日本では初期エルヴィス・プレスリーを代表するのは「恋に敗れた若者たちでいつでも混んでる・・・」の一節が有名な「ハートブレイクホテル」だが、本国では「ハウンドドッグ」こそがエルヴィスの地位を決定づけた。
「ハウンドドッグ」は単なるヒット曲ではなく、国論を二分する社会的な事件になった音楽史上唯一無二の楽曲である。
「ハートブレイク・ホテル」はメンフィスの小さなレコード会社「サンレコード」からデビューしたエルヴィス・プレスリ−が、世界のRCAビクターに転籍、第一作のシングル盤。
あまりにも有名な曲なので、すんなり受けていれているが、摩訶不思議な曲である。というのはロックンロールという感があるようでなさそうで、R&Bというふうでもない。エルヴィスのキャリア全部を聴いても見当たらない。
ハリウッドの大プロデューサーは、10年契約をしたが、一体どんな映画を作れば良いのか、イメージがつかめず他社に貸し出して、ヒントを探った。
RCAも同じで当時起こった事件を題材に手探りで「ハートブレイク・ホテル」を用意したのではないか。
エルヴィスが社会を変えること以外、なにが起こるのか、誰もわからなかったのだろう。
- ハートブレイク・ホテル HEARTBREAK HOTE
- ロック誕生
- みな一人ぼっち、みな淋しくて、死にそうだ
- 「ハートブレイク・ホテル」登場
- 誰もエルヴィスが何者か、ロックがなのか、わからなかった
- エルヴィスに潜む天使と悪魔
- ハートブレイクホテルにはアメリカの権威が崩れ落ちる音がする
- 「ハートブレイク・ホテル」をロックにしたのはエルヴィス
- 世界中に届いた「ハートブレイク・ホテル」
- アコスティックギターから始まったロック爆弾
- 公民権運動を手伝ったエルヴィスとロックンロール
- エルヴィスは誰よりも遠くまで歩いた。たったひとりで。
- レコード販売枚数は1億枚を超えたエルヴィス・プレスリー
- ELV1S~30ナンバー・ワン・ヒッツ
- アメリカの文化革命
- ELV1S~30ナンバー・ワン・ヒッツ
ハートブレイク・ホテル HEARTBREAK HOTE
1959年結成、1977年に解散したダイアナ・ロスとシュープリームス(=ザ・スプリームス)。
彼女たちの全盛期は1964年から1969年だったが、その盛衰を描いた映画「ドリームガールズ」のなかで「ハウンドドッグ」をめぐってエルヴィスが盗んだという会話が出てくる。
「ハウンドドッグ」は1956年に社会問題になったエルヴィス最大級のヒット曲だが、シュープリームスとは関係がない。あえてこのようなセリフを「ドリームガールズ」に持ってくるのは根強い人権問題があることを示唆している。
しかし黒人ミュージシャンがエルヴィス批判を展開したという話は聞いたことがないし、むしろ反対である。
エルヴィスに代表される白人ロックンローラーとレコード会社が黒人を貶めながら黒人音楽を「盗用」して利益を得た、という説が人種問題のある部分に影響を与えている。しかし全く逆の説がある。
その存在の大きさゆえにエルヴィス・プレスリーほど、そのスタート地点から今日まで称賛と非難を浴びてきたミュージャンはいないだろう。
時とともに質を変えながらも、相変わらずニ分した意見は今後も続くだろうが、時間が経過するほどにおそらくその功績に見合った評価が高まって行く気がする一方、誰もがそうであったように忘れられていく。
ロック誕生
アメリカの南部地方、テネシー州メンフィスの小さなレコード会社サン・レコードからデビューしたエルヴィス・プレスリーと幾人かのミュージシャンのパフォーマンスは、これまでのどのカテゴリーにも属するようで属さないものだった、
なかでもエルヴィス・プレスリーの音楽はひときわ異質で黒人のようであり、下品、卑猥と中傷された。
”ロカビリー”という言葉が使われるまで、ごく一部のプロを除いて、権力、メディアはこぞって無視するばかりか、石を投げ付けた。支持したのは第二次世界大戦後に育ってきた”まだ無知とされる若い民衆”と”無知な野蛮人”として歴史的に長い間、排斥されていた黒人だった。
みな一人ぼっち、みな淋しくて、死にそうだ
やがて地方で起こっている騒動が、大手レコード会社に届き、エルヴィスとの契約を求めた。
