シー・ウェアズ・マイ・リング/She Wears My Ring:1973

Good Times エルヴィスがいた。

カントリー・アンド・ウエスタンには、故郷を歌った歌、宗教的な死と悲しみの歌、恋を勝ち取る歌、実ることのなかった失われた恋の歌、浮気の歌、ホンキー・トンクの歌、社会への怒りの歌、戦争と愛国心の歌、囚人の歌、カウボーイ・ソングス、旅の歌、働く人々の歌など人生の歌があり、聴くヒトの琴線に触れる心に寄り添うことが重要になります。いつまでも聴いたヒトの心の奥底にあり、ある日立ち寄ったバーで、つい酒の勢いで、感情を吐露したいときに、カラオケで歌うのは世界中どこでも同じだが、カントリー・アンド・ウエスタンが飛び交う本場アメリカは見ていて楽しい。

それがロックでも、C&Wでも、ハワイアンでも、大事なのは、自分のありったけのハートで歌うことだと、エルヴィスはデビューからあの世に召されるまで、教えてくれた。君は君でいいんだよ。

木曜日、エルヴィス・プレスリーは一族の墓に葬られた。
だが、彼の遺体が永遠に葬られた今になっても、芸能界のスターや政治家、実業界の指導者、新聞の論説委員といった人間が相変らずしかつめらしくエルヴィスの賞賛、賛美、喝采、神聖化を続けている。

きっとエルヴィスは今ごろ笑っているにちがいない。

初め自分がどんな迎えられかたをしたか、大衆文化史上空前のスターダムヘのしあがる出発点で、アメリカの保守本流からの憤り、否定的な論評、徹底的な憎悪の洪水がどれほど凄まじいものだったかをよく覚えているからだ。

加山雄三が『君といつまでも』を300万枚売った年にビートルズが日本に来たことをひとことも話さない文化に、エルヴィスは笑っているだろう。

シー・ウェアズ・マイ・リング/She Wears My Ring

エルヴィス・プレスリー

本当に恋したらどんな気分?しかしひとつの恋の物語は簡単ではない。恋愛は因果の積み重ね。1対1の関係ではない。彼女の悲しみの怒りには、それ以上の何人ものの悲しみの怒りがくっついている。女性の歓びを揺るがぬ心で受け止める<シー・ウェアズ・マイ・リング>には聴く作法があると思います。ありったけのハートで歌うエルヴィスに、ありったけのハートで聴くシンプルだけどとても大事な作法です。エルヴィスが73年に取り上げた<シー・ウェアズ・マイ・リング>の世界へ行きましょう。

シー・ウェアズ・マイ・リング/She Wears My Ring

エルヴィス・プレスリー

決意に応える決意する声。
人間のもろさを知った声だ。

決意に応えてそれで十分じゃないか、この上、生きるのに何がいるんだい。という声。
人生が苛酷であるこらこそ優しくなければ値打がないんだよと語る声で綴られたメッセージ。

歌詞にはそんなこと書いていないが、そう言ってるのだ。
この楽曲を聴けばエルヴィス・プレスリーどのようなタイプの人間だったのか。
どのような本質を生きてきたのか、ストレートに響いてくる。

あの娘が僕の指輪をしているのは
自分が僕のものだと皆に知らせるため
あの娘が僕の指輪をしているのは
自分が永遠に僕のものだと皆に知らせるため
この思いを世界中に見せるため
溢れる愛で彼女の指にはめた指輪

*この小さな指輪は愛する心の証
海ほどの深い愛の泉の中で彼女は誓った
永遠の愛をもって指輪を身につけると
僕は歌う、彼女が僕のあげた指輪をしているから
永遠の愛をもって指輪を身につけると誓った彼女
僕は歌う、彼女が僕のあげた指輪をしているから

*(くり返し)

僕は歌う、彼女が僕のあげた指輪をしているから

対訳  川越由佳

73年メンフィス:スタックスでのレコーディング

エルヴィス・プレスリー
Good Times

ジェームス・バートンのギターも素晴らしいバランスでエルヴィスの心の宇宙をひきたてます。
流れ星のように降り注ぐエルヴィスの魂をすくいあげるように奏でる。

極上のバラード。定評のあるエルヴィスのバラードのなかでもトップクラスの表現力です。
それにしてもこの曲はバラードだけど、その姿勢においてこれはエルヴィスの言葉がたっぷりつまったロックンロールであるともいえます。

