ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)は、エルヴィス・プレスリー主演映画「アカプルコの海」の挿入曲。
MTVがなかった時代、映画はミュージシャンを見せる装置として活動していました。
そしてエルヴィス・プレスリーは、「稼ぐ」という点で、そのもっとも成功したミュージシャンと言えるでしょう。
エルヴィスの後にビートルズも数本の映画で露出しましたが、あまり上手くいったというわけではないようでした。
「ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)」は、やがて訪れる変化の時代を待つかのように映画も曲も大ヒットしたのです。
「ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)」はアメリカンドリーム最高の体現者が、やがてステージに戻ってくる日までの約束の曲になりました。
ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)
「ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)」はエルヴィス・プレスリーのカッコ良さが全面に溢れ出たロックとボサノバを融合した名曲。ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーの強力コンビの作品。
エルヴィス・プレスリー主演のパラマウント映画「アカプルコの海」は、1963年に製作され1964年に世界で公開された。大ヒットした「ブルーハワイ」などと同様に観光地・特有の音楽をミックスした作品でエルヴィス・プレスリー13本目の主演映画。
前作はシアトルの万博を舞台にしたMGM作品「ヤング・ヤング・パレード」。当時エルヴィスは主にパラマウントとMGMの作品に主演していましたが、両社のコンセプトには明らかな違いがありました。前述したようにパラマウント映画は観光地(特に海)と地域の音楽があり、そこにプレスリーを上手くはめ込んだ作り方をしていて、音楽のレパートリーを広げる役割をしていました。
映画「アカプルコの海」では、当時流行のボサノバとロックを融合した「ボサ・ノヴァ・ベビー(ボサノバ・ベビー/Bossa Nova Baby)」をはじめ情熱的なラテン音楽がサントラ盤に録音されました。
いつもエルヴィスは難なくこなしていましたが、ロックンローラーから距離を置くことにもなったのです。
ビートルズ(イギリス勢)はその間隙をつく前夜のことです。アメリカの音楽事情は1950年代とは明らかに変わっていました。「アカプルコの海」はビートルズ上陸前に公開された最後のエルヴィス映画だったのです。
さらに追い討ちとなったのが、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件でした。「アカプルコの海」は、ケネディ大統領暗殺時にビルボードトップ10の第一位になったのです。
時代の大波がエルヴィスにも襲ってくることになるのです。
そして本当に不思議なことですが、なぜかエルヴィス映画も楽曲にも変化が生じだしたのです。
『ビーチ映画』というジャンルがあった。1963年から66年の間に集中した。
時はケネディ大統領、リーゼントと打って変わってクールカット。
歌、踊り、恋、海、サーフィン、
そしてなにより親がでてこないので、『ティーン映画』と違い家庭不和も離婚もない。
若さは永遠。
このジャンルにはフランキー・アバロンが有名。
アクション映画の名作「ナバロンの要塞」とかにも出演していたのではないか。
フランキー・アバロンのように次々とテレビからスクリーンに登場。
往年のベテラン俳優が脇に回って作品に重みを加え、フレッシュな女優が観客動員に貢献した。
コニー・スティーブンスやラクエル・ウェルチらもそうだが、なかでもパメラ・ティフィンは目を引いた。
エルヴィスのガール・フレンド役で一度は登場しても良かったのでは?
