エルヴィスがいた。

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ボサ・ノヴァ・ベビー /Bossa Nova Baby:1963

エルビス映画は最初、ジェームス・ディーンに代表されるタイプの『ティーン映画』だったが、61年の「ブルー・ハワイ」から『ビーチ映画』に舵をとる。その代表作のひとつが、タイトルバックも美しくエルヴィスの歌も艶やかでサイコーの『アカプルコの海』。...
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ひいらぎの葉とクリスマスツリー/Holly Leaves and Christmas Trees:71

クリスマスソングのレベルを超えたエルヴィス・プレスリーとロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団との共演作第三弾がリリース。このリリースにあわせて、人気の高いクリスマス・アルバムとゴルペル・アルバム5タイトル一挙リリース。
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【SUN】忘れじの人/I Forgot to Remember to Forget:1955

エルヴィスは<忘れじの人>がカントリーすぎるということと、ワルツ調でスローすぎるということで、最初は乗り気ではなかったようだ。そこで一石を投じたサンレコードのサム・フィリプスの戦略にハマって、本当に好きな曲になったようだ。結果的に初の全米ナンバーワンになり、笑顔がこぼれるエルヴィス自慢の一曲になったようだ。
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ロカ・フラ・ベイビー/Rock-a-hula Baby:1961

エルヴィスの<ロカ・フラ・ベイビー(61年)>は、美空ひばりの<ロカビリー剣法(58年)>に匹敵する。おおらかな時代だった。歴史は正直だ。日本だけがA面にしたけど、アメリカもイギリスも<好きにならずにいられない>をA面にして、<ロカ・フラ・ベイビー>はB面でしたが、ナンバーワン・ヒットを記録しています。
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レット・ミー・ビー・ゼア/Let Me Be There:1974

<レット・ミー・ビー・ゼア/Let Me Be There>は、オリビア・ニュートン・ジョンが1973年に初のHOT100で全米6位にランキング、ミリオンセラーを記録したスウィートでポップなカントリーソング。エルヴィスがカヴァーした1974年3月20日テネシー州メンフィスでのライブ録音は、1974年7月7日に『ライヴ・イン・メンフィスとしてリリースされた。
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マリーは恋人/ (Marie’s The Name) His Latest Flam:1961

<マリーは恋人/ (Marie's The Name) His Latest Flam>は、<メス・オブ・ブルース><サレンダー><ラスベガス万才><リトル・シスター><サスピション><キス・ミー・クイック>などのドグ・ポーマス(Doc Pomus)&モート・シューマン(Mort Shuman)がエルヴィスのために書き下ろした印象的なナンバー。
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ハワイアンドラム・ソング/Drums Of The Islands:1966

<ハワイアンドラム・ソング/Drums Of The Islands>はエルヴィス・プレスリー主演映画21作目の映画『ハワイアンパラダイス』の挿入曲、映画のクライマックスを雄大に締めくくります。シド・テッパー。ロイ・C・ベネットがトンガの曲をベースに映画のために書き下ろした。
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メス・オブ・ブルース/A Mess Of Blues:1960

<メス・オブ・ブルース>は、<ラスベガス万才><ひとりぼっちのバラード><リトル・シスター><マリーは恋人><サスピション><キス・ミー・クイック>などの快作のコンビ、ドグ・ポーマス&モート・シューマンがエルヴィスのために書き下ろしたエルヴィス好みのブルージーなロックンロール。
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その気でいこう/Let Your Self Go:1968

<その気でいこう>は、<アメリカ魂><ステイ・アウェイ>、<ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン>の後を承けて<おしゃべりはやめて>、<明日への願い>と繋がる『TVスペシャル』直前のサントラだ。自分を出せばいいだけさ(自分を出して)は自身への、そしてすべての若者への呼びかけのようだ。エルヴィスが来た!
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青春カーニバル/Roustabout :1964

エルヴィスからやり直そう、自分のやりたいを自分の最高で!サーカスのように若い、ピンク・レモネードのように美しいすてきな世界.。人生はカーニバル、そのつもりで生きよう。君はこの最大のショーの立役者.この世は赤鼻の道化師、虹色の風船、皆の真珠貝。さあ君の真珠をとればいい。すてきなこの世界はエンドレスにワンダフル!
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あなたを離さない/ I’ll Never Let You Go (Little Darlin’):1954

