ラヴィング・ユー・ベイビー/Ain’t That Loving You Baby:1958

特選ソングス

1964年、時は春。いまやスタンダードとなった名曲<ビバ・ラスベガス>がヒット。映画館ではバイバイ娘、アン=マーグレットとのコンビも快調な『ラスベガス万才』がヒット、ハリウッドのドル箱スターは健在。

しかしRCAは『ラスベガス万才』のサントラEP盤しか手持ちがなく、強欲なマネジャー、トム・パーカー大佐は、エルヴィスがプリントされたグッズの販売に余念がない。
1964年後半。この時期、突如としてRCAは、エルヴィス攻勢をかけた。

アルバムでしか紹介されていなかったあの!<サッチ・ア・ナイト><サスピション><キス・ミー・クイック>などが相次いでシングルリリース、さらにサンレコード時代の<ザッツ・オールライト><今夜は快調!><座って泣きたい>なんと!1956年の<ハートブレイク・ホテル><恋にしびれて><ハウンド・ドッグ>など宇宙的規模のメガヒットたちを再販した。怒涛のエルヴィス攻勢のどさくさに紛れて、58年録音後、お蔵入りいていた<ラヴィング・ユー・ベイビー>までシングルリリースしてきたのだ。

背景には、エルヴィスに憧れていたビートルズのアメリカ初の遠征ツアーがあった。

ラヴィング・ユー・ベイビー/Ain’t That Loving You Baby

ラヴィング・ユー_ベイビー

1958年6月10日、入隊以来初の休暇を利用して録音した作品。夜7時から翌朝の5時までかけて<アイ・ニード・ユア・ラブ・トゥナイト><恋の大穴>と同時に録音。<アイ・ニード・ユア・ラブ・トゥナイト><恋の大穴>は58年にリリースされ、すでに大ヒットミリオンセラーを記録したのはご承知のナンバーで、ゴールデンレコード第二集に収録された。

<ラヴィング・ユー・ベイビー>は1964年9月になってシングルリリースされるまで、お蔵入りになっていた。1964年といえば、円熟したパフォーマンスを発揮した<アカプルコの海>をはじめ<キッスン・カズン><ラスベガス万才>の後なので、当時聞いた方は、その単調さと荒削りなパフォーマンスに面食らったヒトも多かったはず。

オリジナルは、エディ・リフが1957年に録音してシングルリリースしたもののヒットしていない。お蔵入りになったのも一応納得だが、この時期一斉になんでもいいから出せの勢いに乗って出たようだ。

単調なところがなんとも魅力のR&Bで、よくあることだけど、波長が合うと取り憑かれてしまう。
聴く側の気分と姿勢も問われそうな一曲で、なにより呪いのようなシャウトに起因する。

<Ain’t That Loving You Baby>には、エルヴィスも手こずった感があるが、自分はTake違いのアップテンポなバージョンをシングルリリースするべきだったと思う。

2022年に日本映画『呪い返し師』が製作されているが、呪いという行事はフランス、アメリカ、ドイツなど世界中にある。5000年前からあるメソポタミアに伝わる呪いは、日本のわら人形に釘を打ち付ける方法と酷似しており、憎い相手の等身大の人形を作り、心臓に当たる部分に赤色で×印を書き針を突き刺す。日本では他に『般若心経』の写経が、呪いの準備に最適と言う人が多い。呪う側のエネルギーも半端ではない。因果応報で、逆に自分がお陀仏する場合もあるようなのでやめておくのが賢明だ。

アスク・ミー/AskMe

アスク・ミー

裏面の<アスク・ミー>は1958年にイタリアでヒットした曲。
<アスク・ミー>は1964年の1月にナッシュビルRCAスタジオで録音されたもので、しっとりしたバラードに仕上がっている。この時期のエルヴィスらしいパフォーマンスが楽しめる。

28年後にリリースされた8ビートの別テイク

1985年3月になって、<ラヴィング・ユー・ベイビー>のテイク11が、アルバム『リコンシダベイビー』に収録されてリリースされた。さらに『エッセンシャル・エルヴィスVOL3』にテイク5と10のものが収録された。さらにさらに『コンプリート50Sマスターズ』に、シングルバージョンとエイトビートのテイク11が収録された。それらを聴くと、<ラヴィング・ユー・ベイビー>には、ドラムスに2人が参加しており、このあたりの事情をビリー諸川さんが著書で説明している。

The King Of Rock 'N' Roll: The Complete 50's Masters by Elvis Presley

「恋の大穴」に続いて録音されたのが、クライド・オーティスとアイヴォ リ ー・ジョーハンター共作のリズム&ブルース・ナンバーである「ラヴィング・ユー・ベイピーJ だ。この時レコーディングされたにもかかわらず、「テルミ ー・ホワイ」や「恋は激しく」同様、この曲もまた64年9月になって「アスク ミー」(64年1月12日録音)とのカップリングでようやくシングルとしてリリースされるまで、お蔵入りとなっていた曲だった。

