人生では、何度か自分を変えたいと思わずにいられない時がある。
愛する人に出会ったとき----
あるいは<ロックンロール・ニガー>を聴いた時----
それが同時に 起こったら、社会の外でも内でもナニかを壊したくなたっとしてもおかしくない。自分を破壊し、再生したくなる、イースターの朝には。
転落事故のけがの治療中、わたしは自分たちがこれからどういった方向に行くのかをよく考えてみることができた。T.E.ローレンスの作品を研究し、新約聖書を読み、パゾリー二のフィルムにも親しんだ。『奇跡の丘』を見て、わたしは彼の、キリストを革命児とみなす見方に衝撃を受けた。わたしもキリストを、別の観点から見始めるようになった一教師として、闘士として、ゲリラとして。
『イースター』を煮詰めていくうちに頭に浮かんだのは一物理的な奇跡、パフォーマンスを通してのエナジーの変成、よみがえりの発想一などだった。フェニックスが灰の中からよみがえるように。転落した人間がふたたび立ち上がるように。
『イースター』は特殊なものとなった。ブルース・スプリングスティーンと共作した「ビコーズ・ザ・ナイト」が、チャートを駆け上がるといった快挙も果たした。「ロックンロール・ニガー」を含むこのアルバムは、問題作と考えられた。古典的なスラングを社会の逸脱者の印として定義し直すことは、暖かくは迎え入れられなかったのだ。
わたしたちはヒットを飛ばし、''ロックンロール・ニガー''的態度でツアーに出ることになった。メンバーはふたたび結集し、弟はわたしたちの旗を掲げ、アンディは忠臣であるデュオ・ソニックを修理してくれた。わたしはスーツケースに『ホーセス』のジャケットと、新約聖書と、ぼろぼろになった『地獄の季節』を詰め込んだ。この時は、『ローリング・ストーン』誌の写真を撮っていたアニー・リーボヴィッツがいっしょについてきた。アニーと仕事をすることは、気のいいバンドのメンバーといっしょに仕事をするようなものだった。彼女のコンタクト・シートの山に目を通し、わたしはこのお気に入りのスイス製フィールド・ブーツの写真があるのを見つけて感動した。それは元々ジェイン・フリードマンの祖父のもので、戦地を退いた後も多くの道を歩き続けてきたものだ。自分が健康を取り戻し、新しい希望と、仕事に対する新しい可能性と権利とを持ってこの世界に戻ってきた時、わたしは自分のブーツをはきつぶしてしまった。(PATTI
SMITH)