ハワイアンドラム・ソング/Drums Of The Islands:1966

エルヴィスがいた。

<ハワイアンドラム・ソング/Drums Of The Islands>はエルヴィス・プレスリー主演映画21作目の映画『ハワイアンパラダイス/Paradise Hawaiian Style』の挿入曲、映画のクライマックスを雄大に締めくくります。シド・テッパー。ロイ・C・ベネットがトンガの曲をベースに映画のために書き下ろした。エルヴィスのハワイアン3部作のひとつ。

ハワイアンドラム・ソング/Drums Of The Islands

ハワイアンパラダイス

エルヴィス・プレスリーの音楽映画としては第1回作品「やさしく愛して」から21本目にあたる作品。「青春カーニバル」のアラン・ワイスの原作から、アラン・ワイス自身とアンソニー・ローレンスが脚色。監督は、「ブルー・ハワイ」から6本のエルヴィス作品の助監督をつとめた、マイケル・ムーアの第1回作品。撮影は「荒野の駅馬車」のW・ウォーレス・ケリーが担当。音楽はジョセフ・J・リリー。エルヴィスをめぐる助演者には、「ボーイング・ボーイング」のスザンナ・リー、「太陽にかける橋」のジェームズ・繁田、「底抜け男性No7」のドナ・バタワース、「レッド・ライン7000」のマリアンナ・ヒルなど。製作は「ブルー・ハワイ」「青春カーニバル」のハル・B・ウォリス。

メールに感じる誰にも愛されるエルヴィス

こんなメールをいただきました。
その方は、帰郷した自宅で『ハワイアン・パラダイス』をDVDで観ていたそうです。
そばにいたおばあちゃんも黙ってみていたそうです。
翌日また『ハワイアン・パラダイス』をDVDで観ていたそうです。
ポリネシア・カルチャー・センターの川を下るシーンやラストシーンの<ハワイアンドラム・ソング>の場面になると、眠っていたおばあちゃんが起きて、しっかり鑑賞していたそうです。

そこなんですよね。エルヴィス映画の急所は。一度観たら忘れられない。
気持ちのいい歌声、景色、色彩。和みます。
自分なんか『ラスベガス万才』の体育館のシーン観たいだけで、20回劇場にかよいましたからね。

年代を超えて愛されたエルヴィス

平和です。
いま時代から解き放たれた『ガール!ガール!ガール!』や『ハワイアン・パラダイス』を観ていると、のびのびします。

平和ってスローガンではないですよね。
縁側で眠っている猫は平和を満喫しています。

平和な行動をすれば自然に平和になります。みなさん、エルビス映画で平和を満喫しましょう!
万才シリーズなんてタイトルかして平和がいっぱい。
VIVA LASVEGAS・・・・このタイトルつけた方に「ノーベル平和賞」ひとつ!

リストラ、テロ、自爆、世界はやたらサド&マゾに傾斜しているように感じます。
時代の荒波のもまれて、もまれて、
ハワイやフロリダの自然とひとつになって輝いていた
昔ピカピカだったエルヴィス・プレスリーの極楽映画。

エルヴィス映画の失敗

エルヴィス映画の失敗は、エルヴィスの存在がジョン・ウェイン並であり、作品が全世代に向けて作くられたことにあると思います。

ジェームス・ディーンが特別扱いされる理由は、演技力とかカリスマ性とか様々な魅力があるでしょうが、なにより彼が特別視されるのは、当時主役を張るのは、中年男性で、若い人向けの作品がなかったということに起因します。

つまり若い男性はジェームス・ディーン、あるいはマーロン・ブランドしかいなかったことにあります。特にジェームス・ディーンは『エデンの東』『理由なき反抗』は家族の問題、父親と息子をテーマにしており、息子の視点で描かれた珍しい青春映画でした。主人公に対する同世代の共感がジェームス・ディーンを特別なスターにしたようです。つまりーゲットは戦後生まれのベビーブーマーだったのです。ジェームス・ディーンは青春スター第一号だったのです。

この世代は当時のレヴィットタウンに親と住んでいるものの内心は複雑でした。子どもは親離れしたいものですからね。
TVで放映されたアメリカのテレビドラマ「パパはなんでも知っている「うちのママは世界一」「アイ・ラブ・ルーシー」など、家族はハンサムで包容力のある父親と美人でやさしい母親,オシャレでかわいい長女,明るくてスポーツ好きな長男,そして犬が一匹の豊かさと幸せを絵にかいたような風景にまとまる家族への反感がありました。

自立していて旅するジョン・ウェインに代表される男らしさの対極にある世界で、レヴィットタウンに住む父親はエプロンをつけている。しかも自分は親の庇護の立場にある。
テレビでは決して描けない、父親に男らしさを感じない不満、自立できない自分への怒りが、映画では描けたのです。それが『理由なき反抗』でした。エルヴィスの『闇に響く声』も同じでしたが、レヴィットタウンの住人ではありませんでした。

テーマがなくなったエルヴィス映画

徴兵されるまでのエルヴィス映画4本には、テレビでは描けない世界にエルヴィスを置きました。
ところが、『G.I.ブルース』『ブルーハワイ』の大ヒットでは、健全なエルヴィスを見せるだけで良かったのです。つまり「テレビには出ない」ことが映画の売りになってしまったのです。

『ガール!ガール!ガール!』のように映画の中のエルヴィスは父親を意識させる役柄、あるいは『青春カーニバル』のように旅する一匹狼がおおくありましたが、次第に反骨精神が全く描かれなくなり、アメリカ男性の偶像ジョン・ウェインから遠く離れることになります。結局、スクリーンの中には、ただエルヴィスがいるだけという状態になったのです。

これはエルヴィスの責任ではなく、社会の変化に合わせて複雑なエルヴィスを活かせなかったプロデユーサーの責任だと思うのです。

映画というものは、作るもの、伝えるもの、受け取るものの三者の微妙な関係で成り立っています。
『燃える平原児』『嵐の季節』など、シリアスな映画は映画はシンガー、エルヴィスにとって何の意味もないので、事実とは関係なく良い評価は得られません。
その意味では、エルヴィスが撮ったもっともシリアスな映画は『エルヴィス・オン・ステージ』でした。内容が重要でしたが、プロデユーサーは最後までわからなかったようです

ラスベガス万才』は、もっともミュージカル映画として成功したエルヴィス映画でした。
再現を狙ってシェリー・フェブレーに白羽の矢を立てますが、自身全米ナンバーワンのヒット曲を持ちながら、ミュージカル映画的な使い方をしませんでした。しかもTV「うちのママは世界一」はレヴィットタウンに住む家族の物語。時間が経ち過ぎていた上、エルヴィスとの関係性の描き方次第で映画のレベルが全く変わってしまうダイナマイトでしたが、脚本はエルヴィスもシェリーも活かしきれませんでした。

ガール!ガール!ガール! 

ブルー・ハワイ

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