ボサ・ノヴァ・ベビー /Bossa Nova Baby:1963

エルヴィスがいた。

エルビス映画は最初、ジェームス・ディーンに代表されるタイプの『ティーン映画』だったが、61年の「ブルー・ハワイ」から『ビーチ映画』に舵をとる。その代表作のひとつが、タイトルバックも美しくエルヴィスの歌も艶やかでサイコーの『アカプルコの海』。

そこから生まれたのが全然ボサノヴァじゃないことはない、最高にグルーヴィーなロックンロール・チューン<ボサ・ノヴァ・ベビー>だ。

ボサ・ノヴァでなくてもおかしくないけど、スタンゲッツ、イーディ・ゴーメ、ポール・アンカ、デイヴ・ブルーベック・クワルテットなどのヒット曲が当時チャートにあふれたボサ・ノヴァのひとつとしても君臨した<ボサ・ノヴァ・ベビー>テキーラ!

彼女は言ったよ「ボサ・ノヴァ・ベビー、止まってはだめよ、今は休んでる場合じゃないの」という歌詞が証明するように、<ボサ・ノヴァ・ベビー>は、<冷たくしないで>など、エルヴィス作品でも優れた作品を提供してきた、おなじみ黄金コンビ 「 ジェリー・リーバー=マイク・ストーラー 」 の傑作。

パラマウントの観光映画路線に、のちにM-G-Mも歩調をあわせるようになるが、20世紀フオックスはパラマウントとは、ジャンルを変えて「嵐の季節」「燃える平原児」のような”ティーン映画成長版”を撮る。

最終的にエルビス映画はパラマウントのスタイルが主流になるが、このパラマウント、20世紀フォックのスタイルの違いには当時のアメリカの生活事情がある。

弟二次世界大戦も終わり落ち着きを取り戻すにつれ、若者をターゲットに主に1954年から1969年までマーケットして製作されたティーン向けの映画。
その主流となったスタイルが、ジェームス・ディーンに代表される怒れる若者スタイル。

しかし60~61年までの間、ティーン向けの映画は不発。「嵐の季節」「燃える平原児」はこの時期の作品だ。

ティーン向けのマーケットに活路を開いたのが、『ビーチパーティー映画』だった。
1959年、ジェームス・ダーレン、サンドラ・ディーが主演したコロンビア映画「ギジェット」が大ヒットしたのがはじまりで、シリーズ化された。


61年に大ヒットした「ブルー・ハワイ」は、「ギジェット」にヒントを得て、エルヴィスにふさわしく贅沢に製作したような作品で『ティーン映画』に方向性を示した作品ともいえる。

カリフォルニアのサーフィン文化に出会い、サーファーと恋に落ちる少女を描いた映画で、続編やテレビ映画、テレビシリーズが作られたほか、後に”ビーチパーティー映画”と呼ばれるジャンルが形成される一因となった。
公開当時は一部の愛好家のスポーツであったサーフィンとサーフィンに付随する文化が一般に知られる上で、主要な役割を果たした作品だった。『ビーチパーティー映画』は63年から66年の間に集中した。

時はケネディ大統領、リーゼントと打って変わってクールカット、歌、踊り、恋、海、サーフィン、そしてなにより深刻な親がでてこないので『ティーン映画』と違い家庭不和も離婚もない。若さは永遠。

このジャンルではフランキー・アバロンが有名。次々とテレビからスクリーンに登場。かってのベテラン俳優が脇に回って作品に重みを加え、フレッシュな女優が観客動員に貢献した。コニー・スティーブンスやラクエル・ウェルチらもそうだが、なかでもパメラ・ティフィンは最高だった。
エルヴィスのガール・フレンド役で登場しなかったのが不思議だった。

日本でも同じ現象が起こっていて、「太陽の季節」から明るい「若大将シリーズ」に変化したのと同じだ。若大将に登場する星由里子扮する澄ちゃんには家庭がまったく匂わない。また若大将には母親は登場せず愉快なおばあちゃんが登場する。ここでも登場人物全員に家庭の匂いがなく家庭不和も離婚もない。

