きました。

エルヴィス・プレスリーは黒人分離制度が蔓延していたアメリカ合衆国、南部のアラバマ州で生まれ、テネシー州で高校生活を過ごしました。エルヴィスの原点はここにあり、生涯の縁になりました。エルヴィス・プレスリーは見事に生き切ったのです。

ゲンキポリタン理事

アサーティブの歴史

公民権法が成立する前のアメリカにはかってジム・クロウ法が制定されていました。
1876年から1964年にかけて存在した、人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法の総称。 ジム・クロウ制度ともいいます。

その制度によってプレッシー判決が採択された1896年当時、白人の乗っているバスに黒人は乗れないようになっていました。白人と黒人はいろんな場所、住む場所、電車やバスなど交通期間、レストラン、トイレなどで明確に区別されていたのです。アメリカ最高裁が下した「分離すれども平等」という考え方は、人種差別待遇は憲法に違反しないという判決でした。

「分離すれども平等」とは、白人と黒人を分離して暮らす体裁をとっても、差別していることにあたらないという解釈です。もちろんまやかしです。
この判決によって白人と黒人が同じバスに乗ったり、学校へ行ったり、レストランで食事したりすることができなかったのです。

1954年に「ブラウン裁判」が行われました。
「ブラウン裁判」とはカンザス州に住む黒人ブラウンは自分の娘を近所の小学校に入れたいと願ったが、白人学校という理由で拒否されたことで、教育委員会を相手どって起こした裁判です。

実際には黒人組織NAACPが白人社会に叩き付けた闘争といえるこの裁判は、最高裁に持ち込まれます。全米が固唾を飲んで注目した判決の行方は、事実上まやかしであった「分離すれども平等」の判決を覆すという歴史的な結果となります。
しかしこの判決に不満をもつ白人感情は激しい闘争にエスカレートします。

KKKの黒人リンチ事件が相次いで発生するようになり、陽気なアメリカ人の暗い影の部分が浮き彫りになります。
1955 年12月、後に公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスという女性が、アラバマ州モントゴメリーの市バス内で席を移るよう求めた白人男性に敢然と拒否、バス運転手の通報で駆け付けた警官に逮捕され、収監されました。
「もう我慢しない」と決めたローザ・パークスの事件をきっかけに、当時ほとんど無名だった故キング牧師を中心にして長期間の抗議行動に発展します。バス・ボイコット事件は公民権運動に発展します。

ーーーーーーーーーーーーーーーー1876年〜1964 ジム・クロウ法ーーーーーーーーーーーー
1896  プレッシー判決
1954  ブラウン裁判
1954  エルヴィス・プレスリー テネシー州メンフィスでデビュー 地方巡業開始
1955  ローザ・パークス事件
1955  エメット・ルイス・ティル 虐殺事件
1956  エルヴィス・プレスリー RCAから全米デビュー
1956  バス・ボイコット事件
1957  リトルロック高校事件
1958  米連邦最高裁が黒人差別は憲法違反と認定
1958  エルヴィス・プレスリー徴兵される
1961  ベトナム戦争(アメリカ参戦)
1962  ボブ・ディラン デビュー
1963  キング牧師ら20万人ワシンン大行進(ボブ・ディラン、マーロン・ブランドら参加)
1963  ジョン・F・ケネディ暗殺事件
ーーーーーーーーーーーーーーーージム・クロウ法終わるーーーーーーーーーーーーーーーーー
1964  ビートルズ アメリカデビュー
1965  公民権法制定
1965  ルコムX暗殺事件
1965  LA ッツ市暴動事件
1966  モハメド・アリ宗教上の都合で兵役拒否
1968  キング牧師暗殺事件
1968  ロバート・ケネディ上院議員暗殺事件
1968  ブラック・イズ・ビューティフル
     ウーマン・リブ(第二波フェミニズム)

誰もひとりでは立てない所

  • アサーション(assertion)は、自己主張ですが、誤解を招くことのないようにするために、自分を率直に表現すると解釈をしたほうがいいしょう。
  • アサーティブ(assertive)は、アサーション(assertion)の形容詞です。
  • アサーティブネス(assertiveness)は、自分を率直に表現しあう「関係」です。
モチベーションに影響するアサーティブの仕組みは4つの大きな柱で成り立っています。

アサーティブはこの4本柱によって自分の居場所を形成しています。
誰しも自分の家ではリラックスしたいものです。自分の居場所とは、ありのままの自分を肯定できる場所です。

