1964にリリースされたシングルのひとつが、「ラビング・ユー・ベイビー」
背景には「ロックンロール史上最大の悲劇」と言われる問題がエルヴィスを追い詰めていた。
エルヴィス・プレスリー3つの悲劇
1955年、エルヴィス・プレスリーの才能に惹かれたトム・パーカー大佐はRCA、CBSコロムビア、アトランティックの3社とサンからの移籍の交渉をした。
それは自身がマネジャーになるための手順でもあった。契約金2万ドルがパーカー大佐のボーダーラインだった。
最終的にRCAと2万5千ドルで契約。
しかしエルヴィスの感激は、同時にロック史上最大の悲劇と呼ばれること表裏一体だった。
パーカー大佐がRCAと契約と同時にヒル&レインジ出版という音楽出版社との契約を交わしてしまったことで、エルヴィスはこの出版社の管理している曲か、この出版社の抱える作家の曲しか歌えなくなってしまう。
エルヴィス・プレスリー出版社とヒル&レインジ出版社
エルヴィス・プレスリー出版社も設立されるが事実上このヒル&レインジ出版という音楽出版社の専属アーティストということだ。
それ以外の曲を歌おうとする場合、楽曲を提供した作家たちは著作権料の一部をこの出版社に支払うことを要求されることになる。これはヒル&レインジ出版に属さない売れっ子作家には自分の取り分をピンハネされるのと同じ状態を意味する。
これによって徐々にエルヴィスには質のよい作品が提供されなくなってしまい、それはエルヴィスの才能を凍結することになってしまった。
それはロックンロールの発展の凍結を意味した。
ロックンロール史上最大の悲劇と呼ばれる由縁だ。
才能を封印した著作権料問題
この著作権料の問題は「ハウンドドッグ」「監獄ロック」「ラヴィング・ユー」「やさしくしてね」などのリーバー&ストウラーや「恋にしびれて」「冷たくしないで」「心の届かぬラヴレター」のブラックウェルのような素晴らしい楽曲を作れる人に対しても同じく適用された。
エルヴィスがこの事実を知ったとき、エルヴィスは愕然とし、優秀な作家たちにそんな要求をするのは中止しろと言ったという。
エルヴィス・プレスリーが絶頂期の場合は著作権料を分け合ってもメリットも大きいものであったにしても、ビートルズが全米を席巻した後、本来ならより素晴らしい楽曲を獲得することが必要であった。
にもかかわらず、逆に急速に悪化したのは、売り上げが低下する分、さらにコストダウンを求めて売れない作家のものを歌わせた。あるいは既発売のアルバムからシングルカットしたもので間に合わせた。
ビートルズやストーンズらが人気を呼んでいても、エルヴィスは依然としてアメリカの大スターであってエルヴィスであれば売れるという現象は続いた。
その喜ぶべきことが、悲劇的だった。
才能はより封印され、エルヴィスのキャリアに大きな傷跡を残した。
エルヴィスを束縛したハリウッドとの契約
もうひとつが映画会社との長期契約。
ここにも同じような原理が働いた。マネジャー、トム・パーカー大佐のこれまた光と影である。
MTVのない時代に、エルヴィス・プレスリーを世界に見せる装置は映画しかなかった。
当時、ロックンロールの人気がいつまで続くか、誰も読めなかった。
フランク・シナトラも「すぐに人気はなくなる」とタカをくくっていた。
長期に及ぶ映画契約は「保険」として魅力的だった。
エルヴィス・プレスリーの光と影を語った書物や情報がたくさんあるなかで、ひどい中傷に満ちたものも多い。
その原因を作っているのはエルヴィス本人の問題というより環境が原因のものだと言える。
「エルヴィス以前にエルヴィスはない」という悲劇
エルヴィス以前にエルヴィスはない。
前代未聞のスターをどう処遇すればいいのかというモデルがないという意味だ。
エルヴィスの周辺に集まった誰が、ロックンロールのような風変わりな音楽が脈々と続くことを予測しただろうか?
エルヴィスは自分の環境が作られていた時、この世界のことは何も知らなかった段階にあった。
弱冠21歳の田舎からやってきた青年に考えろと言っても酷な話ではないか。
一体誰がそんな計算ができるというのだ。
エルヴィスはアーティストであってビジネスマンではない。
会社勤めのサラリーの計算は出来ても、アルバイトで稼ぐ金の計算は出来ても、スーパースターの計算は出来なかったし、なによりこの時点で自分が世紀のスーパースターになれると想像もしなかっただろう。
おかげでエルヴィス・プレスリー以降に登場したヒーローたちはエルヴィス・プレスリーの光と影をモデルとして考えることが可能になった。
ラビング・ユー・ベイビー/Ain’t That Loving You Baby
1964にリリースされたシングルのひとつが、「ラビング・ユー・ベイビー」
録音は1958年6月。「恋の大穴」「アイ・ニード・ユア・ラブ・トゥナイト」と同時に録音した曲だ。6年後のリリースだ。若者の一年は早い。
典型的なリズム&ブルースを若々しいシャウトが魅力的な曲だが、6年遅れの違和感は拭えない。
1958年にリリースされていれば違う印象だったが、ビートルズをはじめリヴァプールサウンドがチャートを席巻している真っ只中に投げ込むといかにエルヴィスといえどもさすがに違和感があった。
エルヴィスをどうマーケティングしていいのか、デビュー当時から周囲を混乱させた。それを凌駕したのは、エルヴィスならではのスケールの大きさに尽きる。たったひとりで、遠くまで来たものだ。ビートルズをプロデュースしたフィル・スペクターが「(自分が関われば)エルヴィスだったらなんでもできた」と語ったのが感慨深い。
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