死ぬまでに聴きたいエルヴィス・プレスリー

エルヴィスがいた。

アイ・フィール・ソー・バッド/I Feel So Bad:1961

私たちはライフステージを年齢の変遷だと考えます。<生きること=人生>だと思いますが、生きることと人生は別物です。成熟とは、あるがままの自分だから可能です。成熟は年齢という記号ではありません。老化も同じで身体の衰えという意味です。エルヴィスは、ロックは生きる姿勢だとNBC=TV SPECIALで証明します。
エルヴィスがいた。

恋は激しく/When It Rains, It Really Pours:1955

<恋は激しく/When It Rains, It Really Pours>は、サンでの最後のレコーディングになりました。このときのサム・フィリップスとの会話で、アルバムをリリースするプランについて話し合っています。<恋は激しく>を入れるかどうするか、エルヴィスに任せているようなコメントが残っています。
エルヴィスがいた。

トゥッティ・フルッティ/Tutti Frutti:1956

「世界がモノクロからカラーに変わった(キース・リチャーズ)」 「脱獄した気分(ボブ・ディラン)」 「その瞬間、世界は変わった(ジョン・レノン)」 エルヴィス体験をしたその時のことを、世界が変わった瞬間をロック界のレジェンドは歴史に刻んでいる。エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか?
エルヴィスがいた。

リコンシダ・ベイビー(考えなおして)/Reconsider Baby:1960

兵役から解放されて、自由人となったエルヴィスが喜々として取り組んでいるのだろうと容易に想像してしまう<Reconsider Baby> サックスが豹にまとわりつく蛇のように蠢いている、その隙間を走るようなピアノも甘味がなくていい。雷雨のようなギターが闇に赤い光りを送り込むように炸裂する。楽器がエルヴィスを引き立て、エルヴィスは楽器を引き立てる、そして最後の最後に豹が牙をむく。
エルヴィスがいた。

トラブル/Trouble:1958

1958年全米で公開された「闇に響く声(King Creole)」全10曲からの注目曲。1968年のTV「カムバッックスペシャル」でもオープニングに歌われた、映画は「カサブランカ」のコンビ、製作・ハル・ウォリス、監督・マイケル・カーティス。日本公開1959年。エルヴィス・プレスリーがただのロックンローラーでないとわかる快作。
エルヴィスがいた。

アイ・ガット・ア・ウーマン / I Got A Woman:1956

エルヴィスは幼い頃から不安定な母親を助けなければという気持ちで暮らしながら、孤独な子どもは心配させないことで、ヒーローになろうとする。<アイ・ガット・ア・ウーマン>他の男には目もくれず、俺に淋しい思いもさせないで、女は家にいるのが一番とわきまえてる娘なのさ、俺の女は町外れに住んでいる、とってもいい娘なんだ。
エルヴィスがいた。

ワン・ナイト/ONE NIGHT:1957

シンガーソングライターに関心のなかったエルヴィスらしさが際立つ<ワン・ナイト>はファッツ・ドミノの名作を数多く手がけたデイヴ・バーソロミューがパール・キングと共作したニューオーリンズR&B。B面に<アイ・ガッタ・スタング>でシングルリリース、両面ヒットでミリオンセラーを記録。
エルヴィスがいた。

マイ・ハッピネス/My Happiness:1953

嫌われたってヒトは誰でも好きなことは得意になれるという特長は、すべての生きる人々への大きな励ましになりました。 エルヴィスからのメッセージを感じ取れたヒトは、もっとも早く反応しました。エルヴィスが3ドル98セントを支払って録音した「マイ・ハッピネス」はエルヴィス自身の幸せになりました。
エルヴィスがいた。

横町を下って/Down In The Alley:1966

エルヴィス・プレスリー、心の旅は、リズム&ブルースで横町を下った先にあった。Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,超絶!エルヴィス・ブルースが闇夜を切り裂きます!
エルヴィスがいた。

明日は遠く/Tomorrow Is A Long Time:1966

「明日は遠く」はボブ・ディランの作品。エルヴィス・プレスリーが1966年に発表した当時、 ボブ・ディランのレコードは発売されておらず、エルヴィスはフォーク歌手のオデッタのレコードをよく聴いていたと言われています。アコースティックギターをバックに5分を超える味わい深いパフォーマンスには強く惹かれる点は、ディランが称賛するのも当然の曲。
エルヴィスがいた。

