1959年11月にすべてのチャートからその姿を消したエルヴィス・プレスリーだったが、60年3月に除隊するとすぐ3月20、21、30 日の3日間、新曲<本命はお前だ/Stuck on You>のレコーデイングにとりかかった。ナッシュヴィルのRCAスタジオに新設されたBスタジオ にはスコツティ・ムーア(ギター)、ボブ・ムーア(ベース)、ハンク・ガーランド(エレキ・ベース)、D.J.フォンタナ(ドラムス)、バディ・ハーマン(ドラムス)、フロイド・クレーマー(ピアノ) 、ザ・ジョーダネアーズ(コーラス)らが待ちうけ、3 日間でこのシングル盤2曲のほか全6 曲をレコーディングしている。特にシングル用は超スピードでファンの前に登場、待ちに待ったニューシングルで、発売前にすでに120万枚以上の予約が殺到した。アーロン・シュローダーとJ ・レスリー・マクフアーランドの共作‘で、本国のHOTIOOで久々にナンバー・ワンを記録しただけでなく、英国、カナダ、オーストラリアでもナンバーワンを記録、R&Bチャート(6位)カントリー・チャート(27佼)ても話題になった。3 月26日収録されたABC-TV ”The Frank Sinatra Timex Showの特番WelcomeHome, Elviis。(5 月12日放映)に12万5000ドルという破格のギャラでネルソン・リドル・オーケストラをパックにこのナンバーと裏面の<恋にいのちを>を歌い、シナトラとのデュエットも披露した。入隊前すぐにブームは終わると言ったシナトラも完全脱帽、以後友人関係は続いた。
本命はおまえだ/Stuck on You
エルヴィス・プレスリーのアルバム『ワールドフェアの出来事(ヤング・ヤング・パレー ド)』が27,000円で中古レコード店に並んでいた。アーミー姿のジャケットのシングル<本命はおまえだ>が18,000円。いいねえ、いいねえ、やっぱりきちんと評価されている。嬉しくなる週末だ。
1960年3月3日に正式に除隊、列車「テネシアン号」でメンフィスに到着したのが3月7日。3月20日にRCAナッシュビルBスタジオに駆け込むように録音 に参加、徹夜で取り組んだなかのひとつが<本命はお前だ/STUCK ON YOU>。裏面には<恋にいのちを>が収録された。なんと除隊1週間後の28日に全米でリリースされた。
<本命はお前だ>は除隊第一弾、不安と自信をもって世に送りだされた作品であり、もちろん大ヒット。
いかに急いでいたかが伝わるエピソードだが、それもそのはず前年11月時点で全米のあらゆるチャートからエルヴィス・プレスリーの字は消えていたという。
しかし本曲のニュースが流れると、ファンが待ちかねていたように、予約が相次ぎ予約段階でミリオンセラーを記録。
発売2日前の26日には伝説の『フランク・シナトラ・ショー』にも出演し、復帰を加速した。<本命はお前だ>は軽快なロック・チューンとして、エルヴィス のキャリアの中でもコミカルな味が忘れがたい曲だ。尚、本曲は『ELVIS IS BACK!』に収録されていないのが、あるべき姿だ。
それほどのエルヴィスである。普通の人々にとって、エルヴィス最大の謎は、エルヴィスほどの富と名声と獲得した人がなぜその芸術の評価を下げるような作品 に手を出したのか?もっと自由に仕事を選択できたはずだという疑問。たとえマネジャーがそれを望んだとしても、拒絶できたはずだ。という思い。また、身体を壊す程にステージに立たなくてもよかったのでは?という思い。
あるいは、ボブ・ディランらに代表される「生への活気のなさ」という類いのもの—–もてる才能を十分に発揮しなかったという意見。結論から言うとエルヴィスのおかれた状況からすれば、エルヴィスに選択肢はなかったようにしか思えない。それ以上のことを求めるのは酷なのだ。エルヴィスはその人生の時間に於いて可能な限り戦ったのだ。 もし許され、もう少し時間が与えられたなら、そこで違うやり方を具現する可能性はあっただろう。
映画「グレイスランド」
映画『グレイスランド』は、心に傷を負った若者が、ハーベイ・カイテル扮する流浪する胡散臭い「エルヴィス」と出会い、グレイスランド(エルヴィス邸)をめざし、やがて癒されていく物語はエルヴィスを知らない人の心も撃ち抜く感動の映画です。
「エルヴィス」が何者なのかについて、観客にはバイロンよりひとつだけ多くヒントが与えられている。冒頭で、ヒッチハイクの「エルヴィス」 を乗せたトラックの運転手が、彼を降ろす際にこんなことを言うのだ。
救われたよ。あんたと過ごした数日間でまた勇気が出た」
それはほとんど「神」への感謝の言葉である。最初は気がつかないが、物語が展開していくにつれて、その運転手の言葉の重みが徐々に増してくる。
この「エルヴィス」は実は、「神」ではないのか?