最も多額の金額を提示したRCAと1955年11月に契約。翌56年1月10日、エルヴィスはメジャー・デビュー作「ハートブレイク・ホテル」を録音した。
エルヴィスのRCAに於ける最初のヒット曲をつくるために取り組んだ作者はメイ・アクストンとトミー・ダーデン。
フロリダにあったホテル、新聞記事になった自殺者の「ひとりで寂しい通りを歩きます」という遺書がヒントにして誕生した。
ギター/スコティ・ムーア、チェット・アトキンス、ベース/ビル・ブラック、ピアノ/フロイド・フレーマー、ドラムス/D.J.フアンタナ、コーラス/ゴードン・ストーカー
「このレコードには精霊が溢れている」とローリングストーン誌のポールウィリアムスは語っています。
ローリングストーンズのキース・リチャーズは「ハートブレイク・ホテル」を聴いたとき、人生の目的が決まったと言います。「スコティ・ムーアのように弾きたいんだ」
「ハートブレイク・ホテル」登場
彼女が俺を捨ててから
新しい溜まり場を見つけた
淋しい通りのはずれにあるハートブレイク・ホテルさ
俺は一人ぼっち、俺は一人ぼっち
淋しくて死にそうだ
いつも混んでいるけれど
座るところなら見つかるぜ
傷ついた恋人たちが
自分の悲しみを嘆く場所
淋しい気持ち、淋しい気持ちになる
みな淋しくて死にそうだ
ベル・ボーイの涙は止まらない
フロントは黒い服を身につけている
みな淋しい通りで淋しい時を過ごしてきた
過去を振り返るヤツなど誰もいないそこではみな一人ぼっち、
みな一人ぼっち
みな淋しくて
死にそうだ
もしも恋人に捨てられて
グチをこぽしたいのなら淋しい通りにあるハートブレイク・ホテルに行きな
おまえは一人ぼっち、おまえは一人ぼっち
淋しくて死にたくなるぜ
いつも混んでいるけれど
座るところなら見つかるぜ
傷ついた恋入たちが
自分の悲しみを嘆く場所
おまえは一人ぼっち、みな一人ぽっち
淋しくて死にたくなる場所さ
誰もエルヴィスが何者か、ロックがなのか、わからなかった
エルヴィスはこれまでのサン・レコードで録音した楽曲とまったく違うものに取り組んだ。
それはゴールデンレコード第1集を聴いても歴然だ。他の楽曲と一線を画している。
世の中もRCAもこの段階でまだ”ロックンロール”あるいは”エルヴィス・プレスリー”がなにかよく見えていない。
R&Bでもカントリーでもないし、そうでもあるような。ピアノも加わった。
曲は暗く陰鬱。最初は伴奏もなく、全編ほとんどアカベラに近い。サンのオーナー、サム・フィリップスは懸念したが、エルヴィスは自信を持っていた。
ロバート・ジョンスンを超えるつもりがあったのかも知れない。
エルヴィスはエルヴィス・プレスリーなのだから。
かってサンのドアを開いた時の質問に答えて「ボクは何でも歌えます、ボクは誰にも似ていない」と語った言葉をそのまま実証した。エルヴィスにとって歌とは自らの情念を沸点の極限までに叩き込むことに他ならない。
音楽に対しては、それ以外の興味を持っていなかったのではないかと思える。
エルヴィスに潜む天使と悪魔
その後ビートルスやビーチ・ボーイズがやったような電気技術を駆使した音楽とは全く別の世界にエルヴィスは価値を見い出していた。
歌も楽器もコーラスも生の音楽、歌こそ自身の知性。生の音楽だからこそ魂は宿る。
ロックの歴史でエルヴィスにもっとも近似しているのは1977年のロンドン・パンクだと思えるのはそのような理由からだ。
エルヴィスはクラシックとジャズは分からないと明言していた。
しかし「ハートブレイク・ホテル」にはジャズの匂いすらしてくる。
ロバート・ジョンスンが一本のギターでふたり分のプレーをしたように、エルヴィスの声がピアノもベースも演奏しているように聴こえる。
静かなドラムビート、ピアノは血が流れる音のように聴こえる。
ギターとピアノの”ジャンジャン”がエルヴィスの魂の動きにズレているように聴こえる。
エルヴィスの中に住む天使と悪魔が葛藤しているのだろう。
ハートブレイクホテルにはアメリカの権威が崩れ落ちる音がする
スコティ・ムーアの後世に残るプレーはホテルを燃やす勢いだ。
ピアノにバトンタッチするのを聴いて、エルヴィスは安堵するように終えていく。
完璧なプレーだ!
