エルヴィス・プレスリーの<サレンダー>は、60年10月30日に録音、販売は翌年61年2月5日、世界的大ヒットになった、アメリカでは500万枚を記録位した。
<イッツ・ナウ。オア・ネバー>に続くにイタリアン・ソングで、原曲の<帰れソレント>は民謡をベースに1902年のビエデイスグロック・ソング・フェステイバルで発表されたもので、作詞をダヴィ・デ・クルティス、作曲をエルネスト・デ・クルティスの兄弟が手がけている。その後<ComeBack ToSorrento>というタイトルで、ディーン・マーティンらがレコディングがしていた曲に新たな詩をドク&モートが作り<サレンダー>としてエルヴイスがレコーテイングした。
サレンダー/Surrender
エルヴィス・プレスリーの<サレンダー>。
スリリングなイントロ、そのままバラの花を胸に飾った白いタキシードのショーン・コネリーの007が出てきてもおかしくない。なんとこの華麗な恋歌のイントロはジェームス・ボンドのテーマそっくりでないか。
もちろん60年10月30日に録音したエルヴィスの<サレンダー>が先だ。
When we kiss my heart’s on fire
Burning with the strange desire
And I know each time I kiss you
That your heart’s on fire too
So my darling, please surrender
All your love so warm and tender
Let me hold you in my arms dear
While the moon shines bright above
All the stars will tell the story
All the love and all it’s glory
Let us take this night of magic
And make it a night of love
Won’t you please surrender to me
Your lips, your arms, your heart dear
Be mine forever, be mine tonight
スリリングなイントロは恋の狂気に身を投げつくす男の波乱にふさわしい、どうせ恋は正気の沙汰でないのだから、それなら一層華麗に燃え尽きたほうが正しい。本当に口から火を吐きそうな歌声、倒れるかと思いきや、悪魔の力を得て狂い咲きの爆裂ぶりは満開の桜の花のよう。
エルヴィス・プレスリーの壊れ方の美しさよ。壊れ方の正しさこそエルヴィスの真骨頂なのだ。悪魔軍団に魅入られた男の破滅への末期を豪華絢爛にレビューして快感だ。
誰も説得も拿捕もできない力強さ。ディーン・マーティンの酔いどれ優雅は別世界。本気熱情、エルヴィスはクロスロードを越えて満天の星空の下へ疾走している。
イタリアンの脳天気にメンフィス仕込みの劇薬を混ぜれば、世界に名高いアメリカ人の有望性も哀れ、エンタメ満杯、恋に身を滅ぼしてこれほどの単純にこれほどのエネルギー。ゆらゆら揺れてビートする火の玉のようなギターも魔法の一夜に泣かせるほどに素敵。
エルヴィスの強さを抑圧するだけの力はないが、迷わず地獄の底に堕ちるようにエルヴィスにまとわりついて離れない、恋の灼熱地獄の釜の蓋は開いている。もちろん迷わず一直線、エルヴィス・プレスリーは地獄の釜に向かって疾走している。
チーム魂はここでも健在、もう全身恋の病、ブーツ・ランドルフのサックスがさらに火をつけて威勢をあげる。
”サレンダー、サレンダー”のコーラスも救出不可能な恋の悪夢へ誘って最高。
エルヴィスが魔界へ陥落していくようなフェイドアウトをクライマックスに仕上げて歓喜。男声コーラスから女性コーラスへ移っていく”降参だ!”の大合唱は悪魔の勝鬨、エルヴィスは二度と帰って来れないと想わせて、これ以上なく最高!
