のっぽのサリー/Long Tall Sally:1956

のっぽのサリー エルヴィスがいた。

「のっぽのサリー/Long Tall Sally」は、リトル・リチャード(Little Richard)のエネルギッシュな歌唱法と激しいアクションでピアノを弾く独特のパフォーマンスで、黎明期のロックに決定的な影響を与えた曲だ。エノトリス・ジョンソン、ロパート・ブラックウェル、リチヤード・ペニンマン(リトル・リチャード)3 人の共作で56年に出版され、56年リトル・リチヤードでR&Bチャートで1 位、そしてTOP100てもベスト10入り、エルヴィスはじめビートルズ、キンクス、トム・ジョーンズ、ボピー・フラー・フォー、ワンダ・ジャクソン、パット・ブーンはじめ、多くのアーテイストがレパートリーに加えているロックン・ロールのスタンダード・ナンバー

ロックンロール黎明期の『のっぽのサリー/Long Tall Sally』

リトル・リチャードは、チャック・ベリーやファッツ・ドミノらと共に、ロックンロールの草分け的な黒人ミュージシャンとして知られている。

友人ジョニー・オーティスの推薦でピーコック・レコードから数枚のシングルを出したがほとんど売れなかった。粘り強くデモテープをレコード会社に送り続け、1955年、スペシャルティ・レコードからデビュー。日本では「ルシール」、「ジェニ・ジェニ」が特に有名なのもエルヴィスの影響大だ。1956年にエルヴィスが放った「ハートブレイク・ホテル」にはじまる大ヒット攻勢によって、雪崩を打ったように白人、黒人ミュージシャンが大量にロックンロールに解き放たれた。日本では日劇カーニバルだ。

映画『エルヴィス』には白眉のメンフィスのダウンタウン・シーンでB.B.キングとエルヴィスの前で歌っているのをエルヴィスが見て感動しているシーンが映されている。

エルヴィスは「トゥッティ・フルッティ」、「リップ・イット・アップ(陽気にいこうぜ)」、「のっぽのサリー」をカヴァーしていて、1956年9月2日に映画『やさしく愛して』の撮影の合間に行われたレコーディング・セッションで「悩まされて」「ブルームーンがまた輝けば」「ラブ・ミー」「オールドシェップ」「トゥー・マッチ」「どこでも天国」などと併せてレコーディングしている。「のっぽのサリー」はレコーディング以前からライブで歌っていてライブ音源とスタジオレコーディングでは、3番目の歌詞のあとにファルセットがないという特徴があるが、その理由は解明されていない。

エルヴィスは、「のっぽのサリー/Long Tall Sally」でも、エルヴィスらしいパフォーマンスで貫いている。エルヴィスにとってもっとも大事なことは、カヴァーもオリジナルも同じことだが「フックがあるかどうかだ」。荒削りであっても、間違いがあろうが気にしない。

ビートルズ盤もヒットした『のっぽのサリー/Long Tall Sally』

ビートルズのポール・マッカートニーは、「のっぽのサリー」をどうしたら歌えるか研究して、できることがわかったとしてレコーディング「グッド・ゴリー・ミス・モリー」といったヒット曲と併せてレコーディングした。ビートルズ盤とエルヴィス盤の決定的な違いは、ビートルズ盤がモノマネに終始しているのに対し、エルヴィス盤は相変わらずマイペースで歌っていることだ。そのために迫力という点でビートルズ盤が優っていると思われがちだが、ブラッキーであることを意図的に避け、白人らしさを強調しながらロックンロールしている点です。つまり本来聴き比べるならパットブーン盤と聴き比べるとエルヴィス盤が主張していることがわかります。リトル・リチャードは黒さへの畏敬の念を無視したパット・ブーン盤を毛嫌いしていました。エルヴィス盤も「それは違うよ」と言ってるようです。このバランス感覚がエルヴィスの素敵なところなのです。エルヴィス盤では、白人も黒人も関係ない、君の好きなことをしたらいいんだよと新しい文化を謳歌しています、

同性愛者でもあったリトル・リチャードは、1957年、人気の絶頂期に突如引退を発表し、アラバマ州のオークウッド大学に入学して神びー学を修め牧師となった。しばらくはロックを罪深い悪魔の音楽として遠ざけゴスペルを歌っていたが、1962年にロック歌手として復帰。この復帰コンサートでは、無名時代のビートルズが前座を務めている。

