死ぬまでに聴きたいエルヴィス・プレスリー

エルヴィスがいた。

アンチェインド・メロディ /Unchained Melody:1977

<アンチェインド・メロディ>は、1955年の楽曲。エルヴィス・プレスリーは、1977年6月21日にCBS-TV『エルヴィス・イン・コンサート』のためのライブで取り上げ、このバーションが6月にリリースされた生前最後のアルバム『ムーディ・ブルー』に収録、さらに死後の1978年にシングルカットされてカントリーチャート6位にランキングした。
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アイル・リメンバー・ユー/ I’ll Remember You:1973

エルヴィス・プレスリーを聴いている時はやさしくなれる。特にこんな歌を聴いているときには<アイル・リメンバー・ユー>。1973年1月14日、ハワイ・ホノルル・インターナショナル・センターから飛ばされた電波に乗って世界中に届けられたエルヴィスの姿。中でも<アイル・リメンバー・ユー>で、見せる緊張からほほえみへの虹のドライブは、心をワシづかみにしたまま、いまもって放さなさい。
エルヴィスがいた。

サスピシャス・マインド/Suspicious Mindns:1969

エルヴィス・プレスリー最後のナンバーワン・ヒットとして知られる<サスピシャス・マインド/Suspicious Mindns>は、エルヴィスが録音した<ムーディ・ブルー><ロックンロール魂>の作者と知られるマーク・ジェームスの作品。1968年に自身が歌ってリリースしたが、さっぱり売れなかったのを、エルヴィスがアルバム用に録音、シングルカットしたところ、即座にミリオンセラーの大ヒットになった。
エルヴィスがいた。

アメリカ魂/U.S.Male:1968

エルヴィスはアメリカ自体より巨大なのだ。どうしてそんなものが存在するのか、誰にもわからない。エルヴィスがどんなものより優れているとき、エルヴィスの愛はアメリカを包み込む。エルヴィスがどんなものより安っぽい芸能でしかないとき、エルヴィスへの愛は民主主義の大衆文化に包まれる。
エルヴィスがいた。

シェイク・ラトル・アンド・ロール/Shake, Rattle and Roll:1956

初のアルバム『エルヴィス・プレスリー登場』を1956年3月にリリースを控えた、エルヴィス・プレスリーは、リリースに先駆けてロックンロールナンバー<シェイク・ラトル・アンド・ロール/Shake, Rattle and Roll >を1956年...
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明日への願い / If I Can Dream:1968

映画『エルヴィス(ELVIS)』には、<ザッツ・オールライト><トラブル><明日への願い>など物語の分岐点になる重要な曲があります。 68年カムバックスペシャルがパーカー大佐の筋書きを物ともせずに<明日への願い / If I Can Dre...
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夏に開いた恋なのに/Summer Kisses, Winter Tears:1960

エルヴィス・プレスリ-の<夏に開いた恋なのに>は、1960年10月に録音。シングル・リリースはなくEP盤で61年4月にリリース。1965年7月にアルバム『Elvis For Everyone』に収録。力のある曲はヴィム・ヴェンダース監督作品『夢の涯てまでも /Bis ans Ende der Welt (1991年)』で重要な場面に使用されます。
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Baby What You Want Me To Do:1968

<べイビー・ホワット・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ドゥ/Baby What You Want Me To Do>はエルヴィス・プレスリーのカムバックスペシャルでもひときわ目立つ、ロックンローラー、エルヴィスを印象付けるナンバーでさすが「キング・オブ・ロックンロール」として鮮やかな印象を残します。
エルヴィスがいた。

ミーン・ウーマン・ブルース/Mean Woman Blues:1957

エルヴィス・プレスリーのロックンロール3大特長のひとつである、ミディアムアップのロックンロールだが、”うーっ””イエー”の掛け声、手拍子で、ライブ感が味わえる映像から、製作陣の当時の良心が伝わってくる。R&Bチャート、カントリーチャートで1位を記録しているので、耳を切り替えて堪能したい。
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アイ・フィール・ソー・バッド/I Feel So Bad:1961

私たちはライフステージを年齢の変遷だと考えます。<生きること=人生>だと思いますが、生きることと人生は別物です。成熟とは、あるがままの自分だから可能です。成熟は年齢という記号ではありません。老化も同じで身体の衰えという意味です。エルヴィスは、ロックは生きる姿勢だとNBC=TV SPECIALで証明します。
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恋は激しく/When It Rains, It Really Pours:1955

