1952 “My Story” 1953 “Going To The River ”Don’t Deceive Me”
1954 “You’re Still My Baby” ”I Feel So Bad”
1956 “It’s Too Late””Juanita” “Whatcha”Gonna Do When Your Baby Leaves You” ”C. C. Rider” “Betty and Dupree””What Am I Living For””Hang Up My Rock And Roll Shoes””My Life””Keep A-Driving”などのヒット曲を放っているチャック・ウィリスをカバー。
1961年にリリース、ミリオンセラーとなった<アイ・フィール・ソー・バッド/I Feel So Bad>でもエルヴィス・プレスリーは、原曲の良さを壊さずに、ほとんど別物に仕上げている。
エルヴィスは、渋めの曲をチョイス、その選曲眼に本当に音楽が好きなんだなと感じずにはいられない。B面には1961年6月22日公開の7作目の主演映画『嵐の季節』のテーマ曲が収録された。
アイ・フィール・ソー・バッド/I Feel So Bad
<アイ・フィール・ソー・バッド/I Feel So Bad>は、これまで通り、エルヴィスの慣習に従って、シングルリリース、アルバムはゴールドディスクだけを集めた『エルヴィス・プレスリー ゴールデンレコード第3集』に収録リリースされた。
<アイ・フィール・ソー・バッド/I Feel So Bad>は、ナッシュビルAスタジオで録音。チャック・ウィリス、レイ・チャールズなど黒人アーティストが録音していますが、エルヴィスは誰よりも速いパフォーマンスで迫ってきます。エルヴィスの魅力はなんといっても天下一品のワイルドな歯切れの良さと色気です。抑えに抑えてブルブルふるえるような声から、じわじわ抑圧を破壊するように、そして最後に爆発といっていいシャウトする展開は、我慢に我慢を重ねて最後にドスを抜く高倉健のようであり、力道山のようであり、その爽快感が我慢に我慢を重ねる女子の心を掴んだのかもしれません。
どんな呼吸法を励行していたのか、気になりますが、腹式呼吸か丹田呼吸法をしていたのではないかと想像します。「Rock(=ブルース)」と「Billy(=ヒルビリーバップ)」でアッと言わせたエルヴィスの歌唱法は、「僕は誰にも似ていません」と言ったように黒人の「ブルース」と白人の「カントリー」のクロスオーバーから生まれたヒルビリー唱法、マンブリン唱法にとどまらないなにかがあった気がします。
自分はどこからともなく聞こえてくるアメリカのポップが、軽くて乾いているのに、自分が聞くのは、重くて湿気を含んでいるのは、なにが違うんだろうといつも不思議でした。
それはエルヴィスだったからだとわかったのは、ずいぶん経ってからでした。そこに違いがあったのだ。
ピアノはフロイド・クレーマー、サックスはブーツ・ランドルフ、ベースはD・J・フォンタナ、ギター:スコティ・ムーア、ドラムス:バディ・ハーマンの布陣と想像。
軍から帰ってきて、おとなしくなったとは言え、ピアノとサックスの絡みに奇声をあげるエルヴィスがブルージーでいいですね。
1957年3月19日、エルヴィス、グレイスランド購入
<アイ・フィール・ソー・バッド/I Feel So Bad>は、ずっと続いてきたエルヴィスのブルースが堪能できます。ジョン・レノンが何者かになりたかったのとは、対照的にエルヴィスは何者にもなろうとしていなかったという気がしてくるパフォーマンスで、聞く者の気持ちをとらえます。
エルヴィスは、まだ幼い子どもの頃、母親グラディスに「心配しなくていいよ。僕が家を買ってあげるから」と言ったといいますが、その約束を1957年3月19日に102,500ドルでグレイスランドを購入して果たします。もうそれ以上のことはどうでも良かったのではないか、そんな気がするパフォーマンスです。
エルヴィスはロックを失った
しかし、エルヴィスは自分が何か失っていることに気がつきます。
それがNBC=TV SPECIALまで待たなければいけなかったのは残念です。
エルヴィスが失ったのはエルヴィスでした。
B面の『嵐の季節』は『燃える平原児』とも20世紀フォックス作品で歌を忘れたカナリアにならざるを得ない意欲作でしたが、芳しい評価は得られなかったようです。映画の方も方向性を見失いパラマウントの大物プロデューサー、ハル・ウォリスは20世紀フォックスに貸し出し、反応を見たのです。
誰もがエルヴィスに求めていたのは「ロッカー」だったのです。しかしリスナーたちも年を重ねていてソフトなロッカバラードに惹かれるようになっていました。
ところが、ここでまたやってはいけない成功を成し遂げます。映画『ブルーハワイ』とサントラアルバムです。どちらも大ヒット。特にサントラアルバムは売れに売れて新記録樹立のラッシュです。エルヴィスの周辺は観光路線を暴走します。なにしろロックの値打ちがわからない人ばかりの時代だったので無理もありません。成功したことは、間違っていなかった証明だし、リスナーのニーズを捉えたマーケティングの面でもロックから離れるのも当然だったのでしょう。
そうしてエルヴィスは、歌でも映画でも安定した路線を進んでいました。
エルヴィスからやり直そう
エルヴィスは、『ブルーハワイ』のヒットに勢いをつけて、次々に観光映画で歌いまくります。それはとても楽しいことなのですが、ここでロックがなんだのかを通して、大事なことが学べます。
エルヴィスの音楽のなにがすごいかというと、色気と切れ味抜群の潔さ、毅然とした態度です。そこにはエルヴィスならではの解釈があります。それは本当の自分をいきたいというリスナーの願望をそっと汲みとって背中を押すパフォーマンスです。
苦しいことから逃げて楽しいことだけを選ぼうとする生き方です。好景気に50年代から60年代前半のアメリカでは<悲しき街角>に代表されるように逃避したい願望が増していました。繁栄から見放されそうな人々は、偽の自分でもいい、ローンで家と車を買い、目先の日々を楽しく過ごせらしあわせと思えたのです。
嘘で塗り固めたエルヴィスの映画もその手伝いをしました。しかし、エルヴィスはその歌たちに突撃して、怒りをぶちまけたのではなかったのか。そこに共感が生まれた。果てしない「ウェーーーール」をエルヴィス自身より、はるか彼方へ発射し、リスナーたちを引率して行ったのではなかったのか。エルヴィスとは何者なのか、そんなこと考える時間もなくあとに続いたのだ。
<アイ・フィール・ソー・バッド/I Feel So Bad>から7年後の1968年、かっての切れ味は衰えても、エルヴィスは、衰えた分だけ身体を張って、ロックは生きる姿勢だと血反吐がでるようなNBC=TV SPECIALで証明します。エルヴィスのまごころでした。
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