谷間の静けさ / (There’ll Be) Peace In the Valley (For Me):1957

エルヴィスのゴスペル 特選ソングス
<谷間の静けさ>は、エルヴィス・プレスリーの人生を決定づけた楽曲だ。

1957年トム・パーカー大佐は人気の高いTV番組『エド・サリバン・ショー』でゴスペルを歌わせることで、批判的な世論が多い、過激なロックローラー、エルヴィスのイメージアップ戦術に出た。と報道されていた。

真実は違う。エルヴィスがどうしても歌うと言い出したが、番組側は拒否した。エルヴィスはハンガリー動乱に心を痛めていて、その気持ちを<谷間の静けさ>にたくしたのです、

エルヴィスが愛したゴスペル

偉大なるかな神・エルヴィス・プレスリー

21歳のエルヴィス・プレスリーが<谷間の静けさ>に託したハンガリー動乱」とは、1956年10月23日よりハンガリーで起きたソビエト連邦(ソ連)やハンガリー共産党政権の権威と支配に反対する民衆による全国規模のデモ行進・蜂起で、ハンガリー政府側がソ連軍に要請した鎮圧によって市民約3000人が亡くなり、20万人以上が難民となり国外へ亡命したとされる事件。

ハンガリー動乱

エルヴィスは一刻も早い解決を祈っていて、エド・サリバンショーでゴスペルを歌いたいと申し出たが、ヒット曲を歌ってもらいたかった番組側は拒否。
エルヴィスが強硬に押し通した結果、司会のエド・サリバンはエルヴィスの気持ちをファンに伝え、バックコーラスのジョーダネアーズと共にゴスペル<谷間の静けさ>をアカペラで歌った。歌い終わると、大きな歓声に包まれた。

これが予想外の大好評で、RCAは急遽4曲入りのコンパクトLPにしてリリース、たちまち大ヒットしたのを受けて、アルバムとしてリリースすることになった。

ジョーダネアーズ

それは、事実上、ロックンローラー、エルヴィスの終わりとなった。エルヴィスは形の上ではロックンロールを続けていたが胸中では「バブルガム・ロック」と位置付けていた。ロックンロールはゴスペルから誕生したというのがエルヴィスの持論だった。ゴスペルあってのロックなのだ。しかし若い人がゴスペルに興味を示さないのも知っていた。
信心深い母親の影響もあり、神の身近にいたエルヴィスは「そうじゃないんだ。もっとも大事なことがあるだろう。」というのが底流に流れていた。しかしエルヴィスは母親にも疑念を抱いていた。エルヴィスにとってゴスペルもロックも同じなのだ。つまり神も母親の言う神ではないのだ。愛そのものではなかったのか。そのコミュニケーションツールが歌ではなかったのか。

ロックへの復活は血へどが出るような『1968年12月NBC/TV スペシャル』のパフォーマンスまで待たなければならないことになる。

RCAは、エルヴィスがゴスペルを歌うのを快く思っていないのを通り越して、嫌っていた。
スタジオで喉慣らしと言って頻繁にゴスペルを歌い、ゴスペルアルバムを出したいと言うエルヴィスに対し、RCAの首脳陣は、ゴスペルを歌うために大金を払って契約をしたのではないと怒っていたが、エルヴィスは自分の考えを変えなかった。

エルヴィスの周囲の人は、エルヴィスのゴスペル好きが本物で、狭い範囲で歌われるゴスペルを世界に広めるために人生を賭けているように感じていたという。

谷間の静けさ

谷間の静けさ

おお、私は身も心も疲れ果てています
けれども、なお歩みつづけなければなりません
主なる神が私を呼びに来て下さるまでは
主が、私を呼び出して下さるまでは
おお、朝はまばゆく輝き
小羊なるキリストは世の光です
夜はまるで深い海のごとく
黒々と広がっています

(天国の谷間にはやがてそこへ行く私のために平和が待っていることでしょう)

天国の谷間には私のために
平和が待っていることでしょうおお主よ私は祈ります

(そこには悲しみも不幸も苦しみもありません。今の私の苦しみはありません)