ハートブレイク・ホテルそれはアメリカの権威が暮らすホテル、崩れていく音がする。
エルヴィスはこの暗く陰鬱な曲に活気を与えた。生命力がどん底で血を流しながらうごめいていた。
エルヴィスの持ち前が発揮されていた。素晴らしい声だ。
高音に宿る刹那さ、哀愁は胸をえぐるようにシャープだ。
低音には生を守るためのふてぶてしさと優しさが一体になっていて人間を主張している。
ひとりで寂しい通りを歩いていた人間の思いをエルヴィスは頭ではなく感情で知っていた。
喧噪を超えた向こうにある人間のあたたかさと強さがここでも息をしているのだ。
テレビ出演ではピアノの代りにトランペットになっているものもあるが、エルヴィスはそこでも見事に心にしみるようなパフォーマンスをこなしている。
思うにこの時点で実はロックンロールを超えて”エルヴィス・プレスリー”というカテゴリーが誕生していたのだ。
「ハートブレイク・ホテル」はエルヴィスによってロックンロールになった。
「ハートブレイク・ホテル」をロックにしたのはエルヴィス
「ハートブレイク・ホテル」はロックだったわけじゃない。
「ハートブレイク・ホテル」をロックにしたのはエルヴィスだ。
「ハートブレイク・ホテル」はエルヴィスのキャリアのはじまりにしてエルヴィスの全音楽人生を語っている。ロックンロールとはエルヴィスその人自身の音楽に他ならない。
リリースは1956年1月27日。2月22日に68位に初登場。いまほど情報伝達力がないこともあってヒットチャートの1位になるまで3ヶ月の時間を要した。1956年4月25日から8週間全米1位にランキング。
併せてテレビ出演することでエルヴィス・プレスリーの存在はアメリカ全土の老人にまで伝わった。
世界中に届いた「ハートブレイク・ホテル」
「恋に破れた若者たちでいつでも混んでるハートブレイク・ホテルーーー」のフレーズは日本のミュージシャンによって歌われ、エルヴィス・プレスリーと聞けば反射的に思い出すほど、ある世代の方には日本でエルヴィスのもっとも知られた楽曲となった。
やはり本国アメリカ同様に”ロカビリー・ブーム”として席巻した。
ただ、日本とアメリカやイギリスとは国の情勢が違うこともあって与えたインパクトは随分違う。
なかでもアメリカでの根強い「黒人差別」への影響は、強烈なカウンターカルチャーとして火の出るようなパンチとなった。
最も黒人蔑視の土壌であった南部から起こった「白人が黒人のように、あるいは白人が黒人の歌を、白人が黒人のようにダンスする脅威は、RCAからメジャーデビューしたことで、日本にまで届いたように全世界に広がった。
日ソ(ロシア)国交回復の年である。この年、日本はまだ国連に加盟していなかった。(1957年加盟)
アコスティックギターから始まったロック爆弾
結局、南部の騒動はアメリカ全土に広がった。
エルヴィスを代表とした若者たちはロックンロールの攻撃を仕掛け、権力、メディアはこぞって反撃した。
対抗馬としてあらゆる点でエルヴィスの対極に位置する優等生パット・ブーンを代表にでっちあげ、知性は無知にまさることを訴えた。
しかし無知と指をさされたものは自分の知性を信じた。
ロックンロール排斥運動と共に使われる「黒人のような」「悪魔のような」の言葉。若者は自分たちが好きな文化は素敵だと主張した。騒動は黒人たちには、長い屈辱の歴史、相次ぐ非情な仕打ちにリンクしていき、自分たち自身の問題となった。
公民権運動を手伝ったエルヴィスとロックンロール
ジョン・トラボルタがお母さんに扮したミュージカルコメディ「ヘアスプレー」というミュジカルを記憶されているだろうか?しっかり公民権運動を描いていましたね。
キング牧師は公民権獲得へ生命を賭けて突進しました。
チャック・ベリー、リトル・リチャード、サム・クックーーーロックンロールは俺達の音楽だと主張することで、自分たちの生をこれまで以上に愛した。
恥ずかしがり屋のナイーブな青年が、ギターをとって歌い出したら豹変するさまは、アメリカ人が大好きな「スパイダーマン」「バットマン」さながらの出来事だ。
同様のことが1956年に現実に起こったのだ。
エルヴィスは若い民衆のヒーローになった。誰も止めることができなかった。
権力、権力とリンクしたメディアは時に事実に目を背け自分たちの論理を押しつける。しかし民意はそれを超えていこうとする。
同じようなことはセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」でも起こった。
レコードは売れ、民衆は聴いていた。しかしチャートにはあがってこなかった。
明らかに操作があったが、民意がそれを超えた。しかしピストルズは短命だった。
エルヴィスは誰よりも遠くまで歩いた。たったひとりで。
多くのミュージシャンがわずか数カ月、数年で過去の人のまま人生を送ったが、エルヴィスはできるだけ賢明であろうとした。
奇跡のように、エルヴィスは誰よりも遠くまで歩いた。
たったひとりでも、遠くまで歩けることを証明した。
好きな言い方ではないが、まるでモーゼのように民衆をひきつれて。
Well since my babV Ieft me
Well l*ve found a new place to dwell
Well It,s down at the end of Lonely Street
