エルヴィスがいた。

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エルヴィス・プレスリーの「Hurt / 心の痛手」

エルヴィス・プレスリー70年代の名曲「心の痛手」は、ナットキングコールが歌った「If I Give My Heart To You」の作者ジミー・クレインとアル・ジェイコブスが1953年に共作、「ユール・ナヴァー・ウオーク・アローロン」「アンチェイド・メロディー」などR&Bヒットで知られるロイ・ハミルトンが、1954年にヒットさせた楽曲をカヴァーした。
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ブルームーン・オブ・ケンタッキー/Blue Moon of Kentucky

1954年7月7日、サムは「That's All Right /Blue Moon Of Kentucky」のシングル・アセテート盤を持ってラジオ局を回った。その夜9時30分頃、ラジオで放送された。その日エルヴィスは自分の歌がラジオから流れることの恥ずかしさから映画館に逃げ込んでいた。結局5000本のリクエスト電話が殺到した。
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ラスベガス万才/ Viva LasVegas

「ラスベガス万才」はアン=マーグレットのエルヴィス・プレスリー入隊騒ぎを映画化した「バイバイ・バーディ」を撮ったジョージ・シドニー監督の作品。エルヴィス・プレスリー主演映画の15作品目にあたる。エルヴィスが主演した全31作品中、ベスト3に入れたい傑作であっという間に終わってしまう面白さだ。
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ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogie:1955

1955年1月にエルヴィス20歳の誕生日にリリースされたサンレコードから3枚目のシングルが、ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogieでした。B面にはユーアー・ハートブレイカーというミディアムアップのカントリーナンバーでした。両面ともスコティ・ムーア、ビル・ブラックがバック。
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ビートな言葉|シ

『きみの生を生きぬけ、と人は言う。僕はきみの生を愛しぬけ、と言おう。』ジャック・ケルアックらビートジェネレーションが発した言葉の数々を筆頭にSOUL電波ビリビリのロックンロールな言葉、ビートな言葉を集めました。元気の源になる言葉があなたを応援します。
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ロックンロールで爆破された壁の向こう側

カウンターカルチャーとしてのロックンロールは、1935.1.8.に誕生したエルヴィス・プレスリーの両親がそうであったように、心優しい 人たちが自分たちの土地から追い出され、路上で放浪させられて、飢えに迫られていく。故郷を捨て自分達の進む道をカリフォルニアに見出そうとする。30年代の悲しみと不安を描いたスタインベックの小説「怒りの葡萄」の時代に遡る。
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ビ-ト・ジェネレーション〜生きることは至福(ビ-ト)

ビートニク、ビート族、ビ-ト・ジェネレーション・・・・サンフランシスコの裸の天使たち。エルヴィス・プレスリ-がロックンロールをひっさげてデビューした翌年、その破壊力によって、閉鎖的な社会の一面にまさしく風穴が開き、瓦礫となった景色の向こうから「ビートニク」が登場。「吠える」を投げ込んだアレン・ギンズバーク、「路上」のジャック・ケルアック、異端児ウィリアム・バロウズを筆頭にその破壊力はロックンロールに迫るものです。
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1977年8月16日テネシー州メンフィス/Good Rockin’ Tonight!

エルヴィス・プレスリーが、サンレコードで録音した曲を分類すれば主にロカビリーでしたが、キャリアを重ねるうちに、ロックンロールに比重を移していきました。ロックンロールに対して当時は明確な基準がなかったのでしょう。サンレコードでの音源がカラフル...
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アメリカの祈り / An American Trilogy:1971

エルヴィス・プレスリーは、生涯を「南部」で暮らしました。 アメリカ合衆国・南部といえば「南北戦争」「風と共に去りぬ」が有名です。 アメリカンドリームを体現し巨額の富を手に入れながら決して生易しい地域ではない南部から生涯離れなかったのはどう...
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破れたハートを売り物に / One Broken Heart For Sale:1962

