1955年11月、テネシー州メンフィスのサンレコードから、RCAビクターへの移籍が決定したエルヴィス・プレスリーは、翌56年1月10日RCAのナッシュビルスタジオ入り、レコーディングを開始した。
56年2月22日、ビルボードHOT100に68位に初登場ランキングされた。その後、上昇を続け4月25日の全米ナンバー1になり、7週連続ナンバー1を続けた。The King Of Rock ‘N’ Roll神話が始まったのです。
ただひとりの男/I Was The One
RCAに移籍後、ナッシュビルのRCAスタジオで、2日目にレコーディングしたのが、「ただひとりの男/I Was The One」
I was the one who taught her to kiss
The way that she kisses you now.
And you know the way she touches your cheek,
Well, I taught her how.
I was the one who taught her to cry
When she wants you under her spell.
The sight of her tears drives you out of your mind,
I taught her so well.
And then one day
I had my love (lover) as perfect as could be.
She lived, she loved, she laughed, she cried,
And it was all for me.
I’ll never know who taught her to lie.
Now that it’s over and done,
Who learned the lesson when she broke my heart?
I was the one.
さて、ここで面白いのが、The(=定冠詞)です。
“The One”の面白さ
The(=定冠詞)がついたThe Oneはただの1ではありません。
なので「ただひとりの男」より「世界でひとりの男」の方が正しいのでは?と思います。
アメリカでThe kingといえばエルヴィスをさします。Theがついているのでエルヴィス・プレスリー以外には存在しません。エルヴィスの別名のような位置づけです。
このレコードはエルヴィス・プレスリーの全米デビュー盤です。
この段階で、一生、その後もエルヴィスに付いて回るThe King Of Rock ‘N’ Rollはまだ誕生していません。つまり”I was the one”の the oneは、未来を予見していたようで面白いと思うのです。
同じくthe one.は「そいつ」「あいつ」「こいつ」つまり「俺」しかいないということになります。その俺は、たくさんいる男たちの中の唯一無二の俺ではないのです。エルヴィス・プレスリーやあなたがひとりしかないように、「大宇宙にひとりしないいない俺」なのです。
いま君に彼女がしているキスのやり方がそうさ。
彼女が君の頬を触っていただろ。
俺が教えたのさ。彼女に泣くのを教えたのは俺さ。
君を求める魔法がそうさ。
彼女が泣くと、君はおかしくなるだろ。
俺がたっぷり教えたんだ。俺はパーフェクトな愛を手にしていた
彼女は笑い、泣き、愛して、生きたのさ。
俺のために。俺は知らないよ、誰が嘘のつき方を教えたのか。
いまはそれも終わったこと。
彼女が俺の心を砕いたとき、学んだのは誰?
俺だったのさ。
最後の“I was the one”を持ってくることで、オチになり、物語を完成させています。
ディーン・マーティンやドリス・デーが歌っていた曲「Somebody Love you」では、最後に「それは僕(私)」というオチがあります。同じ手法です。
「ただひとりの男/I Was The One」のエルヴィスは、いま、あるいは今後、彼女が誰と恋に落ちようが、一生、俺を忘れることはないのさと言ってるようです。
裏返せば、俺は彼女が忘れられない、二人はいまもこれからも相思相愛さと言う訳でです。
中島みゆきがよく使う「逆説」の手です。
誰もが好きだという”ロカ・バラード”の傑作
ジーン・ピットニーのマネジャーもやったアーロン・ハロルド・シュローダー、ビル・ペッパーズ、クロード・デミトリウス、ハル・ブレアの4人の共作によるエルヴィスのオリジナル。
アーロン・ハロルド・シュローダーはフランク・シナトラ、ナット・キング・コールにも曲を提供しています。
バックコーラスにはザ・ジョーダネアーズのゴードン・ストーカー、ベン&ブロック・スピアの3人。エルヴィスは典型的な50年代のバックコーラスとの絡みを活かしたR&Bスタイルを早くも成熟したヒーカップ唱法(しゃくり唱法)でエモーショナルに歌います。
A面があの衝撃的な「ハートブレイク・ホテル」だったので、添え物のような印象がありますが、どうしてどうして身体に音符を突っ込みエクスタシーをえぐり出すような傑作です。
ロックンロールの王道を疾走したキングとバディ・ホリー
ロックンロールは、カントリーとR&Bの融合だという定説を体現していたのは実際にはエルヴィスだけでした。当時ロックンロールはカントリーが中心でフォークソングに近いものでした。
エルヴィスに衝撃を受けて、エルヴィススタイルをフォローしたのが、バディ・ホリー(クリケッツ)です。エルヴィスはドラムスを編成に入れていませんでしたが、クリケッツは、ギター×2、ベース、ドラムズの編成で、ロックバンドの基本編成になりました。
エルヴィスに感銘したイギリスのバンド、ビートルズがクリケッツをモデルにしたのも頷けます。
バディ・ホリー(Buddy Holly)は 「Girl on My Mind」「You Are My One Desire」で恋する女性に取り憑かれたような感情を歌い上げています。日本では矢沢永吉「アイ・ラブ・ユー・OK」
しかし、エルヴィスに憧れ王道を疾走したバディ・ホリーですが、エルヴィスが留守中の1959年2月3日、ツアー移動中の飛行機事故で22歳の若さで亡くなります。同乗していたリッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーも亡くなり、この若いロックンローラー達が亡くなった日は「音楽が死んだ日」と呼ばれました。
ロックンロールは歌詞がつまらないと脚本の粗末な映画のようになってしまいます。
「ただひとりの男/I Was The One」は、歌詞と堂々とした歌いっぷりが絶妙なバランスで男女どちらにも官能的な共感が竜巻のような共感が起こる展開になっています。
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