だが、もし「エルヴィス」が「神」だとすると、ひとつだけ理解できないシーンが出てくる。
メンフィスの「グレイスランド」に着き、そこに建つプレスリー邸にバイロンと共に忍び込んだ「エルヴィス」が、邸内に誰もいないのを知って泣き崩れる。「こんなはずじゃないのに……誰ひとりいない..……」それは「エルヴィス」が「生きているプレスリー」であることを物語っているのか、単に「工ルヴィス」を演じている流れ者にすぎないことを暗示しているのか、あるいは「神」もまた泣くということを意味しているのか。そこをどう理解するかによって、この映画の姿は微妙に異なって見えてくるかもしれない。
だが、たとえ流浪する「エルヴィス」をどう捉えるにしても、そのシーンによって、これが単に癒される者の幸せを描いた作品ではないということは伝わってく る。この『グレイスランド』という映画は、癒す側の不幸、あえていえば、癒すことでしか癒されない者の不幸を描いた作品でもあったのだ。
(『世界は「使われなった人生」であふれている』沢木耕太郎 著:暮らしの手帖社刊)
以上は、沢木耕太郎さんが書かれた『世界は「使われなった人生」であふれて いる』の一章「プレスリーがやって来た」からの抜粋である。
エルヴィスとは何者だったのか
「癒すことでしか癒せない」—–この言葉は人間エルヴィスを理解する上で重要なキーワードだ。癒すことに自分の生命、存在価値を自ら感じ取る。エルヴィスの人生はそれに使われたと感じている。
以前ゴスペルとの関係でも取り上げたテーマであるが、ボクはそのようにしか生きられなかったエルヴィスの哀しみを愛して来たし、少なくともエルヴィスの死後は、毒を持って毒を制するがごとくエルヴィスの哀しみによって自らを癒して来たのだ。
エルヴィス死後、その音楽から離れて神格化されていく。その傾向への批判も一方ではある。それがいたずらにファンの惜別の思いのみによってのこととは思え ない。エルヴィスが何をして何者だったのかのかを求めれば求めるほど、つまり人間エルヴィスを思う程、俗に言う「神格化」の傾向は自分の中でも強まる。
映画『グレイスランド』はそのことを語った映画であったと思う。しかし『グレイスランド』という映画はエルヴィス・ファンをターゲットにした映画ではない。エルヴィスを借りたロード・ムービーだ。つまり人は何かに依存し人生を生きているというのがテーマであり、この作品を通してエルヴィスの真実を伝えようとしたのは、人間の普遍を伝えようとしたにすぎない。
ここで使用された<ロング・ブラック・リムジン>は、自分の存在価値を示すために都会に出て行った者の末路を歌ったものだし、<明日への願い>も叶わぬ思いを歌ったものだ。
登場するマリリン・モンローは、癒されることで癒すことができる、癒される者の終わりのない不幸を生きた女優であった。
結局、エルヴィスもモンローも、自分の存在価値を追い求め、他人からすれば究極の幸福に辿り着いた者である。そう見なされながらも、見なされるがゆえに、 より存在価値証明の迷路に迷い込み、疲れ果ててしまったのかも知れない。
エルヴィスは壊れていた少年だった。モンローはそれ以上に壊れていた少女だった。
精神が不安定で依存症の傾向にあった母親の嘆きを聞きながら、それを自分の責任と思い込んだ少年。幼少の頃に、母親は精神病院に入院、親戚を転々とし、孤児院に暮らした少女。
「自分は無用の子」と感じてしまった、いわゆる「トラウマ」との戦い。エルヴィスもモンローも、自分の存在価値を自らが感じる唯一の方法は、他者に受け入れられることだ。嘆いている母親とご機嫌な母親の狭間に暮らす緊張の日々、自分で生計を立てられない無力な幼い子にとって母親がご機嫌なことは自分の居場所を獲得できたこ とを意味する。
