ラブ・ミー/Love Me:1957

ラブ・ミー/エルヴィス・プレスリー エルヴィスがいた。

全米ヒットチャート連続7週トップ!
独特の間の取りかたも冴えまくりバックとも絶妙!エルヴィスの泣き節バラードの大傑作!

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ラブ・ミー/Love Me

ELVIS

僕をばかにしてもいいさ
冷た<したって構わない、でも愛してほしいんだ
たとえ君が僕のハートを引き裂いても、愛してほしい
君がいないといつもとても淋しい
ブルーな気分になって涙を流してしまう
一人ぽっちになるくらいなら物乞いでも泥棒でもするよ

ああ、すぐ近くで君の胸の鼓動を聞きたい
君がいないといつもとても淋しい
ブルーな気分になって涙を流してしまう
一人ぼっちになるくらいなら物乞いでも泥棒でもするよ
ああ、すぐ近くで君の胸の鼓動を聞きたい
君がいないとダーリン、とても淋しい
ベイビー跪いてお願いするよ、愛してほしいんだ
Oh,yeah

エルヴィスに多くの作品を提供しているエリー・リーパーとマイク・ストーラーの共作。54年にふたりはカントリー・ソングとして作詞・作曲、同年ウィリー&ルース、ジョージア・キブスがレコーデインしているラブリーなパラードてエルヴィスの泣き節とザ・ジョーダネアーズのコーラスのからみが、カントリーを基調とした50年代のポピュラー・ミュージツクの雰囲気をかもし出している。
セカンドアルバム『Elvis』からのカット・ナンバーとしてEP盤でリリースTOP100で連続7週トップの大ヒトし、またR&Bチャートても3位まで上昇まで、カントリー・チャー卜でも10位までとそれぞれラン・アップしている。68年のカムバックスペシャル、映画『エルヴィス・オン・ステージ』でもオーディエンスを前に歌っている場面が登場している。

エルヴィスとは何者だったのか。

『買い手よし、売り手よし、世間よし』の三方よしの成果三等分があって、いいね(善)が循環できる。そのおかげで永続企業(持続性/サステナビリティ)の実現は可能になります。ステークホルダーのしあわせなしに三方はウェルビーイングが果たせない。永続企業という発想は最近始まったことではありません。カーネギーの言葉「他人の利益に図らずして自らの繁栄はない」は「会社」を語る上で基礎的な鉄板の思想です。
ところが小学生でも解るこの図式を無視、犯罪の領域にまで踏み込んだ「売り手よし」に特化した「成果独り占め企業」には、ウェルビーイングのかけらも見られない。実はその奥には隠された個人の「人生脚本」が潜んでいます。
人生脚本とは、幼児期に生じた人間形成の障害となる体験によって身につけた歪んだ無意識の人生計画です。一方、ウェルビーイング(Well-being)とは、持続的な心身と社会的な健康を意味する概念です。両者は逆を志向する立場にあるものの、生活上、役割性格に応じた発言や行動をするので、心理的に近い立場にないと気がつきません。

さて、Well-being(ウェルビーイング)とは、Well(よい)とBeing(状態)が組み合わさった言葉で、これといった決まった形があるわけではなく、「よく在る」「よく居る」状態、心身ともに満たされた状態=しあわせを表す概念で、わかりやすくいえば「いきいき、きときと」。その個人にとって究極的に善い状態です。 元々は1946年にWHO(世界保健機関)が示した「健康」の定義の中に登場した言葉で、16世紀のイタリア語「benessere(ベネッセレ)」が語源です。

このWellはGoodとどう違うのか?、真面目な日本人は四角四面に考えがち。
そこで思い出すのが我らがエルヴィス・プレスリー。
エルヴィスはよく歌詞とは関係なくWell〜をできるだけ遠くに飛ばすように発声し、落ちたところへ向かっていくように歌い出すのです。

聴衆は何が始まるのか彼の一挙手一投足に注目し、彼が楽器の演奏に乗って歌いだすと一斉に興奮していました。
「よし、わかった。それじゃ、いくぜ」という意味なのでしょうか。
想像してみてください。全員の魂がひとつになって彼の後を追いかけるように全力疾走するようなものです。
一瞬の静寂を作り、自身と聴衆を一つにつなぐような役割を「Well」に託していたようです。
beingとつなぐと「準備OKだ、いくぜ!」みたいな感じでしょうか?