ロイ・オービソンが61年のアルバム『Crying 』で発表したものである。その後68年秋にレイ・プライスがシングルとして発表し、カントリー・チャートで6位にランクインさせました。エルヴイスはシンプルなパックの演奏にのって、こみ上げるような表現で歌い上げます。選曲の良さもあって50年代、カントリーを歌っていたザ・キングをほうふつさせる、実に素晴らしい作品です。

1973年12月スタックスでのレコーディング。パーソネルは、ギター/ジェームス・パートン、リズム・ギター/ジヨニー・リストファ一、ド‘ラムス/ロニー・夕ット、ピアノ&オルカ/デヴィッド・ブリッグス、ベース/ノーパー卜・プットナム、コーラス/ J.D.サムナー&ザ・スタンブス、ボイス(ドニー・サムナ一、シェリル・ニールセン、ティム・ノマッテイ、ビート・ホーリン)、メリー・ホラデイ、ジャーニー・グリーン、キャシー・ウエストモーラド、スーザン・ピルキントン

She wears my ring to show the world
That she belongs to me
She wears my ring to show the world
She’s mine eternally
With loving care I placed it on her finger
To show my love for all the world to see

*This tiny ring is a token of tender emotion
And in this pool of love is as deep as the ocean
She wears to wear it with eternal devotion
That’s why I sing because she wears my ring
She wears to wear it with eternal devotion
That’s why I sing because she wears my ring

* (repeart)

That’s why I sing because she wears my ring

歌った分だけ、エルヴィスには人生があったのかも知れない。
たくさん生きたから、早く召されたのかも知れないとも思う。
エルヴィスは、いま、風に向かう必要もなく優しい風に包まれているのかな。

けれども、エルヴィスは、本当のところ、何を誰に言いたかったのだろう?
誰に一番聞いてほしかったのだろう。それを考えるのも、考えてあげるのも素敵なことのなのかもしれない。

「だがときどき、ほとんどの連中にはたぶん人の気持なんてわからないだろうし、そんなことは初めからどうでもいいんだろうなっていう気になるんだ。」という思いをエルヴィスもしていたのかも知れないとしたら。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか。

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

<シー・ウェアズ・マイ・リング>は、女性の気持ちを受け入れる楽曲だ。

でも本当にエルヴィスが望んだのは、逆ではなかったのか?
子どもは、詳しい事情は知らないが、なんでも知っているものです。
だから人格形成の面で複雑になる。

皮膚感覚で知ってしまう。

もしこの歌の主人公が母親グラディス、息子が贈った指輪をみんなにみせているとしたらどうだろう。息子は黙って見ている。うれしくもあるが、悲しいだろう。

悲しい理由を察知して、肩を叩いてあげる友人がいたら、涙を一筋ながして終わったかもしれない。

エルヴィス・プレスリーが笑ってる

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか

エルヴィス・プレスリーの葬儀

木曜日、エルヴィス・プレスリーは一族の墓に葬られた。
だが、彼の遺体が永遠に葬られた今になっても、芸能界のスターや政治家、実業界の指導者、新聞の論説委員といった人間が相変らずしかつめらしくエルヴィスの賞賛、賛美、喝采、神聖化を続けている。

きっとエルヴィスは今ごろ笑っているにちがいない。

初め自分がどんな迎えられかたをしたか、大衆文化史上空前のスターダムヘのしあがる出発点で、アメリカの保守本流からの憤り、否定的な論評、徹底的な憎悪の洪水がどれほど凄まじいものだったかをよく覚えているからだ。

それから20年たったいまごろになって、昔となにひとつ変わっていない自分を、世間が手のひらを返したように受け入れて抱擁するのを見れば、その滑稽さに腹をかかえずにはいられないはずだ。

「われわれは今日良き友を失った」
プレスリーが死んだ日、フランク・シナトラはそういった。
そのシナトラは、20年前プレスリーについてコメントを求められて、こういっている。
「ロックンロールなどインチキなまやかしにすぎない。歌手もバンドも曲を作る人間も白痴のチンピラだ。馬鹿のひとつ覚えの反復と悪ふざけて淫らな、要するに汚らわしい歌詞で……せいぜい地球上のもみあげをはやした非行少年の軍歌ていどのしろものだよ」