反対に不安定な母親を見るのは、居場所がなくなる「恐怖」なのだ。母親のいい子になるのは、自分の居場所を獲得する戦いである。それが毎日続くーーー「波風立てない」「従順」が生活習慣として身についてしまうのは不思議でない。もっと正しくいうなら身につけることが「生活の知恵」「生存する ための技術」を修得することなのだ。
エルヴィスの痛みの原因として、プリシラ・ショックが多く語られる。その本質は「癒す対象をなくしたことで、自分が癒されなくなった」ことにある。つまり 痛みの本質は「自分の居場所がなくなった」ことにある。その意味に於いて、プリシラはグラディスの代理である。自身もまたグラディスの代理である。人気者となり、わが子が手許から遠ざかることに寂しさと無力感を感じ身体を病んでいった母親をなぞったのだ。
つまりエルヴィスはもともと「癒すことでしか癒されない」性質だったのだ。それは母親から受け継いだ生への基本姿勢である。そこから生まれた情念の凄さ、言葉にできない生への熱い願いと挫折感の激突が、人 の胸を抉りとるように、ロックンロールしたのだ。バラードもエルヴィスにはロックンロールだった。つまりエルヴィス・プレスリーというカテゴリーなのだ。
幼少のモンローはエルヴィス以上に受け入れてくれる者がなく、受け入れてくれることを求めた。美しくかわいく才能も豊かに成人したモンローは、才人から受け 入れられたが、幼少時に心に深く刻まれた「受け入れてくれる者などいない」という思いは、受け入れてくれる者を疑い、これでもかとばかりに試すことを繰り 返した。誰をも信じないこと、愛さないことが、自分を守るための「生活の知恵」「生存するための技術」であり、結局モンロー愛した者たちは深く傷つき、断腸の思いで別れることを余儀無くされた。
なるほど多くの人は、エルヴィスほどの富と名声と獲得した人がなぜその芸術の評価を下げるような作品に手を出したのか?もっと自由に仕事を選択できたはず だという疑問を持つ。たとえマネジャーがそれを望んだとしても、拒絶できたはずだ。という思い。また、身体を壊す程にステージに立たなくてもよかったので は?という思い。不思議に見えることこそ生活習慣として身につけてしまった「生活態度」であり、頑に信じて疑わない「生存するための技術」なのだ。
マネジャー・パーカー大佐とエルヴィスとの間で意見の食い違いがあったと仮定する。エルヴィスは幼少の時から、自分の面倒をみてくれる者の態度、表情に敏感である。ひとつのため息がどれほどエルヴィスの心を痛めつけるか、それは当人でないと計り知れないのだ。母グラディスがご機嫌であれば嬉しかったのと同じようにパーカーがご機嫌なら、その瞬間「万事はうまく行っている」と思ってしまうのだ。
仮にグラディスの機嫌が悪くても、それは隣人のせいかも知れない。役所のせいかも知れない。パーカーが悩んでいても、個人的な問題かも知れない。
しかし突然のように変化するグラディスの表情を見て来た少年には、「次の瞬間が恐い」のだ。思うにこのような状況は、変化を極端に嫌がる性格を形成する。 結局変化を嫌い「万事はうまく行っている」状態を好むようになる。実際の状態など関係ないのだ。
言われるようにハリウッドが製作したエルヴィスの映画が、「クソ映画」だったにしても、『エルヴィス・カントリー』のジャケットのエルヴィス坊やの痛みがそこにあることを知ったなら、それを愛おしみ、ポップコーンの塩味はさらに塩がきいて、楽しめるはずだ。「一人の人間が懸命に生きていることが伝わるだろう」、そこにあるのはア カデミー作品賞をゲットする作品が訴えている多くの主人公の姿そのものなのだ。
「エルヴィス映画」—–それは素晴らしい戦いの記録だ。ボクは自分だけのアカデミー賞をこれらの作品にあげる。エルヴィスに「がんばったね。」と言ってあげたい。それは自分に向けたエールでもある。
身体を壊す程にステージに立たなくてもよかったのでは?というシンプルな謎には映画『エルヴィス』が真実を答えてくれた。もしステージ立たなかったら、もっと苦しんだだろうと思う疑問は謎のままだ。自分の存在価値を感じる居場所がなかっただろう。
