どっちみち俺のもの / Anyway You Want Me (That’s How I Will Be)

特選ソングス

『ハートブレイク・ホテル』『ハウンドドッグ』『どっちみち俺のもの』など次々にギネスを打ち立てるモンスター級のヒットを放ち音楽界を独占した『エルヴィス登場』は、白人が黒人の魂で歌うというあってはならない事件だった。

凄まじいエルヴィス・バッシングとエルヴィス支持。「人は対等」というメッセージをエルヴィスのあり方そのままに無意識に歌声で表現したのだ。

エルヴィス・プレスリーは無意識に人種の境界を越境したのではなく破壊した。人種の垣根のない地で生きてきたエルヴィスに境界など最初からなく、ラジオから聴こえる音楽は癒しでしかなかった。そのあり方はラスベガスのステージに表現されている。

だからみなさん、エディット・ピアフとビートルズを比較しないように、エルヴィス・プレスリーをビートルズ、ボブ・ディラン、フランク・シナトラと比較しないでください。くれぐれもお願いします。

「体制VS反体制」は金になる。エルヴィス事件のロジックはビートルズ、ボブ・ディランらに継承され広がり、ビジネス色プンプンのセックスピストルズで頂点を迎えます。
やがては「自由に向かって革命を起こす」『大人社会への反抗」と言われてもピンとこなくなります。

1月は成人式の月、お祝いの月ですね

1月と聞くと「ハートブレイクホテル」だね

エルヴィスのバースデーが8日で、「ハートブレイクホテル」が10日だった。

なるほど音楽も成人した月なんだね。

どっちみち俺のもの / Anyway You Want Me (That’s How I Will Be)

エルヴィス・プレスリーは19歳の時に、レコーディング前のインタビューで「僕は誰にも似ていません」と言い、その通りなんでも歌えた。

全部ラジオから学んだ。その歌声は黒人の模擬ではなく、黒人の魂で漲っていた。
当時、地方公演が多く黒人コーラスを連れてくるなと釘を刺されることも多かったが、エルヴィスは出演を断っている。

20歳の時にメジャーレコード会社に移籍『ハートブレイク・ホテル』は全世界的なヒットになるが、この曲の歌い方は全仕事を通しても唯一のものでした。その後、物議をかもす『ハウンドドッグ』をレコーディングするが、テイク数は100近くに及び、バンド仲間を疲弊させた。当時の録音スタイルはほぼライブだった。

南北戦争から続く、根強い人種差別の垣根を気軽に乗り越えた『ハウンドドッグ』こそが成人式だった。ボブ・ディランやビートルズのような成り上がり文化人と違い、エルヴィスには歌う以外何もない。ニューヨークもハリウッドも嫌い、何もないけどなんでもあった偉大な地方ミュージャンがエルヴィスの本質です。野暮ったいけどかっこいい。今もってして奇妙で偉大なスターだった。

NYが似合うフランク・シナトラは当初からロックンロールに批判的で「すぐに消えるだろう」と公言していたが、その通りになった。エルヴィスを除いては。
エルヴィスにすれば、あなたたちがどんなにおしゃれでスマートでも、『どっちみち俺のもの』だった。

“全てはエルヴィスから始まった”。

エルヴィス・プレスリーは、1954年『ザッツ・オールライト』『ブルームーン・オブ・ケンタッキー』の2曲でデビューしました。テネシー州メンフィスを中心にローカルヒットでしたが、次第に全米の話題に広がりつつありました。

エルヴィス・プレスリーは、白人なのに、黒人の魂で歌うシンガーでした。
『ロック・アラウンド・ザ・クロック』のようなブルースを模擬した曲は、すでにヒットしていましたが、エルヴィスの場合、カントリーソングなのに、黒人のスピリッツで歌うというのは境界の越境ではなく、破壊行為でした。
その異能な才能にメジャーなレコード会社が着目しないわけがありません。

エルヴィス・プレスリーはRCAビクターと契約。
サン・レコード(オーナー:サム・フィッリプス)は著作権ごとRCAに売り渡しました。

1956年1月10日『ハートブレイク・ホテル』を録音します。B面は『ただひとりの男(アイ・ワズ・ザ・ワン)』というカントリーなロカバラードで、エルヴィスの魂が楽しめる佳作です。内容は暗く伴奏も控えめですが、ヒットを確信したエルヴィスはこの曲をデビューシングルに選びます。RCAのスティーヴ・ショールズはエルヴィスの選曲を信じるしかなく、サム・フィリップスもこの選曲には驚いたといいます。
ジョン・レノンは発売日にラジオで聴き、すぐレコードショップに走ったといいます。

2月にTVショーにゲスト出演、『ハートブレイク・ホテル』を紹介し大反響を呼び、200万枚のビッグヒットになります。RCAは自社生産が追いつかず他社工場を借りてプレスします。エルヴィス・プレスリーはこの一曲で億万長者のレールに乗ります。

エルヴィス・プレスリーの1956年〜57年の偉業は下記の通り。58年兵役に召集されます。

1.Hound Dog(A/1956.8.18~全米10週連続No.1)
2. Loving You(B/1957.7カントリーチャートNo.1)
3. All Shook Up(A/1957.4.13~全米7週連続No.1)
4. Heartbreak Hotel(A/1956.4.21~全米8週連続No.1)
5. Jailhouse Rock(A/57.10.11~全米6週連続No.1)
6. Love Me(A/57.1.5~全米2週連続2位)
7. Too Much(A/57.2.9~全米3週連続No.1)
8. Don’t Be Cruel(B/56.8.10~全米11週連続トップ、1000万枚セールス)
9. That’s When Your Heartaches Begin(B/57.4.27~全米58位)
10. Teddy Bear, (Let Me Be Your)(A/57.7.8~全米7週連続No.1)
11. Love Me Tender(A/56.11.3~全米5週連続No.1&全米年間チャート1位)
12. Treat Me Nice(B/57.10.28~全米18位)
13. Anyway You Want Me (That’s How I Will Be)(B/56.10.28~全米18位)
14. I Want You, I Need You, I Love You(A/1956.7.28全米No.1)

NO LIFE NO MUSIC

エルヴィス映画は、MTVがなかった時代にエルヴィスを見せる装置として割り切るのが正しい。ビートルズ映画がリチャード・レスターという監督に恵まれたのと対照的に大プロデユーサー、ハル・ウォリスが路線を敷いた。初期の4本はマーロンブランドのような「反抗する若者」というイメージで、当時の社会が行なったエルヴィスパッシングと符号が重なる。除隊後は「健康な若者像」にスイッチした。どちらも虚像だ。

すべては歌声に集約されてる。

ボブ・ディランやスプリングスティーンが自作の曲と「歌詞」にこだわるのに対し、エルヴィスは他者のカヴァーに専念した。同じ音楽に命を投じても、明らかにスタンスが違いすぎる。エルヴィスは幼い頃から教会とラジオを通じて音楽と親しんだ。
サム・フィリップスは、一回聴いたら覚える才能に驚いたという。
いい曲だな、『どっちみち俺のもの』だけどね。

1977年8月16日に42歳で他界、今年は47回忌です。
“全てはエルヴィスから始まった”。
一つはロックの歴史、もう一つは『どっちみち俺のもの』です。

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まとめ

つまり、人生は『どっちみち俺のもの』なのです。
エルヴィス・プレスリーの『どっちみち俺のもの』はあなたへの応援歌です。

ビートルズやボブ・ディランは共感する音楽です。でもエルヴィス・プレスリーの本質はそうではありません。誰もエルヴィスのようには歌えません。肩にそっと触れる音楽です。

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