<偉大なるかな神 / How Great Thou Art>は、エルヴィス・プレスリーの愛したゴスペル・ソングの代表作といえるナンバー。
エルヴィスは 1970年代に入ってから、死の直前まてライブて歌っていて、ライブバージョンも3会場のものがオフィシャル・アルバムに残されています。
ここでは、メンフィスの自宅グレイスランドをジャケットにした1974年3 月3 日メンフィスでのライブ「エルヴィス・ライブ・イン・メンフィス」からのもので、74年度グラミー「Best lnspirationa PerformanceJ(Non-Classical)の部門で、テネシー・アーニー・フォードの「Makea Joful Noise」、ピル・カイザー・トリオの「Thanks For SunshineJ、シスター・ジャネット・シードの「The Lord’s Prayer」 、ピル・パーゼルの「 ListenJ を抑えて受賞している。
あと2 つライブ・パージョンは、
『エルヴイス・イン・コンサート’77 (77年6 月19 日、ネプラスカ州オマハ) 』
『エルヴィス・アーロン・プレスリー. (75年6 月6 日、ジョージアサダラス)』にそれぞれ収録されている。メンフィスライブでは<熱狂のロックンロールメロディ>、ゴスペルとファッツドミノの<ブルベリーヒルズ>、レイ・チャールズの<愛さずにはいられない>のメロディに挟んでの熱唱でオーディエンスの脳を破壊する悲鳴が胸を叩きます。
ロックンロールに花束を
黒人音楽に憧れた白人の若者が、黒人のR&Bと白人のカントリー&ウエスタンを統合してロックンロールという新しい音楽を作り出し、ビル・へイリー& ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」とヱルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」によって一気に爆発した〉・・・・こんなことを訳知り顔で言う人が、いまだにいる。とんでもない誤解である。
かと、思えば黒人音楽の歴史に目をむけることないまま、ロックンロールに触れることもなく、ロックというお粗末を通り越している。畏敬の念だけは忘れてほしくないだけです。
ロックンロールとはなんだったのか?サンレコードとは?
サンレコード時代の曲とエルヴィスのライブの本質に触れるならこの一枚です。
Elvis Recorded Live on Stage in Memphis (Legacy Edition)
- シー・シー・ライダー
- アイ・ガット・ア・ウーマン
- ラブ・ミー
- お前が欲しくて
- ロックンロール・メドレー :のっぽのサリー 他
- ホワイ・ミー
- 偉大なるかな神
- メドレー:ブルーベリー・ヒル ~愛さずにいられない
- ヘルプ・ミー
- アメリカの祈り
- レット・ミー・ビー・ゼア
- マイ・ベイビー・レフト・ミー
- ローディ・ミス・クローディ
- 好きにならずにいられない
- クロージング/バンプクロージング/バンプ
サン・レコードとはなんだったのか。
サン・レコードとはなんだのか。
サム・フィリップスとは何者だったのか。
エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか。
この3つが揃わなかったら、ビートルズもストーンズも、ボブ・ディランもなかっただろう。
事実1954年にエルヴィス・プレスリーをデビューさせたサンレコードの印刷物にはロックンロールの誕生年度を1952と書かれています。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒットした1955 年ではなく、ラジオDJ のアラン・フリードが自身の番組タイトルにロックンロールという言葉を使った1952 年に設定することです。
ロックンロールという言葉は、突然はじまり、広がったのではなく、音楽的な意味だけではなく、楠神面や文化的な側面なども含まれるていました。ただしアラン・フリードがロックンロールと呼んでいたのは黒人のR&Bでした。
サム・フイッリプスが設立したサン・レコード (Sun Records ) は、1952年3月27日にアメリカ合衆国テネシー州メンフィスで設立したインディペンデント系レコードレーベルです。それまでサム・フイッリプスは新人を発掘、スカウトしてレコード会社に紹介することを業にしていたのです。紹介先のレコード会社重役の1人であるジム・ブレットの資金援助を受けて、52年以降、自社でもリリースを行っていました。新人を発掘、スカウトするために録音サービスもしていたので、エルヴィスも録音にやってきたのです。