62年からサーフィンが映画に押し寄せて、65年まで続いた。
トレンドのコアにはサーフィン・カルチャーがあり、その伝達方法として、ビーチパーティ映画と音楽が市民生活に浸透、広がりをみせことになる。
1966年にはサーフィンの古き良き時代を記録した映画「エンドレス・サマー」が公開される。カメラ技術の進歩を得て、サーフィン映画が続々と製作された。

しかしドラックとセックスが解放された社会の到来で、エルビス映画、ビーチ映画など永遠の若さを看板にしたB級映画はその役目を終え、終焉を迎える。
ベトナムへ駆り出される現実、夢を見るには明日は遠くなった。

プロデューサー、ハル・ウォリスにすれば、「G.I.ブルース」はハル・ウォリスのためにエルヴィスが軍隊に行ってくれたようなもので、「ブルー・ハワイ」は唯一プロデューサーの手腕が光ったヒットだった。

俺は言ったよ「頼むぜベビー、
俺は一日中仕庫して足が鉛のように重いんだ
シャツのすそははみ出してるし額には玉の汗」
彼女は君ったよ「ボサ・ノヴァ・ベビー、止まってはだめよ
今は休んでる場合じゃないの」
彼女は君ったよ「ボサ・ノヴァ・ベビー、踊り続けるのよ
せっかくノッてきたんだから」
ボサ・ノヴァ
ボサ・ノヴァ

俺は言ったよ「ちょっと座って
飲みながらバンドの演奏でも聞かないか」
彼女は言った「お酒を飲んでバンドですって
私ならお酒を持ったまま踊れるわ」
彼女は言ったよ「ボサ’ノヴァ・ベビー、止まってはだめよ
お酒なんて飲んでる場合じゃないの」
彼女は言ったよ「ボサ・ノヴァ・ベビー、踊り続けるのよ
考えてる暇などないんだから」
ボサ・ノヴァ
ボサ・ノヴァ

俺は冒ったよ「ねえベイビー、ここは暑いけど
外はすごく涼しいよ
1ドル貸してくれれぱガソリン入れて
ドライブにいかないかい」
彼女は言ったよ「ボサ・ノヴァ・ベビー、止まってはだめよ
ドライブなんてしてる場合じゃないの」
彼女は官ったよ「ボサ・ノヴァ・ベビー、踊り続けるのよ
でなければ他の人在見つけるわ」
ボサ・ノヴァ
ポサ・ノヴァ…

映画においてエルビス映画はトレンドに乗ろうとしただけで、革新性は全くなかった、エルヴィスはすでに革新そのものだった。

革新性がなかったのは人種差別、ベトナムを除けばニュースな時代ではなかったからといえる。

もし革新性を求めるなら映画づくりにおける技法に求めるしかなかったのではないかと思うが、それでエルヴィス自身が輝いたかどうかには疑問が残る。

1969年「イージー・ライダー」は予想もしない大ヒットを記録した。その背景にはアメリカの現実があった。つまり「イージー・ライダー」は一種のニュース映画だったのだ。一方、エルヴィスはエンターテイナーとしてラスベガスに向かう。

10年後・・・1979年には、「ビッグ・ウェンズデー」「地獄の黙示録」が公開された。ベトナムの傷を背負った映画だ。
あのフランシス・フォード・コッポラ監督&マーロン・ブランドの狂気の映画「地獄の黙示録」に「イージー・ライダー」の監督デニス・ホッパーが出演。ドラック中毒だったは頻繁にコッポラ監督と衝突したのは象徴的だ。
しかし、それ以上に象徴的だと思うのが、ベトナムの海でサーフィン場面が登場することだ。

