1955年1月にエルヴィス・プレスリー20歳の誕生日にリリースされたサンレコードから3枚目のシングル。サンレコードからプロとしてデビュー。その3枚目のシングルが、『ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogie』でした。
B面には『ユーアー・ハートブレイカー』というミディアムアップのカントリーナンバーでした。両面ともスコティ・ムーア、ビル・ブラックがバック。
『ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogie』のオリジナルは<スイート・ホーム・シカゴ>で知られるロバート・ジョンソンに影響を与えたココモ・アーノルドで1934年3月にシカゴで録音。タイトルは<ミルクカウ・ブルース>その後数人のミュージシャンがカヴァーしたがヒットはしていない。ようやく1961年にエルヴィスに憧れてデビューしたリッキー・ネルソンがカヴァーしてヒットさせます。1977年にはエルヴィスの死後エアロスミスがカヴァーしています。
ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogie
今朝起きて
ドアの外を見るとおいぼれたミルクカウ(乳牛)がいた
歩き方見りゃすぐわかる
オイみんな、ちょっと待った、動くなよ
ここらでちょいと変えようぜ
今朝起きて
ドアの外を見ると
おいぼれたミルグカウ(乳牛)がいた
歩き方見りゃすぐわかる
もし俺のミルクカウを盗んでも
ちゃんと連れて帰って来てもらうぜ
ミルクもバターもありゃしない
あの牛がいなくなってから
おまえにゃよくしたつもりさ
夜遊びなんかやめて
脆いてお祈りでもするんだな
おまえはきっといつか
この俺が恋しくなるさ
俺にこんな仕打ちをしたのを悔やむだろう
いくぜ、みんな
夕闇に
陽がきれいに沈む頃
夕闇に
陽がきれいに沈む頃
月さえも淋しそう
ベイビーがいないと
おまえとうまくやっていこうと一生懸命努力した
教えてやるさ、俺がこれからどうするか
プライドを捨て
おまえをおいて出ていくよ
信じないのなら俺が何日帰らないか、数えりゃいいさ
おまえはきっといつか
この俺が恋しくなるさ
俺にこんな仕打ちをしたのを悔やむだろう
(翻訳:川越 由佳氏)
エルヴィス・アット・サン (BMG)
エルヴィスがサンレコードで録音、リリースしたものは、すべてカヴァーでしたが、そのどれもがエルヴィスならではの解釈がみなぎるものばかり。オリジナルを超える傑作揃いで、誰にも似ていないパフォーマンスが楽しめます。
現代のロック、ポップスと比べると迫力がないと感じるかもしれませんが、そこには誰も真似のできないエネルギーがみなぎっています。
オールクリアできるエネルギーが疾走する。
映画「エルヴィス・オン・ステージ~スペシャル・エディション~」を観れば 分かりますよね。
エルヴィス・プレスリーがどんなに美しいロックンローラーか。
原点にして、他の誰とも違う、オリジナルに満ちているか。
ロックンロール誕生から50年。
世界中の国々のラジオ・ステーションが、7月5日に一斉にエルヴィスのデビュー曲にして、ロックンロール誕生となった「ザッツ・オール・ライト」をオン・エア。
イギリス、アメリカなどのハードロック・カフェでも50周年記念キャンペーンを開催。
昨年は日本のハードロック・カフェでも歩調をあわせてエルヴィス・キャンペーンでエルヴィスの好物をメイン・メニューにして大々的に宣伝していた今年はパスのようです。
ただ店内では、運がよければ、本国のプロモ・ビデオが拝見できるので、もしお時間あれば、どうぞ。
食べ物は脂っぽいものばかりで量もたっぷり目なので、ご年配の方にはハードかも。
でもアメリカでは90歳くらいの方でも食べているものなので、ロックンロールする気があるならOKでしょう。
プロモの方はビートルズらしき4人組をはじめスーパースターらしき人物が次々と1台の車に載り合わせ、砂漠を走りぬけていきます。
向かうところはロックンロールの聖地メンフィス・・・・・そこでロケン番長、エルヴィスらしき人物が登場して・・・という内容。
エルヴィスのR&Bには生命のエネルギーがある
さて、サン・レコードで録音した「ミルカウ・ブルース・ブギー」を聴くたびに感じるのは、決意する瞬間の人間の美しさ。
