スイート ・キャロライン/Sweet Caroline

エルヴィス・オン・ステージ1970 特選ソングス

ニール・ダイヤモンドの楽曲<スイート・キャロライン /Sweet Caroline>を臆面もなく、まるで自分の曲のように自然体で歌っている、<Sweet Caroline >は70年2月15日~20日の間にラスベガスのライブから収録されたもの。エルヴィスはただ歌っている。

スイート・キャロライン /Sweet Caroline

「エルヴイスがみんなの体を解放したように、ボブ(・ディラン)は心を解放し、本来音楽は肉体的なものだけど、だからといって知性を否定するものではないということを示してくれたんだ。」

ブルース・スプリングスティーンがそう言ったように、ボブ・ディラン自身も「心」にこだわった。

ボブ・ディランはこう言った。

「ぼくには、ロックンロールは充分なものではなかった。<Trutti Frutti>や<Blue Suede Shoes>にはすばらしいキャッチ・フレーズと心をかきたてるリズムがあって、そのエネルギーに夢中になることができたが、人生の重要な問題について何もいっていなかったし、現実的な方法で人生をとらえてもいなかった。フォーク・ミュージックに興味をもっようになったときのことを覚えている。フォーク・ミュージックはもっとまじめなタイプの音楽だった。
フォークの歌には、たくさんの失望、悲しみ、勝利感、迷信への信仰、ずっと深い感情があった・・–歌詞の石のなかに、すべてのロックンロールのテーマを合わせたよりもたくさんの本物の人生があった。ぼくにはそれが必要だった。人生にはさまざまな複雑なことがあるのに、ロックンロールはそれをとらえていなかった。楽しそうな顔をして「ライド、サリー、ライド」と歌うだけで、<Sixteen Snow Whire House>やくSee That My Grave Is Kept Clean>.に迫るものはかすかにさえなかった。
ぼくが何かを成しとげたとすれば、そのふたっの音楽を近づけたことだろう。ぼくが最初やりはじめたころ、音楽にはビートルズにでさえも、重要な発言をしているものはなかった。あのころビートルズは<Love Me Do>を歌っていたし、マーヴィン・ゲイは……..。マヴィン・ゲイが<What’s Going On>を歌ったのは70年代に入ってからのことだった。」

確かに<Like A Rolling Stone>は素晴らしい曲だ。何度聴いても素晴らしい。
だが、ちょっと待ってほしい。

56年のエルヴィスはアナーキーだった。アメリカを木っ端微塵にした。ボブ・ディランの言うフォークにはビート・ジェネレーションの流れがある。ジャック・ケルアックの小説「路上」が発表され、ベストセラーになったのは57年だった。

作品が完成していたのはもっと前だった。裁判に発展したアレン・ギンズバーグの詩集「吠える」が出版されたのもエルヴィス登場後だ。

エルヴィスが解放の扉を開いたんだ。エルヴィスは特別な言葉をもっていなかった。しかし誰よりもアナーキーだった。世界中に破壊的な影響を与えた。その激しい流れはボブ・ディランにバトンタッチされ、ボブはフォークとロックの融合を図った。それは素晴らしいアプローチだった。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

だが一方でいつの間にかロックは巨大なビジネスになり資本主義に取り込まれいつの間にかいろんなルールに縛られるようになった。それに立ち向かったのがパンクスだった。パンクはある意味ですごくピュアだった。

「上手でなくてもいい。ギターを鳴らせ、心で弾け。」
セックス・ピストルズはロックンロールの仕切り直しを叫んだ。その叫びは美しく、いくつかの意味で56年のエルヴィスにそっくりだ。『個人の解放!』

この曲はかってのエルヴィスのアナーキーなロカビリーではない。ボブ・ディランの言うような歌詞でもない。セックス・ピストルズのような過激のかけらもない。しかし言えることは「身も心も解放しょうぜ」とは言っていないことだ。ただ歌っている。不思議なことにエルヴィスの魂が確かに聴こえて来る歌だ。ただ歌っているだけだからエルヴィスの魂が聴こえるのだ。「愛を歌おう」としたら、愛は聴こえない。エルヴィスはなにがいちばん大事なことか知っているとは言わない。ただ歌っている。

寒い朝が続く。
しかし春の準備ははじまっている。たんぽぽが風に舞おうと空を見ている。土筆は芽を出そうと大地で動いている。風も土も太陽も、たんぽぽや土筆とハーモニーを奏でようとしている。なんと素晴らしいことに自然の呼吸で空も大地も一体となって動く!地球の躍動感。指揮者は一体何だろうか?

エルヴィスのステージのそれは、それにも似ている。

エルヴィスとは何者だったのか

Sweet Caroline 、なんという優しい語感。
エルヴィスはそれを宝物のように歌っている。恋の喜びの歌。
「いつからか気持ちが高まり、ふたりは求めあった。君がいるからもう淋しくない。こんな恋は二度とないだろう」しかしこの歌は単に喜んでいる歌ではない。挑戦的だ。

『woow!!wooow!!』のフレーズ、弾みながら少しずつ、かすれていく声。Carolineを呼ぶ男は全能の神ではない。無力感が漂う冷たい冬の空気を切り裂き突き破り春の風を呼びこもうとする声がする。ただ歌うだけなのに、宝物を全身で守ろうとするひたむきがある。

この恋は天から授かりものではない。二人が求めあうのはお互いが挑戦的に幸福を手にしょうとしているからだ。『woow!!wooow!!』弾みをつけてSweet Carolineを呼ぶ。『woow!!wooow!!』この瞬間に泣けるほどの「無垢」が琴線に突き刺さる。

Carolineがただの女の子じゃないことが分かる声だ。
どんなに素晴らしいか、こんなふうに声で表現できるのはほとんど動物的だ。本能的だ!
だからこそ世界中の人に言葉の意味が分からなくても、「鼓動」が聴こえてきて胸を打つのだろう。

エルヴィスの凄さはそこにある。恐らくナニも考えていない。細かいプロセスなんかない。自分の感じるままに歌っているだけだろう。それがすごいことだ。

エルヴィスとは何者だったのか

道を知ろうという限り、決して「道」を体感することはない。そうした無心でない心がある限り、真理に届かない。エルヴィスはただ歌う。ただ歌うという日常的な行為に「道」があるように、「愛」がある。ただ歌う。エルヴィスの落ち着き払った行為にこそ愛があり、道がある。

映画『ELVIS ON STAGE』ではより鮮明だ。声と身体がひとつになって全身でCarolineを呼んでいる。そこではスイート・インスピレーションがたんぽぽを応援する風のようだ。

ボブ・ディランの言う「歌詞」よりも強いかたちで「本物の人生」が届けられる。

アルバム『On Stage February 1970』に収録

エルヴィスとは何者だったのか

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