思えばエルヴィスが麻薬やドラック問題に言及、ニクソン大統領と面談したことが奇異でないことが見えてくる。

ボサ・ノヴァ・ベビーはカッコよかった。
ロケをすると野次馬で大騒ぎになるので、ほとんどスタジオで撮って、外の風景を張り合わせたという伝説の映画。密入国者だったマネジャー、トム・パーカー大佐が原因でメキシコロケはしていなかったのが真実ではないのかと疑ってしまうが、そんなことどうでも良くて、ひたすらカッコよかった。

なぜか自分には植木等がかぶってみえたが、それがカッコよかった。

エルヴィス・プレスリーというと、シャンプスーツより、白いジャケット、黒いネクタイ、黒いパンツ が真っ先に浮かぶ。<心の届かぬラブレター>同様に、それほど<ボサ・ノヴァ・ベビー>はカッコよかった。

I said “Take it easy baby, I worked all day
And my feet feel just like lead
You got my shirt tails flying all over the place
And the sweat popping out of my head”
She said “Hey, Bossa Nova Baby, keep on working
For this ain’t no time to quit”
She said “Go, Bossa Nova Baby, keep on dancing
l ‘m about to have myself a fit”
Bossa Nova
Bossa Nova

l said “Hey, Iittle mama, Iet’s sit down
Have a drink and dig the band”
She said ‘”Drink, drink. drink, oh, a-fiddle-de-dink
l can dance with a drink in my hand”
She said “Hey, Bossa Nova Baby, keep on working
For this ain’t no time to drink”
She said “Go, Bossa Nova Baby, keep on dancing
Cause I ain’t got time to think”
Bossa Nova
Bossa Nova

l said “Come on baby, it’s hot in here
And it’s oh so coo outside
If you lend me a dollar, I can buy some gas
And we can go for a little ride”
She said “Hey, Bossa Nova Baby, keep on working
For I ain’t got time for that”
She said “Go, Bossa Nova Baby, keep on dancing
Or l’ll find myself another cat”
Bossa Nova
Bossa Nova….

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

チャック・ベリーがチェスレコードからヒット曲を出したのは、エルヴィスがRCAと契約をした金(移籍料)でカール・パーキンスがサンレコードからヒット曲を出したのと同時期だった。つまりエルヴィスによってロンクンロール前線に火がつき、公民権法運動に援護射撃していたのだ。

それによって、『軍隊か?監獄か?』
エルヴィスは軍隊に召集され、西ドイツに追いやられる。
ボブ・ディランが(エルヴィス登場によって)「監獄から出たような気分だった」と語ったのも頷けるが、逆にエルヴィスら初期のロックンローラーは物理的に監獄に入れられたのだ。チャックベリーのヒット曲がチェスレコード初の全国的ヒットだったが60年代ヒット曲は皆無だった。

エルヴィスは、後にビートルズが外貨獲得でエリザベス女王から勲章を授与されるのとは、真逆の仕打ちを受けたのだ。

しかも味方であるはずのトム・パーカー大佐は、密入国という自身の保身のために、エルヴィスをとらわれの身にした上に、ムチで叩くような仕打ちを許した。


スーパー ・ スターと呼ばれるは人たちは、ど うしても本業以外のことまでマスコミのネタにされてしまう。一部の心ある熱烈な ファンを除いて、 一般大衆はそのゴシップ的 な事例ばかりに 自が向いてしまい、本業でのその人らしさを見逃してしまう傾向が古 今東西よくあることだ。
音楽界ではエルヴィスは生贄にされた。特に 70年代のエルヴィスに関しては ミュージシャンの命であるレコードの発売方法にも表れた。50年代は、レコードを手に入れるのは簡単ではなかった。その影響があったのかも知れないが、録音したものをなんの策もなく 事務的に発売しただけと思われてしかたのないアルバム、ただエルヴィスの写真を使用したジャケットが大半を占めていた。アホの所業を恥とも思わない連中によって、やたらライヴ・アルバムの乱発が目立っていた。こうしてよってたかってエルヴィスをカッコ悪い芸能人に仕立て上げた。エルヴィスはたったひとりでそれらを凌駕したが、根っからのエルヴィスファンでない限り気がつかない。

ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)は、エルヴィス・プレスリー主演映画「アカプルコの海」の挿入曲。

MTVがなかった時代、映画はミュージシャンを見せる装置として活動していました。
そしてエルヴィス・プレスリーは、「稼ぐ」という点で、そのもっとも成功したミュージシャンと言えるでしょう。

ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)」は、やがて陽気なアメリカンに訪れる変化の時代を待つかのように映画も曲も大ヒットしたのです。

「ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)」はエルヴィス・プレスリーのカッコ良さが全面に溢れ出たロックとボサノバを融合した名曲。ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーの強力コンビの作品。

エルヴィス・プレスリー主演のパラマウント映画「アカプルコの海」は、1963年に製作され1964年に世界で公開された。大ヒットした「ブルーハワイ」などと同様に観光地・特有の音楽をミックスした作品でエルヴィス・プレスリー13本目の主演映画。

前作はシアトルの万博を舞台にしたMGM作品「ヤング・ヤング・パレード」。当時エルヴィスは主にパラマウントとMGMの作品に主演していましたが、両社のコンセプトには明らかな違いがありました。前述したようにパラマウント映画は観光地(特に海)と地域の音楽があり、そこにプレスリーを上手くはめ込んだ作り方をしていて、音楽のレパートリーを広げる役割をしていました。

映画「アカプルコの海」では、当時流行のボサノバとロックを融合した「ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)」をはじめ情熱的なラテン音楽がサントラ盤に録音されました。

いつもエルヴィスは難なくこなしていましたが、ロックンローラーから距離を置くことにもなったのです。

ビートルズ(イギリス勢)はその間隙をつく前夜のことです。アメリカの音楽事情は1950年代とは明らかに変わっていました。「アカプルコの海」はビートルズ上陸前に公開された最後のエルヴィス映画だったのです。

さらに追い討ちとなったのが、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件でした。「アカプルコの海」は、ケネディ大統領暗殺時にビルボードトップ10の第一位になったのです。

時代の大波がエルヴィスにも襲ってくることになるのです。
そして本当に不思議なことですが、なぜかエルヴィス映画も楽曲にも変化が生じだしたのです。


『ビーチ映画』というジャンルがあった。1963年から66年の間に集中した。
時はケネディ大統領、リーゼントと打って変わってクールカット。

歌、踊り、恋、海、サーフィン、そしてなにより親がでてこないので、『ティーン映画』と違い家庭不和も離婚もない。
若さは永遠。

このジャンルにはフランキー・アバロンが有名。
アクション映画の名作「ナバロンの要塞」とかにも出演していたのではないか。

フランキー・アバロンのように次々とテレビからスクリーンに登場。
往年のベテラン俳優が脇に回って作品に重みを加え、フレッシュな女優が観客動員に貢献した。
コニー・スティーブンスやラクエル・ウェルチらもそうだが、なかでもパメラ・ティフィンは目を引いた。
エルヴィスのガール・フレンド役で一度は登場しても良かったのでは?

日本でも同じ現象が起こっていて、「太陽の季節」から明るい「若大将シリーズ」に変化したのと同じだ。
若大将に登場する星由里子扮する澄ちゃんには家庭がまったく匂わない。なによりよく考えると思考が目茶苦茶な女性だ。
また若大将には母親は登場せず愉快なおばあちゃんが登場する。
ここでも 登場人物全員に家庭の匂いがなく家庭不和も離婚もない。みんな明るい。

トレンドのコアにはサーフィン・カルチャーがあり、その伝達方法として、サーフ映画と音楽が市民生活に浸透、広がりをみせことになる。
1966年にはサーフィンの古き良き時代を記録した映画「エンドレス・サマー」が公開される。
カメラ技術の進歩を得て、サーフィン映画が続々と製作された。

しかしドラックとセックスが解放された社会の到来で、エルビス映画、ビーチ映画など永遠の若さを看板にしたB級映画はその役目を終え、終焉を迎える。
ベトナムへ駆り出される現実、夢を見るには明日は遠い。