天国の谷間には私のために
平和が待っていることでしょう
熊は従順になり
おおかみは服従し
ライオンは羊のかたわらに
寝そべっています
野の獣たちは
主なる御子に導かれます
私の身も今の自分とはまったく違う姿に
生まれ変わることでしょう

訳詞は『ピース・イン・ザ・ヴァリー~コンプリート・ゴスペル・コレクション(BVCM-37171~3)』より引用

エルヴィスとは何者だったのか。

エルヴィスとは何者だったのか

エルヴィスの功罪を整理してみよう。

「かれは素晴らしい歌手だよ。ほんとに。彼はとても素晴らしい。
どれだけ素晴らしいかみんなわかっていないんだ。本当には。わかっていないさ。
みんな全然理解していないんだ。ーーー絶対に無理だね。
どうして彼がそんなに素晴らしいかなんてわからないよ。でも、彼は素晴らしいんだ。」
名曲<Be My Baby>等をプロデュースしたフィル・スペクターの言葉だ。

フィル・スペクターが語っているように、それはホントに素晴らしいのだ。その素晴らしさをこの地球に生存する数えられないほど多くのファンをも含めて一体どれだけが知っているか、

フィル・スペクターの言ってる素晴らしさはファンをもってしても知らない素晴らしさを言ってるような気がする。われわれはエルヴィスの凄さの断片しか知ることしかできないままなのだろう。それほど素晴らしいのだ。フィル・スペクターが1969年に語っている素晴らしさとは歌がとてもうまいというようなことではない。それも含めて存在が素晴らしいということだろう。1969年の素晴らしい存在。それは何だったのか?ピエロは考え続けている。

一方、批判的な意見はなにか?
ひとことに集約すればボブ・ディランらに代表される「生への活気のなさ」という類いのものーーーもてる才能を十分に発揮しなかったという意見だ。ーーーーその活動の大半がエルヴィス自身のパロディに費やされたことは「ピエロ的エルヴィス考」でも記述した通りだが、結論から言うと映画『ELVIS』が描いたように、エルヴィスの置かれた状況からすれば、エルヴィスの選択肢はなかった。

ELVIS

エルヴィスの運命を決定づけた出来事は「9年間の映画契約」「最後のエド・サリバン・ショー」「母親の死」「兵役」「離婚」などがある。
これらのことで一番話題になる機会が多いのは「離婚」だが、実際は影響が少ないのではないか。なぜならエルヴィスはプリシラから愛され続ていて、エルヴィスもプリシラを愛し続けていたからだ。ただ同居生活がプリシラには辛すぎて、多忙なエルヴィスにも負担になっていた。それよりも「兵役」が決定的なインパクトで根本的にエルヴィスを変えたはずだ。
アメリカ白人社会の高い場所に堂々と受け入れられたことによる達成感。

エド・サリバン・ショーで、自分の気持ちを押し通し、ハンガリーの人々の心情を託した「谷間の静けさ」を歌った、すぐ後に観客の大歓声、エド・サリバンから賞賛される。
この瞬間にエルヴィスの全人生は変わった。エルヴィスを語る上で象徴的な事件だった。
皮肉なことに、神の仕業かと思う程に皮肉なタイトル<谷間の静けさ/ (There’ll Be) Peace In the Valley (For Me)>

【谷間】相反するふたつのもの、エルヴィス支持と激しい批判
【静けさ(平和)】解決、安堵、サリバンによってもたらされた<安堵>とその後の<安定>

エルヴィスは一気に個人的には安堵、公的には安定を得る。しかし安堵は停滞でもあり、安定も衰退に向かう停滞だ。

さて多くの人が「謎」と思っているのは、なぜあれだけの「富と栄光」を獲得できた人が、いくら映画契約があったところで、自己主張できたはずではないか?
それをしなかったのは怠慢でなかったのかという思い。それをしないのは人として弱すぎる、無気力すぎないか、という批判だ。

エルヴィスの状況を考えれば、それしか選択肢がなかった。
くり返すが、エルヴィスにはすでに戦って獲得するべきものはなくなっていた。
もちろんエルヴィスはすべての面で才能を発揮したかっただろう。あれだけの才能のある人が、それを分かっていなかったはずがない。