しかしこの曲のヴァ ージョンは 2種類のものがレコーディングされており、ひとつは前記したシングルとしてリリ ースされたR&B タイプのもの。そしてもうひとつは85年3月になって(それこそ ようやく)アルパム「リコンシダー・ベイピーJ (テイク11 のもので発売されたエイトビートのものである。R & Bタイプ、即ちシングルとしてリリースさ れたヴァージョンのオルタネイトテイクであるテイク1のものと、エイト・ビ ートのヴァージョンのテイク5.テイク10 のものが、「エッセンシャル・エルヴィスVOL3」に、また同ヴァージョンのテイク11のものが、アルバム「リコンシダーベイピー」に収録されている。さらに「コンプリート50Sマスターズ」には、シングルとしてリリースされたヴァージョンの他にエイト・ビートのヴァージョンのテイク11のものが収録されている。

さて、各音源の考察だが、R&ß タイプのテイク1のものと.シングルとしてしてリリースされたヴァージョンを一聴してすぐわかるのは、この曲のドラムスは二人いるということだ。一人はハイハットを刻み続け、もう一人はスネアやパスド ラムなどを鳴らしている。腕が4本あるなら別だが.ハイハット刻んでいる時にスネアの三連を叩くのは不可能である。もしかしたら、ドラムセットも スタジオに二つ用意されたのかと思ったが、音源を聴く限り、セットは一つのよ うだ。 ということはひとりのドラマーがハイハットだけを.そしてもう人のドラマーが残ったセットを叩いているということになるだろう。D. J .フォンタナとバディ・ハーマン、どちらがどちらを担当したか定かではないが、テイク1の最後の箇所のドラミングを聴くとD. J .がセットを、そしてバディ・ハーマンが,ハイハット. を担当しているのではないかと思えるのだが、確かなことは言えない。ただ、そういう形でこのヴァージョンのドラムスが鳴っているのは間違いないと思われる。このR&B タイプの完成ヴァージョンでエルヴィスの歌に入る寸前にベースの音が軽く鳴ってしまっている。ポブ・ムーアがヴォリュー ムをコントロールしようとしたのかも知れない。”ヴォリュームをコントロールする。つまりヴォリュームをコントロール出来るということで、彼がこの曲では電気ベースを用いているのがわかるのだ。

エルヴィス・プレスリー/エッセンシャル・エルヴィスVOL2

From Nashville To Memphis – Essential 60s Masters

テイク1 では鳴っていなかった箇所に、この完成ヴァージョンでは電気ベースが嶋っている。 そのことで曲に厚みが出たのは言うまでもない。ンングルとしてリリースされたR&Bタイプのものはテイク4 のもの、そして テイク5-11 のエイト・ビートのものはヴァージョン違いということで別のシリアル・ナンバーがつけられることとなった。

けれどもなぜエイト・ビートのヴァージョンも吹き込むこととなったのだろうか、これはあくまで僕の推測だが、完成音源のテイク4 を録り終え、プレイバックを確認した後、D.J とバディ・ハーマンとの間に友好的な何かやりとりがあったと想像される。
「何か叩いてみるかい? J とドラムスの椅子を離れるD.J 「それじゃあJ と言って椅子に座ったバディ・ハーマン。

そして彼は当時流行り始めたエイト・ビートのドラミングを披露し、そのことにインスパイアされた結果が、このエイト・ビートの「ラヴィングーユー・ペイピーJ ではないかと思うのだ。(ということでテイク5 以降、エイト・ビートのヴァージョンでドラムスを担当しているのは.バディ・ハーマンではないかと思われる)。 ところでこのエイトビートとなったテイク5 のヴァージョンでエルヴィスは このビートのことを指すかのようにチェット・アトキンズに向かって「Boogie. Che」と言っている。でも、そもそもエイト・ビートというのが、いつ誰が初めて演ったかは不明だが、黒人音楽からの影響だということだけは間違いないだろう。

僕が知る限り、白人でいち早くこのビートを取り入れたのは、有名なところではジョニー・バーネット・トリオの「トレイン・ケプタ・ローリン」だ。彼らはこの曲を56 年6 月に吹き込んでいる。そして何を隠そう、その時ドラムス を担当しているのが、このバディ・ハーマンなのだ。このピートは57 年になっ てジーン・ヴィンセントが得意とするものとなり、他にも多くのストレートロ ッカー達がこのビートを取り入れることとなった。”エイト・ビート”はダンス と音楽とが切っても切り離せない関係にあったことから必然的に生まれたビートだと言えるが、エルヴィスがこのビートを取り入れたのが57 年4 月30日に吹き 込んだ「監獄ロック」からだ、というのは意外だった。

ロックン・ローラーとして時代をリードする彼ならもっと早くにこのビートを取り入れていたとしてもおかしくないと思うのだが、やはり彼のドラマーがシャッフル・ビートを得意とするD.J だったというのがそのことの大きな嬰因だと言えるだろう。などと考えると、このエイトビートの「ラヴィング・ユー・ベイビー」はエルヴィスの60年代ロックのターニングポイントの曲になっている。と言えるかも知れない。

 

死ぬまでに聴きたいエルヴィス・プレスリー

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