ホームタウンのストレンジャー /Stranger In My Own Home Town:1970

エルヴィスがいた。

エルヴィス・プレスリーの快作「ホームタウンのストレンジャー」はブルージーなシンキングスタイルにロック的なリズムセクションの独特な展開が聴く者を熱くするR&B。通常盤とX-Rated Blues Jamがある。通常盤ではあらゆる人々にとってのあらゆるものである多様性を表現したものであり、X-Ratedでは、自分の才能に焦点を合わせる能力を狭めてしまった。エルヴィスはこんなもので語りつくせるミュジシャンではない。あのギャンブル依存症の大家であるパーカー大佐が金と引き換えに稀有な才能の持つエルヴィスを騙して盗みマス文化に売りさばいてしまったことが悲しい。

ホームタウンのストレンジャー /Stranger In My Own Home Town

Elvis Presley – Baby, Let’s Play House (Official Audio)

1955.5月にエルヴィスがしゃっくりとむせぶ声で荒々しくBaby, Let’s Play House/ベイビー・レット・プレイ・ハウスに突撃していくさまに触れた時、サンレコードのオーナー、サム・フイリップスは英断を下した。黒人から白人ミュージシャンに切り替え沼から、ロカビリー歌手が一斉に這い上がってきた。(ELVIS盤は移籍があったので、随分遅れてRCAからリリースされた)

エルヴィスは見事なイントロに整えて、ロックンロールの発火点に仕上げていた。
エルヴィスが<Baby, Let’s Play House/ベイビー・レット・プレイ・ハウス>で追いかける女の子は上流階級の女の子であることは、エルヴィスが原曲の歌詞を変更していることで容易に推測できるし、女の子を追いかける男も決して振られない情愛の強い男に変えられている。なぜならすでにピンクキャデラックを入手している。

エルヴィス・プレスリーが、サム・フィリップスのマリオン・キースカー秘書に言ったようにエルヴィスは「誰にも似ていなかった」黒人文化から引き出した力は本物だったがエルヴィスは黒人を真似したわけではなかった。黒人が主役の映画で、たとえば映画『天使にラブ・ソングを…』シリーズなどで知られる女優ウーピー・ゴールドバーグが「黒人から白人は取っていく」というセリフはあたらないのだ、貧しい生い立ちの南部人であったエルヴィスはすでに十分すぎるアウトサイダーであり、自らの才能でアメリカの主流に入り込む野心に満ちていた。


(左からサム・フィリップス、エルヴィス・プレスリー、マリオン・キースカー)

メンフィスで育ったエルヴィスがテキサスからフロリダの巡業を終えてサンフランシスとに行こうといていたときに、つまり南部以外で自分を試そうとしていたときに、パーカー大佐と出会ったのだ、当時すでに導火線に火はついており、バディ・ホリーは毎晩すでにエルヴィスの手を合わせていたのだ。私にはパーカー大佐の必要性は感じない、映画「エルヴィス」で、B.B.キングがエルヴィスに「自分のレコード会社を立ち上げたら良い」とアドバイスするシーンがあるが、そのとおりだと思った。バディ・ホリーは嬉々として参加し、B.B.キングもリトル・リチャードも協力を惜しまなかっただろう。

Baby Let’s Play House – Arthur Gunter (1954)を聴くと解るだろう。

まるで よそ者
まるで よそ者のような扱い
まるで よそ者
まるで よそ者のような扱い
昔の仲間の よそよそしい態度
今に お前らを 見返してやるぜ
弾いてくれ

まるで よそ者
まるで よそ者のような扱い
まるで よそ者
まるで よそ者のような扱い

昔の仲間の よそよそしい態度
今に お前らを 見返してやるぜ
見返してやる
良かれと思って、帰って来たんだぜ
5、6年前にな
良かれと思って、帰って来たんだぜ
5、6年前にな
でも、故郷は 俺を避けやがる

もう 歓迎されてない ってことだな
歓迎されてねぇ!
でも、故郷は 俺を避けやがる
もう 歓迎されてない ってことだな
良かれと思って、帰って来たんだぜ
5、6年前にな
良かれと思って、帰って来たんだぜ
5、6年前にな
でも、故郷は 俺を避けやがる
もう 歓迎されてない ってことだな


まるで よそ者
まるで よそ者のような扱い
まるで よそ者さ
まるで よそ者のような扱い
昔の仲間の よそよそしい態度
今に お前らを 見返してやるぜ
弾いてくれ
 

