ホーム・タウンのストレンジャー/Stranger In My Own Home Town:1969

エルヴィスがいた。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか。
ホームタウンのストレンジャー/Stranger In My Own Home Town>から4つのテイクを聴いていただこう。ひとつはオリジナル、そしてエルヴィスによるX-RATEテイク。ひとつはアルバムに収録されたテイクに近い。最後にリリースされたテイク
この4つを聴くと、パーシー・メイフィールドのブルースがエルヴィスのロックンロールになっていくプロセスに、エルヴィスのこだわり、つまりアイデンティティーがどこに向いていたか、わかるだろう。

まずオリジナル。
パーシー・メイフィールド(Percy Mayfield)のStranger In My Own Home Town

 Stranger In My Own Home Town X-RATE

ホーム・タウンのストレンジャー /Stranger In My Own Home Town

 Stranger In My Own Home Town  Take.1

まるでよそ者さ、自分の故郷にいるのにまるでよそ者さ、
自分の故郷にいるのに友達面してたやつらもよそよそしい
いいさ、俺だっていつまでもおとなしくしてないぜ’

刑務所から5、6年前に戻ってきた
刑務所から5、6年前に戻ってきたのに
故郷は俺を受け入れてくれない
どう馴染めばいいのかもわからない

故郷は俺を受け入れてくれない
どう馴染めばいいのかもわからな

刑務所から5、6年前に戻ってきた
刑務所から5、6年前に戻ってきたのに
故郷は俺を受け入れてくれない
どう馴染めばいいのかもわからない

まるでよそ者さ、自分の故郷にいるのにまるでよそ者さ、
自分の故郷にいるのに友達面してたやつらもよそよそしい
いいさ、俺だっていつまでもおとなしくしてないぜ’

刑務所から5、6年前に戻ってきた
刑務所から5、6年前に戻ってきたのに
友達面してたやつらもよそよそしい
いいさ、俺たっτいつまでもおとなしくしてないぜ

エルヴィス・バック・イン・メンフィス

エルヴィス・バック・イン・メンフィス

<ホームタウンのストレンジャー/Stranger In My Own Home Town>は、パーシー・メイフィールド(Percy Mayfield)の作。アメリカ合衆国のブルース歌手でソングライターとしても活動し、もっとも有名な曲である<Please Send Me Someone To Love>を始め、レイ・チャールズの代表曲<Hit The Road Jack/旅立てジャック>などを世に送り出している
パーシー・メイフィールドは、自作のブルースを白人マーケットに向けて発信することはなく、ほとんが黒人ミュージシャンを対象にしていた。

<ホームタウンのストレンジャー/Stranger In My Own Home Town>は、男性好みのブルージーなロックンロールに歓喜するナンバーだ。
エルヴィス好みのシンプルなスタイルで、ぐんぐん引きこんでいく展開に圧倒される。

メンフィスのアメリカン・サウンドで録音されたアルバム『エルヴィス・バック・イン・メンフィス』は、ラスベガズ・インターナショナルホテルでのライブを収録した『フロム・メンフィス・トゥ・ベガス』と2枚組で1969年11月にリリースされ、即座にミリオンセラーを記録。12月にはRIAA認定されている、

1969年は6月にリリースされた『エルヴィス・イン・メンフィス』と併せて充実した作品が一気に噴出、サウンドトラック人生に別れを告げ、<アメリカ魂><明日への願い>で肩慣らしをして<イン・ザ・ゲットー><サスピシャスマインド>本格的にカムバックしていく様がブルースへの共感に溢れており、感動的だ。

しかし、エルヴィスにとって、真に熱情を傾けなければできないことではないはずだ。

傲慢と謙虚

エルヴィス・フロム・メンフィス・トゥ・ベガス

エルヴィスには、それが魅力であるが、天使的なものと悪魔的なものが住んでいるような気がする、しかも超人的な能力、才能を持ち合わせている。

ラスベガスのステージを生で見た人が、映画『エルヴィス・オン・ステージ』を観て、「あんなものではない」と言った。手抜きをしているというのだ。

向かう「目標」が厳しいと読んだら、全力で対処するだろうが、「この程度」と思えば、手を抜くのは自然だ。

達成が困難だと、ヒトは諦める。頑張ればできると思えば意欲的に取り組む。簡単にできると予感すれば意欲は低下する。ロックンロールを発明したエルヴィスにとってすべてが簡単すぎた。

50,000,000のエルヴィス・ファンは間違うことができない

エルヴィスファンは間違うことができない

エルヴィスには、ギリギリ、チャレンジすれば手に届く、ヒリヒリする目標が必要だった、エルヴィス自身求めていただろう。エルヴィスは自分が立つ場所を支配するなにかが必要だった。