のっぽのサリー

エルヴィスがすることは、サリーへ告白することだ

ELVIS

ジョン叔父さんのこと
メリー叔母さんにいいつけちゃうよ
彼はブルースだけじゃなくて、
すごいピストルを持ってんだってさ
おお、ベイビー
今夜は楽しもうぜ

のっぽのサリー、彼女はイカしてるぜ
彼女は欲しいものを
なんでも手に入れちゃうんだ
おお、ベイビー
今夜は何か楽しいことをやっちゃおう

おれはジョン叔父さんが
のっぽのサリーといるのを見たぜ
そしたらメリー叔母さんが
やってきたんで、
うまく横丁に逃げ込んだんだ
おお、ベイビー
今夜は何か楽しいことをやっちゃうんだ

<フジヤマ・ママ>で知られるワンダ・ジャクソン盤はエルヴィス・バージョンをカヴァーした感じです。

新しい白人文化の到来と黒人文化

映画『女はそれを我慢できないThe Girl Can’t Help It』(1956)は、ロックンローラーが、リトル・リチャード、エディ・コクラン、ジーン・ヴィンセント、ファッツ・ドミノなど大挙出演したという映画だが、映画そのものは従来からの大人が中心のコメディで、ティーンエージャーではなくチグハグ感がある。リトル・リチャードにしてもバンドのスタイルはムーングロウズなどと同じでビッグバンドをイメージさせるもので、当時まだ芽吹いたばかりの若者文化を代表したのが『理由なき反抗』のジェームス・ディーンであり、『乱暴者』のマーロン・ブランドだった。

音楽界ではエルヴィス・プレスリーだった。1955〜1956は、黒人音楽が白人にカヴァーされるのが人気でたった理由に黒人音楽の持つ開放感が、白人のティーンエージやー心に広く深く浸透していく風潮があった。それを『のっぽのサリー』は的確に捉えていた。ジョン叔父さんがのっぽのサリーの手練手管にはまって落とされたという歌だが、若者にしたら指を咥えてみているのが面白くない。こういう状態を黒人文化では表現できてしまう文化が白人若者の欲求不満にあった。その抑圧していた蓋をこしあけたのが1956年のエルヴィスだったため「黒人文化を白人文化に持ち込む聞け人物」として強烈なエルヴィス・バッシングが起こることになる。

女はそれを我慢できない

女はそれを我慢できない

若者文化としてのロックンロールがあり、音楽文化としてのロックンロールがあり、
白人文化としてのロックンロールがあり、黒人文化としてのR&Bがある。それらは一見同じようで、立つ場所でクロスしていても、微妙に違う。そしてそれぞれの文化で事件が起こった。

日本から見たロックンロールはまだ敵性音楽の時代であり、ペレス・プラードに代表されるマンボの方が日本人には馴染んだのかも知れない。

この10年後、ビートルズが来日するが、右翼のビートルズに武道の聖地である武道館を使わせるな運動が起こったため、ビートルズは厳重警戒の中、ホテルの部屋に閉じこもったままだった。同じ東芝からレコードを出していた加山雄三が表敬訪問をしたが、この年前年に発表した「君はいつまでも」が300万枚のビッグヒットを放っていて若大将シリーズ最新作「アルブスの若大将」は長蛇の列で、この年最大のアイドルは加山雄三で、その影響もあり洋楽でもベンチャーズが売れまくっていた。

1956年と1966年は、わずか10年の違いかも知れないが、同じように扱うのは間違いである。
マスコミ情報はいつの世も信用してはいけない。

君といつまでも

薄っぺらなサブカルチャー論が蔓延る日本のマスコミ情報ほど恣意的なものはない。そもそも黒人ブルースに畏敬の念を持たないことが間違っている。エルヴィス・プレスリーが、ロックのルーツはゴスペルだといい、生涯ゴスペルを愛したことに触れずサブカルチャーもあったものではないし、ブルースもロックは語れない。ゴスペルは生きるための音楽だった。肌で感じて育ったエルヴィスにとってゴスペルの伝統のなかに一貫して黒人ブルースが流れていて、ブルースに至る地下水脈にロックがあったにすぎない。「のっぽのサリー/Long Tall Sally」を「Whole Lotta Shakin’ Goin’ On (デイヴ・“カーリー”・ウィリアムズ&ロイ・ホールの作)」とメロディで歌うエルヴィス・プレスリーの生の文化に寄せた黄金の心を聴きたい。

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