全米ヒットチャート連続7週トップ!
独特の間の取りかたも冴えまくりバックとも絶妙!エルヴィスの泣き節バラードの大傑作!
ラブ・ミー/Love Me
僕をばかにしてもいいさ
冷た<したって構わない、でも愛してほしいんだ
たとえ君が僕のハートを引き裂いても、愛してほしい
君がいないといつもとても淋しい
ブルーな気分になって涙を流してしまう
一人ぽっちになるくらいなら物乞いでも泥棒でもするよ
ああ、すぐ近くで君の胸の鼓動を聞きたい
君がいないといつもとても淋しい
ブルーな気分になって涙を流してしまう
一人ぼっちになるくらいなら物乞いでも泥棒でもするよ
ああ、すぐ近くで君の胸の鼓動を聞きたい
君がいないとダーリン、とても淋しい
ベイビー跪いてお願いするよ、愛してほしいんだ
Oh,yeah
エルヴィスに多くの作品を提供しているジエリー・リーパーとマイク・ストーラーの共作。54年にふたりはカントリー・ソングとして作詞・作曲、同年ウィリー&ルース、ジョージア・キブスがレコーデイングしている。ラブリーなパラードてエルヴィスの泣き節とザ・ジョーダネアーズのコーラスのからみが、カントリーを基調とした50年代のポピュラー・ミュージツクの雰囲気をかもし出している。
セカンドアルバム『Elvis』からのカット・ナンバーとしてEP盤でリリースTOP100で連続7週トップの大ヒットし、またR&Bチャートても3位まで上昇まで、カントリー・チャー卜でも10位までとそれぞれランク・アップしている。68年のカムバックスペシャル、映画『エルヴィス・オン・ステージ』でもオーディエンスを前に歌っている場面が登場している。
エルヴィスとは何者だったのか。
さて、Well-being(ウェルビーイング)とは、Well(よい)とBeing(状態)が組み合わさった言葉で、これといった決まった形があるわけではなく、「よく在る」「よく居る」状態、心身ともに満たされた状態=しあわせを表す概念で、わかりやすくいえば「いきいき、きときと」。その個人にとって究極的に善い状態です。 元々は1946年にWHO(世界保健機関)が示した「健康」の定義の中に登場した言葉で、16世紀のイタリア語「benessere(ベネッセレ)」が語源です。
そこで思い出すのが我らがエルヴィス・プレスリー。
エルヴィスはよく歌詞とは関係なくWell〜をできるだけ遠くに飛ばすように発声し、落ちたところへ向かっていくように歌い出すのです。
「よし、わかった。それじゃ、いくぜ」という意味なのでしょうか。
想像してみてください。全員の魂がひとつになって彼の後を追いかけるように全力疾走するようなものです。
beingとつなぐと「準備OKだ、いくぜ!」みたいな感じでしょうか?
ロックンロールの歴史はWell〜からはじまり、一瞬にして聴衆を興奮の坩堝に巻き込み、全員を引き連れて目標地点に向かって驀進する高揚感と開放感が全米の若者を熱狂させました。理由はないけど、ないから面白いのです。子どもたちの遊ぶと同じです。
彼は一夜にしてキングになりました。なぜ?
その瞬間、味わったことのない神(友人)が肩に降りてくるような感覚を体験したのです。
この体験は当時ほどではないかもしれませんが、グレイスランドに行けば解ります。
エルヴィスウィークには、エルヴィスが友人のように肩に降りてきます。「よく来てくれたね」と肩を叩き笑顔で話しかけてくれます。そのときエルヴィスと共に降ってきたのはバラードですが、エルヴィスにロック、バラード、ゴスペル、ハワイアンというジャンル分けは無用なのです。バディ・ホリーなど、エルヴィス&ロックンロールのフォロワーはたくさんいましたが、ジョンやポールなど若者たちにとって全員を引き連れて目標地点に向かうエルヴィスは唯一無二の存在だったのです。
そのことをいちばん良く理解しているのは、エルヴィスと同じく頂点に立った彼らでした。アメリカで成功した彼らが「何か違う、おかしい」と思い始めたのは、無我夢中で全員で疾走する高揚感がエルヴィスのようになかったことでした。子どもたちが遊ぶ無邪気さが感じられなかったのでしょう。
ジョンは個人的に悩みを抱えていたのでエルヴィスに面談したとき、答えを求めたかも知れません。しかしエルヴィスは作詞も作曲もしない「ただ在るだけの存在」だと自覚していたので、ビートルズのように考えません。巷の評論家は野心的なことに価値を見出す傾向があります。そうでないことは無気力と捉えがちです。内面が解らない第三者は、外面=内面と混同しがちです。しかしこのような偏狭的な考え方はすでに健康の概念からはみ出しています。
Well-being(ウェルビーイング)がそうであるように、この世にはただ在るだけだからできることがあるのです。
マネジャーのブライアン・エプスタインも薬物中毒で亡くなった後、ビーチボーイズが『ペット・サウンズ』が成功したように、スタジオ録音に精を出しますが、頑張らないことがWellの場合もあるのです。究極の答えが自分たちでは解らず解散するしかなかったのです。
頑張らないことがWellの場合もあるのは、なぜでしょう?頑張るほど期待が膨らみ執着が強まるからです。これは人々にとって好ましいことではありません。子どもたちが何でもないことに楽しい、犬が投げられたものを追いかけて楽しいのに、理由はありません。
『WIRED』の創刊エグゼクティブエディターを務めたケヴィン・ケリーは語る。
「知性は過大評価されている。アインシュタインとトラを同じケージに入れたら、生き残るのは賢いほうではないのです」と。
Well-being(ウェルビーイング)の大切さとは、知識より身体、そういうことだと思うのです。だから認知症のヒトが集まった介護施設でも同じような現象が起こるのです。
コメント