口づけでハ一トに火がともる
不思議な気持ちが燃え上がる
俺がキスをするたびに
お前のハ一トも燃えさかる
だから、もうあきらめて
お前の愛を渡しておくれ
この腕で抱きしめたい
月が明るく輝く下で
星が全てを語ってくれる
愛の素晴らしさを
この魔法の一夜を
愛の夜へと変えるのさ
だから、もうあきらめて
その唇、腕、ハ一トの全てを
永遠に、今夜俺のものになっておくれ
白いタキシードにバラの花はもちろんエルヴィス、百花撩乱、美女たちが戯れる花園、風光明媚なソレントはどこにある、伝説のMGMミュージカルさえ星のもずくにして、ここはひたすらにエルヴィス・ワールド、光りを放って水しぶきをあげる大滝の前では、”さいざんす”のトニー谷がジプシー・ローズと踊れば、憧れのマドンナはピチカート・ファイブの紅一点かジャンプスーツのブリちゃんか、ぺレス・プラード、ハリー・ヴェラフォンテも腰をふるS盤アワー総出演の祝祭感動、ラインダンスのハレ・ロック、総極彩色の妄想がキリなく舞うように噴出、聴いてるこちらもますます壊れていく。
どうかみなさまもお熱くお好きに妄想どうぞ。たとえ釜の底、いかなる妄想をしょうが、リスクと隣合せも唇ゆがめて笑えば青空、エルヴィス・プレスリーこそは賞味期限なし、いつの時代も五つ星マークの同時代の人である。
エルヴィス・プレスリー公認のミュージカル『エルヴィス・ストーリー』が赤毛のアンの国からやってくる。地獄の釜の蓋が開くことを期待してときめきはとまらない。
<サレンダー>ひたすら美しい。
エルヴィスとは何者だったのか
エルヴィス・プレスリー(エルビス・プレスリー)はそんな中、最初に人気を博した白人のロックン・ローラーだった。当たり前である、黒人音楽(リズム・アンド・ブルース)と白人音楽(カントリー・アンド・ウェスタン)を自分を媒体にしてつないだ最初のミュージシャンがだった。自分を媒体にしたという点が最も重要である。
つまり誰の真似もしていない、リズム・アンド・ブルースでもないし、カントリー・アンド・ウェスタンでもない。しかしリズム・アンド・ブルースでもあるし、カントリー・アンド・ウェスタンある。ここがエルヴィスを語る上で説明困難なしている事実でありエルヴィスはカテゴリーといえるのだ。それを言葉でなく身体で表現したのが女性ファンだ。それは3オクターブ高い声が出せるエルヴィスの必殺技だ、
〈監獄ロック〉や〈恋の大穴〉はその一例といっていい。
エルヴィスはのちにジェシー・リー・デンソンの<ロザリオの奇跡>をカヴァーしているが、ジェシー・リー・デンソンとは旧知の間柄で、メンフィスではエルヴィス同様に低所得者用住宅ローダデールコーツに1947年から1953年にかけて住んでいて、エルヴィス一家とも親しく特に母親同士が仲良しだったようだ、その当時からエルヴィスより3歳年上のジェシー・リー・デンソンは、“女々しい声”と評していて、エルヴィスは日頃の努力と研究の積み重ねによって克服していった。
その高音域の声をエルヴィスは軍隊時代にさらに磨きをかけた。
チャーリー・ホッジとエルヴィスは毎晩どうしたら音域が広がるのか、高音を安定して出せるのかを研究していた。
喉からでなく横隔膜から力強く発声するよう心がけた。
おかげでエルヴィスの声域は下がGから上がBまでの2オクターブと3分の1というポピュラー歌手では稀な広い音域の声の持ち主となった。
そうして生まれたのが除隊後に録音した〈イッツ・ナウ・オア・ネヴァー〉であり、〈サレンダー〉だった。
ベルカント唱法を体得したエルヴィスは言っている。「同じ音楽でももっとも気持ちが込もっているものさ」魂を込める・・・これがジャンルを超えたエルヴィスの真理である。自分がアメリカで暮らしたとき、アメリカの家庭にはエルヴィスのレコードが最低1枚はあると聞いたが、わたしがたまたま発見したのはドイツ語で歌い出す<さらばふるさと>だった。
エルヴィスの約全700曲の録音曲のなかで現在まで最も売れたレコードは1960年7月にリリースした〈イッツ・ナウ・オア・ネヴァー〉で、その数は全世界で2200万枚にものぼる。
【深層その1】高音域を広げたが、低音域には手こずったエルヴィスだった。