エルヴィスが万博会場でハッピーな恋の顛末。映画『ヤング・ヤング・パレード』からとっても楽しい気分になれるミディアムアップなドゥーワップが心地いいロックンロール<破れたハートを売り物に>です。
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ザッツ・オールライト / That’s All Right Mama:1954

エルヴィス・サン・セッションズ(紙ジャケット仕様) 『ザッツ・オールライト(That's All Right)』は、特別な楽曲だ。 オリジナルはブルース歌手アーサー・クルーダップが書き、最初に演奏した。 1954年7月5日、メンフィスのサン...
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エルヴィス・プレスリーの「マイウェイ」 / My Way:1973

エルヴィス・プレスリーが「マイウェイ」を披露したのは、1973月1月14日、15億人が鑑賞したといわれるホノルルから人類初の宇宙ライブ中継をした時です。 シンガーソングライター、ポール・アンカがシャンソンに英語の歌詞をつけた「MY WAY ...
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シー・ウェアズ・マイ・リング/She Wears My Ring:1973

カントリー・アンド・ウエスタンには、故郷を歌った歌、宗教的な歌、死と悲しみの歌、恋を勝ち取る歌、実ることのなかった失われた恋の歌、浮気の歌、ホンキー・トンクの歌、社会への怒りの歌、戦争と愛国心の歌、囚人の歌、カウボーイ・ソングス、旅の歌、働...
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エルヴィス・プレスリーのホワッド・アイ・セイ/ What’d I Say:1964

2020年、黒人男性が警察官に首を押さえつけられて死亡した事件に抗議するデモが各地で続く中、今度は南部ジョージア州では、警察の取締りから警官のスタンガン銃を奪って逃走した黒人男性が警察官に拳銃で撃たれて死亡。地元警察署長は辞任するという事件...
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心の届かぬラヴ・レター / Return to sender:62

11作目になるエルヴィス・プレスリー主演映画『ガール!ガール!ガール!(Girls!Girls!Girls!)』でのチビまる子のようなガールズまで参加したフィナーレの大腰ふり大会?が馬鹿げているって? 「OK牧場の決闘」など決闘三部作、「ヨ...
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明日に架ける橋/Bridge Over Troubled Water :1970

名曲<明日に架ける橋>がエルヴィス・プレスリーの解釈で歌われると良くも悪くも別の歌のように聴こえる。これほど世界的に知られた曲をエルヴィス・プレスリーの看板を背負って歌うことはチャレンジであり、リスキーなことだが、エルヴィスは歌いたいから歌うというスタンスを崩していない。エルヴィス・プレスリー的だ。
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I Want You,I Need You , I Love You:1956

1956年4月14日、ナッシュヴィルRCAスタジオ。飛行機トラブルでスタジオ入りが遅れていたエルヴィスを待ちながらモーリス・マイセルズ、アイアラ・コズロフのコンビがスタジオ内で書き上げたエモーショナルなロカバラード。エルヴィス到着とともに即興に近い形でレコーディング、HOT100で3位にランキング
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ただひとりの男/I Was The One:56

1955年11月、テネシー州メンフィスのサンレコードから、RCAビクターへの移籍が決定したエルヴィス・プレスリーは、翌56年1月10日RCAのナッシュビルスタジオ入り、レコーディングを開始した。 56年2月22日、ビルボードHOT100に6...
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グラミー受賞 偉大なるかな神 / How Great Thou Art:1974

<偉大なるかな神 / How Great Thou Art>は、エルヴィス・プレスリーの愛したゴスペル・ソングの代表作といえるナンバー。 エルヴィスは 1970年代に入ってから、死の直前まてライブて歌っていて、ライブバージョンも3会場のもの...
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レディ・テディ(テディ準備はいいぜ)/ Ready Teddy:1956

みんなのノリは最高!誰もかれもがワイルド!心に響くミュージック、クレイジーなスタイルがたまらない、ロックン・ロールする用意はできてるぜ。さあ、自分のやりたいを最高の自分でやればいい!エルヴィスからやり直そう!