Stranger In My Own Home Town (Official Audio)

I’m like a stranger
Like a stranger in my own home town
I’m like a stranger
Like a stranger in my own home town
My so called friends stopped being friendl
Oh, but you can’t keep a good man down
Oh, you can’t get him down

I came home with good intentions
About 5 or 6 years ago
I came home with good intention
About 5 or 6 years ago
But my home town won’t accept me
Just don’t feel welcome here no more
Just don’t feel welcome here no more

But my home town won’t accept me
I just don’t feel welcome here no more
I came home with good intentions
About 5 or 6 years ago, yes I did
I came home with good intentions
About 5 or 6 years ago
But my home town won’t accept me
Just don’t feel welcome here no more

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

南部社会は、極貧の者に極貧の者の生き方があることを教えていた。
エルヴィス・プレスリーは絶望的な貧困から彼ら一家を救い出してくれた神に心から感謝し、初めて手にする贅沢なモノに感動した。

親孝行だったエルヴィスは、幼少の頃に約束した「僕がママに車を買ってあげる」という言葉を1956年9月、運転免許さえ持たない母親にピンクのキャデラックを贈った。
キャデラックこそ、貧しい者にとって最高の富の象徴だった。まだ業界最大手のRCAに移籍する前だっただった。

この段階でRCAはエルヴィスの扱いを決めかねていたのだ。ロックンロールは存在せす。民謡歌手だった。サンレコードも似たようなもので、エルヴィス自身が発見した<That’s All Right/ザッツ・オールライト>もサムが耳にした時、「なんだい、それは?」とエルヴィスの発明を問いただした状態だった。スタジオで追い詰められて、エルヴィスが一か八かで やってのけたのだ。スコティもビルもいたが彼らもなんだかよくわかたんかった。サムは歓喜してすぐさまレコーディングしただけでなくラジオ局に配る早業を見せた。エルヴィスにはサムが本心で欲しがっていたモノが解っていたのだ。

エルヴィスには、<That’s All Right/ザッツ・オールライト>がゴスペル&ブルース歌手アーサー・クルーダップが書き、最初に演奏した楽曲であり、子ども心にアーサー・クルーダップのようなシンガーになりたいという野心があったが、それで生活設計ができるわけでもなかった。移住労働者として職を転々とするしかないことも知っていただろう・現在のメンフィスのビール・ストリートでは夜毎、昼間の労働を終えたミュージシャンたちが、どこかのバーのステージに立って演っている。

56年1月、RCAデビュー曲<ハート・ブレイク・ホテル>もエルヴィスが作者に名を連ねた。実質的には新聞記事が元ネタで主婦が作曲したが、エルヴィスがアレンジを重ねて曲作りした。ロックロールはエルヴィスが創りだしたものだった。世間でいうように<ロックアラウンド・ザ・クロック>はエルヴィスが歌うものと異質であり、サムも同じ意見だった。エルヴィスのカントリーにはリラックスしている趣があるが、ブルースには緊張がある。それが独特の魅力になっているが真似していないことが解るだろう。歌の教師のいないエルヴィスの流儀だ、


エルヴィスは、この世における自分の役割は何かという長年の自問に対して、ついに答えを見出した。エルヴィスのコンサートは、音楽の不思議な力を通して、人々の心に直接メッセージを送る場であり、アメリカの本源的な自由と希望、未来への可能性と期待を呼び覚ます場であった。しかし、そのために貴重な才能と魂を悪魔に売り渡すようなことをしてしまったのだ。

エルヴィスは1973年10月、妻と離婚した。エルヴィスは悲しみに打ちひしがれ、怒りで荒れ狂い、絶望あまり健康を害した。もともと過労がもとで内臓に複合障害があった。妻の行為は、エルヴィスにとって、夫である自分に対する重大な裏切りであり、男の威信を打ち砕く破滅的な一撃だった。
油断のならない取り巻き(メンフィス・マフィア)に囲まれて、エルヴィスは一人でいるよりもさらに孤独だった。強い照明とカメラのフラッシュで痛めつけられていた眼は緑内障を起こしていた。肝臓や腸、腎臓、心臓にも障害が見られ、慢性の低血糖症や高血圧、肥満があった。精神面でも極度のうつ状態に陥ることが多かった。
エルヴィスは、多量の処方薬を摂取することで症状を抑えて、コンサートを続行したことで死を招いた。

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