サムの口癖は「黒人のように歌える白人青年がいたら億万長者になれる」でした、そこにエルヴィスとの出会いが起こります。もう一度サム_フィリップスを検証してみましょう。彼はサンレコードを経営していましたが、スカウトの手段でした。黒人R&Bに精通していたので、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を聴いてもそれを自分の対象とは思えませんでした。彼の口癖は「黒人のように歌える白人青年がいたら億万長者になれる」でしたので、対象になるわけはなかったのです。
エルヴィスのロックとカントリーをA面/B面にしたシングル盤を5枚出しますが、ラジオの反応に勇気をもらいエルヴィスフォロワーを世に送り込めば、もっと儲けられると決断して。エルヴィスを移籍させることで、移籍料で、資金繰りのメドがつき、さらにエルヴィスフォロワーのレコードを出すことでエルヴィスの抜けた穴を埋めることができると考えたのです。
サムはスカウトをビジネスにしていたので、音楽に精通していましたが、プロデューサーのようなこともしていましたが、プロのプロデューサーではありませんでした。しかしエルヴィスの移籍料で、カール・パーキンス、ロイ・オービソン、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシをデビューさせることができました。他社からデビューした者も含めてロックンロールの大爆発と認知していますが、ロックンロールへの政治のかかわりもあって、エルヴィスが軍隊でドイツに駐屯、リトル・リチャードが聖職者になったことでわかるように一網打尽的にスター前線から引き離されます。サムは音楽業界とは決別。ホテル業に投資します。マネジャーであるトム・パーカーは作れば売れるノベルティー販売一辺倒。
エルヴィスは「音楽のことも映画のことも全部自分で勉強するしかないんだ」と嘆いていたといいます。しかも入隊以降、トム・パーカー大佐が介入して優れた楽曲を提供するライターは高くつくからと採用しなくなります。
エルヴィスの音楽はアフリカ系アメリカ人の公民権運動と共にありました。人種差別の問題が障害となったいる上、前例のないロックンロールが商売になると確信できなかったアメリカ音楽界と違い。イギリスで外貨獲得の功績でビートルズが勲章をもらったのとは天と地ほどの違いがあったのです。
紹介先のレコード会社重役の1人であるジム・ブレットの資金援助を受けて、52年以降、自社でもリリースを行っていました。サンレコードは
エルヴィス・ライヴ・イン・メンフィス
エルヴィス・プレスリーが歌う「偉大なるかな神/How Great Thou Art」は、スタジオレコーディング盤が一枚「How Great Thou Art」(邦題:ゴールデン・ヒム)。
ライブ盤のバージョン違いが3枚あります。
- エルヴィス・ライヴ・イン・メンフィス(1974)*グラミー受賞
- エルヴィス・イン・コンサート77/Elvis Presley in concert
- エルヴィス・アーロン・プレスリー(1980)*RCA創立25周年記念ボックスアルバム
ライブ盤で人気の高いのは、グラミー賞を受賞した「エルヴィス・ライヴ・イン・メンフィス」ですが、死が近いことを感じていたような最後のライブを収録した「エルヴィス・イン・コンサート77」も聴きものです。
『エルヴィス・アーロン・プレスリー』に収録されているのは75年のテキサス州のライバージョンと74年のメンフィスライブのグラミー受賞バージョンです。
「エルヴィス・イン・コンサート77」は死後に発表されたので、概ねファンには悲しくて聞く気がしないという声を多いようです。
しかし、このアルバムに漂う絶望感に「痛みのアーティスト」の真髄があるのかも知れません。
自分は、レコーディングにあたって、前奏にこだわり、真摯に取り組んだスタジオ盤「How Great Thou Art」(邦題:ゴールデン・ヒム)が好きです。
偉大なるかな神/How Great Thou Art
1966年5月。
映画出演とリリースされないアルバムの間で、エルヴィスは本当の自分に向かいます。
エルヴィス・プレスリ-はロックンロールのルーツに本来の自分を発揮します。
聞き覚えたゴスペル・ソング「偉大なるかな神 HOW GREAT THOU ART」を何気なしに、歌っていたのが、キッカケで正式録音。ゴスペル・アルバムを制作します。