過去をオールゼロにできる人間の強さと魂の高貴のすてきです。
オールクリアできる年齢って限界あるというのが日本的な考えでしょう。
「最近はそれじゃいけないよ」って風潮がでてきたようですけど、オールクリアすることを恐れてはいけないですよね。
幼児や少年は、両親や家を失うような大きな不幸にあっても、わりあい明るく、平気にしています。焼け野原の東京のど真ん中に放り出された戦災孤児たちがたくましく生きていった姿が、そのことをよく現わしています。彼らは、大人のように、うちひしがれたり、悲しんだりはしませんでした。路上生活となったり、靴みがきをしたりしながらも、雑草のように強く生きていったのです。幼少年が生命力に富んでいる、いい証拠です。
それに対して、身体の弱い人や、中年以後になると、ちょっとした不幸・不運にもガッカリし、気力を失う傾向があります。生命力が乏しくなっているからです。
しかしエルヴィスのサードシングル「ミルカウ・ブルース・ブギー」には、「チクショー、こんなことやってられるか」と腹のソコから突き上げる思いを、頭ではなく身体で、受け止めて、キラキラが一層キラキラしていきます。エルヴィスのR&Bには生涯キラキラがありました。あのハワイライブでも、<スティーム・ローラー・ブルース>で自らの緊張を解き放ちました。
<ミルカウ・ブルース・ブギー>では、精神と肉体を信じて疾走する人間の解放による恍惚。いかなる不安も、なぎ倒していく痛快がチョー魅力です。
声とマンブリン唱法とヒーカップ唱法がこれ以上にないハマりっぷり。
問答無用のドライブ感が、ふやけた魂に蹴りをいれるかのようです。
これに勝るものは、赤ん坊の泣き声しかないでしょうに。
その後、これほど躍動感と衝撃をもったサウンドは、初期のビートルズとセックス・ピストルズしか知らないですね。
50年も前の歌だけど、おそろしいくらいに新鮮。だって歌っているのは19歳の青年による19歳の精神だもんね。
聴く側がいくら年取ったって、エルヴィスの方は19歳のまま。
どんな聴き方したって、個人の自由だけど、できれば19歳の精神で聴けたら楽しいかも。
妙にありそうで、実はない分別で聴くのが、一番身体にも精神にも悪いと思う。
年とったって、よほどのことがない限り、19歳と本質的には、そう大して変わら ないのが一般的ですからね。
ここは、「あんたの白い靴は立派だけれど、オレの青い靴を踏むなよな」の精神で行きましょう。
個人的には、エルヴィスが遺したなかでも、「ア・フール・サッチ・アズ・アイ」がなんといっも、声とスイングの魅力で一番好き。
だからと言って、「「ア・フール・サッチ・アズ・アイ」はあんまり」といわれても、「あ、そう」で、終われるけど、「ミルクカウ・ブルース・ブギー」の場合は、そうはいかないですね。
「ミルクカウ・ブルース・ブギー」が嫌いという人には、そんならエルヴィス聴くなよな」といいたいくらい入れ込んでしまう曲ですよ。
しかも、これが19歳のパフォーマンスですよ。
ロックンロール50年の重みは牛何頭分なんだろうね。
この曲や軍隊行くまでのエルヴィス聴くには、聴くほうにも、根性なければ聴けないですよね。
19~23歳の、しかも世界中の文化を変えてしまったエネルギーに付き合おうっていうわけですから、半端じゃないエネルギーが入りますよ。
エネルギーを必要としないサウンドなら、それこそ化石です。
その点、バラード聴く分には、癒されてしまえばいいわけですから、心地いいのは当たり前ですよね。
でもね、前回も書きましたけれど、「エルヴィス・オン・ステージ」を劇場で観ていて、心のソコから再認識。
エルヴィスは(広義の)ロックンローラーですよ。
「アイ・ガット・ア・ウーマン」のクネクネなんて、最高にして唯一無二。思わず拍手してしまいますよ。
「ハウンド・ドッグ」「ハートブレイク・ホテル」なんか、やっぱりエルヴィス最高としか思えない。
「ポークサラダ・アニー」なんて「ミルクカウ・ブルース・ブギー」の続編の趣さえあるじゃないですか!バラードだってロックンロールの延長にあります。
エネルギーがあれば、集中力もうまれます。
「この胸のときめめを」でドラムスの音に、エルヴィスの感情がドンピシャあって、その時、エルヴィスの幸福な表情。そらもう。こちらまで幸福な気分。
それが早いリズムであるほど、その一瞬が集中力の高さをメッセージしてくるわけです。