エルヴィス主演映画「G.I.ブルース」はプロデューサー、ハル・ウォリスのためにエルヴィスが軍隊に行ってくれたようなもので、「ブルー・ハワイ」は唯一プロデューサーの手腕が光ったヒットだと思う。

映画においてエルビス映画はトレンドに乗ろうとしただけで、革新性は全くなかった。
革新性がなかったのは人種差別、ベトナムを除けばニュースな時代ではなかったからといえる。
もし革新性を求めるなら映画づくりにおける技法に求めるしかなかったのではないかと思うが、それでエルヴィス自身が輝いたかどうかには疑問が残る。

1969年「イージー・ライダー」は予想もしない大ヒットを記録した。
その背景にはアメリカの現実があった。
「イージー・ライダー」はニュース映画だったのだ。
一方、エルヴィスはエンターテイナーとしてラスベガスに向かう。。。

10年後・・・1979年には、「ビッグ・ウェンズデー」「地獄の黙示録」が公開された。ベトナムの傷を背負った映画だ。

あのフランシス・フォード・コッポラ監督&マーロン・ブランドの狂気の映画「地獄の黙示録」に「イージー・ライダー」の監督デニス・ホッパーが出演。ドラック中毒だったは頻繁にコッポラ監督と衝突したのは象徴的だ。

しかし、それ以上に象徴的だと思うのが、ベトナムの海でサーフィン場面が登場することだ。
思えばエルヴィスが麻薬やドラック問題に言及、ニクソン大統領と面談したことも奇異でない。

俺は言ったよ
「頼むぜベイビー、
俺は一日中仕庫して足が鉛のように重いんだ
シャツのすそははみ出してるし
額には玉の汗」

彼女は言ったよ
「ボサ・ノヴァ・ベイビー、
止まってはだめよ
今は休んでる場合じゃないの」

彼女は言ったよ
「ボサ・ノヴァ・ベイビー、
踊り続けるのよ
せっかくノッてきたんだから」
ボサ・ノヴァ
ボサ・ノヴァ

俺は言ったよ
「ちょっと座って飲みながらバンドの演奏でも聞かないか」

彼女は言った
「お酒を飲んでバンドですって
私ならお酒を持ったまま踊れるわ」

彼女は言ったよ
「ボサノヴァ・ベイビー、
止まってはだめよ
お酒なんて飲んでる場合じゃないの」

彼女は言ったよ
「ボサ・ノヴァ・ベイビー、
踊り続けるのよ
考えてる暇などないんだから」
ボサ・ノヴァ
ボサ・ノヴァ

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俺は言ったよ
「ねえベイビー、ここは暑いけど
外はすごく涼しいぜ
1ドル貸してくれたらガソリン入れて
ドライブにいかないかい」

彼女は言ったよ
「ボサ・ノヴァ・ベイビー、
止まってはだめよ
ドライブなんてしてる場合じゃないの」

彼女は言ったよ
「ボサ・ノヴァ・ベイビー、
踊り続けるのよ
でなければ他の人を見つけるわ」

ボサ・ノヴァ
ポサ・ノヴァ…

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか


ボサ・ノヴァ・ベイビー(Bossa Nova Baby)はカッコいい。
ひたすらカッコいい。。

なぜか自分には植木等がかぶってみえるときもあるが、それがカッコ良い。

エルヴィス・プレスリーというと、シャンプスーツより、
白いジャケット、黒いネクタイ、黒いパンツ が真っ先に浮かぶ。

それほど「ボサ・ノヴァ・ベイビー」はカッコ良い。
I said “Take it easy baby, I worked all day

そして「アカプルコの海」の後、本当に不思議なことですが、なぜかエルヴィス映画も楽曲にも変化が生じだしたのです。作為できない、コントロールできない、人智を超えた、なにかが世界にはあるように思えます。

「ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)」はアメリカンドリーム最高の体現者が、やがてステージに戻ってくる日までの約束の曲になりました。

 

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