お手軽なサントラとは一味違う力感溢れる楽曲に、実力を発揮。
アルバムタイトルも、そのまま「HOW GREAT THOU ART」(邦題:ゴールデン・ヒム)とつけられたアルバムは、ゴスペルが好きでなかった人でも、エルヴィスの本気がうれしくて、夢中で聞き込んだ人が多いようでした。
われは畏怖と驚嘆をもって
あなたの御手の創造し給う森羅万象を眺めん
われは星を見 雷鳴の轟きを聞き
あなたの御力か全宇宙に顕れるのを見る
(キリストか再びこの世に来たり給う時
主が高らかな歓呼に迎えられて来たり給いて
われを故郷に導き給う時
わか心はいかなる喜びで満たされることか)
その時われはひれ伏し崇めて おお、わか神よ
あなたか如何に偉大なる御方かを誉め歌わん
わが魂は救い、主なる神に向かいて歌う
偉大なるかなわか神
偉大なるかなわが神
わが魂は救い主なる神に向かいて歌う
偉大なるかなわが神
偉大なるかなわが神前田 絢子氏 翻訳BMGファンハウス
「ピース・イン・ヴァリー~コンプリート・ゴスペル・コレクション~」より
グラミー受賞の熱唱「偉大なるかな神」
その後、「偉大なるかな神」は70年代のライヴ・バージョンでも収録されています。
1974年、メンフィスに於ける迫真のパフォーマンスを収録した「エルヴィス・ライヴ・イン・メンフィス」で、先に述べたように74年度グラミー賞ベスト・インスピレーション・パフォーマンスを受賞したことは有名。
選び抜かれたゴスペル24曲を収録した、現在最も新しいゴスペル・アルバム「エルヴィス・アルティメット・ゴスペル」の1曲目に収録されています。
エルヴィスのゴスペルへの真摯な愛情溢れる世界の入口として、感銘深いオープニングです。
自分の明日が分からないもどかしさ、その裏にある不安。
ロックンロールは不安に負けずに、悲しみを乗り越えようとする雄叫びでしょう。
人はみんな過去といまと未来の間で生きています。
ハーバード大学の調査では「47%が過去と未来に使っている」と報告しています。
いまを生きてるのが53%。睡眠時間を入れると、2/3におなるので36年程度になります。100年生きても実際には36年しか生きていない計算です。
「人生は夢の如し」といいますが、無自覚だと人生はあっという間に終わってしまいます。
先に進む応援歌としてのエルヴィスの歌声
慈悲とは、施しのように考える人がいますが、「無我」と言う言葉があるように私とあなたという二分化法思考は、対立を生みます。
施しとは対立の上にある思想です。
慈悲は施しではなく、共感です。エルヴィスの歌声には「共感」がいっぱい詰まっていると思いませんか?
おたまじゃくのひとつひとつに共感がいっぱい詰まっているような。
「人生は夢の如し」であることの裏側にある哀しみに触れるような声はどこから来るのでしょう。エルヴィスは強い人ではありませんでした。痛みのアーティスと呼ばれるように「痛み」に対して敏感でした。
その分、自分が我慢することにも慣れました。
自分のストレス、他者のストレスを全部受け止めて、楽な人生ではなかったと思います。
痛みから自分を開放するように歌う、1974年のグラミー受賞のパフォーマンスが胸を打つのは、エルヴィスの共感です。
「エルヴィス・ライヴ・イン・メンフィス」の「偉大なるかな神」でも、うまいアーティストならいくらでもいるを実証したのです。
その先に魂で歌う人は少ないという言葉が潜んでいます。
エルヴィスの魂とは共感そのものであり、教会で養われたのです。
もともとのいのち
「偉大なる神」を「もともとのいのち」に置き換えて、僕は聴くようにしています。
難易度が高くても、社会の常識から外れてもと、自分の希望と自分の常識を信じます。
ブッダのいうところの「自灯明・法灯明」です。
時にとても疲れますが、そうでないと意味がないと感じます。
他人の視線は気にしないようにしています。
自分のこと、他人のことを、考えて考えて、考え抜いてすることです。
テレビや雑誌の情報で、物事を判断しないし、参考にもしない。
難易度が高いのは、実現の可能性が乏しい状態からのスタートですが、その分これから良くなっていくのです。
ブッダは「可能性」を示されました。
「これから毎日が楽しみの山」
行動を重ねていくほど、可能性が見つかるのですから、楽しみの山です。
もし実現しなかったとしても、そこまで真剣になれたことを幸福と思えばいいだけのこと。
エルヴィスが愛したゴスペル