エルヴィスは、エネルギーが衰えたりせずに、70年代中盤になっても、レコーディングでは集中力の高さはキープされていますよね。
病が身体を蝕んでも、戦っている。
戦って出した回答が、遺されたパフォーマンスです。
1976年「メンフィスから愛をこめて」なんて、「どうしてしまったの?エルヴィス」という疑問の声も多いアルバムだけど、自宅での録音もあって録音状態はともかく、内容的には、特別なものがあります。
聴き手が変わろうとしていないだけで、やっている方はリセットし直そうとした結晶ですよね。
治まってしまったら終わり、混乱こそ疾走の証です。そんなこと何も語っているわけじゃないけれど、心の底に沈めた言葉が歌と一緒に飛び出してくる傑作です。
つまり、「ミルクカウ・ブルース・ブギー」の戦闘的なまでのドライブ感が、最後まで続いていた気がします。
ロックンロール50年。
“THE REVOLUTION OF SOUND”は”THE REVOLUTION OF CULTURE”でもありました。
1954年の魂にありがとうを。
そして1977年の魂に、畏敬の念を。
マンブリンとヒーカップに力をもらいながら、2004年のキャンドルは、部屋に用意した水の中で、灯りがともるのを待っています。
1954年7月5日、
この日からすべてが始まった。
エルヴィス・プレスリーがサン・レコードに吹き込んだ歴史的な音源をまとめた編集盤。
新たに発見された貴重な未発表曲も収録されたロック愛好家、垂涎アイテム。
エルヴィス・プレスリー とは、何者だったのか
エルヴイス・プレスリーはロカビリーからはじまり、ロックの発展に大きな影響を与えただけでなく、人種差別〜公民権運動〜アメリカの歴史に貢献している。
ロカビリー・ミュージックは、ロックとヒルビリーの融合である。ヒルビリー・ブギとは、40年代にアメリカ黒人がブギ・ウギのリズム とカントリー・ミュージックの組合せを試みたもので、あらゆるロックとしてのカントリー志向の高い音楽である。
アメリカ・カントリー・ミュージックの最初のスタイルは英国諸島から 人々によって発展し、主にアメリカ南部に定着した。これは物語をくり広げる歌やダンスがあり、結果から言えば、ジャズやブルーズドラムスやサクソフォンが一部のカントリー・スタイルに影響した ものの、当時の多くのカントリー・パフォーマーはアメリカ黒人によって音楽との結合には抵抗を示していた。アメリカ白人は黒人音楽のブルーズやリズム&ブルーズに関心をふくらませてはいたが、黒人音楽の方を買う物はほとんどいなかった。
そこに目をつけていたのが、サム・フィリップスだ。「黒人のように歌えるシンガーがいたら、億万長者になれる」・・・その夢を叶えたのが人類史上初のアーティスト、エルヴィス・プレスリーだった。この女性たちの絶叫、熱狂に集約されている、
エルヴイス・プレスリーの登場により、瞬く間に白人の中へロカビリー・ミュージックが定着していったのである。
エルヴイスが大手RCAレコードに移籍することで、決して経営が順調でなかったサンレコードを救ったのもエルヴィスだった。黒人ミュージシャンの音楽をリリースしていたサンレコードにはエルヴィスに憧れ、フォローするミュージシャンが集まっていた。<ロック・アラウンド・ザ・ロック>がヒットしても、サムの答えはノーだった。本物を聞き分ける能力を持っていたサム・フィリップスは移籍料で得た資金を使って彼らをデビューさせた。ロックンロールナンバーが相次いで発表されて、アメリカ南部テネシー州で起こったロックンロールがエルヴィスによって全米に広がりエルヴィスを追いかけて全米に広がりブームになった。チャック・ベリー、リトル・リチャードら黒人のレコードも売れるようになった。公民権運動にも火がついた。
The King of Rock’n Rollはエルヴィスにふさわしい称号だったのだ。エルヴィスがいなければロックという音楽は存在しなかった。
しかしエルヴイス・プレスリーの音楽は黒人音楽の伝統、白人音楽の伝統のいずれにおいても前例のない誰も真似のできないものだった。エルヴィスがサムの秘書にインタビューで答えた「僕は誰にも似ていません」は生涯通して真実だった。
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