しかし、現実の問題として、ありのままの自分を受け入れるといっても根拠もなしに受け入れる事は自分自身が許さないでしょう。それゆえの葛藤なのですから。

人は誰しも自分は価値ある者と思いたい。そのために生きているといっても過言ではない。
人からどう思われようが関係ないといった短絡的な生き方が本当のできるかといえば、一般には不可能です。人は社会的な生き物だからです。

だからといって必ず社会に貢献しなくて良いのです。あなたがあなたとして生きてさえいれば。

蝉は夏の短い間だけ、早朝から鳴きまくって死んでいきます。あとのことなんか考えず、一生懸命、いま、ここ、この瞬間「ここにいるぞ」と自己主張するように、鳴いて鳴いて死んでいきます。エルヴィス・プレスリーも歌いまくって歌うのに疲れて、去って行きました。でも蝉と同じように季節外れに蝉を懐かしむヒトがいるように、未だにエルヴィスを懐かしむヒトがたくさんいます。歌だけ抜き取って新しいバンドの新しい演奏で甦らそうとするヒトは後と絶ちません。

エルヴィスが大好きだったゴスペルを集めた新しいアルバム『Where No One Stands Alone(誰もひとりでは立てない所)』もそうです。過去に発売された『How Great Thou Art 』『 He Touced Me』『 ELVIS〜NBC-TV SPECIAL』からエルヴィスの声だけを抜き出して、新しくアレンジをしたバックの演奏で仕上げたものです。
今回は<誰もひとりでは立てない所>で娘リサ・マリーが邪魔にならないように控えめにデュエットしています。

アサーションの歴史

アサーションの発祥はアメリカで、1950年代に行動療法と呼ばれる心理療法が発端だった。当初は自己主張が苦手な人を対象としたカウンセリング技法として実施されていた。
その理論が行動化していったのは、1960~70年代に起こったアメリカにおける黒人差別に対する「人権拡張」「差別撤廃」といった公民権運動さらにベトナム戦争への参戦、徴兵、反対運動と密接に連動、やがて女性差別に対抗した1970年代の女性解放運動に引き継がれていく。

一連の社会的な事件は、アメリカで暮らす上で、権利や言動を圧迫され続けていた人達の問題そのものであり、人は誰でも自分らしく生きる権利があるとするアサーティブの考えと行動は解決策として映った。

ヒトはみんな同じ。白人も黒人も同じ。

1954年、エルヴィスがレコーディングの休憩中に演奏した曲が、スタジオ内に興奮が走ります。それがロックンロールのはじまりでした。

ロックンロールという音楽のジャンルが最初からあったわけではありません。ロックンロールという言葉の語源については、古くからアメリカ英語の黒人スラングで「性交」「交合」の意味があり、DJが1950年代はじめに「バカ騒ぎ」や「ダンス」しょうと意味を盛り上げようとして”rock(揺らす) and roll(転がす)” と感覚的に表現しました。つまり言葉としてあっただけです。

1955年公開の映画「暴力教室」のテーマ曲に1954年リリースされたビル・ヘイリー&コメッツが歌う<ロック・アラウンド・ザ・クロック>(作詞・作曲:ジェイムズ・E・マイヤーズ)が使用されます。

1,2,3時,4時にロック
5,6,7時,8時もロック
9,10,11時,12時もロック
今夜はオールナイトでロックンロール
お気に入りの服を着て騒ごうぜハニー
時計が時を刻むように、俺たちも楽しもう。

歌詞にロックンロールが出てきますが、その意味はDJが使ったロックンロールと同じニュアンス、意味です。音楽的には白人サウンドそのもので、ノリの良いグレン・ミラー楽団のような雰囲気です。

エルヴィスがサン・スタジオで生み出したサウンドは、カントリーミュージックを黒人のような雰囲気で歌う、あるいは黒人音楽を白人のように歌うという越境行為でした。これは当時の白人社会では禁じ手であり、それを技術的にやってのけるパフォーマーも認知されていませんでした。つまりエルヴィスの音楽には白人も黒人もなかったのです。

これによってロックンロールは単なる言葉ではなく、音楽体験という行動が現実になったのです。だからエルヴィスのバンド仲間は「俺たちはこの町にすめなくなるぜ」と漏らしたのも頷けます。

では逆に黒人が白人のように歌えるのでしょうか。これも聞いたことがありません。歌詞的にやってのけようとしたのがチャック・ベリーですが、音楽的は興味もなかったでしょう。