ここでいう存在価値とは客観的なものではない。あくまでエルヴィス本人の感じ方なのだ。
自分の意志とか関係のないものに突き動かされる日々。本人の意志ではない本人の思いに支配されながら、頂点を疾走したエルヴィスとモンローが、永遠のポップ・アイコンになったのは決して偶然でない。それは彼等が明確な言葉で語っていなくとも、大衆は彼等が発散するオーラに秘められた「謎」を感じ取っている からだ。その謎こそ国境を超えて「多くの人が持ってしまった謂れのない罪の意識」。それは同胞の思いなのだ。世界は傷ついてしまった人で溢れているのだ。
神格化されていくのは、彼等に自分を投影する大衆のカタルシスなのだ。 ショー・ビジネス、プロ・スポーツに生きるものが担っている役割である。大衆は彼等に自分の出来ない夢を託す。どのように賛辞され、どのように批判されようが、イチローの偉業は野茂を追った点にあると思う。野茂の偉業は日本のプロ野球の殻を破って海を渡ったことに ある。モンローは将来を夢見て裸身をさらけだしたことにある。
そしてエルヴィス・プレスリーの偉業は—–サンレコードのドアのノブを回したことにある。その瞬間、少なくとも彼等は、「自分を生きた」—–そしてその時、運命の女神はよそ見をしてなくて、にっこり頬笑んでくれたのだ。どのように賛辞され、どのように批判しょうが、ほとんどはエルヴィスのようにドアのノブは回せないのだ。間違いなくこの瞬間、エルヴィスは自分を愛し信じた。
素晴らしい瞬間と、それを点にしてそこから続く一本の線。サンのレコー ドには、ピカピカの精霊が躍動しながら宿っている。少なくともエド・サリバンショーで<谷間の静けさ>を歌い終わる瞬間まで、エルヴィスはその人生でもっとも自分を愛した時だった。ボクにはそれがたまらなく嬉しい。なぜならこんなようにこれほどまでに、自分を愛せる瞬間を持てる人は世界に多くもないし、それゆえ勇気を与えるものだからだ。
自分は正規盤しか聴かないのを本分にしているのだが、『TASCON’76』を聴いて、もうここには力尽きて誰をも、癒すことができなくなったエルヴィスが立っていることを存分に知らされた。しかしここでも—–サンのドアを開けたエルヴィスが<ダニー・ボーイ>を口ずさんでいるのも知らされたのだ。
「『エルヴィス・イン・コンサート』はエルヴィスの遺書。もうエルヴィスはここにはいないのだよ。と言っている。辛くても目をそむけてはいけない」 —–鈴木喜久雄氏の言葉だ。私は思わず胸がつまったが、そうなのだ、目を背けてはいけない。しっかり見据えれば見えてくる。
ジャンプスーツのエルヴィス、リーゼントのエルヴィス——。「人は他人と違っていても、違っていなくても、いるだけで存在価値がある。」それを伝えていくことが、エルヴィスを聴いた者の役割なのだ。エルヴィスがあんなに、命をかけて、求めたもの—。それを伝えなくては——。
「人は他人と違っていても、違っていなくても、いるだけで存在価値がある。—だから、自分の開けたいドアを開けていいのだ、本命はおまえだ。しっかり自分を信じて離さずに行け。」と。18,000円のシングルをご堪能あれ。これはストーカーの歌ではない。自分に賭ける歌だ。自分を愛する歌だ。
♪ 木になるリンゴを振り落とせる君も
僕のことだけは振りはらえない
Uh-huh-huh、絶対無理だね
糊みたいにくっついてやる
だって僕は、君にゾッコン
その長い黒髪を撫でながら
クマよりもきつく抱きしめてあげる
Uh-huh-huh、本当だよ
糊みたいにくっついてやる
だって僕は、君にゾッコン
*キッチンでも廊下でも構わない
どこに隠れたって同じこと
君に口づけを始めたら
天地がひっくり返ったって放さない
どんな手だって使ってみせる
二人が一緒にいられるなら
Uh-huh-huh、そうさ
糊みたいにくっついてやる