エルヴィス・プレスリーの悲しき街角/Runaway:1970

「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれることをエルヴィスは好まずとも、この名曲が印象を深めます。孤独な男の心中を語る神の声のようにスイートインスピレーションのコーラスが響きます。エルヴィスの解釈と力のある声が、抗っても抗っても堕ちていく無力感を強調、舞台劇を見るようなダイナミックさを称賛するオーディエンスの拍手喝采が共感を生みます。
エルヴィスがいた。

愛していると言ったっけ/Have I Told You Lately That I Love You:1957

「愛していると言ったっけ」は映画「さまよう青春/Loving You」のアルバムに収録されていたエルヴィスならではのロカバラードで、最初は「打ち明けるのが遅かったかい」というタイトルでした。 告った喜びを胸に、足は彼女のハートをつかんで、龍...
エルヴィスがいた。

やさしく愛して/Love Me Tender(ラブ・ミー・テンダー)

やさしく愛して、甘く愛して、決して僕を放さないで。人生を満たしてくれた君をとても愛してる。キング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーの名曲バラード「ラブ・ミー・テンダー」です。
エルヴィスがいた。

美しきアメリカ/America the Beautiful;1977

1977.11月、エルヴィスの死後に「美しきアメリカ」が、「マイウェイ」とのカップリングで両A面扱いでシングルリリースされたのは、9.11に傷ついたアメリカ人を癒し対応したからです。エルヴィスは75年からコンサートのレパートリーに加えていました。
エルヴィスがいた。

エルヴィス・プレスリーの「Hurt / 心の痛手」

エルヴィス・プレスリー70年代の名曲「心の痛手」は、ナットキングコールが歌った「If I Give My Heart To You」の作者ジミー・クレインとアル・ジェイコブスが1953年に共作、「ユール・ナヴァー・ウオーク・アローロン」「アンチェイド・メロディー」などR&Bヒットで知られるロイ・ハミルトンが、1954年にヒットさせた楽曲をカヴァーした。
エルヴィスがいた。

ブルームーン・オブ・ケンタッキー/Blue Moon of Kentucky

1954年7月7日、サムは「That's All Right /Blue Moon Of Kentucky」のシングル・アセテート盤を持ってラジオ局を回った。その夜9時30分頃、ラジオで放送された。その日エルヴィスは自分の歌がラジオから流れることの恥ずかしさから映画館に逃げ込んでいた。結局5000本のリクエスト電話が殺到した。
エルヴィスがいた。

ラスベガス万才/ Viva LasVegas

「ラスベガス万才」はアン=マーグレットのエルヴィス・プレスリー入隊騒ぎを映画化した「バイバイ・バーディ」を撮ったジョージ・シドニー監督の作品。エルヴィス・プレスリー主演映画の15作品目にあたる。エルヴィスが主演した全31作品中、ベスト3に入れたい傑作であっという間に終わってしまう面白さだ。
エルヴィスがいた。

ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogie:1955

1955年1月にエルヴィス20歳の誕生日にリリースされたサンレコードから3枚目のシングルが、ミルクカウ・ブルース・ブギー/MilkCow Blues Boogieでした。B面にはユーアー・ハートブレイカーというミディアムアップのカントリーナンバーでした。両面ともスコティ・ムーア、ビル・ブラックがバック。
特選ソングス

どっちみち俺のもの / Anyway You Want Me (That’s How I Will Be)

『ハートブレイク・ホテル』『ハウンドドッグ』『どっちみち俺のもの』など次々にギネスを打ち立てるモンスター級のヒットを放ち音楽界を独占した『エルヴィス登場』は、白人が黒人の魂で歌うというあってはならない事件だった。 凄まじいエルヴィス・バッシ...
エルヴィスがいた。

1977年8月16日テネシー州メンフィス/Good Rockin’ Tonight!

エルヴィス・プレスリーが、サンレコードで録音した曲を分類すれば主にロカビリーでしたが、キャリアを重ねるうちに、ロックンロールに比重を移していきました。ロックンロールに対して当時は明確な基準がなかったのでしょう。サンレコードでの音源がカラフル...