At Heartbreak Hotel where l’ll be…
l’ll be so lonely baby. well l’m so lonely
l’ll be so lonely I could die
Although it,s always crowded
You still can find some room
For broken hearted lovers
To cry there in the gloom you’ll be so
They’ll make you so lonely baby, they’ll make you so lonely
They’re so lonely they could die
Now the bellhop’s tears keep flowing
The desk clerk’s dressed in black
Well they’re been so alone on Lonely Street
They’ll never, they’ll never look back and they’ll make you so
They’ll make you so lonely baby, they’re so lonely
They’re so lonely they could die
Well if your baby leaves you
And yov’ve got a tale to tell
Well just take a walk down Lonely Street
To Heartbreak Hotel where you’ll be..,
They’ll make you so lonely baby, where you’ll be so lonely
You’ll be so lonely could die
Although it’s always crowded
You still can find some room
For broken hearted lovers
To cry there in the gloom, they’ll be so
They’ll make you so lonely baby, well they’re so lonely
They’ll be so lonely they could die
レコード販売枚数は1億枚を超えたエルヴィス・プレスリー
エルヴィス・プレスリーのレコード販売枚数は1億枚に達した。
しかし真の偉大はヒット曲の数ではない。稼いだ金でも寄付した金の多さでもない。
人並み以下の辛い日常に傷つき悩みながら、それらを一身に凝縮し、”声”で世界を変えたという事実をどう考えればいいのだろうか。
これを芸術と呼ばずに何を芸術と呼ぶのだろうか?
その上で、エルヴィスが誰より多くのヒット曲を放った、
つまり民衆に支持されたことは、いったいどんな意味を持つのか。
エルヴィス・プレスリーの意味は、もっとも注視しなければならない本来の創造性とその波紋の大きさが、スター性、スターゆえのゴシップやスキャンダル、エンターティメントの側面に覆われてしまったために、いまだに十分に解析されないままだ。
時間が濁りを浄化することで、ゆっくりとおぼろげにその真実に迫りつつある。
ELV1S~30ナンバー・ワン・ヒッツ
広大なアメリカの田舎町のレコード会社から出した一枚のシングル・レコード”ザッツ・オールライト”から”ハートブレイク・ホテル”を経由して1977年の他界を通り抜けて没後25年、エルヴィスへの思いをこめたアルバム・リリースを横目に、エルヴィス・プレスリーの旅はまだ続いている。
1956年ビルボード年間シングル・チャート第1位「ハートブレイク・ホテル」
それはひとりの若者がアメリカ全土に向かって自分の生を力一杯問いかけた1枚のシングル・レコード。
世界はその精霊に動かされ、あるものは肯定し、あるものは否定した。
人を叩き起こしたその素敵を聴き逃すな。
アメリカの文化革命
「ハートブレイク・ホテル 」は、はじまりのはじまりにすぎなかった。
エルヴィス・プレスリー登場は、アメリカの文化革命のはじまりだった。
なんとそれは人種差別(=区別)のもっとも激しいアメリカの南部(テネシー州メンフィス)で起こっていたが、RCAが用意した「ハートブレイク・ホテル 」は、全米の誰もが体験する「チャンス」の切符だった。
そして全米中が「ハートブレイク・ホテル 」で心の準備をした。
準備はいいかい、いくぜ。
音楽史上最大の事件「ハウンドドッグ」が起こるのは、もうそこまで来ていた。
エルヴィスは生前「僕が死んだたいちばんいいものを聴いてほしい」と語っていた。
誰もがわからないことだらけだった一寸先は闇の世界。
先の見えない自分の運命から、安全を求めてした契約。
不本意な仕事を多くしたことへの悔しさが聞こえてくる。
ELV1S~30ナンバー・ワン・ヒッツ
エルヴィスの言う「いちばんいいもの」か、どうかわからないが、待望の『エルヴィス30ナンバー1・ヒッツ』が登場。発売されるとすぐにチャートトップになった。
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