映画『ELVIS』

映画『エルヴィス』

映画「ELVIS」の冒頭で白人カントリーミュージシャン(ハンク・スノウ)の歌をエルヴィスがカヴァーするシーンがありますが、ハンク・スノウは黒人のようなパフォーマンスを耳にして嫌な顔をします。彼は黒人差別者だったのでしょう。一方でブルースのキングとして名高いB・Bキングはエルヴィスに好意的です。

実際に黒人の集会にたったひとりでフラリとやってくるエルヴィスに驚いたとコメントを残していますが、全く気にしていなかった様子です。(映画ではビールストリートを黒人ファッションで身を固め、ひとりで歩くエルヴィスが紹介されています)

Where No One Stands Alone

Where No One Stands Alone

01. I’ve Got Confidence/He Touched Me
02. Where No One Stands Alone (with Lisa Marie Presley)/How Great Thou Art
03. Saved/ELVIS-NBC・TVSPECIAL
04. Crying In The Chapel/How Great Thou Art
05. So High/How Great Thou Art
06. Stand By Me/How Great Thou Art
07. Bosom Of Abraham/He Touched Me
08. How Great Thou Art/How Great Thou Art
09. I, John/He Touched Me
10. You’ll Never Walk Alone√You’ll Never Walk Alone
11. He Touched Me/He Touched Me
12. In The Garden/How Great Thou Art
13. He Is My Everything/He Touched Me
14. Amazing Grace/He Touched Me

アルバム『Where No One Stands Alone(誰もひとりでは立てない所)』は過去に発売された『How Great Thou Art 』『 He Touced Me』『 ELVIS〜NBC-TV SPECIAL』からエルヴィスの声だけを抜き出して、新しくアレンジをしたバックの演奏で仕上げたものです。

エルヴィス・プレスリーは、ロックのルーツはゴスペルだと生前中から言い切っていました。エルヴィスのロックはそうであり、ブルーズもゴスペルから派生したものですから、ブルーズのルーツもそうなのでしょう。

大衆文化が後押しした『アサーティブ』

偉大なるかな神・エルヴィス・プレスリー

大衆文化の世界で異変が起こります。黒人音楽であるゴスペルやリズム&ブルースをベースにした白人によるロックンロールが誕生、差別は憲法違反とした1958年には若者を熱狂させました。

キース・リチャーズは、エルヴィスの音楽を聴いて「俺たちもやっていいんだ」と考えたとコメントしています。この言葉はビートルズからは聴けない言葉でしょう。エルヴィスのフォロワーは数え切れませんが、何を目指していたのか、それぞれ全く違うことがわかります。

あるものはエルヴィスのようにゴズペルやブルースがやりたくて、あるものはロックスターになりたくて、あるものはティーンのアイドルになりたくて・・・それは結果からはうかがいしれません。
ただプロセスが語るでしょう。

強さや深さ、頻度の違いはあっても、誰でも経験があると思いますが、少年エルヴィスには、「誰もひとりでは立てない所」に立つことを余儀なくされたとき、歌に応援してもらうしかなかった。
そういう経験を通して、誰でも自分は自分であったいいのだ。と感じるようになります。

誰にとっても人生の主人公は自分のはず。一番大事なのは自分ですよね。
だから同じように周りの人も自分が大事なのです。
見知らぬだれかにとって、あなたは、その他大勢でしかなくても、本当は誰だってその他大勢で片付けられる存在ではない。

人間関係の問題は、周りの人との関係で起こるから、両者が傷つかないようにしたい。
それがWIN_WINつまり両方とも勝者というわけです。

どうすればそうできるのか、その基本になるのがライフスキルに影響力のある積極的自己表現。

アサーション(assertion)アサーティブ(assertive)アサーティブネス(assertiveness)です。エルヴィスは歌うことで、主体的に自分を主張しました。誰もひとりで立てない所に立とうとしたのです。

Where No One Stands Alone

そして、1963年8月28日、ワシントンでは、マーティン・ルーサー・キング牧師が、「私には夢がある」と訴え、全米の黒人の心をひとつに束ね、20万人のデモ行進を展開します。

その公民権運動での抗議は、大きなうねりとなり黒人暴動という形で全米に広がっていきました。

米ソ冷戦、ベトナム、国内外に問題を抱えたまま、3ヶ月後にフロンティアスピリットを訴えたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件が発生します。さらにキング牧師も暗殺されます。

さらに2年後の65年にハーレムでマルコムX暗殺、その4年後、今度は北アイルランドで公民権運動が起こります。人は平等であるとする精神は全世界に広がっていったのです。