だって僕は、君にゾッコン
* くり返し
どんな手だって使ってみせる
二人が一緒にいられるなら
Uh-huh-huh、嘘じゃない
糊みたいにくっついてやる
だって僕は君にゾッコン
糊みたいにくっついてやる
だって僕は、君にゾッコン
糊みたいにくっついてやる
だって僕は、君にゾッコン
THE KING OF ROCK’N ROLL—-その言葉は重い。
ELVIS is BACK
1.Make Me Know It /きみの気持を教えてネ
2. Fever /胸がもえたぜ
3. Girl of My Best Friend, The /奴の彼女に首ったけ
4. I Will Be Home Again /キット帰ってくるからね
5. Dirty, Dirty Feeling /すさんだ気持
6. Thrill Of Your Love /恋のスリルに比べれば
———————————————
7. Soldier Boy /固い枕の兵隊暮らし
8. Such A Night /キッスにしびれた
9. It Feels So Right /いかすぜ!この恋
10. Girl Next Door Went A’Walking /隣のあの娘
11. Like A Baby /ライク・ア・ベイビー
12. Reconsider Baby/考えなおして
ところで、このアルバム<ELVIS IS BACK!>のオリジナルジャケットは上のものだ。
さらに上の<SUCH A NIGHT>は日本盤でアルバム・タイトルは最初が<エルヴィスが帰ってきた!>その後<キッスにしびれた>に変わった。曲順もSIDE/Aと/Bが入れ替わっていて、しかもSIDE/Aの1曲目には「キッスにしびれた」を据えていた。
現在セールされている右下のアップグレード盤にはオリジナル盤には収録されていない復帰第一作のシングル<Stuck On You/本命はお前だ><Fame And Fortune/恋にいのちを>が収録されている。
このアルバムはそのタイトルからも分かるように兵役を終えてドイツから帰還したエルヴィスの記念すべきカムバック第1作だ。
これはキャリアの中でも意欲的な作品が多く集められている。ロックンロールというよりはリズム&ブルースが主体だ。しかしブラックさが強く匂わずにポップな香りにしあがっているところにエルヴィスの声、歌唱力、イマジネーションの凄さと当時の音楽界の状況を察することができる。
『ELVIS IS BACK!』は1960.3~4月にかけてナッシュヴィル RCA.Bスタジオで録音、その様子は<ELVIS PRESLEY/SUCH A NIGHT>で知ることができる。<1.Make Me Know It /きみの気持を教えてネ><7. Soldier Boy /固い枕の兵隊暮らし><9. It Feels So Right /いかすぜ!この恋>の3曲を除いてギター/スコッティ・ムーア、ドラム/D・J・フォンタナが参加している。<Reconsider Baby/考えなおして>でエルヴィスとブルージーなカッコいい掛け合いをするサックスはブーツ・ランドルフ、ピアノ/フロイド・クレーマー。おなじみのジョーダネアーズがバックコーラスを担当。エルヴィスもギターを弾いている。
快調なロックンロール・ナンバー<Make Me Know It /きみの気持を教えてネ>は<Don’t Be Cruel>のオーティス・ブラックウェルがエルヴィスのために書き下ろした作品。エルヴィスの60年代を代表する傑作のひとつだ。後年マドンナも歌ってヒットさせた< Fever /胸がもえたぜ>もオーティス・ブラックウェルの作品だ。
1965年のコロムビア映画『いかすぜ!この恋』にファンからのリクエストで<It Feels So Right /いかすぜ!この恋>と共に挿入された< Dirty, Dirty Feeling /すさんだ気持>は<監獄ロック>を書いたリーバー&ストウラーのコンビの作品とエルヴィスの帰還を祝うにふさわしい顔ぶれだ。