日本でも同じ現象が起こっていて、「太陽の季節」から明るい「若大将シリーズ」に変化したのと同じだ。
若大将に登場する星由里子扮する澄ちゃんには家庭がまったく匂わない。なによりよく考えると思考が目茶苦茶な女性だ。
また若大将には母親は登場せず愉快なおばあちゃんが登場する。
ここでも 登場人物全員に家庭の匂いがなく家庭不和も離婚もない。みんな明るい。
トレンドのコアにはサーフィン・カルチャーがあり、その伝達方法として、サーフ映画と音楽が市民生活に浸透、広がりをみせことになる。
1966年にはサーフィンの古き良き時代を記録した映画「エンドレス・サマー」が公開される。
カメラ技術の進歩を得て、サーフィン映画が続々と製作された。
しかしドラックとセックスが解放された社会の到来で、エルビス映画、ビーチ映画など永遠の若さを看板にしたB級映画はその役目を終え、終焉を迎える。
ベトナムへ駆り出される現実、夢を見るには明日は遠い。
エルヴィス主演映画「GIブルース」はプロデューサー、ハル・ウォリスのためにエルヴィスが軍隊に行ってくれたようなもので、「ブルー・ハワイ」は唯一プロデューサーの手腕が光ったヒットだと思う。
映画においてエルビス映画はトレンドに乗ろうとしただけで、革新性は全くなかった。
革新性がなかったのは人種差別、ベトナムを除けばニュースな時代ではなかったからといえる。
もし革新性を求めるなら映画づくりにおける技法に求めるしかなかったのではないかと思うが、それでエルヴィス自身が輝いたかどうかには疑問が残る。
1969年「イージー・ライダー」は予想もしない大ヒットを記録した。
その背景にはアメリカの現実があった。
「イージー・ライダー」はニュース映画だったのだ。
一方、エルヴィスはエンターテイナーとしてラスベガスに向かう。。。
10年後・・・1979年には、「ビッグ・ウェンズデー」「地獄の黙示録」が公開された。
ベトナムの傷を背負った映画だ。
あのフランシス・フォード・コッポラ監督&マーロン・ブランドの狂気の映画「地獄の黙示録」に「イージー・ライダー」の監督デニス・ホッパーが出演。ドラック中毒だったは頻繁にコッポラ監督と衝突したのは象徴的だ。
しかし、それ以上に象徴的だと思うのが、ベトナムの海でサーフィン場面が登場することだ。
思えばエルヴィスが麻薬やドラック問題に言及、ニクソン大統領と面談したことも奇異でない。
俺は言ったよ
「頼むぜベイビー、
俺は一日中仕庫して足が鉛のように重いんだ
シャツのすそははみ出してるし
額には玉の汗」
彼女は言ったよ
「ボサ・ノヴァ・ベイビー、
止まってはだめよ
今は休んでる場合じゃないの」
彼女は言ったよ
「ボサ・ノヴァ・ベイビー、
踊り続けるのよ
せっかくノッてきたんだから」
ボサ・ノヴァ
ボサ・ノヴァ
俺は言ったよ
「ちょっと座って飲みながらバンドの演奏でも聞かないか」
彼女は言った
「お酒を飲んでバンドですって
私ならお酒を持ったまま踊れるわ」
彼女は言ったよ
「ボサノヴァ・ベイビー、
止まってはだめよ
お酒なんて飲んでる場合じゃないの」
彼女は言ったよ
「ボサ・ノヴァ・ベイビー、
踊り続けるのよ
考えてる暇などないんだから」
ボサ・ノヴァ
ボサ・ノヴァ
俺は言ったよ
「ねえベイビー、ここは暑いけど
外はすごく涼しいぜ
1ドル貸してくれたらガソリン入れて
ドライブにいかないかい」
彼女は言ったよ
「ボサ・ノヴァ・ベイビー、
止まってはだめよ
ドライブなんてしてる場合じゃないの」
彼女は言ったよ
「ボサ・ノヴァ・ベイビー、
踊り続けるのよ
でなければ他の人を見つけるわ」
ボサ・ノヴァ
ポサ・ノヴァ…
ボサ・ノヴァ・ベイビー(Bossa Nova Baby)はカッコいい。
ひたすらカッコいい。。
なぜか自分には植木等がかぶってみえるときもあるが、それがカッコ良い。
エルヴィス・プレスリーというと、シャンプスーツより、
白いジャケット、黒いネクタイ、黒いパンツ が真っ先に浮かぶ。
それほど「ボサ・ノヴァ・ベイビー」はカッコ良い。
I said “Take it easy baby, I worked all day
そして「アカプルコの海」の後、本当に不思議なことですが、なぜかエルヴィス映画も楽曲にも変化が生じだしたのです。作為できない、コントロールできない、人智を超えた、なにかが世界にはあるように思えます。
コメント
ボサノバベイビー 軽快な曲ですね。私は1960年生まれなので青春映画は小さいころオンタイムですが見ていません。1974年からファンになりましたのでテレビの再放送でブルーハワイやGIブルース、フラインキーアンドジョニー など見ました。青春映画は楽しいですね。ハワイのレコードを聴くとアメリカの祈りの終わった後の観客のどよめきを聞くのはこんな拍手喝さいを受けるエルビスはすごいと思います。これからも楽しいメルマガをお願いします