人は誰でも自分らしく生きる権利があるとするアサーティブの考えと行動は、黒人差別に対抗したこの公民権運動にはじまり、やがて女性差別に対抗した1970年代の女性解放運動に引き継がれました。

人種差別から女性解放運動へアサーションは広がる

For Jobs and Freedom: The March on Washington. On August 28, 1963, in the nation’s capital, 250,000 people from many races, religions, and backgrounds marched together in orderly protest. (Courtesy of the National Civil Rights Museum)

黒人も白人と同じ権利を持っていいのではないかという主張は、白人を否定するものではなく、互いを肯定的に受け入れる主張です。男女平等も同じです。

黒人あるいは女性が白人や男性より劣っていると決めつけ、能力の値引きを行い、不安にさせ、依存させる仕組み。
お前は自立できないというメッセージとさせないルール=つまり搾取の仕組みを拒否するのは、ある意味、とっても勇気のいることです。

人は誰でも、 誰かに強要されたり、抑圧されることなく、自分を認め、同時に周りの人も認め、自分の考えや 感じ方を率直に表現することが許されています。
自分の将来、ライフスタイル、スケジュール、人間関係を自分自身で決定する能力を持つようにするがアサーティブです。

その引き金であり、原動力になったのがエルヴィス・プレスリーの登場でした。

白人でありながら黒人のように歌う彼のパフォーマンスは文化を変えるに十分な威力があり、当時男尊女卑の傾向があり、抑圧されていた女性を解放する動きになりました。
ヒットチャートはエルヴィス・プレスリーの音楽が独占。所属するレコード会社は自社工場では生産をまかなえず他社の工場を借りなければならないほど売れたのです。

その一方で、エルヴィス・プレスリー が歌ったクリスマスレコードをオンエアしたDJが解雇されたり、レコードが焼き尽くされたり、コンサート会場の貸し出し禁止などが相次いで起りました。
しかし既成の価値観がどう拒もうが、世の中は、若者がエルヴィスを求めたように、従来の価値観から変わりはじめていました。アサーション、アサーティブはカウンセリングの部屋から飛び出して、動物のように、”rock(揺らす) and roll(転がす)”していたのです。

路上に飛び出したアサーション

そして、1963年8月28日、ワシントンでは、マーティン・ルーサー・キング牧師が、「私には夢がある」と訴え、全米の黒人の心をひとつに束ね、20万人のデモ行進を展開します。

その公民権運動での抗議は、大きなうねりとなり黒人暴動という形で全米に広がっていきました。

米ソ冷戦、ベトナム戦争、国内外に問題を抱えたまま、3ヶ月後にフロンティアスピリットを訴えたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件が発生します。

さらに2年後の65年にハーレムでマルコムX暗殺、その4年後、今度は北アイルランドで公民権運動が起こります。人は平等であるとする精神は全世界に広がっていったのです。

さらにワシントン大行進の5年後には、キング牧師、ロバート・ケネディ上院議員も暗殺されます。

そしてエルヴィスは兵役以来、『明日への願い』を引っ提げてロックシーンに戻ってきます。

人は誰でも自分らしく生きる権利があるとするアサーティブの考えと行動は、黒人差別に対抗したこの公民権運動にはじまり、やがて女性差別に対抗した1970年代の女性解放運動に引き継がれました。
黒人も白人と同じ権利を持っていいのではないかという主張は、白人を否定するものではなく、互いを肯定的に受け入れる主張です。男女平等も同じです。
黒人あるいは女性が白人や男性より劣っていると決めつけ、能力の値引きを行い、不安にさせ、依存させる仕組み。

お前は自立できないというメッセージとさせないルール=つまり搾取の仕組みを拒否するのは、ある意味、とっても勇気のいることです。

エルヴィス自身にも、アサーティブであることを決断する時がやってきます。
母グラディスへの感謝と献身の引き換えに、エルヴィス自身が誰もひとりで立てない所に立つために背負った十字架を下ろすときがきたのです。誰もわかってくれないかも知れない、でもその時がきたことをエルヴィスは、エルヴィスのやり方で感謝を込めて伝えたのです。

人は誰でも、 誰かに強要されたり、抑圧されることなく、自分を認め、同時に周りの人も認め、自分の考えや 感じ方を率直に表現することが許されています。
自分の将来、ライフスタイル、スケジュール、人間関係を自分自身で決定する能力を持つようにするがアサーティブです。

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