さて、このアルバムにふさわしいタイトルのきれいなナンバー< I Will Be Home Again /キット帰ってくるからね>は西ドイツで知り合ったプリシラにデイトで歌ってきかせたという伝説の曲。
アルバムからのシングルカットとしては随分遅れて1964年に<Such A Night /キッスにしびれた>1965年に<It Feels So Right /いかすぜ!この恋>がリリースされている。<Such A Night /キッスにしびれた>はドリフターズが1953年にR&Bチャートでヒットさせたご機嫌なナンバーだ。エルヴィスの<エッセンシャル・エルヴィスVol.6~Such A Night >ではtake2~take4が収録されている。
<Girl of My Best Friend, The /奴の彼女に首ったけ>はイギリスでシングルカットされ1960.1970年の2度ベスト10にチャート・イン。本国アメリカではエルヴィスそっくりな声で歌うラル・ドナーがカヴァーでシングル・リリースし、チャート・インさせている。
この度2000.4.21にリリースされたベストアルバム<ベスト・オブ・エルヴィス・プレスリー~アーティスト・オブ・ザ・センチュリー>には考え直した結果か、ベスト盤にはじめて?<胸に来ちゃった>や<強く生きよう><ポーク・サラダ・アニー>等の新しく選曲された楽曲とともに<Reconsider Baby/考えなおして>が収録された。今度のベスト盤は誠実さを感じますね。
さて、名曲<Reconsider Baby>は「新生エルヴィス登場!」とばかりに、かっての<ハートブレイク・ホテル>を再生させるかのように意欲と誠実で創られた迫力のある曲だ。自由人となったエルヴィスが喜々として取り組んでいるのだろうと容易に想像してしまう。いい!とにかくいい!サックスが豹にまとわりつく蛇のように蠢いているが、その隙間を走るようなピアノも甘味がなくていい。雷雨のようなギターが闇に赤い光りを送り込むように炸裂する。楽器がエルヴィスを引き立て、エルヴィスは楽器を引き立てる、そして最後の最後に豹が牙をむく。
長い暗い夜に訣別するかのような最後のフレーズ~why don’t you Reconsider Baby give yourself ~のReconsider Babyには思わず唸ってしまう。この言葉にこめられた感情がすべての楽器を超越してこの曲がナニだったのかを語り、このプレイのマスターが誰だったのかをはっきりと印象づける。
「君の気持は変わってしまったようだけど、考え直して」という甘い歌詞の曲。涙のようなピアノを押し殺し封じ込めるようにサックスが唸り、悲しく深く暗い夜の苦渋を語る。「もう一度お前の口から、愛していると言わせるぜ」とばかりにyou say you once have loved me~ギターが叫ぶ。まるでオレはナニがあっても生き抜くぜと言ってるようだ。
そして最後にとどめの言葉、Reconsider Babyの不敵。「考え直すのがお前のためだぜ、(でなきやオレは行くぜ)」きっぱり言い放ってしまっているような表現がエルヴィスらしい。
エルヴィスの妙に女性的な部分と野性的な面、挑戦と怠慢、謙虚と高慢、悪霊と癒し、ひとりの人間に見えるふたつの極端がここでも炸裂している。言葉と表現の落差が放つ危険。歌詞で判断したら地獄行きだぜ!ベイビー。
アップグレード盤ではこの曲に続いて大ヒット曲<Are You Lonesome Tonight?/今夜はひとりかい>が続いて収録されているが、<Reconsider Baby>の後では、まったく精彩を感じなくなってしまうほどに実に素晴らしい。
