8月16日は、エルヴィス・プレスリーの命日です。
メンフィスでは、今年もElvis Weekが開催され、世界中からキャンドルに火を灯し、墓参される方が集っていることでしょう。
<忘れじの人/I Forgot to Remember to Forget>は、RCAに移籍する前のエルヴィス・プレスリー初の全米カントリーチャートナンバーワンヒットになった記念すべきバラードです。
サンレコード最後のシングル<ミステリー・トレイン>のB面に収録された曲で、「ザ・コンプリート50’sマスターズ」のライナーノーツにサム・フィリップスのコメントが記録されている。
忘れじの人/I Forgot to Remember to Forget
忘れるということを忘れたようだ
あの娘のことが頭から離れない
こんなに恋しくなるなんて
思ってもみなかったのに
いつも彼女のことばかり考えている
あの娘が去った日
自分自身に誓ったよ
二人が出会ったことなどすぐに忘れると
でも何かがおかしい
悲しくて、ひどく淋しいんだ
どうやら忘れるということを忘れたようだ
あの娘が去った日
自分自身に誓ったよ
二人が出会ったことなどすぐに忘れると
でも何かがおかしい
悲しくて、ひどく淋しいんだ
どうやら忘れるということを忘れたようだ
エルヴィスを騙したサムの作戦勝ち
<忘れじの人/I Forgot to Remember to Forget>は、サン時代に<ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス>のB面でリリースした<アイム・レフト・ユーアー・ライト・シーズゴーン>を提供したスタンレー・ケスラーとエルヴィスと一緒にステージに立った経験のあるカントリーシンガー、チャーリー・フェザーズがエルヴィスのために書き下ろした作品。
しかし、エルヴィスはカントリーすぎるということと、ワルツ調でスローすぎるということで、最初は乗り気ではなかったようだ。そこで一石を投じたサムの戦略にハマって、本当に好きな曲になったようだ。結果的に初の全米ナンバーワンになり、笑顔がこぼれるエルヴィス自慢の一曲になったようだ。
サム・フィリップスは、最初、エルヴィスが<忘れじの人>が、気に入らなかったのを察知して、ドラムスのジョニー・バーネロに「コーラスに入るまで4分の4拍子をキープして、それからはベースビートに合わせて4分の2拍子で行けばいい」そうすることで<忘れじの人>は実際の2倍は早く聞こえるとリズムアレンジをプランしたようだ。
つまりサムはエルヴィスを騙したのだ。
結果、エルヴィスは忘れるということを忘れたようだ。
エルヴィスとは何者だったのか
エルヴィスが徴兵されたとき、特別扱いしないで欲しいと嘆願したそうです。
モハメド・アリが徴兵に反対し、入隊を拒否。物議をかもしたのとは、随分事情が違う。当時アリに対して批判的な黒人ボクサーもいたが、賛同したヒトも多かった。背景にはヴェトナム戦争反対の盛り上がりがあったのと、アリが心酔していたマルコムXという精神的支柱があった。
事情を知らない人は「エルヴィスは尻尾を振って入隊し、アリは逮捕されようが自らの信念を貫いた」と早合点しそうだが、事情は全く違う。エルヴィスを軍隊に送り込みたかったのは国だけではない。マネジャーであるトム・パーカーこそ筆頭だった。「帰国すればハリウッドで稼げば良い」という魂胆があればこそ兵役による2年間のブランクは気にならなかった。
サンレコードのオーナーであるサム・フィリップスがエルヴィスの最良を引き出すためにエルヴィスを騙すのとは、全く事情が違ったのだ。サム・フィリップスはエルヴィス自身が<ブルームーン・オブ・ケンタッキー>でやった手を<忘れじの人>にも使ったのだ。
エルヴィスのノリは<忘れじの人/I Forgot to Remember to Forget>への心の入り方で確認できるはずだ。ナンバーワンになったのには理由がある。聴けばわかるはず。
忘れじの人、エルヴィス・プレスリー
エルヴィスの魅力は、圧倒的な旨さに尽きる。旨さという点では掃いて捨てるほどいる。
エルヴィスの場合は、さらにシャープな切れ味の鋭さと色気につきる。
この2点でエルヴィスに優るアーティストを聴いたことがない。
旨さにシャープな切れ味の鋭さと色気がノッカリ、それが深さから湧き出たものになると唯一無二になる。
しかも、その声が終始変幻自在にヴィブラートしているのだ。
自分がエルヴィスを聴かされたのは小学校のときで、近所の姉さんからだった。いいものを聴かせてあげる」と言われて<監獄ロック>を聴かされた。学校で歌を習う以外になんらかの関心をもって聴いたのは、そのときが初めてだったが、「このお姉さんは気が狂っている」と感じた。
ビートルズにはなんの関心も湧かなかったが、自衛隊で一ヶ月近く合宿したとき、規律、規律で少々バテ気味だったこともあり、食堂での食事中にラジオからこ聴こえてきた<監獄ロック>や<ハウンド・ドッグ>にスカッとした。
吠えているようだが、どこかにやさしさがあって爽快だった。
解放されて家に帰る途中で、思い切ってアルバムを買った。『エルヴィス・プレスリー・ゴールドレコード第1集』でおたまじゃくしが飛び出している音源の連続だった。エルヴィスから届いたのは、開放感と爽快さ、それがすべてだった。はじまりはすべてだった。
60年代のナンバーワンヒットを集めた『エルヴィス・プレスリー・ゴールドレコード第3集』は、開放感と爽快さが薄れ、旨さが凝縮されていた。
70年代になると行き詰まりを感じるようになる。
一番好きなのはエルヴィス自身が、自信をもって開放感と爽快さで爆走する『エルヴィス・プレスリー・ゴールドレコード第2集』だ。エルヴィス・プレスリーとは、開放感と爽快さの開拓者だ。
そこで思うことがある。ジョン・フォード監督の西部劇は開拓者の時代の物語だが、先住民との戦いを描くのが本筋ではなく、愛の開拓こそが本筋なのだと最近知った。たとえば『駅馬車』のラスト、『馬上の二人』のラストに真骨頂がある。誰もが見下す女のために、自分の人生を黙って投げ出す。
絶望を希望に変える勇気。それが開拓者精神だ、
エルヴィスの開放感、爽快さも同じだと思う。
コメント