ロックンロールの歴史はWell〜からはじまり、一瞬にして聴衆を興奮の坩堝に巻き込み、全員を引き連れて目標地点に向かって驀進する高揚感と開放感が全米の若者を熱狂させました。理由はないけど、ないから面白いのです。子どもたちの遊ぶと同じです。

エルヴィス・プレスリーが若者の身体を解放したと言われる所以です。
彼は一夜にしてキングになりました。なぜ?
その瞬間、味わったことのない神(友人)が肩に降りてくるような感覚を体験したのです。
この体験は当時ほどではないかもしれませんが、グレイスランドに行けば解ります。
エルヴィスウィークには、エルヴィスが友人のように肩に降りてきます。「よく来てくれたね」と肩を叩き笑顔で話しかけてくれます。そのときエルヴィスと共に降ってきたのはバラードですが、エルヴィスにロック、バラード、ゴスペル、ハワイアンというジャンル分けは無用なのです。バディ・ホリーなど、エルヴィス&ロックンロールのフォロワーはたくさんいましたが、ジョンやポールなど若者たちにとって全員を引き連れて目標地点に向かうエルヴィスは唯一無二の存在だったのです。

そのことをいちばん良く理解しているのは、エルヴィスと同じく頂点に立った彼らでした。アメリカで成功した彼らが「何か違う、おかしい」と思い始めたのは、無我夢中で全員で疾走する高揚感がエルヴィスのようになかったことでした。子どもたちが遊ぶ無邪気さが感じられなかったのでしょう。

ウェルビーイングを楽しもう

時代がすでに様変わりしていたこともありますが、野心的すぎたのです。ジョンが言ったように「エルヴィス以前はなにもなかった」には、エルヴィスのような成功はなかったことも含まれます。大好きなエルヴィスのようになりたいと思うのは自然なことです。でもジョンやポールのこころを捉えたのは投げられたWell〜を懸命に追いかける楽しさではなかったのでしょうか。追いかけている間、楽しかったのが成功した途端、執着が生じ、疑問が湧いてきても不思議ではありません。

ジョンは個人的に悩みを抱えていたのでエルヴィスに面談したとき、答えを求めたかも知れません。しかしエルヴィスは作詞も作曲もしない「ただ在るだけの存在」だと自覚していたので、ビートルズのように考えません。巷の評論家は野心的なことに価値を見出す傾向があります。そうでないことは無気力と捉えがちです。内面が解らない第三者は、外面=内面と混同しがちです。しかしこのような偏狭的な考え方はすでに健康の概念からはみ出しています。
Well-being(ウェルビーイング)がそうであるように、この世にはただ在るだけだからできることがあるのです。

マネジャーのブライアン・エプスタインも薬物中毒で亡くなった後、ビーチボーイズが『ペット・サウンズ』が成功したように、スタジオ録音に精を出しますが、頑張らないことがWellの場合もあるのです。究極の答えが自分たちでは解らず解散するしかなかったのです。

頑張らないことがWellの場合もあるのは、なぜでしょう?頑張るほど期待が膨らみ執着が強まるからです。これは人々にとって好ましいことではありません。子どもたちが何でもないことに楽しい、犬が投げられたものを追いかけて楽しいのに、理由はありません。

『WIRED』の創刊エグゼクティブエディターを務めたケヴィン・ケリーは語る。
「知性は過大評価されている。アインシュタインとトラを同じケージに入れたら、生き残るのは賢いほうではないのです」と。

Well-being(ウェルビーイング)の大切さとは、知識より身体、そういうことだと思うのです。だから認知症のヒトが集まった介護施設でも同じような現象が起こるのです。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

 

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