この<ELVIS IS BACK!>は極めて微妙なアルバムだ。本当ならエルヴィスはこのアルバム以降の活動は<Reconsider Baby>をコアにしてもよかった。当時そう判断するのは困難だったかもしれないが、そうしてほしかった!!!ね、そう思いませんか?エルヴィス・ファンの皆様がた!!お手を拝借(パチパチ)
入隊前、ロックンロールの熱狂は冷めるものとみんなが思っていた。あらゆるメディアはエルヴィスをすぐに枯れる金のなる木だと思っていた。少なくとも二番手、三番手の火の玉、ビートルズやボブ・ディランが登場する迄は。
エルヴィスが道を切り開いていく。優しい笑顔に潜む強靱な反骨心。たったひとりで黙々と—–。
ジョン・レノンは感じた。あの道を歩けばやがて大きな河があると—
ボブ・ディランは思った。そこに石が転がっていける道があると—-
ブルース・スプリングスティーンは風を追いかけて走りたいと思った。
しかし心の宝を金に交換することしか考えない奴ら「トム・パーカー大佐」「ヒル&レインジ社」はその路上にてエルヴィスに銃弾を浴びせた。
このアルバムは、そんなことを知らなかった、いえ薄々感じていたエルヴィスが、自身が置かれた環境の中で、自分の独創性を信じて意欲的に取り組んでいる作品。
だから、みんなココロして聴いてあげてくれたら、エルヴィスがあの笑顔で「THANKYOU VERYMUCH」って笑ってくれるはず。もう一度、お手を拝借(パチパチ)
まとめ
1959年11月にすべてのチャートからその姿を消したエルヴィス・プレスリーだったが、60年3月に除隊するとすぐ3月20、21、30 日の3日間、新曲<本命はお前だ/Stuck on You>のレコーデイングにとりかかった。3 日間でこのシングル盤2曲のほか全6 曲をレコーディングしている。特にシングル用は超スピードでファンの前に登場、発売前にすでに120万枚以上の予約が殺到した。本国のHOTIOOで久々にナンバー・ワンを記録しただけでなく、英国、カナダ、オーストラリアでもナンバーワンを記録。3 月26日収録されたABC-TV ”The Frank Sinatra Timex Showの特番WelcomeHome, Elvis。(5 月12日放映)に12万5000ドルという破格のギャラで出演、シナトラとのデュエットも披露した。入隊前すぐにブームは終わると言ったシナトラも完全脱帽、以後友人関係は続いた。<本命はお前だ/Stuck on You>は、ディズニー映画『リロ・アンド・スティッチ』にも他のエルヴィスソングと共に使用された。
糊みたいにくっついてやる
だって僕は、君にゾッコン
糊みたいにくっついてやる
だって僕は、君にゾッコン
エルヴィスの歌には複雑な歌詞は必要ない。言葉はどうでもいいのだ。歌声の行間に潜む想いが胸をノックするのだ。エルヴィスはもともと「癒すことでしか癒されない」性質だった。それは母親から受け継いだ生への基本姿勢である。母を頼りにし、母を愛し、幼い時から母を懸命に守ろうして生まれた情念の凄さ、言葉にできない生への熱い願いと挫折感の激突が、人の胸を抉るように、ロックンロールしたのだ。バラードもエルヴィスの姿勢はロックンロールだった。どのような歌もエルヴィス・プレスリーというカテゴリーなのだ。
同じことは少女時代から母を追い求めたモンローにもいえる。モンローが亡くなったとき著名な監督は「コメディは死んだといった」モンローもモンローというカテゴリーだった。この二人の偉大なスーパースターが「癒すことでしか癒されない」人であったことを、何年経っても大切に受け止めるべきだ。流浪する胡散くさいエルヴィス&モンローとグレイスランド(エルヴィス邸)をめざす映画『グレイスランド』から突き刺さるセリフをもう一度。
救われたよ。あんたと過ごした数日間でまた勇気が出た」
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