エルヴィスが望んだ個人を認める自由なアメリカ白人社会は嗜癖する欲望に満ちた社会でもあり、ハリウッド、レコード会社はその典型的な場所でもある。

エルヴィスにとって自分の大きな望みを達成させることは、例えエルヴィスが望んでいなかったにしろ「嗜癖する欲望に満ちた社会の一員」になることであり、そして取り込まれたもしたが、ゴスペルがエルヴィスを故郷に引き戻し、普通人にする役割りをしていたのです。

エルヴィスは成功と普通人たらんとする感謝の気持ちをゴスペルに宿し、ゴスペルを広く世界に認知させるこに人生を賭けていた気がすると近い人は感じていた。
人の力になりたいという想いが、エルヴィスの歌うゴスペスを力強いものにしていて、グラミーを受賞した曲は全部ゴスペルでした、

エルヴィスは成功に困惑しながらも、神の力だと信じていた。
ゴスペルを歌うことは礼拝堂に行くことができない代わりのように思えたと近い人々はいう。
バックコーラスの仲間とゴスペルを歌うことで神に近づこうとしていたのだ。

それは亡き母のもともとのいのちに触れることであり、自身のルーツに近づくことだった、
エルヴィスはライブが終わった後の深夜、バックコーラスの仲間を集めて朝の7〜8時までゴスペルを歌うのでした。これはプロになる前、家の近くにあった公会堂で行われてたオールナイトシンキングという教会主催の集会に参加していた習慣を連想させます。

コンサートで女性ファンの一団が列を買い占めていて、「あなたはキングだ」と横断幕を広げたとき、エルヴィスは落ち着いて「キングはイエスだ」と言い放ったといいます。

また、バックコーラスの一員が、「あなたは祝福されている」と言った時も「分かっている。神の意志だ。物事はあるべきところにあるべき形で結実するものだ、慈しみの気持ちと偉大な力に感謝を忘れてはいけない」と神を信じていた。それはまるで友達のような近さだ。

エルヴィスはジャーナリストに対して「自身を大スターだも大物とも思っていないが、今日の自分も未来の自分も神の意志であり、常に神の視線を感じる」と話していたと言います。

”愛に弱かったエルヴィス”のエピソード

エルヴィスのゴスペル

映画『ELVIS』では、マネジャー、トム・パーカーと縁を切ろうとしたとき、パーカーはデビューの時から貸してある金も返してもらうと半ば脅迫します。そんな金があるとは知らなかったエルヴィスは、管理を任せてあった父親に、「稼いだ金はどうしたんだ」と聞くと、「お前が使ったんだ」と言います。

その大半は、困っている人に使ったお金でした。その実感が、公衆電話から電話をしようとして小銭がなかったときに、見知らぬ人が渡してくれた小銭に感謝し、側近に住所を聞かせ、のちに家まで行って家族が抱えていた借金を全部清算したという行為に発展したのでしょう。

またあるときには、自動車を見ていた見知らぬ母子に声をかけ、「いい車だね」と子どもに話けけたかと思うと、その車をプレゼントしてしまう、とんでもない行為の背景には、ただ「びっくりさせたい」という無邪気さが引き金なのです。その「びっくりさせたい」気持ち解りますよね。母と幼い自分がダブったのでしょう。その気持ちが「困っている時、必ず誰かが助けてくれるものだ。」という言葉になったのです。

子どものような心を、バックコーラスを勤めていた黒人女性は「彼は愛に弱かった。妻、子ども、仲間、愛には感情的になった」と証言する。テキサスでライブが行われたとき、黒人は連れてくるなと言われたそうだが、エルヴィスはそれなら行かないと拒否、黒人女性はエルヴィスと同じ白人男性が運転するオープンカーに乗車して、会場となったグランドを周り、ファンに挨拶したという。

仲間のひとりの家に泥棒が入り、盗難騒ぎが起こったときには、飛行機に乗って、深夜にみんなで駆けつけて、子どもたちを抱きしめて「心配しないで。盗られたものより良いものを揃えてあげるから安心して眠りなさい」と傷心を鎮め、安心させたのです。