エルヴィス・プレスリー

そう、エルヴィスはきっと笑っているだろう。
初めエルヴィスを理解したのは若者だけだったのに、今では、アメリカ合衆国大統領ジミー・カーターまでが、「エルヴィス・プレスリーの死は、われわれの国からその貴重な財産を奪った。彼は、世界中の人びとにとって、アメリカの生命力、不屈の精神、そして陽気な国民性のシンボルだったのである」と言いだす始末なのだ。

エルヴィスが聞いたら大笑いしたにちがいない。
20年前なら、もしドワイト.・D・アイゼンハワーが若きエルヴィス・プレスリーに関してなんらかの感想をもっていたとしても、決して口外したりはしなかったはずだ。
今週、音楽評論家が書いた新聞の社説やコラムはみな、プレスリーの死をローマ法王の死なみに扱った。

メンフィスの『コマーシャル・アピール』紙はこう書いている。
「彼は、1950年代の若者たちが内に秘めていた祖型のなかから出現した。彼はそのメッセージのなかで、大人になることに怯え、愛されることに戸惑い、自然のおもむくままに行動することを怖れていた思春期の少年少女に自信と尊厳を与えたのだ」

20年前、新聞の社説は、プレスリーのショウとレコード販売の禁止を声高に訴え、エルヴィスは若者を堕落させ駄目にすると親たちに警鐘をならしつづけた。
芸能記者にいたっては、論説委員以上といってもいいほど彼を酷評した。その彼らが、プレスリーが死んでからというもの、賛辞のかぎりを尽くしてプレスリー賛美に遅れをとるまいと懸命になっているのだ。

20年前、『ニューヨーク・タイムズ』紙のジャック・グールドはこう書いている。
ミスター・プレスリーにはこれといった歌の才能はない。彼の特色は、月並な哀れを誘う声で歌うリズム・ソングだ。彼のフレージングは、ま、フレージングと呼べればの話だが、素人がバスルームで歌う旋律にふさわしいていどの陳腐なヴァリエーションから成っている。

ロサンゼルスのある新聞の芸能欄編集者、ディック・ウィリアムズ、同じく20年前。

エルヴィスのショウが根本的に音楽ではなくセックス・ショウであることの確証が必要であれば、昨晩のショウこそまさしくそれである。昨夜のショウは、ナチスがヒットラーのために催した、金切り声で騒ぎたてる無節操な狂乱パーティに酷似していた。

コラムニスト。ヘッダ・ホッパー、20年前。

私は。血と戦慄のギャングドラマをテレビから締め出すために努力した10代の若者の親たちを賞賛する。しかし今は、新しい問題歌手エルヴィス・プレスリーを締め出すためにいっそうの働きかけをすべきときである。

JADA TOYS 1:24 SCALE “1955 CADILLAC FLEETWOOD(PINK) WITH FIGURE” ジェイダトイズ 1:24スケール ”1955 キャデラック フリートウッド(ピンク) ウイズ フィギア”

イギリスの音楽評論家トム・リチャードソン、20年前。

エルヴィス・プレスリーにはまだ一度も会ったことはないが、すでに彼には嫌悪感をもっている。この男が危険人物であることは一目瞭然である。

ライターも無情だったが、同業のエンターティナーたちはそれに輪をかけて手厳しかった。その批判の大半はシナトラのコメントを異口同音に繰り返したものだった。
彼らはブレスリーが業界の一画を占めていることじたいに憤慨し、数か月もすれば消えてなくなる一時的な現象だと高をくくっていた。そして彼のことをきかれるたびに、きわめて冷笑的な見下した言葉でプレスリーを罵倒した。

その同じ多くのエンターテイナーたちが、プレスリーの葬儀の日には、どれほどエルヴィスに親近感をもっていたか、どんなにいい友人であったか、まるで兄弟を失くしたような気持だ。と口々にもっともらしい哀悼の言葉を残しているのだ。

エルヴィスの葬儀

木曜日には、アメリカ中が同じような態度を取った。
それは、プレスリーがいっさいの妥協を拒否して永遠に変えてしまった世界である。死後にこれだけの賛辞が贈られているというのに、彼が生きてその掛値なしの賞賛や賛美を聞けなかったことが残念でならない。エルヴィスにはきっと彼らしい感想があったにちがいないからだ。

が、それを伝えるのに彼には言葉などひとこともいらなかったろう。
エルヴィスはきっと大笑いしたにちがいない。
そしてさらに冷笑を重ねたことだろう。

(『アメリカン・ビート』ボブ・グリーン:著 井上一馬:訳/河出書房新社:刊)

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