<あなたを離さない/I'll Never Let You Go (Little Darlin')>は、サンレコードで録音していますが、未発表のまま、 RCAに転籍したので、RCAから『エルヴィス・プレスリー登場』としてリリース。当時アルバムを買えないティーンエージャーのために全曲シングルカットされました。
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ホーム・タウンのストレンジャー/Stranger In My Own Home Town:1969

1969年、ふたたび黄金時代を迎えようとするエルヴィスを迎えるにあたって、名匠チップス・モーマンが率いるアメリカン・サウンド・スタジオは緊張していた。エルヴィスは自然体で70年代の代表曲となる32曲を録音した。それらは主に2枚のオリジナル・アルバムに振り分けてリリースされ男性ファンの心を鷲掴みした。
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トウッティ・フルッティ/Tutti Frutti:1956

エルヴィスがアメリカから奪い取った『無邪気で自由でワクワクするティーンエージャーの国』が、ベトナムの戦火に捧げられても、人々は永遠に忘れない。ロックンロールは食後にちょっと聴くような音楽ではないとドイツに送られる前にエルヴィスは呪文のように言い残していった。Wo p-bo p-a-Ioom-bo p-a-lo p-bam-boom
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クライング・イン・ザ・チャペル/Crying in the Chapel:1960

エルヴィス得意のイントロなしのスタート、ピアノとコーラスが追いかける。エルヴィスならではの音楽への心意気が伺える。エルヴィス屈指のバラードだと思うが、しかしエルヴィスも、身体の一部のようなジョーダネアーズももっと深遠なものを求めていた。リリースは棚上げにされた、
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わが愛のちから/Power of My Love:1969

映画『ELVIS/エルヴィス』は古くて新しい未解決のテーマを私たちに突きつけて、あとは自分で始末しろと迫ります。非言語コミュニケーションにコミュニケーションの真実があることを体感で知っているエルヴィス。生きる糧である音楽を体感するエルヴィス。本当の自分を体感したくて、解放を求める平均的な女の子の欲望。
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スイムで行こう/Do The Clam:1965

『フロリダ万才』は、1965年に公開されたM-G-M映画。大ヒットした『ラスベガス万才』の後を受けてボリス・セイガル監督、エルヴィス・プレスリー主演、シェリー・フエブレーが共演した当時流行していたビーチ映画の一種。ベトナム戦争が激しさを増す前夜の快のサウンドトラックからシングルカットされたヒット曲、
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バーニング・ラブ/Burning Love:1972

真っ赤に燃えてるロックンロールを一個どうぞ。骨までしっかり焼きつくしてくれそうにアツアツです。この時期、地味めのシングル・カット曲が続いていたエルヴィス・プレスリー。1972年ハリウッドRCAスタジオで録音した、熱情のミリオンセラー。。ドラゴンは火の玉のような閃光で輝きながらチャートを駆け昇る。
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恋はいばらの道を/True Love Travels on a Gravel Road:1969

タランティーノの出世作である映画『トゥルー・ロマンス』のアラバマとクラレンスが身につけていた馬蹄形のロカビリーな結婚指輪はエルヴィス・プレスリーが1956年<ハウンド・ドッグ>録音時にしていた指輪。劇中のエルヴィスはアラバマを守って逃避行を続けるクラレンスに言う「おまえには負けたぜ,クラレンス。これからもずっと好きだ。」
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アンチェインド・メロディ /Unchained Melody:1977

<アンチェインド・メロディ>は、1955年の楽曲。エルヴィス・プレスリーは、1977年6月21日にCBS-TV『エルヴィス・イン・コンサート』のためのライブで取り上げ、このバーションが6月にリリースされた生前最後のアルバム『ムーディ・ブルー』に収録、さらに死後の1978年にシングルカットされてカントリーチャート6位にランキングした。
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アイル・リメンバー・ユー/ I’ll Remember You:1973

エルヴィス・プレスリーを聴いている時はやさしくなれる。特にこんな歌を聴いているときには<アイル・リメンバー・ユー>。1973年1月14日、ハワイ・ホノルル・インターナショナル・センターから飛ばされた電波に乗って世界中に届けられたエルヴィスの姿。中でも<アイル・リメンバー・ユー>で、見せる緊張からほほえみへの虹のドライブは、心をワシづかみにしたまま、いまもって放さなさい。