50,000,000 Elvis Fans Can’t Be Wrong(50,000,000のエルヴィス・ファンは間違うことができない)と言った責任がエルヴィスにはあった、いまさら50,000,000のファンを裏切ることはできない。

エルヴィスにはメンターが必要だった。
エルヴィスは、エルヴィスをメンターに選んだ。

メンターはエルヴィス

伝説のメンフィス・セッション

 Stranger In My Own Home Town

「家でぼくがR&Bを聞いているとうるさく言われたものさ。ぼくはいっこうに気にしなかったけどね」と、エルヴィスはのちに語っている。エルヴィスとR&Bのつきあいは子どもの頃からだ。

「メンフィスの白人の間じゃ、R&Bは“罪深い音楽”とされていたんだ」
全米でもっとも人種差別のキツいテネシー州で育ち、町と音楽を愛して、のちにロックンロールを発明することになるエルヴィスは、独自の音楽的天性に磨きをかけていった。あとは皆さんご承知の通りだ、

そして1968年、ハリウッドに別れを告げて、数々の名曲を録音した地元であり音楽的故郷であるメンフィスで初心に戻るかのように、名匠チップス・モーマンが経営するアメリカン・サウンド・スタジオで、伝説のメンフィス・セッションを行う。

アメリカンサウンドスタジオ

モーマンのプロデュースのもと、“ザ・メンフィス・ボーイズ”と呼ばれて活躍していたアメリカン・サウンド・スタジオのハウス・ミュージシャンたちの熱く強力なバックアップを受け、カントリー、R&B、ブルース、さらにはバート・バカラックまで、様々な音楽をごった煮にして取り組むことで自身の野獣的カンを取り戻していった。

メンフィスサウンドがプンプンするレジー・ヤングのスワンプ風味あふれるギター、トミー・コグビルのファンキーなベース・ライン、白人でありながら、南部を代表する黒人プレイヤー、アル・ジャクソンの継承者とも言うべきドライヴ感が魅力のジーン・クリスマンのドラム、ボビー・ウッドのピアノ、ボビー・エモンズのオルガン。腕利きミュージシャンたちが存分に本領を発揮した圧倒的なスワンプ・フィーリングとして結実。

ふたたび黄金時代を迎えるエルヴィス・サウンドは、1969年ならではのメンフィス・ロックンロールになっていた。
1959年に50,000,000 Elvis Fans Can’t Be Wrong(50,000,000のファンは間違うことができない)と言った責任は果たしている。

エルヴィスが遺した32曲の宝物

アメリカンサウンドスタジオ

エルヴィスを迎えるにあたって、緊張していたのはアメリカン・サウンド・スタジオ側で、エルヴィスならさぞかしシビアでもっとうるさくて、凄いと予想していたが、エルヴィスは自然体だった。淡々と進めるエルヴィスに拍子抜けしたようでスタジオの評価は決して高いものではなかった。

「これならニール・ダイアモンドの方がスゴかった」という声が本当か嘘か、残っている。もっともニール・ダイアモンドがアメリカン・サウンド・スタジオに足を踏み入れたとき、彼は崖っぷちだった。
とにかくエルヴィスともなればフェイクニュースは尽きない。すべては音楽が語る。

長年サントラ盤中心だったエルヴィスには「リハビリ」のようなセッションであったかも知れない。やはり伝説となっているサン・スタジオでのセッションでは、無名から這い上がるチャレンジがあった。いま想うと、エルヴィスには音楽以上に重要なこだわりがあったのかも知れない。エルヴィスは語らずに逝ったが、そこに傲慢と謙虚が生じるヒビがあったのかも知れない。

レコーディングしたのは<イン・ザ・ゲットー><サスピシャス・マインド><ドント・クライ・ダディ><ケンタッキー・レイン><わが愛のちから>など、70年代エルヴィスを代表する名曲揃いの全32曲が完成した。

2枚のオリジナル・アルバムに振り分けてリリースされ、男性ファンの心を鷲掴みした。
ひとつは1969年6月リリースの『フロム・エルヴィス・イン・メンフィス』。もうひとつは同年11月、邦題『豪華盤プレスリー・イン・パースン』とついた2枚組アルバムの1枚『フロム・ヴェガス・トゥ・メンフィス(のちに2枚組は切り離され『エルヴィス・オン・ステージVOL.3』『バック・イン・メンフィス』とそれぞれ改めて、再リリースされた。

50年を過ぎて、エルヴィス・ツアーの告知が悩ましい。
私のエルヴィス・ツアーはNHKの番組の間違った情報のために、現地で右往左往して、嫌がるタクシードライバーと直談判して、自分でエルヴィス・ツアーを組み立てた。

アメリカンサウンドスタジオ

エルヴィス・プレスリー1969

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