エルヴィスに近い人々は、「エルヴィスの長所は心が広いことだ。怒ったのを見たことがない。短所は心が広すぎることだ。彼は持っていた物のほとんどを人にあげてしまった。」と証言する。

「神に召されて、いま神の国でどんな地位にいるのか知らないが、彼はみんなに良くしてくれた」きっと神の国で良くしてもらっているはずだという想いをこめて側近たちは感謝する。

お金でも考えても解決しない問題には、手を握り一緒に祈ってくれたという。その翌日にはガンが治っていたという話もある。メンフィスライブでオリビア・ニュートン=ジョンの曲を気合を入れて歌ったのもエルヴィスなりの想いがあったのでしょう。
エルヴィスは滅多に語りませんが、エルヴィスは自分が神に感謝するように、人生を愛し、人を愛し、人々に感謝していたのです。

歌の片方に白人ゴスペルがあり、片方に黒人ゴスペルがある。ゴスペルそれは白人の賛美歌を奴隷として連れてこられた黒人たちが遥か故郷の音楽を思い出しながら創り出したもの。エルヴィスの愛は、ゴスペルを通して、その痛みに捧げられていたのです。

白人労働者のカントリーソングとゴスペルの片割れである黒人ブルースをミックスしてロックンロールを生み出したのも、一卵性双生児として誕生しながら兄と死産で別れた悲しみを死ぬまで背負い続けていたのかも知れない。ゴスペルはエルヴィスの魂なのだ、

エルヴィスとは何者だったのか

「ゴスペル」・・・・エルヴィスの原点

谷間の静けさ

「ゴスペル」ーーーーエルヴィスの原点だ。
ゴスペルは正しき者の音楽、そこから追放されし悪魔の音楽がブルースだ。
エルヴィスは同時期のジェリー・リー・ルイスやエルヴィス以降の出現した多くのアーティストなどと比べても断然クレバーで挑戦的だった。
そんなエルヴィスの「停滞を可能にした」は何だったのか?ピエロはファンの非難を覚悟で断言する。
ゴスペルがエルヴィスを救い、護り、育て、ゴスペルがエルヴィスを苦しめ、追い込んだ。
ゴスペルこそ天使と悪魔の隠れ家だったのではないのか。

エルヴィスにとってゴスペルは教えでなく、音楽だったはずだ。
ママ、僕は神を心から敬ってるよ。でも、それって僕にとっては音楽なんだ。音楽と神とは切り離せないものなんだよ。
この言葉はそれを意味している。

エルヴィスは科学者でもなければ心理学者でもない、好きは好きだけだ。しかし英語で歌われるゴスペルは歌詞こそ精神だ。口ずさめば口ずさむほど、音楽以上にその歌詞は精神となり、環境に順応していく。
私は神の力を信じています(I BELIEVE IN THE IN THE SKY)」
なお歩き続ける勇気をくれるのは誰(SOMEBODY BIGGER THAN YOU I DO)」
いかに天国を勝ち取ったかを語る日がいつかくる(BY AND BY)」
・・・・・「いつかきっと」「神が見ていてくださる」

そう、ここには自分を慰める精神はあっても、大半が依存的であり、自らを引き受けて責任を全うし勝ち取っていこうする姿勢に乏しい。一時的な救済に満ちた世界。
いまもって紛争が絶えない国土なき国民、ユダヤ民族の悲劇は「ユダヤ教」の教えにある。
この流民の歴史は一体いかほどの歳月か。

私には約束の地に天の主が住んでいる。
だって私にはあちら側に家がある(
SWING DOWN,SWEET CHARIOT )」

誰もひとりでは立てない所

アメーシンググレイス

16世紀後半、英国国教会の宗教的圧迫に反対し、また同時に、社会の腐敗堕落を嘆いて、プロテスタントの精神を徹底させ、教会や社会を清浄にしようと図った人々がピューリタン(清教徒)(Puritan)だ。

1602年に独立教会を創立したが、英国国教会から迫害されたので、信教の自由を求め、一部はオランダに逃げ、メイフラワー号に乗ってアメリカ大陸に渡った。いわゆるピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)とよばれる人たちだ。彼らはあらゆる辛苦に耐え、開拓を行い、アメリカ合衆国建国の基礎を作った。