エルヴィス・プレスリーが、1967年3月にリリースされた「How Great Thou Art(邦題:ゴールデンヒム)」は1960年「心のふるさと」に続くスピチュアルソング集。
アルバムチャート20内にランキングされ、ミリオンセラーを記録。ゴールドリコードに認定されています。
「陽気なアメリカンがこんな地味な歌を聞くの?」と思うほど驚きの記録といえます。
「How Great Thou Art(邦題:ゴールデンヒム)」は、サントラ盤のように計画的に録音したものでじゃなく、レコーディング前にエルヴィスが歌っていたものがアルバムになったものだという。
ロックンロールのルーツは「ゴスペル」だと話していたエルヴィス。エルヴィス自身のルーツそのものです。
1886年にスウェーテンの宣教師カール・ボバーグの作った<O StoreGud (Oh Great God)>が、1907年ドイツ語に訳されて<Wie Gross Bist>(How Great Thou Art)となった。その後ウクライナて宣教師スチュワー卜・K・ハインがこのナンバーのロシア語バージョンを耳にし、英訳して<How Great Thou Art>とし、48年には今の完全な形がスチュワー卜・K・ハインの手によっててでき上がっている。55年のジョージ・ビパリー・シェア、57年のブラソクウッド・ブラザースのレコードでポピュラーになった。ジェイムス・クリーブランド(オルガンをビリー・プレストンが担当のほか、多くのアーテイストがレパートリーに加えており、60i年ft前半からジョーダネアーズもよく歌っていた。
アルバムの最初に登場するのが、表題曲「How Great Thou Art/偉大なるかな神」で、スエーデンの宣教師が作った曲。後にドイツ語に訳され、その後、ウクライナの宣教師がロシア語バージョンを耳にして英訳。それが「How Great Thou Art/偉大なるかな神」になりました。
エルヴィスが歌っているのは、英訳されたものが少しずつ手を加えられて完成した1948年のバージョン。
ゴスペルは白人と黒人では、同じ曲でも全く違うように聞こえるのが特徴。
エルヴィスはスタジオて何気なくなく歌っているうちに、正式にレコーティングしたくなり、レイ・ウォーカーらに相談し、ピアノの前に3時間半座って考えに考えた未にレコード化を決めたという。
エルヴィスはその後、70年代にはライブでも採り上げ、3つのバーションがあるといいます。ライブ版の別バーションは,別れを覚悟しているかのようなアルバム「エルヴィス・イン・コンサート77」と「エルヴィス・アーロン・プレスリー」に収録されています。
音楽のマジック、エルヴィス・アーロン・プレスリー
ディスク:1
ディスク:2
ディスク:3
ディスク:4
毎日、人生の終わり、人生は始まっている。
年中無休の不安を鎮めるエルヴィスの声に応援されてください。
人にはみんな自分のゴスペルがあり、ブルースがあり、そしてロックンロールがあります。
時に和み、時に癒され、自分の中にエネルギーを見つけるために、そのキッカケとして、音楽に入り、音楽を受け入れます。
黙って聴けば、黙って自分のエネルギーに出会うのが音楽のマジック。
ブルースもゴスペルもロックも、バラードも、みんな同じオレの歌としたエルヴィスの生々しい声がする「偉大なるかな神」を聴きながら、自分を信じることができる自分になりたいと悪戦苦闘する人を押すのが正調ロックンロールと信じています。
1.偉大なるかな神
2.ソー・ハイ
3.アメイジング・グレイス
4.クライング・イン・ザ・チャペル
5.ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン
6.スイング・ダウン・スイート・チャリオット
7.ミルキー・ホワイト・ウェイ
8.ヒズ・ハンド・イン・マイン
9.アイ・ビリーヴ・イン・ザ・マン・イン・ザ・スカイ
10.ホエア・クッド・アイ・ゴー・バット・トゥ・ザ・ロード
11.イフ・ザ・ロード・ワズント・ウォーキング・バイ・マイ・サイド
12.ラン・オン
13.ヒー・タッチト・ミー
14.ロック・マイ・ソウル
15.リード・ミー・ガイド・ミー
16.ジェリコの戦い
17.イフ・ウィ・ネヴァー・ミート・アゲイン
18.ハレルヤ・ジョン
19.リーチ・アウト・トゥ・ジーザス
20.フー・アム・アイ?
21.ヘルプ・ミー
22.ロザリオの奇跡
23.テイク・マイ・ハンド・プレシャス・ロード
24.谷間の静けさ
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