<恋は激しく/When It Rains, It Really Pours>は、サンでの最後のレコーディングになりました。このときのサム・フィリップスとの会話で、アルバムをリリースするプランについて話し合っています。<恋は激しく>を入れるかどうするか、エルヴィスに任せているようなコメントが残っています。
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トゥッティ・フルッティ/Tutti Frutti:1956

「世界がモノクロからカラーに変わった(キース・リチャーズ)」 「脱獄した気分(ボブ・ディラン)」 「その瞬間、世界は変わった(ジョン・レノン)」 エルヴィス体験をしたその時のことを、世界が変わった瞬間をロック界のレジェンドは歴史に刻んでいる。エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか?
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リコンシダ・ベイビー(考えなおして)/Reconsider Baby:1960

兵役から解放されて、自由人となったエルヴィスが喜々として取り組んでいるのだろうと容易に想像してしまう<Reconsider Baby> サックスが豹にまとわりつく蛇のように蠢いている、その隙間を走るようなピアノも甘味がなくていい。雷雨のようなギターが闇に赤い光りを送り込むように炸裂する。楽器がエルヴィスを引き立て、エルヴィスは楽器を引き立てる、そして最後の最後に豹が牙をむく。
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トラブル/Trouble:1958

1958年全米で公開された「闇に響く声(King Creole)」全10曲からの注目曲。1968年のTV「カムバッックスペシャル」でもオープニングに歌われた、映画は「カサブランカ」のコンビ、製作・ハル・ウォリス、監督・マイケル・カーティス。日本公開1959年。エルヴィス・プレスリーがただのロックンローラーでないとわかる快作。
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アイ・ガット・ア・ウーマン / I Got A Woman:1956

エルヴィスは幼い頃から不安定な母親を助けなければという気持ちで暮らしながら、孤独な子どもは心配させないことで、ヒーローになろうとする。<アイ・ガット・ア・ウーマン>他の男には目もくれず、俺に淋しい思いもさせないで、女は家にいるのが一番とわきまえてる娘なのさ、俺の女は町外れに住んでいる、とってもいい娘なんだ。
エルヴィスがいた。

ワン・ナイト/ONE NIGHT:1957

シンガーソングライターに関心のなかったエルヴィスらしさが際立つ<ワン・ナイト>はファッツ・ドミノの名作を数多く手がけたデイヴ・バーソロミューがパール・キングと共作したニューオーリンズR&B。B面に<アイ・ガッタ・スタング>でシングルリリース、両面ヒットでミリオンセラーを記録。
エルヴィスがいた。

マイ・ハッピネス/My Happiness:1953

嫌われたってヒトは誰でも好きなことは得意になれるという特長は、すべての生きる人々への大きな励ましになりました。 エルヴィスからのメッセージを感じ取れたヒトは、もっとも早く反応しました。エルヴィスが3ドル98セントを支払って録音した「マイ・ハッピネス」はエルヴィス自身の幸せになりました。
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横町を下って/Down In The Alley:1966

エルヴィス・プレスリー、心の旅は、リズム&ブルースで横町を下った先にあった。Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,Jenny,超絶!エルヴィス・ブルースが闇夜を切り裂きます!
エルヴィスがいた。

明日は遠く/Tomorrow Is A Long Time:1966

「明日は遠く」はボブ・ディランの作品。エルヴィス・プレスリーが1966年に発表した当時、 ボブ・ディランのレコードは発売されておらず、エルヴィスはフォーク歌手のオデッタのレコードをよく聴いていたと言われています。アコースティックギターをバックに5分を超える味わい深いパフォーマンスには強く惹かれる点は、ディランが称賛するのも当然の曲。
エルヴィスがいた。

エルヴィス・プレスリーの悲しき街角/Runaway:1970

「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれることをエルヴィスは好まずとも、この名曲が印象を深めます。孤独な男の心中を語る神の声のようにスイートインスピレーションのコーラスが響きます。エルヴィスの解釈と力のある声が、抗っても抗っても堕ちていく無力感を強調、舞台劇を見るようなダイナミックさを称賛するオーディエンスの拍手喝采が共感を生みます。