1775年4月に英国との間で独立戦争が勃発するが、そのおよそ30年前に起こったのが清教徒の信仰復興運動である。運動によって南部の白人から奴隷である黒人に信仰が伝導された。それが黒人たちの宗教になり、ゴスペルの基礎となっていく。

ゴスペルもブルースもアフリカに由来するのではなく、南部の教会に由来することになる。
宗教戦争が語るように、宗教は権力と結びつくことが多い。
権力の及ばぬところで行われる信仰は邪教になり、密教になる。
黒人たちの間で広がった宗教は、白人による抑圧を効率的にするためのものと考えるのが妥当である。
耐えること、それが必ず幸福につながる、やがていつの日か。

ゴスペルににじむ無垢、やさしさ、悲しみを乗り越えようとする明るさは、いまこの瞬間も胸を打つ、しかしそれは「嗜癖する社会」にとっては格好の餌食だった。

「いつかきっと」「そうだよ、いつかきっとよくなるさ、だからエルヴィス、ガッポリ儲けさせてくれ。」エルヴィスはゴスペルを口ずさみながら、責任を果たそうとした。
なぜか?エド・サリバンに代表されるアメリカの良識に認められたエルヴィスは「アメリカの好青年」として義務を全うしょうとした。

それは母グラディスが「エルヴィス、母さんは頭が痛いんだよ。いい子にしていておくれ」と同じメッセージだ。
・・・・・ひとり淋しく黒人教会の音楽に耳を傾ける少年エルヴィスが浮かぶ。
・・・・・耐えていればきっと報われる、信じることが正しいのだという教えが荘重なメロディあるいは力強いリズムに乗って響いて来る。

エルヴィスはゴスペルに救いを求めた。
無力感を脱するためにゴスペルを嗜癖し、高揚させ、カメラの前に立ち、やっつけ仕事をくり返し無気力になり、無力感が増幅する。
たとえそれが一時的な高揚であったにしろ、ゴスペルで慰める。
そしてまた活気のない脚本を読む。あるいは痛みをこらえてステージに立つ。
自分の任務を全うするために。
エルヴィスは考える。そう、いつかきっとよくなるのだから。
他の選択をしなかったのは、子供時代からの慣れ親しんだ儀式だからだ。
「そうさ、きっとよくなる。だってエルヴィス・プレスリーになったじゃないか。」と自分に語りかけながら、「されど、われ未来を支配し給う方が誰やを知る。これぞ神のみに知られたる秘密なり(KNOWN ONLY TO HIMI)」と口ずさむ。

エルヴィスはゴスペルを歌う。<はるか彼方(FARTHER ALONG)>を見る。
邪悪な暮らしを続けている人がなぜ栄えているのか?いずれ分かる時がくる。
だから元気を出して、明るい気持ちで生きよう。
いつか私たちにもきっと分かる日がくるのです
(FARTHER ALONG)」
終わりの時が迫っているのがぼくには分かる、
これで詐欺師とはおさらばだ
(YOU BETTER RUN)」

たとえそれが20才の無鉄砲であったにしろ、<ミルクカウ・ブルース・ブギ>はゴスペル<夕べの祈り>の対極にある。一日の労働が終わり、祈りをしているような調子で始まるこの歌は、突然スコティ・ムーアに「調子が出ないな、ノリノリで行こうぜ」と声をかけてから、「オレはもう出て行くぜ、おまえは冷たい女さ、きっと後悔するぜ」って腹の底の底まで吐き出すように、きっぱりと「神にも、愛する女にも、自分を引き受けてくれとは頼まずに自分を自分で引き受けている。」完璧なまでにきっぱりと。

エルヴィスはゴスペルから追放されたブルースを歌ったのではない。
ブルースを脱出したのだ。ゴスペルのように耐えることでも、ブルースのように耐えることを放棄することでもなく、戦うことを選んだのだ。
それが新しい選択を意味する音楽、ロックンロールだった。

苛酷な宿命をだれが引き受けることができるのか?
多くの人はその生後数年で、無力な幼いこころにもかかわらず引き受けることがあることを知らさせる。それを引き受けられそうにないと思った時に自分を責める。
そして無用な必要もない十字架を背負ってしまう。
1個のパンを盗んだために生涯迫害され続ける『レ・ミレザブル』の物語りのようにである。