彼はゴスペル歌手のバス・シンガーのパートにも強く魅かれていて、その低音を出そうと相当努力したが、低音域はなかなか広がらなかった。
【深層その2】かつてティーンエイジャーのとき、ジェシー・リー・デンソンから“女々しい声”と評された声を、エルヴィスはこうした日頃の努力と研究の積み重ねによって克服していった。
以後、エルヴィスに刺激を受けてたくさんのミュージシャンがデビューして人気を得てそして消えて行きました。エルヴィスは自分が生きた年月を超えて死後もキングとして存在し続けています、しかし、具体的に「どんな理由」があるのかという点に及ぶと誰も答えられなくなってきています。
歌は感情が入ってこそ歌である
エルヴィス・プレスリーはミシシッピ州の非常に貧しい家庭に生まれ育ったが、13歳の時にテネシー州のメンフィスに引っ越し運命が決まった。
メンフィスには貧しい黒人労働者たちが多く住んでおり、近所の教会で毎週ゴスペル集会をやっていたのである。少年エルビスはそこに毎週通い続け、黒人特有のリズム感と歌唱法を身に着けた。
デビュー時に、ラジオでエルビスの曲が初めてかかった時、リスナーの誰もがてっきり黒人が唄っていると思い込んでいた、という逸話があるほど、エルビスの歌は白人離れしたものだったのである。
同じような、人種の壁を超える才能の持ち主に、ヒップホップ歌手のエミネムがいる。エミネムはかつて「自分はヒップ・ホップ界のエルビスだ」と自嘲的に言ったが、黒人の発明した音楽(ヒップホップ)で白人・黒人の双方から人気を集めている自分がエルビスと似ていると思ったのであろう。
確かにリズム・アンド・ブルースもヒップ・ホップも全部黒人が創った。にもかかわらず、そのジャンルで「キング」の称号を得るのは往々にして白人である。
映画「天使にラブ・ソングを2」で、黒人の生徒が白人の同級生に、「お前らは何でも真似しやがる、少しは自分で何か創ってみやがれ」とケンカを売るシーンがあるが、この台詞の背景には、黒人は「発明」はするが、大衆的成功は「真似した」白人がかっさらってしまうという皮肉な構図に対する憤りがある。事実、エミネムも世界的な成功を収めた。
とにかく、エルビスとはそういう存在だったのだ。当たり前のように黒人が差別され、白人と一緒にバスにも乗れなかった時代に、彼は人種の壁を越えて人気を誇った、類稀な天才シンガーだった。
そしてその成功の要因は、ただ歌が上手いとか、顔がきれいだとか、それだけではなかった。彼はロックを初めてエンターテイメント化したのだ。それゆえ歴史に名が残っていると言っても過言ではない。「エンターテイメント」と言っても、キッスみたいにやるにはまだ早い。その男、エルビス・プレスリーは腰を振った。歌いながら腰をカクカクと振ったのだ。
そして「セックス・アピール」という、黒人のやらなかった(許されなかった)技を、彼は発明し、そして完成させた。
その余りにあからさまな性の表現は、人種関係なくまさに前代未聞。当時の人々の目には「見てはいけない物」として映った。
当然ながらエルビスは「いかがわしい反教育的な見世物」としてPTAや教会、保守系政治団体などから猛抗議を受けることになるのだが、同時に、エルビスの並外れたスター性と、暴力衝動や性衝動をも肯定するような激しくもゴキゲンな音楽は当時の若者の「欲求」を見事に昇華させるものだった為、熱狂的な人気を集めてしまった。
このような事から、「タブーを犯して何ぼ」というロックの反社会性または「反教育的」「反道徳的」な表現が、エルビスによって確立されたという事が分かる。
しかしエルヴィスの目からこの世界を見てみよう。
「テクニックばかりで感情というものをぜんぜん持ち合わせていない歌い手,(青江三奈との共演で日本にもその名を知られている)メル・トーメ,ロバート・グーレなどの名をあげている。」というものに我慢できなかった。(彼らのTV出演中にテレビが破壊されたことは有名)
エルヴィスは、カヴァーすることで、曲が喜んでいるように聴こえただろう。単純すぎるがこの世界はそれらで溢れているのだ。
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