エルヴィス・プレスリー

エルヴィスがいた。

想い出のバラード/Make The World Go Away:1970

復活祭、あるいはイースターをググっていたら出てくる出てくる。キング・キリストではなく、キング・エルヴィスの画像が。つまりエルヴィスが生きていると信じている人、信じたい人が、それだけ多いということ。エルヴィス・プレスリーはアメリカ地方の心の拠り所。エルヴィスの五感は、大衆の心の底にある不安を知り抜いていて、エルヴィスはありったけのハートで寄り添うパフォーマーなのだ。
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ボサ・ノヴァ・ベビー /Bossa Nova Baby:1963

エルビス映画は最初、ジェームス・ディーンに代表されるタイプの『ティーン映画』だったが、61年の「ブルー・ハワイ」から『ビーチ映画』に舵をとる。その代表作のひとつが、タイトルバックも美しくエルヴィスの歌も艶やかでサイコーの『アカプルコの海』。...
エルヴィスがいた。

ひいらぎの葉とクリスマスツリー/Holly Leaves and Christmas Trees:71

クリスマスソングのレベルを超えたエルヴィス・プレスリーとロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団との共演作第三弾がリリース。このリリースにあわせて、人気の高いクリスマス・アルバムとゴルペル・アルバム5タイトル一挙リリース。
特選ソングス

スイート ・キャロライン/Sweet Caroline

ニール・ダイヤモンドの楽曲<スイート・キャロライン /Sweet Caroline>を臆面もなく、まるで自分の曲のように自然体で歌っている、<Sweet Caroline >は70年2月15日~20日の間にラスベガスのライブから収録されたも...
エルヴィスがいた。

ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogie:1955

1955年1月にエルヴィス20歳の誕生日にリリースされたサンレコードから3枚目のシングルが、ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogieでした。B面にはユーアー・ハートブレイカーというミディアムアップのカントリーナンバーでした。両面ともスコティ・ムーア、ビル・ブラックがバック。
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心の届かぬラヴ・レター / Return to sender:62

11作目になるエルヴィス・プレスリー主演映画『ガール!ガール!ガール!(Girls!Girls!Girls!)』でのチビまる子のようなガールズまで参加したフィナーレの大腰ふり大会?が馬鹿げているって? 「OK牧場の決闘」など決闘三部作、「ヨ...
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ただひとりの男/I Was The One:56

1955年11月、テネシー州メンフィスのサンレコードから、RCAビクターへの移籍が決定したエルヴィス・プレスリーは、翌56年1月10日RCAのナッシュビルスタジオ入り、レコーディングを開始した。 56年2月22日、ビルボードHOT100に6...
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グラミー受賞 偉大なるかな神 / How Great Thou Art:1974

<偉大なるかな神 / How Great Thou Art>は、エルヴィス・プレスリーの愛したゴスペル・ソングの代表作といえるナンバー。 エルヴィスは 1970年代に入ってから、死の直前まてライブて歌っていて、ライブバージョンも3会場のもの...
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偉大なるかな神 /How Great Thou Art:1966

ロックのルーツはゴスペル。 ゴスペスからブルースが派生した。 ゴスペルにもブルースにも畏敬の念を持たないロッカーが増えている。 それはどうなんだろう。 偉大なるかな神/How Great Thou Art ■キングなオススメ インデックス ...
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エルヴィス・プレスリーのメリー・クリスマス・ベイビー/Merry Christmas Baby:71

思えば大騒動となって、放送禁止の挙句、焼かれた最初のクリスマスアルバムから、時の移ろいに合わせて、ジャケットも変えてきましたが、いまならCHRISTMAS WITH ELVIS AND THE ROYAL PHILHARMONIC ORCHESTRAがおすすめ。
特選ソングス

エルヴィス・プレスリーのLove Me Tender☆ラブ・ミー・テンダー

<ハートブレイク・ホテル>にエルヴィスが作曲で参加していたことはあまり知られていません。同じように<ラブ・ミー・テンダー>もそうです。エルヴィスは気にしていなかったようです。 「メンフィスの白人の間じゃR&B は 罪深い音楽 とされていたん...
特選ソングス

あなたにそっくり/They Remind Me Too Much Of You:1963

シアトルで開催された万博を舞台にした映画『ヤング・ヤング・パレード』が公開されたこの年、1963年11月22日、ケネディ大統領暗殺。マリリン・モンローの死から1年を過ぎての事件だった。エルヴィスも急速に元気に元気がなくなる。エルヴィスはすでにカンターカルチャーからアメリカに欠かせないメインカルチャーそのものだった。大瀧詠一さんのお気に入り<ハッピー・エンディング>は暗転した。
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プレスリーの内気な打明け / Just Tell Her Jim Said Hello:1962

ジャンルに縛られないエルヴィスの無頓着さが、ブッダ的ですごくいいのだ。キング・オブ・ロックンロールに執着しないあり方に感動する。エルヴィスはラブ&ピースなんて言わない。立っているだけでラブ&ピースが聴こえてくる。わざわざ歌詞にする必要はない。言葉は所詮言葉でしかなく、言葉が束縛し、限界をもたらす。歌は限界をこえるものであらねばならない。エルヴィスの声は楽器だ。楽器は歌詞を超える。