7才のエルヴィスは母グラディスに「何も心配することないよ。大きくなったら立派な家を買って、八百屋の借金は全部払い、キャディラックを2台買ってあげる。」とつぶやいた。
「悲しそうで、内気な子」という小学校の同級生の証言。

わずか7才の子供が一家の大黒柱になろうとしたのだ。それを果たせない無力な自分を責め、自分への自信を失ったのだ。無力感がエルヴィスを日々傷めつけていたのだ。未来が閉ざされていくなかで、ゴスペルが慰める。はたしてエルヴィスに子供時代はあったのだろうか?
自分を引き受けることができないまま、周りを引き受けてしまった者の痛みが聴こえてくる。
だけどエルヴィスはその人生の始まりから最後まで「痛い」と言わなかった人だろう。

<WHERE NO ONE STANDS ALONE/誰もひとりでは立てない所>

ある時私は夜の闇に立っていた。頭を低くたれて立っていた。
それは考えられないほどの暗闇だった。
すると心に孤独を覚えて私は叫んだ。
おお、主よ、私から御顔を隠さないでください。
たとえ王様のように立派な家に住んでも。
自分自身の莫大な富を所有して暮らしたにしても
この広い広い世の中に孤独ほど苦しいものを、ただひとつだに私は知らない。
ずっとこの先、いつもどんな時も、
ここから天国に至るまで、主よ 私の手をとってください。
私の手をとり 誰もひとりでは立たなくてもいい場所に 連れていってください。
私の手をとり 誰もひとりでは立たなくてもいい場所に 連れていってください。

「どれだけ素晴らしいかみんなわかっていないんだ。
本当には。わかっていないさ。
みんな全然理解していないんだ。ーーー絶対に無理だね。」
フィル・スペクターが何を素晴らしいと感じたのか、それは知らない。
しかしエルヴィスはやはり素晴らしいのだ。
どれだけ素晴らしいかみんなわかっていないんだ。
本当には。わかっていないのだ。」

フイル・スペクター

エルヴィスの魂

エルヴィスの魂

われわれはエルヴィスの心の空虚の中に住んだのだ。本当のグレイスランドはエルヴィスの空虚に建っている。万国旗が並んでいる。あたたかくやさしく居心地がよくて家賃を滞納したまま、いまもまだ住んでいる。

いくらかのレコード、CDや映画で利子は払っているものの、大家は熱狂的な女性ファン以外には我慢できない靴下の臭いを気にしなかったような曖昧さで催促もしない。それどころか「よく来たね」と笑顔で声をかけてくれる。

自分を誰かに任せるのではなく、「自分で自分を引き受ける」ことがエルヴィスを受け継ぐ者のつとめなのだろう。
そのことの大切さを<ミステリー・トレイン>から、<ハレム万才><フランキー&ジョニー>から、<TVスペシャル1968>から、<偉大なるかな神>からも探すことができる。どこにも星がつまっている。どんなふうに道を歩くべきなのか、誰もひとりでは立てない所についに立ち続けたキングはその声で、楽曲で、示唆している。

グレイスランドで未払いだったことに気がついた。
ピエロは<谷間の静けさ>を聴きながら、家賃の支払い方を考えている。

谷間の静けさ / (There’ll Be) Peace In the Valley (For Me)

エルヴィスのゴスペル


Well, I’m tired and so weary
But I meet ge along
Till the Lord comes and calls
Calls me away, eh yet
Well, the morm it se bright
And the lamb in the light
And the night, night in en black
As the sea, oh yen
(There mill he pence in the valley Pen me someday)
There will he peace in the valley
For me, 0 Lard pray
(There will be vs sadness, as sorrow Na trouble, trouble I see)
There will be peace in the valley
For me
Well, the bear will be gentle
And the wolves will be tame
And the lion shall lay down
By the lamb, oh yes
And the beasts from the vvild
Shall be led by a Child
And III be changed
Changed from this creature that I air
Oh, yes

Repeat

For me

エルヴィスは生き方

コメント

タイトルとURLをコピーしました